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変わり者公爵令嬢の過去

星が美しく輝く、ある晴夜のこと。

一人の少女が、古びたマントを羽織って暗い路地裏を歩いていた。

少女は酷く痩せこけていたが、表情には優しい笑みが浮かんでいた。

少女の名はカイル。

カイルは生まれた時から孤独で、両親に捨てられた孤児だった。

彼女が暮らす町はスラム街という名で、貧困民がとても多い町だ。

スラム街には孤児院というものが存在しない。

そのため、孤児の子供が死ぬ確率は非常に高い。

だが、運よく同じ孤児たちに見つけてもらった場合は、孤児の中でも年上の子たちに世話をしてもらうことになる。

食事は毎日必ず与えられるわけでもなく、与えられたとしてもパン一欠片だ。

それでもカイルが十一歳まで成長してこれたのは、仲間たちの励ましと支え、そして愛のおかげだろう。


孤児たちには、食糧を手に入れる手段がない。

お金もなく、働くこともできない彼らにとって、その問題は非常に深刻なものだった。

だが、たった一つ、危険度は高いが食料を手に入れられる手段があった。

()()だ。

彼らは罪悪感にかられたものの、生きるために、死なないために、やむを得ず盗みを働くようになった。

もちろんそれはカイルも同じで、カイルの手には先ほど見るからにお金持ちな老人から盗ってきた、一つのパンがあった。

カイルが今向かっているのは孤児たちの生活場所だ。

裏路地の中の奥深くにある、孤児たちの拠点。

今いる孤児たちの人数は、一三人。

拠点はあまり広いわけではないので、いつも狭い思いをして生活をしている。


今カイルが持っているパンを一三人で分けたら、己の分は少なくなるだろう。

そうわかっていても、カイルは食料を独り占めなんてしない。

昔、年上の孤児に自分のことも育ててもらった記憶があるからだ。

カイルは特に一人の少年を非常に慕っており、いつだってその少年について回って行動していた。

最も、今その少年は行方不明なのだが。

カイルがその少年を酷く慕うことには、理由があった。

まだ赤ん坊のカイルを見つけてくれたのが、彼だったのだ。

彼がカイルを見つけていなければ、カイルは今頃とっくに死んでいただろう。

つまり、命の恩人というわけだ。

そして『カイル』という名は、彼につけてもらったもらった、カイルの大切な宝物だ。


両親がいない孤独なカイルにたっぷりと愛を注いで育ててくれた彼は今、どこにいるのだろう。

ふと顔を上げると、美しい満月がちょうど雲と雲のはざまに見えた。

‥‥‥‥彼もこの、美しい満月を見ているだろうか。


「カイル姉ちゃん!」

ぼんやりとしていたカイルは、孤児仲間の元気な声で、自分が知らぬ間に拠点の目の前まで来ていたことに気づく。

「‥‥ファリー。ただいま」

優しく頭をなでてやると、嬉しそうにファリーはほほ笑んだ。

ファリーはまだ小さな、七歳の少女だ。

こんなに小さく、まだ子供なのに、カイルよりも痩せている。

その細い手がパンに延ばされるのを優しく止め、「ファリー、ごめんね。これはみんなで食べるものなの」悲しい気持ちを隠すように言葉を紡ぐ。

本当はファリーにお腹いっぱいご飯を食べてもらいたい。

でも‥‥‥。

他の孤児も、お腹を空かせて待っているのだ。

そう考えると、ファリーだけを特別扱いするわけにはいかない。


拠点の中に入っていくと、そこには痩せこけた顔でぼんやりと宙を見つめる仲間たちの姿があった。

「みんな、持ってきたよ」

カイルが声をかけると、嬉しそうにわらわらと集まってくる。

「カイル姉ちゃん、早くちょうだい」

「僕の分も」

「はいはい、ちょっと待ってね」

優しく笑って、一人一人にパンを渡し始める。

渡された子たちはすぐに頬張りながら始めるが、小さな小さな一欠けらは、腹を満たしてはくれない。

すぐにまたカイルにねだり始めた。

「カイル姉ちゃん、もっとちょうだい」

「足りないよー」

カイルは自分の分を他の子供たちにあげることにした。

「ちょっと待ってね、分けるから」

そう言ってカイルが一欠けらのパンを更に小さくちぎりだした時、「ダメだよ」と一人の孤児仲間が言い出した。

「カイル姉ちゃん、いつも我慢してくれてる。カイル姉ちゃんが食べるものがなくなっちゃうよ」

「‥‥‥確かに、そうだね」

「ごめんね、カイル姉ちゃん」

カイルは悲しそうな表情で答える。

「‥‥‥ううん、いいのよ。本当はもっと食べさせてあげたいんだけどね‥‥」


その後、カイルは自分の分の食事を食べ終わるとまた外で食料を探し始めた。

昔から生きるために盗みを働いていたカイルには、盗みを働いたときの罪悪感はもうとっくに無くなっている。

だから、躊躇なんてしない。

ある老人に狙いを定めたカイルは、老人の近くを通るときに素早くその鞄からパンを抜き取った。

そしてそれを老人に気づかれる前に裏路地に入り、身を隠す。

久しぶりに大物のパンを手に入れられて、カイルは少し気を緩めすぎてしまっていたのかもしれない。先ほどパンを盗った老人が路地に入ってくることに気づかなかったのだ。


「君だね、先ほど私からパンを盗んだのは?」

少ししわがれた声で語りかけられ、ようやくカイルは老人に気づき、顔を青ざめさせた。

いつもなら食料はすぐ鞄に入れて隠しておくのに、今日はそのまま手づかみにしていたため、カイルが犯人だと言っているようなものだ。

言い逃れはできない。

そう判断し、カイルは顔を引き締めて言った。

「本当にすみません。パンはお返しするので‥‥‥、どうか見逃してもらえないでしょうか」

久しぶりの大物だったが、命には代えられない。

しかし、カイルの切実な願いを老人は聞き入れてはくれなかった。

「もちろんパンは返してもらう。だが、それでだけじゃ足りん。

この町から、出ていけ。自分で出て行かないようなら‥‥‥力ずくで出て行ってもらう」


老人は一方的に告げると、すぐにその場を立ち去ってしまった。

カイルは呆然として立ち尽くした。

今すぐ老人を追いかけてみっともなく許しを請う?

それとも老人の言葉を無視してこれからもこの町で暮らし続ける?

いや、どっちも危険すぎる。

もしあの老人が町の有力者だった場合、カイルはもちろん、孤児仲間も同じように消されてしまうだろう。

孤児仲間にお別れを言ってから町を出るか?

それもだめだ。ここは基地から遠すぎる。

基地に向かっている最中に老人と出会うことは避けなければならない。

結局、仲間にお別れを言わずに町を出ることに決めた。



町の末端に来たところで、カイルは後ろを振り返った。

仲間たちがいる町を。

カイルを大切に育ててくれた、彼との思い出が溢れるほど詰まっている町を。

これから自分は、捨てなければならないのだ。

その事実は心に深い傷跡を残したが、カイルは知らないふりをした。


そして、最後にしっかりと景色を目に焼き付けてから、思い出の詰まった町を出た。




――――――――――――――――――――――――――――――




‥‥‥‥ンリ‥ん! ‥‥‥ンリさん!

「アンリさん!」

「う、ぅっ‥‥‥」

目を覚ますと、見知らぬ部屋の中にいた。

そして、目の前には地震の時助けた女子生徒。

アンリが体を起こそうとすると――。

「———ッ!」

頭がズキッと激しく痛んだ。

頭を押さえながらゆっくりと起き上がる。

「こ、こは‥‥‥‥」

「病院です! 一週間も眠っていらしたのよ! そ、そうですわ、先生を呼んできますわね!」

そう言って慌ただしく出て行った背中を見送り、アンリは一息ついた。

どうやらここは病院のようだ。

地震で頭を強かに打ち付けた後の記憶が全くない。

ゆっくりと順に思い返していく。

「そういえば、‥‥‥‥懐かしい夢を見ましたね」


そう、カイルというのはアンリの昔の名前なのだ。

アンリの家庭事情は少しばかり複雑だ。

まず、スラム街から出たカイル――――アンリは、行く当てもなく北に向かって歩いていた。

そして、今のアンリの義理の母———リカルに出会ったのだ。

それから、あれよあれよという間にリカルの養子になり、日々が過ぎていくうちに‥‥‥今の義理の父———ファスカルに出会ったのだ。

リカルとファスカルは互いに一目で恋に落ち、すぐに結婚した。

リカルは平民でファスカルは上級貴族だったため、多少のごたごたはあったようだが、詳しいことをアンリは知らない。

とにかく、そうして平民以下の位だったアンリは、公爵令嬢へと急な坂を駆け上がったのだ。


「あの子たちは‥‥‥。どうなったんでしょうか」

あの子たちに責められるのが、嫌われるのが怖くて、アンリは町を出て公爵令嬢になった後も、スラム街に行けなかった。

会いたい。会いたい。

あの子たちは、何をしているんだろう。

まだひもじい生活をしているのだろうか。

自分一人幸せになった『カイル』を、あの子たちは恨むだろうか。

それとも、祝福してくれるだろうか。


そこまで考えたところで、ドアがノックされた。

「どうぞ」

アンリが声をかけると、さきほどの女子生徒と医者が入ってきた。

‥‥‥‥そうだ、まずは細かいことを考える前にこの怪我を直さなくては、何もできないじゃないか。

そう考えたアンリは、何かを吹っ切れたような明るい表情をしていたのだった。

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