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道すがら

作者: 近部 悠

バスに乗って終点まで30分。

前に座っているおばあさんは長く感じているかもしれない。

隣で寝ている高校生には一瞬にも思える時間かもしれない。

私にとっては――


私は、時折このバスを独り占めする。

過疎という言葉がぴったりなこの町を走るバスだから、というわけではない。

病院に行く老人たちはこのバスを利用するし、通学に使っている学生もわずかではあるがいるようである。私のように通勤で使っている人はあまりいないようだが、他に誰一人乗らないなんてことはない。

じゃあ独り占めって?

それが何かは私にも分からない。

本当にひとりになるんだ。


その時は突然来る。

ふと目線を手元に降ろしたとき、うたた寝をしてしまった時に。

最初は後者だった。

その日は仕事を家に持ち帰っていたので、満足に寝れていなかったものだから、バスに乗った時点でウトウトとしていた。

からだが自然に傾いてきて、何度も倒れそうになるのを必死にこらえていた。

振り子のように大げさに動くからだを支え切ることができずに、私はシートに倒れてしまった。

その衝撃で目を覚まし、咄嗟に体を起こして周りを見まわすと、乗客は私一人だけになっていた。私の周りにいたはずの人たちは忽然と姿を消していて、最初からいなかったのではないかとすら思ってしまうほどの静寂に包まれていた。

乗り過ごしてしまったのかもしれないと、窓の外を確認すると、走っている場所も明らかにおかしいことに気付いた。

湖が見えるんだ。

町中に向かうバスだから、湖が見える道を通るはずがないのに。

これは何度か体験して気付いたことだが、バスが走る場所はかなりランダムなようで、舗装もされていない山道を走っているときもあれば、海岸線を延々と走り続けているときもある。


ただ、共通しているのは、その状態が体感で20分ほど続くこと、最後は大きくて長いトンネルに入ることだ。トンネル内に電灯はなく、入ると同時に車内も真っ暗になる。エンジン音がだんだんと遠くなってきて、パッと光が差し込んだ時にはすでにいつもの車内に戻っている。

見慣れた街並み、いつも通りの道だ。

数分もすれば私の降りる場所に着く。

これは、明晰夢なのか、はたまた異世界なのか。

そんなことは分からないし、知ろうとも思わなかったが、この独り占めはちょっとした旅行のようで、私の中で小さな楽しみとなっていた。


今日は、本を開いた瞬間に独り占めになった。空気が変わったのを察して、顔をあげると、外は田んぼ道だった。田んぼが鏡のように空を反射して、水色に光っている。

水を張っているということは、今このあたりは4月くらいなのだろうか。なんて考えながら、窓の外に流れていく景色をぼーっと眺めていた。





「お前いつも乗ってるバス、廃線になるらしいよ。」

同僚の一言に私は唖然とした。

「え、廃線ってなんで」

「まぁ、高校も統合するしなぁ。通学で使う学生がいないなら、仕方ないんじゃないか」



最後の日にも、私はバスを独り占めした。

乗ってすぐだった。待っていたかのように、私が座ると一瞬視界が暗くなって、

バスに乗っているのは私一人になった。

バスが走る道は、いつも通りの道だった。なんてことない普通の道。

ただ、ピンクと青が混ざった空が広がっていて、山と山の間に太陽は沈んでしまいそうになっていた。普段通っている道も、時間帯が変われば全く違うようにみえるものだ。

今日の景色はいつもより寂しくて、

流れる速度も心なしかゆったりとしているように感じた。

しばらく走った後、途中のバス停で停車したまま動かなくなった。

運転席に座って、いろいろ試してみても動く気配がない。


どうすればいいのかもよくわからず途方に暮れていたが、焦りはなかった。

むしろこのままここにいてもいいとさえ思っていた。

でも多分、それを許してくれはしないのだろう。


滑りの悪い窓を少しだけ開けた。

季節が夏なのだろうか。ぬるい風が入り込んでくる。


私は、本当は分かっていた。

見ていた景色が見覚えのあるものだということを。

あの湖の見える道は、私が小学生だった時の通学路。

あの山道は、友達と一緒に作った秘密基地に繋がっていた。

あの海岸線は、家族と海に遊びに行ったときの道。

田んぼ道は、私の実家があった場所に繋がる道だ。

どれも私の中で、とても大きくて、大切で、もう二度と取り戻せない物だった。

だから、思い出さないようにしていたのに。

嫌いだ。こんな景色を見せてくるこのバスも、どこか心地よく感じていた私自身も。


きっと誰の目にも映らない。

自分しか知らないなら、思い出が夢か現実かなんてわからない。

今更無くなったものを見たってどうしようもないじゃないか。

どうせなくなるのなら、意味なんて――


でも、確かに、私の中ではあった。こうして直接見ることができなくなっても、

自分にとっては今も残っている大切なものなのは確かだ。

だから、



その後、バスは無くなった。

私はあのバスに乗っていないし、二度と乗れない。

私は自分の車を買った。

今も同じ道を、同じように走っている。


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