『女神、動き出す』
「ふぅ……」
巨大宇宙船“アマノトリフネ”のメインブリッジに戻ってきた美鶴は、そこでようやく緊張から解放され、深く息を吐いた。傍らで彼女のフレンドであるニンバスがタオルを差し出してくれたのを受け取り、それで顔を拭く。
次から次に噴き出してくる汗をタオルで拭い、ようやく人心地ついた彼女は、報告を行うべくエスカレーターの一つに乗った。
アマノトリフネは全長20kmを越える超大型宇宙船であり、ほぼ都市が浮いているようなものである。故にそのブリッジも、かつての地球、極東地域にあった東京都庁すら越える規模の大型施設であり、徒歩で歩いていては時間がかかりすぎる。
動く床に乗りながら、彼女は眼下に広がるブリッジの様子を見守る。この船は、宇宙連合の旗艦でもあるため、艦内には人類他11の異星人種族の姿を見る事が出来る。
毛むくじゃらの獣人のようなものから、甲殻類と頭足類を融合させたような奇怪な姿のもの、中には植木鉢のようなものを抱えたロボットまでいる(本体は植木鉢に入っている菌糸類であり、ロボットは活動及びコミュニケーションの為のツールである)。
多種多様な、系統樹すら異なる12の種族。そのすべてに、発現したフレンドが寄り添い、意思疎通の助けとなっている。
しかし、地球で言う犬猫、豚や牛といった家畜に、フレンドの卵が反応した事は無い。他の11の知的種族が飼育している家畜も同じ。
それを基準に、彼らを知恵ある動物と見ていない、という事はないが、しかし今の人類にとっては大きな境界線である事も事実だ。
フレンド達も、彼らと仲良くはするが、意思疎通はできない。
「……はぁ。大昔の人は、動物を殺すのは駄目でも、植物は生き物じゃないので食べていい、なんていってたらしいけど……」
植木鉢に入った知性菌糸類の事を考えると、そう簡単な話でもなかったらしい、と美鶴は独り言ちた。
思うにこれは、恐らく酷く残酷で、実利的な話なのだと美鶴は思っている。家畜や動物に、知性がないという訳ではないし、心がない訳でもない。彼らだって優しくされれば懐くし、酷い扱いをされれば心を病む。そこは人間と何も変わらない。
だが。
……事実として、彼らは自らを滅ぼす害意に、抵抗できない。環境レベルの大異変が起きた時、彼らの多くは抵抗すらせずに滅び去るだろう
人間は違う。
環境の方を自分に都合よく作り替える事で、人間は大きく種を繁栄させた。それがやりすぎて、自分達の首を絞める事もあったが、そうしたらそうしたで、その環境の変化に対応しようとした。宇宙人達からの侵略に対しても、決然と抗い、10年もの間抵抗をつづけた。
滅ぼされる事への抵抗。種としての強靭さ。
それが知的生命体と、その他を分ける基準の一つであるのは、疑いようがない。
まあ、高度な知性を持ちながら価値観と時間感覚が違うせいであっさり滅ぼされそうになっていた知性菌糸とか、抵抗はするが技術力に差がありすぎて普通に滅びる直前だった獣人とかいるから、これに限らないのだろうが。
「やめやめ。辛気臭い事考えるのはお仕事中だけにしましょう」
『みゅいみゅい?』
「今もお仕事中って? へーい、ご指摘ありがとうございます」
自らのフレンドと戯れている間に、エスカレーターが停止する。
その先には、ブリッジを一望できる司令展望台が広がっており、そこには何名かの人間が務めていた。
別に人類が宇宙連合のトップという事ではなく、この船の最大出資者が地球人類だから、というだけである。メタリアンが建造中の100km級超巨大空母が完成したら、その艦長は彼らの種族になるだろう。
「総司令。柏木美鶴、戻りました」
「うむ。どうだったかね、我らのビッグマザーの機嫌は? 我々の対応に機嫌を損ねていないかね?」
司令に報告すると、早速質問が返ってくる。内容は当然、あの少女……ビッグママこと葛葉零士についてだ。
今現在、彼女は宇宙連合記念式典の会場から、このアマノトリフネに移動して貰っている。彼女の復活はもはや伏せようがないので、少しでも安全に隔離できる場所へご移動願ったのだ。何せ、あのままでは全宇宙からフレンドと宇宙人が会場に押しかけてきかねない。
「損ねるも何も」
美鶴は先ほどまで対話していた葛葉の様子を思い返しながら額に手を当てた。
「感性は小市民そのものですよ。自分が何やったのかに全く御自覚が無いようで、道理で上がり込んだ警察官の自宅で大人しく家政婦やってた訳です」
「ううむ、そうか……」
「ご先祖様の残した対策マニュアルがあって助かりました。神様仏様、って扱ったらストレス抱えて脱走する手合いですよ、あれは」
そしてそうなった場合、どんな事になるか、想像にあまりにも容易くて美鶴はゲンナリとした。
人類が、ビッグママを手荒に扱って見切りをつけられた、なんて風潮が出るだけならまだいい。最悪、12の連合種族でビッグママの確保合戦が始まる。そしてそんな状況をあの正義感の強い小市民が承服するはずもなく……最悪、ビッグママによる武力を用いた平定が始まった恐れすらある。
困った事に、あの娘にはその力がある。
傍らに常に寄り添う銀色のフレンド……否、恐らくは彼女と共にマザーツリーと同化したというディスペア本体。あれがその気になったらどこまで出来るか分からないが、下手をすればかつてのディスペア災害が全宇宙規模で再来する事になりかねない。それだけは、断固阻止せねばならなかった。
だが逆に言えば、宇宙連合を構成する種族が皆一致団結してやっているのを見せている限り、あの神にも等しき存在は現世には介入してこない。そもそもその発想が、恐らく出てこない。
あくまであの超越存在は、悲劇と嘆きにのみ反応する、いうなれば善性の代弁者。応報の化身なのだ。復讐の女神とはよくいったものだ、というのが美鶴の正直な感想である。
「というか一番気にしてたっぽいのが、銀シャリ麦の普及具合とか何なんすかね……わからないです……私……」
「唯一見せた欲求っぽいのが、それだものな……。子供に腹いっぱい食べて欲しい、というのはまあ、親として分かるが……」
『みゅいみゅい?』
二人そろって頭を抱える総司令と美鶴。
もっとこう、分かりやすく要望がある方がやりやすいのだが……無欲な聖人というのはこうまで扱いづらいのか、と総司令はしみじみと思った。
「とはいえ、現状は扱いに不満もなく、大人しくしてくださっているようだな。美鶴君のおかげだ」
「いえいえ。ご先祖様のマニュアルに「葛葉零士は正論によるごり押しに弱い、押されるとその分だけ引く。これまでの業績を率直に並べ立てて手厚い歓待が道理だと押しきれ。あと美味しいご飯にも弱い、本当に弱い。駄目押しに市民食を用意しておく事」って書いてあったの、マジですか? ってずっと思ってたんですけど、あれが最適解ですね、ほんと」
恐らくご先祖も彼女に振り回されたのだろうなあ、と美鶴はしみじみと感じ入った。そしてそれは間違っていない。
「あとは、フレンドと仲良くしてるのに家畜は食べるのね、って言われた時もドキッとしましたけど」
「ううむ。それは我々人類でも、永い間議論が続いた問題だしなあ」
総司令ももごもごと気まずそうに頷く。
実際なかった訳ではないのだ、銀シャリ麦があれば、もうこれだけ食べていればいいんじゃない、という意見は。何せそうすれば、人類は過去永劫抱えてきた宿業、弱肉強食の輪から抜け出せる。あらゆる動植物を殺す事なく、誰に対しても加害者でいられずに済む。その魅力はあまりにも大きかったが……。
「食べぬ家畜を育てる者は居ない。結果として、人類の手で品種改良された生物の絶滅を招く事実と、一作物に依存しすぎる事への恐怖から、主流にはならなかったのだよなあ」
「極端な話、未来永劫母親の母乳だけ飲んで生きていこうぜ、って感じですからねえ。流石に、やっぱ不味いよね、って考え直したのは当然ですね……」
『みゅいみゅい!』
にんげんはへんなこときにするんだね、というフレンドの率直な意見に苦笑しつつ、美鶴はニンバスを両手で抱きかかえ、柔らかい棘の背中に顔を埋めた。
この棘、普段は絹糸を束ねたように柔らかくしなやかで、顔を埋めると気持ちいい。それでいて有事の際には鋼鉄を貫く強度になるのだから、フレンドというのは生命体としてあまりにも強靭である。にもかかわらず、他種族への理解を忘れない。共に歩むパートナーとしては出来すぎなぐらいである。
と、そこでブリッジ要員の一人が、話の途切れたタイミングを見計らって声をかけた。さっきからずっと機を疑っていたらしい。
「総司令。それでその、さっきから各種族の代表から、葛葉さんと面談希望の申し込みが無限に殺到してるんですけど……。あと、葛葉財団からも矢のような催促も……」
「む……」
「まあ、仕方ないですよね……」
渋面を作る総司令と、苦笑する美鶴。
あの衝撃的なエントリーで、彼女の復活は全宇宙に知れ渡ってしまった。となれば、フレンドの文字通りの生みの親であり、かつて侵略宇宙人をボコボコのボコにした復讐の女神になんとしてもお目通りを、となるのは当然の道理である。
ちなみに葛葉財団は、葛葉零士の著作権とか肖像権を管理している団体である。200年前、人類軍において彼女を模したアートが流行った事でその肖像権管理のために立ち上げられた管理団体が、長い年月を経て財団と化したものである。
「とはいえ、彼女は今の宇宙の事を知らんしな。12連合種族の事も把握しておらんだろう」
「まあ会わせても彼女は問題を起こさないでしょうけど、連合種族の方になんか変な影響が出そうですからね……」
特に、脳波動関係に優れた種族。そういった、人間とは違う感覚を持った種族が、迂闊に葛葉と接触した結果、どういう影響を受けるかがあまりにも未知数だ。
彼らは過去にもマザーツリーの枝と接触した時、人間達には見えないものを見出して文化に大きな影響を受けてしまった経緯がある。それまで自分達が信仰していた神の概念を完全に否定され、マザーツリー教一本に収束してしまったのだ。流石に、フレンドの介入もあって過激な原理主義者にはならなかったものの、そういった事がまた起きるのは困る。
なんせ相手はマザーツリーの本体どころか、その起源である。警戒しすぎるに越したことはない。アースを目撃したフレンドが軒並み異様な動揺を見せるのも気になる(現時点で人類達はアースの特殊能力を知らない)。
かといっていつまでも葛葉を抱えていては、人類はビッグママを独占している、と言われかねない。そのあたりの調整が、大きな問題だ。
「……とりあえず、私から言える事は一つ。あの御方を今の状態で宇宙に放り出したら、間違いなくロクな事になりません」
「そっかあ……頑張るよ……」
「その……胃薬、増やしますか……?」
美鶴の率直な意見に、思わず胸を押さえる総司令なのだった。
と。
「総司令、その、直電が……」
「なんだ、今度はシュリンプスタあたりからか? いいからちょっと待ってくれ、と伝えてくれ」
「いえ、そうではなく。その、葛葉さんから、総司令に相談があるという事で……」
思わず顔を見合わせる総司令と美鶴。
何だか嫌な予感に、総司令は胃がきゅっとして思わず胸元を握りしめた。
きっかけは、数分前までさかのぼる。




