故郷
水の音が低く、底の方から体にまで響いてくる気がする。長い時をかけて満ち満ちた水は、地上も木々も飲み込んで、水中から幹が突き出た、不思議な森林へと変化を遂げていた。
水銀の水面をささやかに揺らしながら、小舟は滑って行く。櫂が鏡に飲み込まれるたびに、ダイヤのような粒が飛んで波紋をつくった。
魚影が水面下を過ぎたような気がした。光全てを反射するようなこの水面のせいで、水中の事は微かにしかわからない。
そう、いつの間にかここまで飲み込まれてしまったのだ。ここまでたどり着いた水は、いずれ、この森林の木々の根を枯らすか、木々へと変化を促すのだろう。
船は、細い一本の木々の合間の道を進む。ここは昔、小道であった場所だった。
船頭が櫂を差し入れるのをやめて、ゆらりと水の小道の先を指し示す。遠く、木々の幹の合間から漏れるように見える白。
10年も前に出て、ようやく帰ってきた故郷であった。
滑り、進む小舟。
緩やかに大きく見えてくる白は、もう手を入れることは難しいであろう美しく精緻な彫刻が見えた。過去、何十年、何百年、何千年と、故郷で受け継がれたものだった。過去、自分も手を入れたのだ。故郷を出る前に。
白の上に、ちらりと橙の光の球が見えた。
白は塀。門の役割をもこなす壁。人影がゆらりと揺れた。
…。
到着だ。
船頭は、頭上に手をあげて大きく振った。人影も振り返す。
扉があった。白い大きな扉が。この小船など、5個は同時に通らせられそうな。
がこんと大きな音がして、白い扉がゆっくりと水を割いて横に吸い込まれてゆく。扉が中開のとこらで、小舟は門を通り抜けた。
あぁ、帰ってきたのだ。
また、大きな音がして扉が背後で閉まってゆく。舟付き場が見えた。土の壁も。
懐かしさと目新しさに頭も感情も混乱しているらしい。つぅと水が頬をつたったような気がした。




