都道府県立陸上自衛隊
第二次大戦後の日本で陸上防衛組織の再建が認められない世界線を題材とした架空史です。
日本の防衛組織である陸上自衛隊。
海上自衛隊・航空自衛隊が「国」の組織であるのに対して、陸上自衛隊は地方自治体である「都道府県」の組織になっています。
例えば、九州の大分県にある陸上自衛隊は「大分県立陸上自衛隊」となっています。
陸上自衛隊は国の直接の指揮下にありません。
この奇妙な状況について説明するには、太平洋戦争終結後、日本国が連合軍によって占領されていた時代について話さなければなりません。
戦後、占領軍である連合国軍最高司令官総司令部GHQにより日本帝国陸海軍は解体され、日本は軍隊を放棄することになりました。
しかし、朝鮮戦争が勃発すると、占領のために日本に駐留していたアメリカ軍を朝鮮半島に向けることになり、日本は戦力の空白地帯となってしまうため、その穴埋めをする組織が必要になりました。
GHQは日本政府に「国家警察予備隊」の創設を指示しました。
いきなり、日本に軍隊を復活させるのでは、日本の内外から反発があるので「警察予備隊」という名称にしたのですが、準軍事組織と言っていい組織でした。
警察予備隊に対する内外からの反発は予想以上でした。
日本国内からも日本軍の侵略を受けたアジア諸国からも「日本陸軍の復活だ!」と反発され、アメリカ合衆国議会の一部からも反発されました。
当時は「日本陸軍悪玉論」が蔓延しており、日本陸軍の復活につながるようなことは、特に日本国内ではタブーでした。
同時にGHQから指示された。後の海上自衛隊につながる海上保安庁の増強についてはあまり反発はありませんでした。
陸上兵力により国民が弾圧されることを怖れていたからです。
GHQは「国家警察予備隊」の創設が困難になると、代わりに「都道府県立警察予備隊」の創設を指示しました。
都道府県立警察予備隊は、日本国政府の直接の指揮下にはなく、地方自治体である都道府県の指揮下にあります。
普段は県境を超えて活動することはできません。
治安出動・災害出動の時には内閣総理大臣の要請により、知事が同意した時のみ、中央司令部である警察予備隊総監部の指揮を受けることになっており、都道府県では警察予備隊を支える予算は出せないので国が負担することになっています。
知事の同意がなければ国が動かせないようにすることで、何とか警察予備隊を創設することができました。
警察予備隊の発足後、ある意味奇妙な事態が起きました。
ある県で国会では野党である政党に所属する政治家が県知事に当選し、再軍備に反対する政党に所属する県知事は自分の県の警察予備隊を廃止しようとしました。
しかし、県民に激しく反対されました。
なぜなら、県内の若者の「就職先」に警察予備隊はなっていたからです。
地方によっては警察予備隊は数少ない職場となっていたのです。
その県知事は自分の県の警察予備隊の廃止は諦めましたが、小銃などの装備品を削減しようとしました。
しかし、それも県民に激しく反対されました。
県民は「隣の県の警察予備隊より装備品が貧弱なのは県の恥だ!」と主張したのでした。
どこの県民でも隣接する他県との対抗意識が多かれ少なかれありますが、警察予備隊が「自分たちの県のもの」となったので、それが濃厚になったのでた。
隣接する県の警察予備隊の部隊が対戦演習をする時には高校野球のように自分の県の部隊を応援する事態も起きました。
財政的に余裕のある自治体では国からの予算の他に県の予算で警察予備隊の隊員の食費を援助している所もありました。
隊員に体力をつけてもらって対戦演習で他県に勝つためでした。
警察予備隊から陸上自衛隊に変わっても都道府県の組織であることに変わりはありません。
そのため日本国政府は国の直接指揮下にある海上自衛隊と航空自衛隊に陸戦部隊を設立しました。
それが海上自衛隊海上機動部隊と航空自衛隊空挺部隊です。
それらの部隊は精鋭ですが少数であり、陸戦の主役が陸上自衛隊であることには変わりがありません。
陸上自衛隊が各都道府県に密着し過ぎているため、「外国の軍隊が日本に攻めてきた時、各知事は自分の陸上自衛隊の部隊を他県に移動させることを認めるか?」という疑問があります。
戦後、幸いにも日本では自衛隊が治安出動・防衛出動をしたことはありません。
過去、災害出動では陸上自衛隊を他県に移動させることを拒否した知事はいません。
日本周辺の情勢は緊迫しています。
初の防衛出動の時、都道府県立陸上自衛隊の真価が試されることになるでしょう。
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