第8話
果たして彼女と会話を始めてどのくらい経ったのだろうか。
体感としては二、三〇分程度。実際はもっと長いかもしれないが。
そんな長い様な短い様なよく分からない時間の中、二人は動く事なく会話を続けていた。
そしてそろそろ彼女の名前も知りたい頃合い。
知ってもいい頃合いだろう。
「そういえばすみません、名前を知らないとは言えずっと"あなた"とか呼んでしまって申し訳ないです」
嘘だ。最初の一回だけで、それ以降は一度も呼んでいない。
だが前半は特に俺を警戒していた彼女が意識していたのはあくまでも"内容"であり、一々俺の言葉を全て覚えている事はないだろう。
"ずっと"という言葉を足す事で相手に名乗っていなかった事に対する、若干ながらの申し訳無さを訴える。
それを付けないと一回だけと認識させてしまう可能性もありそれに伴い「別に教えなくても良くね?」と、名乗らなくても済む選択肢を選ぶ確率が半々となってしまう。
俺の言葉に彼女はハッとした雰囲気を見せる。
正確には朧げに見える彼女のシルエットが小さく震えたのが見えた。
さて、ここで名前を教えてくれるとありがたいが、どうなる事やら。
暫しの沈黙が辺りを支配する。
「…………ーナ、です……」
全然聞こえなかった。
「……すみません、横になっている耳元で枯れ葉が舞ってしまったみたいで……もしよろしければもう一度、教えてもらう事は出来ますか?」
販売業にいた頃は電話対応の際にあまりにも声が遠い時とかに「電波が弱くなってしまった様でして、申し訳ありませんがもう一度仰って頂いてもよろしいでしょうか?」と飽きる程言ってきた俺に死角は無い。
アドリブなんぞもこの程度なら幾らでも出来る。
聞き取れなかったのは相手のせいにしない枕詞が超大事なのだ。
その証拠にほら。
「…………ミーナ、です……」
先程よりも大きな声で教えてくれた。
めちゃくちゃ良い娘である。
名前は知れた。しかしここからが若干賭けとなるので、少し緊張する。
「ミーナさん……素敵な名前ですね」
俺の言葉に彼女のシルエットが僅かに縮こまった。
地雷を踏んだ事を確信。
その地雷は果たしてどちらか。
名付けてくれた両親が既に他界した説。しかもミーナさんが奴隷になったか、現在の大変な状況を生み出した原因にも繋がる可能性有りの。
もう一つは、両親が所謂毒親でミーナさんが彼らを苦手としている説。
どちらにしてもどこに地雷が埋まっているのか全く分からない地雷原を歩く様なもの。
話題を変えるに尽きるが、少し落ち込んでいる彼女に転換した話題を提供しても芳しい回答は得られないに違いない。
となると、やはり地雷原を進む覚悟が必要になる。
自分の景気付けの為、俺は心の中で魔法の言葉を呟く。
――良くも悪くも"ご都合展開"、成る様に成るしかない。
楽観的な気合いが萎まぬ内に、勇気を出して声を挙げる。
「僕の母親……あ、今はもう会えないんですけど、母が僕にカズヤって名前を付けてくれたんです。平和をあまねくって意味を持たせたみたいなんですけど、全然平和に貢献出来ないドラ息子になっちゃいました」
懐かしいなぁ、と日本にいる母を想い言葉を紡いだ。
これは賭けである。
異世界モノで良くあるパターンは大好きだった母親が亡くなったりしてしまうという展開が多い。
中にはヤバい母親のパターンもあるが、前者と比べれば少数派な印象。
ならば統計的に多い可能性に賭けた。
後は野となれ山となれ。
ミーナさんに意識を向けると、彼女は僅かに体を震わせているのがシルエットで分かった。
さあ鬼が出るか蛇が出るか。緊張が身を包む。
「…………お母さんは、とても優しい、人……でも、私を産んで、から……体が弱く、なってっ……」
賭けに勝った! と思い浮かべる思考とは別に気分は一切の高揚も無い。
「……そっか。じゃあミーナさんのお母さんは」
もう既に……。
「…………病気を治せる、神官様に診てもらえる、様に……私が、奉公に出たん、です……」
――あっぶねえええええええええええッ!
危うく「ミーナさんが優しい良い子に成長して、亡くなったお母さんも絶対喜んでるよ」とか慰めるつもりで、勝手にママを殺してかなり畜生な言葉を吐くとこだった!
ぐぬぬ、思わせぶりな発言をするミーナさん……やりおる。
脳内が変なテンションになりながらも、心は幾分か重しが取れた気がした。
そして同時に彼女の言葉で気付けた事柄があった。
彼女は「病気を治せる"神官様"」と言った。
それはつまり、病を治すのはこの世界では医者では無く神官であるという事なのだろう。
という事はやはり魔法がこの世界には存在する……?
いや、そうと決め付けるのは時期尚早かもしれない。
どの世界にも時代にも「私は奇跡を起こせます!」なんてホラ吹きの詐欺師は存在したんだ。
この世界の医療技術が殆ど進歩しておらず、病気に対する知識も「これは呪いだ、祟りだ」程度の認識でしか無い場合、ホラ吹き神官がもし重篤な病気の人を治したという実績が一件でもあれば、それは口伝で広まっていく。
口伝で伝わる内容はまるで伝言ゲームの様に、人から人へと移る程に背ビレ尾ひれが脚色される
仮にスタート地点が大陸の中心地、そしてここの村が大陸端の僻地だとした場合、その神官の話はどれ程豪勢な肉付けをされて届くのだろうか。
スタートが「神官が重病人の一人を治した」ゴールが「どこぞの神官は死者を蘇らせた」となっても不思議ではない。
その為、ミーナさんの言葉をイコール奇跡も魔法もあるんだよと決め付けるには些か情報が不足してる。
だがせっかくくれた新情報をそのまま埋もれさせるのは勿体ない。
「すごい神官様がいるんですね。ミーナさんは実際に会った事はあったりしますか?」
「…………ありま、せん……その、神官様は王都にいる、ので……」
益々胡散臭くなってしまった。
「えっと……その神官様以外の神官の方では治すのは難しいんですか……?」
「…………他の神官様で、そんな話、は……聞いた事ない、です……」
奇跡も魔法も、もうすぐ無くなりそうな予感しかない。
どうしよう、この異世界は剣と弓の世界な可能性も視野に入れておかないと。
ついでに言えば彼女の口から出た"王都"という言葉で、ここが異世界だとほぼ確信した。
王都があれば地球上ならほぼ確実にそこは電気、インターネットが存在する可能性が高く全世界の情報が取得出来る手段がある事。仮にインターネットの情報規制を敷いていたとしてもそこを潜り抜ける自由人はどこの国にも存在する。
そんな王都で病は病院では無く神官まで、と現代医学全否定な状況はあり得ない。
寧ろそんな国があれば何かしらで話題となり、オタク御用達のコミュニティサイト等で晒上げられるはずだ。そんな記憶はどこにも無い。
そういった訳でここが異世界である可能性がほぼ確定した訳だが、ほぼというのは。
魔法があれば完全に異世界って認定出来たんだけどなぁ。
魔法の存在が手っ取り早くここが異世界であると確定させる証左だった。
まあそれは一旦置いておこう。
今はミーナさんと仲を深めてワンチャンこの村の一員にしてもらえないか、という方が大事である。
「早くお母さんが元気になると良いですね」
「…………はい、っ……」
今までで一番活力を感じる声が返ってくる。
やはり彼女の生きている根源は母親なのだと否応なしに理解させられた。
ミーナママには元気になって貰いたいと思う一方で、一抹の不安も。
万が一彼女の母親が亡くなる、なんて事になったら。
その時、彼女はどうするのだろう。
亡き母親を追って、その下へと身を投げてしまうのだろうか。
そう考えた俺に浮かび上がる思いは一つ。
――何とかしてあげたい。
ならば多少強引でも、今よりもこちらから彼女に歩み寄る必要がある。
「すみませんミーナさん、ずっと横になったままでちょっとだけ体が痛くなってきまして……体を起こしても良いですか?」
まずは体を起こす起こす所から。
「……はい…大丈夫、です……」
彼女の了承の基、あくまでも彼女を驚かせない様慎重に体を起こす。
小さいながらも音を立てながらも体を起こし、やっとの思いでで立ち上がる事に成功した。
微妙な態勢で横になり続けていたからか体が固まっている感覚に苛まれ、つい癖で両手を上げて体を伸ばす。
ぼきぼき、と自分でも予想外に大きな音が響き、慌てて彼女に目を向けると僅かにシルエットが小さくなっている事から、恐らく驚いたのだろうと予想する。
「すみません、ちょっと体を伸ばしたんですが予想外に大きい音がでちゃいまして……」
言外に驚かせてしまったかもしれないがこちらは大丈夫、というニュアンスを含ませた。
あの、と彼女から控えめな声がかかる。
「……だいじょう、ぶ……です、か……?」
全然ニュアンスは伝わらなかった様だ。
苦笑しつつ「大丈夫ですよ」と声を返す。
心配してくれた事に思わず嬉しさが込み上げる。
この流れのまま次に進もうか。
「そうだ、せっかくお話してるんですし出来れば顔を合わせながらの方が良いかなって思うんですけど、そっちに少し寄っても大丈夫ですか?」
何気ない流れで初邂逅を果たすべく、彼女に顔を見せていいか確認を取る。
悪い雰囲気ではないし、この流れであればそこまで近付かなければ彼女も了承してくれる可能性は高いと思われる。
笑顔笑顔、と表情筋を軽く揉もうと両手を上げた瞬間。
「――ダメッ!」
初めて彼女から放たれた明確な拒絶に思わず、金縛りにあった様に体が硬直した。