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第1話

 独り言が静かに消えた本屋を後にし、他に目的も無い為自然と足は自宅へと向かう。

 商業施設の三階にある本屋を出て、目の前にある下りのエスカレーターに乗る。

 今日が日曜という事もあり、軽く見渡すだけでも多数の人間でこの施設はごった返していた。

 エスカレーターは終点に差し掛かり、次のエスカレーターへと乗り換える為に足を進める。

 二階の下りエスカレーターに乗ろうとする直前、三階からずっと俺の前を張っていたおっさんとの間に、一組のカップルが割り込んできた。

 歳は二人とも、二十代前半といった頃合いだろうか。

 まあ別に、先程まで目の前にいたおっさんが恋しい訳でもなく、割り込まれて困る状況でも無い為、このカップルに対して特段思う事はない。

 目の前にいる彼氏彼女のどちらも、俺の前に割り込んだという認識は無いのだろう。

 こちらに一切の気遣いを見せる事無く、エスカレーターの左側にいる彼氏と並び、腕を組みながら肩に頭を乗せる彼女。

 見事なイチャイチャが、目の前で繰り広げられていた。

 そんな光景を見ながら、いや見なくとも先程読んだ小説の影響だろうか、浮かぶ自分の考えに意識が没頭していく。


 ――現実とはご都合展開(つごうてんかい)である。


 それが俺の根底にある考え方。

 ご都合主義(つごうしゅぎ)、という言葉を聞いた事はあるだろうか。

 そしてご都合主義とは人にとって解釈は様々だろう。

 アニメや漫画等では主人公等、特定の人物が優位になる様な展開や出来事が発生する事。

 現実社会では例えば一般人は犯罪を犯した場合は逮捕されるのにお偉いさん方、権力者等は犯罪を犯しても見逃されるケースがあったりと。

 挙げれば枚挙に暇がないであろうご都合主義の定義。

 そんなご都合主義に対して、俺の考えは先程の通り。

 つまり俺にとってのご都合主義とは、決まりきった結果では無い事。

 現実には"絶対"というものが無い。

 いや、あるにはあるがそれは過去の事実のみ。

 これから起こり得る未来の事象に対して、誰も絶対的な答えは持っていない。それが現実というもの。

 いずれ訪れる"死"という絶対を除いて、ではあるが。

 俺の考えとしては、"必然"の対義語が"ご都合主義"となる。

 "偶然"という言葉がそのままご都合主義と変換される。

 例えば一千万円超の借金を抱えたギャンブル依存症の人が、なけなしの金を賭けてギャンブルで数千万円を手に入れたとする。

 これは現実でも起こり得る事柄であり、勿論アニメや漫画等においても起こり得る出来事。

 しかし何故かアニメや漫画、ライトノベル等ではこれをご都合主義と呼び、現実では偶然や奇跡といった表現になる。

 厳密に言えばご都合"主義"ではなく、ご都合"展開"が正しいのかもしれない。

 その人にとって、起きると都合の良い展開。

 ご都合展開は現実でも起きている、それも全員に平等にいつでも。

 それが俺の考え方。

 意識を目の前のカップルに戻す。

 そう、目の前にいるカップルだってご都合展開なのだ。

 この二人がこの様に付き合うのは世界の理として必然だったのか――答えは否だと思う。

 この二人が"偶然"にそれぞれの両親から産まれ、"偶然"に今までの生活習慣、環境の中で生きて"偶然"に出会い恋に落ちた。

 それが物語になると"ご都合展開"で二人が出会い結ばれた、となる。

 物語では非日常の環境下において出会い結ばれるといった場合もあるが、それは現実でも起こり得る現象。

 そうでなければ、吊り橋効果やストックホルム症候群なんて言葉は生まれていない筈だから。

 この両者に違いは? 現実と物語という違いだけ。

 物語においては、その創作世界には"作者"という全知全能の神がおり、その神が全てを操っているという前提条件を読者が把握しているが故に、登場人物に何か良い展開が訪れた場合、それを既定路線と捉えてしまうだけ。

 けれども現実の人間にだって、本人すら予想もしない良い展開へと変貌する人はいるんだ。

 ならばどちらも"ご都合展開"のはずだろう。

 そして"偶然"という呼び方でもいい。

 個人的に"ご都合展開"という言葉の方が受け入れやすいだけ。

 ご都合展開は現実でも起きている、だが(作者)という前提条件が無いから"偶然"や"奇跡"と区分けする人が多いのではないか。

 何故なら現実では一秒後の自分がどうなるか、その答えは一秒前の誰にも分からないのだから。


 先ほどプロローグを読んだ小説はどうだろう。

 "異世界に召喚されたら幼馴染と義妹と先輩が俺を取り合いはじめている"。

 この様なタイトルで、読んだ内容はプロローグであり、本編までも辿り着いていない序章のみ。

 しかしどうだろう、そんな序章の中で判明した内容。

 主人公はプロローグに出てきた彼。タイトルから想像できる三人のヒロインは、同じくプロローグに出てきた三人の少女。そして彼らは異世界へと召喚されて、恐らく魔王といった悪役の存在を討伐して元の世界に戻ってくる。

 最早(もはや)、物語全体の起承転結を何となくだが、理解出来てしまう人も多いのではないだろうか。

 タイトル回収が詰まる所、その物語の結末である。

 そしてそんな物語を見るという行為は、言ってしまえば歴史の勉強と何ら変わらない。

 我々は、過去に生きた人物や過去に起きた出来事、事件を知っている。

 この事件や戦は何年に起こった。歴史の授業では年号で覚える事も多いだろう。

 ではその事件や戦はどんな理由があって起きたのか、それを知った所でその事件や戦を我々が防ぐ事は出来ない。

 何故なら、それらは過去に起こった出来事だから。

 史実に基づいた作品を作ろうとすれば、どの作品も必ず同じ結末を迎える。

 過程にどんな紆余曲折を描いたとしても、結末だけは必ず同じになってしまう。

 その事件や戦で誰がどうなったのかを我々は学んでおり、既知の結末にならない作品は史実ではなく"もしも"といったフィクションになってしまうから。

 変えようの無い結末、それが既定路線である。

 個人的には先ほど読んだ小説が、これと重なってしまう。

 既に結末が分かっている事象に対して、どの様な過程があったのかを知る為に見る。

 それはつまり結末を知っているが故に、その過程でどんな出来事や急展開があったとしても、あくまで既に知る結末を迎える為の既定路線としてしか認識出来ない。

 仮にその物語の世界の住人となり結末を知らないのであれば、予想だにしない急展開なんぞとんだご都合展開(偶然か奇跡)だと思うだろう。

 しかし読者である我々にとっては既に結末を知っているのだから、その過程の急展開などご都合展開ではなく、起こるべくして起こった必然。

 レーンから逸れそうな車の軌道を、ハンドルで修正するのと同じレベルの修正力にしか思えない。

 つまり最初から結末が分かっている物語は、その中身を見た所で歴史の勉強と同じく、事実が起こった背景の確認という認識になってしまう。

 そこにどんな魅力的な表現や展開が待っていたとしても、そもそも続きを見る興味が湧かない。

 でもどうせこんな結末なんでしょ、そうとしか思えないから。

 だからこそ、結末を知った上で過程を楽しめる人は素直に尊敬出来る。


 思考の海を渡っていると、気づけばエスカレーターは間もなく終わり。

 意識を外へと戻せば嫌でも目の前のカップルが視界に入る。

 それを見て改めて思う事。

 互いに楽しそうにしている二人は、他人事ながらにこのまま幸せになってもらいたいと思う。

 例えば彼氏が実はとんでもなく暴力を振るう男であるとか、彼女が彼氏に隠れて男をとっかえひっかえしていて欲しい等思う筈も無い。

 物語でもそう。

 俺にとってご都合展開はあくまでも、結末が分からないが故に起きる"偶然"。

 読者に対して酷い裏切りや鬱展開等の、バッドエンドを迎えて欲しいという訳では決して無い。

 そういった作品も嫌いではないが、どちらかと言えばハッピーエンドの方が好きという人の方が多いだろう。

 御多分に漏れず、俺もそうである。

 見ていて気分の悪くなる作品は、嫌悪感は無いが好きではない。

 ただ、そういった作品も読者が結果を予想出来ないのであれば、それはご都合展開なんだろうなとは思う。

 良くも悪くも起こる偶然。それが誰しもに起きるご都合展開なのだ。


 目の前にいるカップルの彼氏。

 茶髪で若干チャラそうな雰囲気を感じる彼は、如何にも現代の若者といった印象。

 だけどそんな彼も、自分が目上と思う相手に対しては「――っす」という風に、例え多少崩れていても敬語を使う可能性が高い。

 けれど物語の主人公らはどうだろうか。

 彼らは異世界に巻き込まれる、異能バトルに巻き込まれる。

 世界観は様々だが、王様や権力者に対して初対面であるにも関わらず、敬語を使わない人がそれなりに居る気がすると個人的に感じる。

 決して目上の人には必ず敬語で話せと言いたい訳では無いが、仮にそんな主人公らが元々暮らしていた環境の中でも、目上の人に対して敬語を使わないのであれば理解は出来る。

 しかし、例えば学校の先生や近所の大人等、目上の人対して元々は敬語を使っていたにも関わらず、環境が変わった途端、明らかに目上と思われる相手に対して敬語を使わなくなる、といった主人公を見る機会が増えた様に思う。

 ハッピーエンドの要因となるのが愛や勇気、優しさといったものならば、果たしてそういった態度になる主人公は、その物語の主人公として相応しいのか疑問に思う事も多い。

 そう考えると寧ろ、そんな主人公よりも目の前にいるチャラそうな彼氏の方が、良い性格な気がしてくる。

 自分本位で自分のみが良ければ他はどうでも良いといった本性の人物であれば、突然の環境の変化に戸惑い、そういった本性を現して敬語ではなくなるという事ならば理解出来るが、残念ながら主人公らはそうではなく、殆ど総じて優しく人想いな性格。

 だからこその違和感。

 相手に対して気を配れる人物であれば突然の環境の変化に際して、その環境について知っている者が話しかけてきた、しかもそれが見るからに偉そうな人であれば下手(したて)に出て穏便に話を進めたい、と思うのが普通なのではないか。

 例え主人公らが、実は目上と思しき人物から見れば主人公らの方が目上の人物だったとしても、それは話をして初めて理解出来る事で、一言目から敬語を使わないという理由は無い。

 結果的にそこにいる目上の人物が、"偶然"主人公らが敬語で話さなくとも不敬と感じないという"奇跡"が起こったからこそ、その物語は幕を開けた。

 それに付随して、即処刑といった手段を取らなかったからこそ、その物語は幕を開けたのだ。

 喧嘩や対立を好まない人であればある程、気心が知れるまでは多くの人に対して距離感を意識した話し方になる可能性が高い。それが目上と思しき人物であるならば尚の事。

 それか最初から敬語にならなくても大丈夫と思えるケースで考えれば、相対する人物が自分よりも圧倒的に格下だという自負や自尊心がある場合。

 この場合、相手が気分を害しても自分にはそれを振り払えるだけの力があると確信している故に、敬語を使う必要が無いと判断する事もあるかもしれない。

 しかし主人公らは基本的に、物語の最序盤で自身に類い稀な力があると自覚していない場合が殆ど。

 にも拘わらず、物語の起点となる場面で目上の人物へ敬語を使わずに円滑なスタートを切った主人公に対してご都合主義だ、という声は殆ど聞いた事がない。

 もしかしたら自分の生殺与奪権を握っているかもしれない初対面の目上と思しき人間に対し、敬語を使わないという選択肢は普通に考えて、果たして"必然"なのだろうか――。

 目の前のカップルとの目線の高さが、先程よりも近くなる。

 気付けば降り口の間近であった。

 カップルの二人が同時に、一階のフロアに足を下す。

 それに続き俺もまた一階のフロアへと足を着ける。



 ――はずだった。

 気付くと視界には、直前まで見えていた商業施設内の景色は無く。

 一面、鬱蒼(うっそう)とした木々で覆われていた。

 辺りは薄暗く、如何にも森林の中で常闇を迎えたといった印象。

 明らかにおかしく、夢という逃げ道が作られない程にハッキリとしている意識の中――そこまで動揺は感じなかった。

 ただ胸中に浮かぶ言葉を一つ吐き出す。


「どんなご都合展開だよ……」


 呟いた言葉は先ほどと同じく、しかし本屋ではない異界の木々に吸い込まれる様に、空しく消えていった。

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