第6話
奴隷。
それは地球上でも実際にあった、厳密に言えば現在でも残っている人権侵害制度。
歴史の勉強では何となくで覚えており、ライトノベル等二次元にハマってからは割とありふれた制度として、作品の中に登場しても「ほーん」という程度の感想。
……まあ美人な奴隷どうのこうのといった妄想をした事が無いといったらウソにはなるが。
だが実際にそれが目の前にいる人物に対して適用される制度だとしたら。
心に感じた事が無い程の重しが括りつけられた様に錯覚する程、自分の気持ちがかなり落ち込んでいると自覚出来た。
顔は見ていない、名前すらも知らない。ただ声を数回キャッチボールしただけの相手なのに。
これは同情だろうか。
そうとも言い切れない複雑な感情が胸中に渦巻き続ける。
そしてふと、脳裏に浮かんだ過去の記憶。
それは今まで俺が付き合った数人の女性。
初めての彼女はそうだ、俺が社会人になって数年が経ちマネージャーとして何店舗か管理をするとなった頃に店舗スタッフとして入店してきた年下の女性。
彼女は承認欲求が高く、気分の浮き沈みが激しい所があり、同棲していた頃は夜中にふと起きてリビングに座り、テーブルにあるカッターで静かに手首を薄く傷付ける事が何度かあった。
その都度彼女の背後からカッターを持つ手を掴みそのまま自分の首へと当てて、暴れる彼女にこのまま頸動脈を切って俺を殺してからならリストカットして良いと伝え、彼女が泣きながらカッターを放すまでがセットになっていた気がする。
出張の際には夜中に電話があり寂しいから帰って来てと言われ、四〇〇キロの道程を車で爆走して一夜を共にし、早朝にはそのまま踵を返し仕事に行く。そんな日々が三年は続いた。
友達と遊びに行くのも拒否されて、彼女のいない会社の飲み会も渋られて行けず。
だがその間、一切辛いとも苦しいとも感じた記憶は無く、寧ろそんな彼女だからこそ好きだったし愛した記憶もある。
最終的には出張続きの俺のせいではあるが、彼女は別の男性を見初めて別れる事となったが今でも彼女の幸せを願っているのは変わらない。
二人目の彼女はそこから数年経ち、別の会社で同僚となった女性だった。
彼女も年下だったが、彼女は実家の家庭環境の複雑さもそうだが前の彼氏にDVを受けたりと卑屈で極度なまでの内向的な性格であった。
何をするにしても卑屈で自分が相手に何かをさせる事は迷惑だと考えてやまなく、自室では死ぬという様な言動は無いが、何故か彼女の言葉には時々、このまま彼女はどこか遠くに行ってしまうのではないかと錯覚する様な印象があった。
別れた理由は良くある自然消滅であり、俺が年単位の出張で他県に住み込みとなった事で段々と連絡を取る機会が減ってきたという様なシンプルなもの。
その出張以来会ってはいないが、変わらず彼女の幸せを願っているという点においては一人目の彼女と共通する所。
三人目の彼女もそこから数年が経った頃だった。
彼女は元カレと婚約していたが結婚を前に子供を身籠り、そのタイミングで彼氏が蒸発。
その後別の男性と関係を持ったがそれは実質的に金を貢ぐだけの一方的な関係。
そんな経験で一見まともだが、深く関わってみるとやはりどこか壊れていると感じる女性だった。
他に目を向けず一心にこちらを愛してくれる、そんな重い愛情。
だがそんな彼女だからこそ俺も一心に愛していた。
別れは単純で、はたまた俺の出張のせい。
物理的に三か月ほど休み無く働く必要があり、必然的に会える機会はゼロ。
そんな彼女の心の隙間を埋めてくれる存在が他に現れたというだけの話。
だがやはり彼女にも幸せになって欲しいと今でも願っている。
俺は周りから良く優しいと言われる事は多いが、自分としては優しいだけ。
付き合った彼女らが求める事に、優しい以外で応える事が出来なかったから、彼女らは俺から離れて行ってしまった。
と、まあ俺のダメな点はさて置き。
今まで付き合った彼女たちに共通するのは、こう言っては何だが全て同情から入っているという点。
同情から可哀そう、俺が何とかしてあげたいという一連の感情の流れである。
話を戻すと目の前の顔も名前も知らない女性に、俺は既に同情を抱いている。
可哀そうとも思ってしまっている。
それは即ち、俺が彼女を何とかしてあげたいと思う条件を満たしており、それ故に現在心の痛みに耐えているという事態に至っているのだ。
もちろん彼女から奴隷だという言葉を聞いた訳では無く、奴隷かどうかも現段階では定かでは無い。
だがこちらから奴隷か確かめる勇気も無い。
同じ日本出身で彼女に「あなたは奴隷ですか?」と直接聞ける人がいるのなら俺は、その人に尊敬の念を込めて軽蔑出来る自信がある。
だが、どうにか彼女が奴隷なのかどうか確認したいと思う自分がいるのも事実。
直接確認出来ないならば間接的に彼女に確認するといった方法を取るしかない。
そこで重要になるのは俺の話術。
頼むから変に緊張して固くなってくれるなよ。
そう自分の頭と口に念を込めて、会話を続ける為に口を開く。
まずは彼女との距離感を縮める所から行う。
「……慣れたって言ってもすごいですよ。僕だけ何もしないっていうのも申し訳ないんで、何か手伝えることってあったりしますか?」
「…………と、特に、ない……と、思います……」
語尾に連れて勢いが萎んでいった返答。
彼女の回答は俺の言葉を拒否する内容だったが、思わず表情が緩んだ。
完全に拒否するなら語尾が「です」となるはず。
それを彼女は「思います」と答えた。
つまり彼女は完全に相手を拒否するという行為が出来ない人物である可能性が高い。
まあそれは内向的な性格と判断した時点で既にその可能性はあると踏んではいたが。
もちろん彼女の仕事内容は全く分からず、それが俺に出来るのかも分からない。
だから彼女は俺が初心者で仕事が出来ない可能性が高い為断ったとみて取る事も出来るが、今回ばかりはそれは違うと見ている。
何故なら内向的な性格であれば相手を不快にさせない様、当たり障りの無い回答を行う傾向にあるからである。
今回の内容で言えば「慣れてないと危険」や「私じゃないと出来ない」、はたまた「これは一人の方が早く終わる作業なんで」といった様な、俺に追加で言い寄らせない為の"申し訳ないがこういった事情があって、手伝って貰いたいけど手伝わせる訳にはいかない"といった自分も相手も傷付けなく断る理由付けをする事で穏便に拒否をする可能性が高いが、彼女はそうは言わなかった。
彼女が言った「特に無い」という言葉は、相手によってはプライドを傷付けられ期限を損ねる直接的な拒否のニュアンスになってしまう。
そこから考えると彼女は恐らく声に出す直前まで、心のどこかで手伝って欲しいと考えていた。
だが口を開ける瞬間に思い留まり、咄嗟の事態に取り繕う言葉が出なかったと考える事が出来る。
これは今までの会話の中での彼女の言葉が、どちらかと言えば相手に合わせる様な内容ばかりだったからこそ判断した内容。
そしてここで考えるのは、何が彼女の気持ちを遮ったのか。
その根本的な原因。
何とか探りを入れる必要がある。
が、深追いは厳禁。
「……まあ確かに僕がやった事無い仕事とかだったら、寧ろ迷惑かけてしまったかもしれないですしね」
多少明るい声色で伝え、そのまま言葉を続ける。
「僕って仕事とかでよく失敗しちゃう事が多くて、その度に上司から怒られたりするんで」
嘘だ。今の職場で怒られた事など一度も無い。
ただ過去の職場を意識すれば失敗した事も怒られた事もある。
誰も今の仕事、今の職場とは言っておらず、俺自身の言葉にも自然と力が乗った。
声のか細さはここでもう消した。
ここからは自分にとって普通の声量で話す。
「失敗しては殴られたりしたなぁ……まあ男だからってのもあるんですけどね」
この失敗談は仕事ですらない。
小さい頃にやんちゃしては良く父親から食らった拳骨の時のトークである。
最後に加えた「男だから仕方ない」これは態とだ。
「……私もよく、殴られ、ます……」
ようやく、聞きたくはなかったが聞きたい言葉を聞けた気がした。