これは2人の物語
【最後の前日】
仰ぎ見た月、満月はあの日と同じくらい綺麗だ。
ふと、思い出される本の一節。かの有名たる「月が綺麗ですね」。あの日、そばにいたあなたが言葉にしようとしたのはきっと、これだったのだろうと今になって思う。あの時は気が付かないふりをして。
それが、長年にわたるすれ違いの一番初めのことだったのかもしれない。
このままでいい、いや、このままがいいともあの時は思っていたのだ。周りから見て両想いだっただろうに、互いに進むことを躊躇して、私は進もうとしなかった。
そんな些細なことが私たちの未来を分けてしまうのだと言うことには全く気が付かずに。
私が、一報を聞いたのは母からだった。
事の他、彼・トウヤのことを気に入っていた母は、そのことを私に伝えないといけないと思ったそうだ。どこか白くなっていく意識。私の中でその一報は悲報であり、凶報であった。
無機質な機械の向こうの声が淡々と事実を羅列している。その事実が一部の人にとって大いなる苦しみを与えてくるものだと知りながら。
「ーー次のニュースです。今日未明、ドバイを離陸した1838便香港行きがインド洋上空でのエンジントラブル発生により、墜落しました。この便には十数名の日本人が乗っており、全員の消息が不明です」
そして。スマホの画面には、行方不明者の一覧が並んでおり、その中に黒瀬トウヤの名前が載っていたのだ。
"死"は本当に突然で不平等で、昨日話した人ともう話せなくなると言うこと。人には平等に死が訪れるなんて言われるけれど、そんなことなどあり得ない。運命なぞ全てが不平等で、予測できる人などいない。
そうだ、人が平等だなんだと言うのも全てが嘘。全て平等など、ていのいい夢で馬鹿けた理想である。不平等であるが故に、不平等を煽るかのような実態であるが故に、平等という夢を人々に見させるのだ。
彼が死んだ。
そう聞いた時からずっと、穴が空いたように何かがこぼれ落ちている。
私にはもう生きる意味はない、そう思うのはいささか悲観的すぎるだろうと冷静な自分が告げる。けれど、生きる理由が思いつくことはもうないのかもしれない。そう思うほどに堕ちていく。
あの日の月が映る海を眺めながら、砂を蹴る。
あの時私が一歩踏み出せていれば、彼は死ななかっただろうか。
そう、物思いに耽る私は気が付かなかった。背中に鋭い痛みがはしるまで。
あつい、さむい、いたい。生命の赤が流れていく。何度か痛みがはしる。倒れ込んだ私。意識が遠のいていく。
最後に見えた月が、綺麗だった。
「昨夜午後11時ごろ、__の砂浜で殺人事件がありました。被害者は白瀬ユウラ、25歳の女性です。警察は__」
***
【目覚めの日】
ふと、目が覚めた視界に飛び込んできた天井にどこか違和感を覚える。長い、長い人の一生分の夢を見ていた気がした。
起き上がった自分の体がどこか軽く感じる。なぜか、今の自分の歳がわからなくなり、壁にかけてあるカレンダーを確認した。「2XXX年」息を詰めかけた自分に、よかったと思う自分が重なる。
「トウヤー! 何してるのー! おきなさーい!」
母の声はやはり変わっていない。
……やはり? やはりって何だ? 頭がぐるぐるしている。考えていても埒が開かない。起き上がって身支度を整える。けれど、違和感が付かず離れずついてくる。
自分の体や制服になぜか懐かしさを感じて、今日の授業が思い出せない。昨日が遠い昔のことのようで、膨大な記憶が昨日と今日との間に横たわっているようにも思える。
「トウヤー! はやくしなさーい!」
母の声に止めていた手を動かす。今日必要な教科書は何だっただろう。生徒手帳に書いてある時間割に目を通して、昨日放り出したままであったらしい鞄を詰め替えていく。
手に取った鞄が軽いようにも感じて、首を傾げながらも部屋を出た。階段すらもいつもと違うような感覚がする。椅子に座っても朝食を食べていても、違和感がずっとある。
おかしい。そう思いつつも、家を出て道を歩いていく。やはり、どこか遠い道の記憶を一つ一つ確かめながら。
「おっはよー、みんな!」
そう元気に言った彼女の名前は何だっただろうか。また、朧げな記憶に違和感を感じている。呼び間違えないようにしないと、ふと思ったそれにはたと思考が止まった。
今、僕は一体何を考えた? 彼女の名前を呼び間違えないようにしよう? なぜ? 彼女と同じ名前の人などこの学校には今いないのに。
チャイムがなる。
そのチャイムにノイズがまじる。
この後一体何が起こるのかを自分は知っている気がする。
いや、知っている。知っているのだ。未来を。
その時、僕は全てを思い出していた。
一生分の記憶に脳がキャパオーバーする。
ガラリと空いた扉の音を聞いたような気がして、僕の意識は黒く染まった。
ぼんやりと霞む視界をこじ開けて、白い保健室のベッドから起き上がる。今はいったいいつだろうか。整理された記憶はとてもじゃないが、人に言えるような代物ではない。さて、どうしようか。
「こんどこそ、ユウラ。君に」
無意識のつぶやきは白い部屋に消えた。




