虹は笑う、虹の過去を
ふら、ふらと道なき道を影がゆく。
衣服はすでにボロボロで血が滴り落ち、手足も何処か欠けているその影。
山の夜は深く、辺りは暗い。
満月である月明かりさえ、影の身には満足に届かない。
その影は、ただ、一心不乱に歩き続けていた。
***
え? ここにきた当時が知りたい?
そう、その青年は聞いた。
柔らかな新緑のようなその青年はどこか浮世離れしている。
妖がそこかしこにいる、そんな世界で、妖のようなという形容詞がとても似合う青年であった。
私が尋ねたこととはいえ、遠い目をする彼にその答えを教えてもらうことに躊躇して、声に出そうとする。ただ、ちょっとばかりの好奇心によるものであったがゆえに、彼が気に触るのであれば、答えてもらわなくても良いとは思ったのだ。
遠くの、それこそ何千里も離れたところを見るかのように視線を飛ばす彼は、これまた、遠く、千年もの昔を語るかのように重々しく口を開いた。
僕がここにきたわけ、か。
ほんとうに、懐かしいものだね。
懐かしげに苦笑してみせたその顔は柔らかで、見ているこっちが驚くほどだった。
話し始めた彼は、詳しいことは言えないのだけれど、と前置きをしつつ、目を細めた。
あのとき、僕はとある集団に目をつけられていてね。それこそ、自業自得なのだけれど。
マァ、天狗にならされたんだよねぇ……。僕も若かったし。
え? 今も充分若い? ……身体は、ね。
それでね、油断してしまったんだよ。その集団が来るわけがないってね。もしかしたら、そう油断させたのも、彼らの仕込みかもしれないけどねぇ。
そしたらさ? 来てしまったのさ、僕一人を捕まえるのに、そのとある集団のエリートの五人、よりにもよって一番こないだろうと思った人たちがね。
僕を捕まえるのが任務だっていって笑ってたけど、あれは遊ばれてたね。
マ、腹が立ったから全力を出させてやったけどね。
くすりと彼は笑う。
とても楽しそうに。
その瞳の、虹の輝きをより煌めかせて、彼は続けた。
でもマァ、流石に多勢に無勢。
都にいてはどんなに偽装をしようとバレてしまうほどの傷を負ってしまってね。
逃げ込んだ先にあったのがこの森だったのさ。
いやはや、気がついたらこの森の泉に沈んでいてね。
大丈夫? って?
あぁ、誰も知らないんだったね。
この森にある泉はどうやら癒しの泉、みたいでね。
そう、伝説上の、あの癒しの泉さ。
僕もまさか本当にあるとは思ってなかったし、こうして癒やされるとは思わなかったさ。
そして、浮き上がってみれば、ここがどこかわからないけれど、身体は治っちゃってたし。
都の方に行くだけでも危ないかと思ってね、このまま居着いちゃったってわけさ。
まぁ、何年経っているかもわからなかったしね。
ふふっと笑う彼は、見た目の年齢以上に妖艶だった。
ぞわりと泡立つ肌は、本能か、それとも恐怖か。
ふと、もう一つ気になっていたことを問う。
言葉を紡ぐのを止めた彼は、黙って聞いていた。
どうして、か。
どうしてだろうね?
そう此方に問いかけてくる彼は心底不思議そうだ。
どうして、私を拾ってくれたの? その質問はそんなにも不思議なことだっただろうか。
数秒ふむ、と考え込んだ彼は、何かに気がついたと同時に苦笑して、それからふわりと笑った。
ま、ここは君のことが気になったし、気に入ったから、でどう?
それからは、暇つぶしかな。
ここに長い間一人でいることにも飽きた、からさ。




