第1話:私、まずいんじゃない?? 投稿する 保存する
桜井千恵はピンサロ「ハピ猫」の門を叩く。
大学二年生の千恵はマクドナルドでノートパソコンの画面を一分以上睨み続けている。「ほぉ〜ぇ〜」と気の抜けた声が自分の口から漏れていたことに気づき、恥ずかしくなり慌てて下を向く。心のざわつきをかき消すように飲んだチョコ味のシェイクは思わず胸焼けしそうな甘さを感じた。
ここ数日、千恵は「奨学金」のことで頭がいっぱいなのだ。
「貯金なんてできるかぁぁ」
昨晩、都内の格安居酒屋でそう叫んだのは千恵が所属しているテニスサークルのOGの早苗だ。早苗は千恵と同じ私大の理系を4年で卒業した社会人3年目である。仕事帰りなのかスーツ姿に髪を綺麗にまとめており、いわゆる「モテ」を意識した千恵たち大学生のかわいさとは異なる大人の美しさが垣間見えた。
「社会人は忙しそっすね」
サークル同期の俊介は初対面にもかかわらず馴れ馴れしく早苗に話しかける。図々しい奴と思いつつもその強引さを羨ましくも思う。
「ほんっと忙しいよ。平日は働きっぱなしだし、休日は疲れて動けないし」
早苗は気さくに答える。
「でも社会人はその分お金が貯まるから羨ましいっすよ。こちとら限界大学生やってますんで」
「それでいうと私も限界社会人かも」
早苗は自嘲するように言った。
「なんすかそれ?」
「仕事は忙しいのに、お金が全然貯まらないんだよ」
「早苗さんもしかして浪費家?」
「まさか」
「うちみたいな大学からは大手なんて当然いけないし、名前も聞いたことない企業がほとんどじゃん。当然給料も高くない」
「どんくらいもらってるんすか」
よく聞いてくれたさすが俊介。千恵はテーブルのしたで密かにグッドをした。
「手取りで月17万円、家賃で7万、食費で3万、固定費で2万、他に何か買ったらあっという間になくなっちゃう」
「それに奨学金で月2万の返済もあるしね」
千恵は心臓をキュッと掴まれた感じがした。
奨学金、それは決して他人事ではなく、千恵自身も大いに背負っている借金なのである。いやそれ以前の就職先の話もなんら他人事ではない。数年後、千恵が抱えていかなけらばならない宿命なのだ。
普段は残してしまうジョッキビールをこの時ばかりはぐいっと飲み切った。
千恵は三兄弟のうちの一人で、家庭は決して貧しくはなかったが、好きなものを買ってもらえるほど裕福でもなかった。小学校の頃、二年生から六年生まで習字教室に通っていたが、本当は同級生の女の子たちと同じようにピアノ教室に通いたかった。だが、母がピアノ教室は高いと言っていたことから、いつも家計を懸命にやりくりしている母に申し訳なく結局卒業まで本音を言い出すことはできなかった。中学・高校は地元の公立校へと進み、部活と勉強に邁進した。高校三年生になると、地元ではそこそこの進学校であった千恵の高校では本格的に受験勉強が始まった。
千恵の大学受験は失敗だった。志望していた国立大学、私立大学にことごとく落ちてしまい、名前も聞いたことのない都内の私立大学に進学することになった。当然一人暮らしをする必要があり、ただでさえ費用がかかるのに千恵は理系であった。卒業するまでに学費だけでなんと約550万円もかかるのだ。両親からは家賃を含めた仕送り10万円を毎月もらい、授業料に関しては奨学金を借りて自身で払っていくことになった。奨学金は月に12万円借りることになるが、安くない仕送りをしてくれる両親にこれ以上の要求はできなかった。なにより社会人はお金はあるが時間がないと言うように、「働き出したら全然返せるじゃん」と千恵自身、楽観視していた節があった。
千恵はマクドナルドで空になったトレーを脇にずらし、再びパソコンを開き、検索した。
「大学生 バイト 高時給」と。