表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
短編集  作者: 燐火
2/39

水の夢

確か、これを書き始めたのが5年以上前だったはずなのは覚えている。

そして3年近くほぼ加筆できてないものだってことも覚えている。

もう完成しなさそうなので放置。


自分の書ける範囲を増やそうとお題に挑戦したもの。

お題内容はこちら。「長々と沈んでいた/寒さは気にならない/でも心に受ける/放心したように/記憶を超えて」

***


届かないその背中に手を伸ばした。けれど、やはり届かないままで…。


ぴしゃん…。


そう水の落ちる音が聞こえて、まどろみはさぁと引いていく。


はっと継いだ息が部屋に響いた。


あぁ…どんな夢を見ていたのだろうか…。覚えていないのに、思い出さなくてはならないという焦燥感だけが夢を際立たせる。誰かに追いつかなくてはならないのに。何故、そう思うのか、それが…わからない。


真実は…まだ、暗い闇の中。


***


ハァ…。



寒々しく赤に染まった掌に一つ白い息を吐き出す。


また、あの夢の事を思い出していた。いつからか…もう思い出すこともできないような昔から見ていたあの夢。水の中で沈んでしまったかのように動かしにくい夢の中の私の体。未だに何かの目標さえ見つけられていない私には案外見合った夢なのかもしれない。


目の前の横断歩道が青になった。


こうして、冬の街を歩いていると、何となくどこかへと行かなければならないような、それでいてどこか幸福感にあふれる感じがする。…夢の中の誰か…もしかしたら、その人がこの気持ちにはかかわっているのかもしれない。なんて、現実的な私にしては珍しいほどのファンタジーなこと…って思っても、あり得るはずないか。


やはり、寒々しく赤いままの手にもう一度息を吹きかけた。


雪でも降りそうな真っ白な雲が空を覆う。


そういえば、今日は氷点下になるとニュースで言っていたような気がする。


もしかしたら、雪が降るかもしれない。歳に似合わず気分が高揚する。


もう、手に伝わる冬の寒さは気にならなかった。


…一陣の風が通り抜ける。


そう感じたのは、きっと私だけ。振り返っても、風が通り過ぎたという証拠のように身を震わせるものはいない。振り返った私の目の端に、ふと、茶色がかすめる。なぜだろうか、どうしても、追いつきたくなる誰かと同じ、その色。


赤く染まったままの手は、自分の胸をつかんで離さない。動かさないと、と思う足は動かない。私は半ば放心したように、その茶色が消え去るまで、歩道の端っこで突っ立っていた。


***


冬の街を駆け抜ける。私はやっぱりあの茶色を纏う背中には追いつけない。立ち止まったその人は笑って言った。


『まだかよっ』


街の中で叫ぶように言われたその言葉は、いろんな人が耳にして、微笑む。かぁと顔に集まる朱に、私は俯いて、その人へと駆ける。


『…どうした?』


その人のもとにたどり着いてもいまだに俯いたままの私。その人の手をおもむろに取って、駆け出す。


『ちょ、ちょっと…おい!!』


その人が言うのも気にせず、ただ羞恥と幸福感がないまぜになった胸を抑えるかのように、もう片方の手でつかんだ。



***


カランカラーン。


暖かいオレンジ色の光が私を出迎える。カウンターの奥に陣取る男に私は声をかけた。


「マスター、グリューワイン1つ。」


3年前、ひとめぼれのように買ってしまった桜色のピーコートを、カウンターの前の座席の背にかける。


「…待ってろ」


明るいブラウンの、木のぬくもりの感じられる店内に、冬らしいが、たき火の前にいるような暖かなジャズが流れる。


ふぅと息を吐いて、コートをかけた椅子に身を預ける。


暖められた店内の空気が心地よい。


ふいに、ジーンズのポケットに入れられたままの携帯が揺れる。


友人からの些細なお誘い。“一緒に食材を持ち寄って鍋でもしないか…”と。


…この友人は覚えていないのだろうか。以前そう言って鍋をしたときに恐ろしい大惨事が起きたことを。


「あいよ」


とんと、カウンターに置かれた背の高い陶器のグラス。赤い液体が湯気を放ちながら収まっているそれ。


「…、マスター、ありがとう」


注文が出来たのだと気がついた。


ゆっくりと、カップを手に持てば、ジンジンと熱が指先から体へと伝わっていく。


ずずっと、飲んで、ほぅと息をついた。


「んで、今日はどうしたんだ? お前が…何の相談も持たずにここに来るのはありえん」


気持ちが落ち着いたころを見計らって投げかけられたその質問。


私は、何となく答え辛くて、もう一口、誤魔化すかのようにグリューワインをすすった。


「……ま、お前が言いたくないなら無理には聞かないけどさ?」


10センチほどの壁が立てられたカウンターの奥で頬杖を突くマスター。


私はマスターの強い目の光に耐えられず、もう一口、グリューワインを飲み込む。


体に広がる、グリューワインの熱に、段々と溶かされていく。


長い間、私は白の中で揺れる赤を見つめていた。


「……夢を、見るんだ」


呟いた言葉は、それこそ夢の中で発されたかのようで、余韻を残してジャズの中を漂う。


何も言わず、マスターはただ、私の事を見ていた。


「何かを追わなきゃって思うんだ。この手を届かせなきゃって」


外ではちらちらと白い花が舞う。


そのことに私は気がつくはずもなく、また言葉を発した。


「でも…体は動きにくくて、手は届かなくて…」


無意識に、赤い液体をごくりとのどに通す。


コンと、木のカウンターに音を立てて、白いグラスを置いた。


「…あれは…誰なんだろうか? …なんで、追いかけないといけないって思うんだろう?」


ぼそりと吐き出した言葉は、表面化されたことのなかった疑問。


目線はいつの間にか下を向いていて、無造作に置いた携帯に表示される通知が目に入った。


「…わからないんだ」


もう、時刻は4時を過ぎたところ。


けれど、マスターの店はこんな早い時刻に来る人などなかなかいない。


先ほどと変わらぬ姿勢のまま私に言うマスター。


「ほかにもあるんじゃあ、ないのか?」


それは、図星をついたというものであった。


けれど、何となく認識したくなくて、グリューワインを一口飲む。


「…そんだけの事なら…お前はここに来ねーだろ」


良く、私の性質をわかっているマスターに、やっぱりと苦笑が漏れる。


「……なんでだろうね?」


言った言葉はマスターには不可解だったに違いない。


もうグラスの底が見えてきそうなグリューワインを口に含む。


「…昔から…冬が、冬の街が好きで…でも、嫌いだったんだ…」


ちらちらと舞っていたはずの白い小さな花は、いつの間にか大きく、窓に叩き付けられている。


あぁ、やっぱりこんな天気の冬は嫌いだ。


「でね、昔から…何となく、といった感じで好きなもの、とか嫌いなものが一度も見たことがないのになぜか知っていた、わかっていたことがあるんだ」


そう、それは一目ぼれした桜色のピーコートもそうだし、なぜか目につく茶色いダッフルコートも、だ。


昔から、何となく桜色のものは好きだったし、また、深緋のような色は嫌いだった。


深緋は、なぜか、血を連想させたものだ。


…そして、白い、吹雪も。


「…なぜか、さ。いろんなところで、いろんなときに、既視感があって…」


それこそ、幼いころから、学校に行っていたときも。


でも…肝心の、何かが足りない。


「でも…、何かが足りないんだ。いや、何かというよりは、誰かというべきなのかもしれない」


脳裏に浮かぶのは、茶色のコート。


もしかしたら…。


なんて、ありえることも少ないというのに。


「で? お前はどーしたいんだよ」


マスターはマスター自身用にか、グリューワインを白いグラスに入れていた。


「…見つけたいんだろうね…」


…見つかる可能性など分からないし、見つからない可能性のほうが高いというのに。


グリューワインを飲めば、もうそれは白い底が見えていた。


カランカラーン。


外から風と共に雪が吹き込んでくる。


茶色い、あの色が目に留まった。


マフラーを外し、帽子や、コートも脱いだその人。


「…マスター、グリューワイン」


その声に、その背中に、どこか既視感を覚える。


そして、冬の街をかけた時と同じ幸福感もこの胸に蘇る。


「……アラン?」


今まで生きてきた中で一度も見たこともない顔の人なのに、なぜか口が動いていた。


「………ローナ?」


返されたその言葉は私の胸の中にしみこんでゆく。


「……なんともまぁ、珍しいことで」


マスターの言葉は、どこか蚊帳の外で響いた気がした。



***


ぴちゃん…。


水の滴る音が響く。


まるで、洞窟の中で水が落ちたかのように。


暗い、暗い…。


明るい光へと手を伸ばした。


冬の寒さを防ぐために来たコートはただ水を吸って重くなるばかりだ。


息が…、出来ない。


ゆらり、ゆらりと光が揺れる。


冷たい、寒い……。


ただ、思い出すのは、あの人のあの言葉だけ。


…なんだっけ?


…わからない、何もかも。


ぴちゃん…。


また、水の落ちる音がした。


***


“わたし”はすべてを知っている。


ただ、思い出すことができないだけ。


そう、心の中の箱に、記憶を閉じ込めてしまっただけ。


必ずしも思い出すことではない。


思い出していいことがあるわけでもない。


記憶を取り戻しても、ただ、真実を知ることができるだけなのだから。



***


ぱらり…、ぱらり…。


窓の外の雪は強くなるばかり。


しんしんと降り積もり、静寂の中に私たちを連れて行く。


「マスター、グリューワインちょーだい?」


…こんな日にマスターの店へと訪れる者はなかなかいない。


それゆえか、私とマスター以外には誰もいなかった。


「ったく、帰れなくなっても知らねーぞ」


もう、10センチは積もった外の雪。


手に持った本は、未だ終わりに到達しようとしない。


「良い。…マスターのとこに泊まるから」


ぱらりとページをめくる。


この、ゆったりとした時間を逃したくなかった。


「…はぁ、ったくお前は」


と言いながらも、グリューワインを白いグラスに入れてくれるマスター。


ふわりと、スパイシーな香りがジャズに溶け込む。


「はいよ、くれぐれもここで寝んじゃねーぞ」


コン、と音を立てて置かれたグラス。


“「あなたは…覚えてないのね」”


本のこのページのラストを読み終えて、マスターを見る。


「ありがとう、マスター」


白いグラスを手にとって、引き寄せる。


ぱらり、とページをめくった。


“妙に、その女の声は印象に残った。”


グラスを引き寄せて、一口飲み込む。


ひどく、喉が渇いていた。


「なぁ、お前はさ、仇敵が記憶をなくしてそこにいたらどうする?」


一瞬、マスターの声だと分からなかった。


記憶にノイズがかかる。


「……それは……」


そして、思考にもノイズがかかる。


“「まぁ、覚えてない方があなたにとっては良いかもしれないけど」”


ーー「あんたがいないほうがあいつにとっては良いんだよ」ーー


記憶と本のフレーズがこだまする。


「…なにも、しな…い………」


ノイズが酷くなる。


「………そ……よ」


マスターの声が聞こえなくなって、私の意識はノイズで埋め尽くされた。



***


ゆらり、と青い光が揺れる。


相対する人は、アラン…その人の親しい友人。


『あいつの世界にさ、あんたなんて不純物はいらねーんだよ』


くぐもって聞こえるその声は、私に深く突き刺さった。


彼の顔は、美しいのに、どこか歪んで見える。


『…っ…なんで、あなたが決めるのよ…メッサ…』


少し、恐怖を感じて、私はじりっと後ずさった。


メッサと呼んだ彼は、ニヤッと笑って言う。


『あいつの親友だから、さ』


それでも、おかしい答えなのに、メッサはニヤニヤと笑っている。


洞窟に差し込む光は、まだ強いままだ。


『……なんで、私は不純物なの?』


また、ゆらりと青い光が揺れる。


乗ってきたボートは、メッサによって占領されたままだ。


泳げない私は、ボートに乗らない限り、ここから出る方法はない。


『え?…あいつがおかしくなるから』


感情を知らないというメッサは、本当に感情がわからないのだろう。


もう、私は帰ることができないんだろうな。


予感というよりは、直感的に判断する。


なにしろ、メッサの目は、本気の色をしていて、私を返す気がないようだから。


『…で、私をどうするの?』


この洞窟の水は透き通っていて、水晶のように美しい。


その水面は、まるで鏡を見ているかのようだ。


メッサがオールを漕いでボートを動かした。


私たちがもと来た方向へ、彼だけを乗せて。


伝わった波紋が鏡を乱し、揺らす。


私の心のように。


『もう、あんたはわかっているだろう?』


メッサは目を細め、ニヤリと笑った。



***


「…こんなところで再開するとは思わなかった」


変わらなく見えて、やはり変わってしまった彼。


寡黙に映る彼の雰囲気に、私は飲み込まれていた。


「…そうだね…」


マスターの用意するグリューワインの芳香がジャズに紛れる。


カチャカチャとグラスたちがぶつかり合った。


「……なんで、この店に来たの?」


不意に漏れた疑問は震えを伴って、ジャズに溶けた。


ゆるやかに流れ続ける時間、サックスの音でジャズが途切れる。


「……それは、どういう意味で、だ?」


低い声は力強く私の耳に吸い込まれる。


こんと、音だけを立てて、机の上に置かれたグラス。


私はそれを取ることができなかった。


「………。マスターとは、知り合いなの?」


記憶なんて、もうあてになどならなかった。


彼は、変わってしまったのだから。


…いや、私だけが止まったままなのかも知れない。


「…そうだ。昔っからの、な」


ふっと笑う彼に、昔の面影が重なって見えた。


ようやく、私は出されたグリューワインを手に取る。


じんわりとした温もりが手に広がった。


ひとくち、ふたくちと、飲み込む。


ほぅとついたため息から、声が漏れた。


「……、ごめん、ね」


無意識の中の言葉。


彼に聞こえたかは知らない。


私は全てを飲み干して、グラスをカウンターの上に置いた。


「マスター…もう、帰る、ね」


席にかけた桜色のピーコートをさっとまとい、逃げるように店を出た。


雪が、風が、頬にあたる。


寒かった。


心が、寒かった。



***


視界を白く染め上げる猛吹雪。


帰らないと…いけないのに。


でも、もう帰れないと私はわかってしまった。


ただ、風の音と、私の心臓の弱々しい鼓動だけが耳を打つ中、ぴしゃんと、水が地に落ちる音がする。


腹を裂かれて、血が流れて、血の匂いに気がついた獣がゆるりと近づいてくる。


あぁ、ここで終わり、なのだな。


私はただ、わらっていた。



***


――彼は、真実を知らないのだ。


「さっさと消えたお前に、言われたくねーよ!!」


彼の横でニヤニヤと笑うあの人の顔をふと、思い出す。


きっと、あの人の想定した通り…なのだろう。


怒りと悲しみで瞳を燃やす彼に、私の言葉は届かない。


「………」


そう、思ってしまえば、もう、口から言葉も出てこなかった。


こちらをじっと見つめてくるマスターの目があのことを思い出させる。


あの、ことを。


「なんかいったらいいじゃねーか!!」


あぁ、私には動く権利など一欠片もないのだ。


なぜ、忘れていたのだろう。


あの、契約を。


そして、あの、因縁を。


「……そこまでにしときな、蓮」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ