第7話
よく殴られる。
それは田舎の男の子とかの話であれば納得出来る。
田舎出身の俺が言うんだから間違いない。
但し女の子の場合は話が変わる。
流石に女の子を殴って教育なんて普通はどこもしないだろう。
何故なら女の子は世継ぎを産み、次代への橋渡しを行うのに欠かせない存在だ。
と、まあ一般論ならそうだろうが。
ここが異世界の場合は別。
創作物でも偶にあるだろう、男の子の様に武芸や狩猟に行かせる為に男子と変わらない育て方をするなど異世界に日本の常識は通用しない可能性が高い。
地球上でも日本の常識が通用しない国が多い事から見ても、異世界は更にぶっ飛んでいるまでありそう。
だが俺の念頭にあるのは、彼女が奴隷なのではないかという疑問。
彼女を奴隷に当て嵌めれば、よく殴られるという非人道的な日常も理解出来てしまう。
納得するかは別の話として。
そして彼女が何故、そんな重要な話を会って間もない俺なんかにしてくれたのか。
それは"共感"という感情。
俺は彼女に対してよく殴られたと話した。
それにより、よく殴られるという彼女は俺に「この人は私と同じ経験がある」と、自分と相手の境遇に共通点を見付けてそこに親和性が生まれる。
言ってしまえば「この人なら私の気持ちを分かってくれる」の最小バージョンみたいなもの。
販売業でも良く使う話法であり、お客に対して「私は休みの日によく外に出かける事が多いんですけど携帯の電池が切れてしまって困った経験があったりするんですが、お客さまもそんな経験があったりしますか?」等、悩みとして多い項目を自分の経験に当て嵌めて、少なからず近い経験がある場合「私もある」と相手の話に共感を覚えて、どこか相手との距離感が縮まった気になる。
これは相手と自分が同じ経験を共有し「全く別の人間」という線引きを若干曖昧にする話法だが、その内容が相手にとってピンポイントであればある程にその線引きは薄くなっていく。
俺が言った「よく殴られる」という話は該当する場合、彼女にとっても死活問題となる話題。
もし彼女が殴られたりといった行為をされた事が無かった場合は、改めてもっとライトな話題は別に準備しており、それらで彼女の共感を探ろうと考えていたが、幸か不幸か「殴られる」というワードが今回は彼女にヒットした。
その為よく殴られるといった、そんな理不尽な境遇になった事が無い人に対してはそこが、彼女にとって相手を受け入れない最終防衛ラインとなり、自分が傷付かない為の処世術となっている。
しかしその最終防衛ラインを共有出来る仲間が現れたならば、彼女にとってそれは興味や関心へと変わってしまう。
そしてそんな理不尽を共有出来る仲間から、彼女が欲しい言葉は。
「僕も色々頑張ってみたりしたんですけど、結果は僕一人の力なんて何にも出来ないんだなって思い知らされるだけでした……」
更なる"共感"出来る言葉である。
その証拠に。
「……私も、一人じゃ何も、出来ないから……もう、諦めました……」
彼女は返事をしてくれる。
内容は悲惨で残酷なはずなのに、その言葉は今までの彼女のどんな言葉よりもハッキリと聞こえた。
彼女が欲しいのは、同じ経験者としてどうすれば良いのかというアドバイスなんかでは無い。
寧ろアドバイスをしてしまうと「この人は心が強いからそう思える。自分とは違う」という様に更に強固な殻に籠ってしまい、二度と俺の言葉は届かなくなる。
だからこその共感の上塗り。
「その気持ち、すごい分かります。僕もそう思いましたもん」
そして続け様に"同意"する。
同意は、相手は自分の言葉や気持ちをしっかりと受け止め、受け入れてくれたと認識させて「この人は自分と同じ考え方なんだ、自分は間違って無かったんだ」と自尊心を擽りながら、同じ視点を持っている仲間なんだと思わせる事が出来る話法。
あまりに多用し過ぎると「媚びを売っている」「ゴマすり」や同意され過ぎて寧ろ不信感を抱かれるといった事になる場合もあるが、用法容量を守り正しく処方すれば、単純だが意外と効果的である。
そんな同意の言葉を吐いた俺の脳裏には昔懐かしい失敗した販売イベントの記憶。
彼女の様な内向的で、普段から誰にも自分の気持ちを打ち明けられない性格の人には特に刺さりやすい。
「……ちゃんとやった日も、叩かれ、たり、殴られたり、します……」
一言目以来の自分から発してくれた言葉に対して、こちらが返す言葉は。
「えっ、そうなんですか? 僕はそこまではされなかったんで……大変ですね」
ここで行っていけないのはお互いの自慢合戦。
今回で言えば「どちらがより不幸な目に遭っているのか」という不毛な不幸王決定戦。
そうしてしまうと相手は更に意固地に「自分の方が不幸だ」と、こちらに対して敵対しているという認識に代わってしまう事がある。
そして何より彼女が欲しているのは"同情"と"理解"。
詰まる所、彼女は愚痴を聞いてそれに対して「そうだね、大変だね」と同情し大変さを理解して欲しいのだ。
この時この場所だけでも"悲劇のヒロイン"となりたい彼女に対立は不要。
必要なのはこんな不幸な自分を一から十まで受け入れてくれる王子様。
俺が王子様っていう柄ではないが、話し相手にはピッタリだという自負くらいはある。
「あの、そんな僕よりも辛い目に遭ってるのに、どうしてこんな僕なんかと話してくれるくらい周りに気を使えるんですか……?」
僕なんかじゃ周りが見えなくなって色んな所に迷惑かけちゃいますよきっと、と締める。
続け様に行った話法は"興味"。
あなたに関心があります、と思わせて相手が話しやすい雰囲気を作る。
ここで重要なポイントは二つ。
興味を示す際は必ず、こちらが下手に出て言葉を伝える事。
そして、これまでの"共感"と"同意"によって相手の警戒フィールドを多少なりとも緩めている事。
もう一つポイントもあるが、それはこの後に繋がる。
「……別に気を使ってる訳じゃ、ないです…………ただ、何となく、話しやすかった、ので……」
ここに来て今までで一番の長文を喋ってくれた。
最初と比べるとかなり彼女の近くに歩み寄れた実感が生まれる。
そして彼女の今の言葉には今までにない二つの意味合いが含まれていた。
彼女が最初に言った「別に気を使ってる訳じゃない」これは彼女が言葉を選んで発した。
相手に対して自分が「あなたに対して気を使っていません」と言えるのは、果たして一体どんな人物が思い浮かぶだろうか。
俺の場合は友人と家族。それらに対してのみと断言できる。
若干内向的なきらいのある俺だが、社交性で言えば間違いなく彼女よりも自信はある。
だが俺は彼女のその言葉を、そのまま彼女に言えるかと言えば……答えはノーだ。
俺は彼女に対してまだかなり気を使っている。
しかし彼女は俺に対してその言葉を伝えてきた。
即ち彼女は既に俺に対してかなり気を許しているという事に他ならない。
今までから鑑みてあり得ない言葉だったからこそ嬉しくなる。
そして次に伝えてきた「話しやすかった」という言葉。
これは彼女が初めて俺に対して好感を持っている部分があると言ってくれたのだ。
つまり彼女は俺と話していて苦では無かったと認めた。
それによりもう少し彼女に歩み寄っても大丈夫であると俺に認識させてくれる。
「話しやすいって言ってもらってありがたいです。自分がすごい大変な状況にあるのに、それでも他人を褒める事が出来る人って、僕には出来ないんで本当に尊敬します」
最後の話法"尊敬"。
これは言葉の通り、相手に対して「私はあなたを尊敬しています」伝え、「この人は自分を理解してくれる良い人だ」と認識してもらう事でこの人物なら信頼できそうと思ってもらえる話し方。
先ほどの"興味"の際にもこの"尊敬"を微かに含める事で更に効果が大きくなりやすくもなる。
俺が話した言葉で言えば「僕なんかじゃ周りが見えなくなって色んな所に迷惑かけちゃいますよきっと」の言葉が正にそれ。
この言葉がある事で相手からは「こちらは出来ない事なのに出来るなんてすごい」と微かながらにニュアンスが伝わり、そこから最後の"尊敬"で似た内容だがハッキリと伝える事で、変にあからさまな言葉を使わずともより尊敬が強調されて相手に伝える事が出来る。
俺の言葉に彼女の雰囲気が僅かに暗くなった気配を感じた。
「…………私に尊敬なんて、しないでくだ、さい…………こん、な……」
――奴隷……なんか、に……。
その言葉に頭は「聞きたい言葉が聞けた」とガッツポーズし、心は酷く激しい痛みに襲われた。
けれどどこかで覚悟はしていたのか、用意していた言葉はスラスラと俺の口から出ていく。
「……同じ"奴隷"じゃないですか。奴隷であるあなたを尊敬させてください」
「…………その言い方は、ズルい、です……」
脳裏に浮かぶ"社畜"という言葉を反芻しながら、ほんの僅かながらも今までで一番声のトーンが高くなった彼女に嬉しさと、確かな手応えを感じた。