第14話
「…………ここ、です……」
ミーナの声に顔を前に向ける。
そこには一軒の家。
いや、家と言っていい物かどうか。
物置小屋、それがもしかしたら正しいかもしれない。
石が積み重ねられた大雑把な建物。
他の家は屋根が三角形をしているのに対し、彼女の家は屋根が平坦。
そもそも屋根と言っていいのか、四角形の建物を前に中々思う様な感想が出てこない。
遠くから見るよりもこの様に間近で見ると、あまりの光景に息を呑んでしまう。
外から見て四畳も無さそうなこの建物、中はどれだけ狭いのか。
目の前にある木の扉はかなりの年季を感じ、仮に一人でこの場にいたならば間違いなく入りたく無いと思った。
遠くの松明の灯りが微かに差すだけの暗闇が更に不気味さを演出している。
しかしこれがミーナの家なのだ。
そして隣には彼女がいる。
「……良い家だね。広すぎない部屋の方が落ち着くしさ」
俺にちょうどいいや、最後にかけて何とか明るく言えた。
ずっと俯いたままだった彼女の、肩の力が若干抜けたのを感じる。
一応最低限の正しい返しにはなったらしい。
まあ広いよりかは狭い部屋の方が落ち着くのは本心である。
一五畳よりかは八畳の方が位の規模間にはなるが。
予想よりも狭い住宅に、本当に俺が入っても大丈夫かと流石に遠慮が湧いてきた。
「このまま入っても大丈夫?」
ミーナに確認。
「……はい……」
カズヤさんが、大丈夫なら……。彼女の言葉に入る事を決めた。
ミーナに対し「ありがとう」と答える。
「じゃあお邪魔するね」
そう言って体を少し前に進め、彼女に扉を開けて貰おうと行動で小さな催促。
彼女は手を伸ばして扉の取っ手に触れた。
しかしすぐには動かさず、俯いたまま。
どうしたんだろうか。
「…………邪魔じゃ、ない、です……」
――ああ、そうか。
「ありがとう、邪魔じゃないなら良かったよ」
じゃあ入ろっか。そう言った俺に俯いたまま小さく頭が振られ、取っ手を引いてくれた。
ミーナが日本語だった事から全然気にしていなかったが、考えてみればここは異世界。
文化が違ければ「お邪魔します」が伝わらない可能性だってある。
地球上だって国が別なら伝わらないんだ。
ある意味、このタイミングでそこも意識出来る様になったのは寧ろ僥倖と言える。
他の違いに関してもミーナとの会話を基に、徐々に知っていかないといけないな。
今一度気を引き締め直し、開かれた扉の先を見た。
中は真っ暗で何も見えない。
今いる外と同じ闇だけがそこにあった。
灯りはどこで点けるのか、そんな事を思った。
「――――」
確実に聴こえた筈なのに聴こえなかった。
ミーナの声だと解っているのに、脳が音としか認識していない様な不思議な感覚。
何故なのか、そう考え始めた瞬間。
真っ暗だった眼前が真っ白に染まった。
否、突如扉の先に灯りが着いた。
この光景には然程驚きは無い。
日本でだってアプリで電気を点けられる時代だ、遠隔点灯自体は慣れている。
頭の中を埋めているのは別の事。
先程の、ミーナの声と思しき音。
体が何か急に不調へと急転した事で耳が遠くなった訳では無い。
あるのは未だに残る頭痛と喉の痛みだけ。
直前の彼女の声はしっかりと聴こえていた。
詰まる所身体は正常。
頭では既に一つの選択肢が出てきていた。
もちろんこんな体験をした事は無い。
けれども疑似体験、とでも言うべきか。
知識だけは近い存在を経験として残していた。
それは魔――。
「……ライト……光の魔法、です……」
思考が表面に出ていたのだろうか、彼女から言われた言葉に浮かんだ感想。
……ああ、やっぱり。
そして同時に確信した。
やはりここは異世界なのだと。
その前からほぼ確信はしていた。
美醜逆転世界の時点でもう確信に近かった。
しかしそれは九五パーセントが九九パーセントになった様な差。
残りの一パーセントがどうしても埋まらなかった。
だが彼女の見せてくれた"結界"のお陰でそこも埋まりかけた。
そして今、ミーナが見せて教えてくれた"魔法"の存在。
これで百パーセント、ここが異世界なのだと漸く認識出来た。
耳で聞いても頭で考えても確信出来なかったのに、この一瞬で簡単に理解出来てしまった。
視覚とは重要なのだと、改めて思い知った。
……やっぱり、奇跡も魔法もあったんだ。
「……どうぞ」
彼女の声に従い、俺の頭よりも多少低い扉を潜る。
中は予想通り狭かった。
後ろから扉の閉まる音が聞こえた。彼女が後ろ手に閉じてくれたのだろう。
天井は立っている俺の頭スレスレ。多少髪の毛が触れている様な感触がある。
一六八センチの俺がギリギリ足を伸ばして横になれそうといった奥行、そして俺たち二人が寝たらそれだけで終わりそうな横幅。
カプセルホテル二個分。そんな言葉が頭に浮かんだ。
面積の左半分に藁が敷き詰められている。これがミーナのベッドなのだろう。
右半分は剥き出しの石が顔を覗かせていた。
その光景は俺に"牢屋"を印象付けさせた。
そして扉の横にある光源が目に入る。
ランプの様なそれは橙色に輝いており、真っ白な自宅の電灯よりも目に優しく感じた。
見た所判り易いスイッチや紐等は見当たらず、もしかしたら魔法でのみ点消灯が可能なのかもしれない。
彼女が僅かに動き、それに付随する。
誘導された先は藁が敷き詰められた右側。
どうやらベッドで寝かせてくれる様だ。
彼女の行為に甘え、ベッドに下してもらう。
俺が地面に座ったのを確認したのだろう、彼女はそっと体を離し立ち上がった。
見下ろしてくる様な体勢だが、表情には幾分かの心配が浮かんでいる。
「運んでくれてありがとう」
ここ使っちゃってごめんね、下に敷かれている藁を軽く叩きながら謝罪を入れる。
首を横に振られた。
「……大丈夫、です……心配です、から」
彼女の言葉に、そういえば頭の状態は今どうなっているのか気になる。
頭痛はあったが、驚く程に今までその事が一切気にならなかった。喉の痛みは多少気にしていたが。
何と無しに右手を上げて頭痛のする側頭部へと軽く触れる。
彼女の息を呑む音が聴こえた。
その瞬間、鋭い痛みが走る。
そこまで強い痛みでは無いが、思わず顔を顰めてしまった。
「ッ、大丈夫ですかッ!?」
ミーナが膝をつき、俺の右手に優しく触れる。
大丈夫ちょっと痛みがあって驚いただけだよ、そう言って手を放した事で鋭い痛みの去った側頭部を若干気にしつつ笑みを返した。
「……ご、ごめんなさい……」
突然彼女に謝られる。
「い、いや、ミーナに謝られる事なんて何も……」
言葉の通り、彼女に謝られる謂れが無い。
強いて言えば彼女が、俺が頭を打ち付けた事まで罪悪感を持ってしまっているというのであれば、それに対しての謝罪の可能性もあるが。
「……回復魔法……苦手で……途中まで、しか、治せませなかった……」
――です。
尻すぼみな彼女の言葉に、途端に脳が混乱し出す。
それは改めて出てきた魔法に対してでは無い。
いや、魔法に関してではあるんだが、混乱の原因はその前。
"回復魔法"彼女はそう言った。
それは損傷を治す奇跡の現象であり、様々な創作物でも登場する定番中の定番である魔法。
効果に差はあれどその場で傷を癒す効果がある。
「……そっか、治してくれてありがとね」
思考の繋ぎの様にお礼の言葉を告げた。
回復魔法とはこの世界ではどこまでの効果があるのか、早急に確認が必要となった。
ミーナの手が未だに触れる右手に軽く視線を向ける。
そこには変わらず俺の色白な掌があった。
そこから判明する内容は、頭から血が出ていないという事。
元から出ていなかったのか、彼女の魔法のお陰で止血されたのか。
俺の視線の動きを訝しんでいる様な彼女に対して改めて口を開く。
「もしかしたら血が出てるかもって思って触ったんだけど、出てなかったからさ……最初から血って、出てはなかった?」
ある程度自然には訊けた気がする。
後は彼女の回答を待つだけだ。
先程までの光景を思い起こしたのか、ミーナはあからさまに目を伏せる。
「…………最初は、すごい……血が、出ていま、した……」
やはり彼女の回復魔法で止血してくれたらしい。
そう考えると喉から血が出た時の彼女の行動も、もしかしたら回復魔法で止血しようとしてくれたのかもしれない。
「苦手なのに治療してくれたんでしょ? 俺からは感謝しかないよ」
ありがとう、そういって軽く笑う。
治してくれた手前、本来ならもっと畏まった方が良い筈だが、彼女の場合は別。
内向的な性格の彼女は他人の機嫌に敏感だ。
寧ろ過敏と言っても良いのかもしれない。
彼女の様な人は、仲良くなったと認識している人物の言動を極端に解釈する場合がある。
相手はお礼のつもりで敬語を使った。
しかしそれを「急に敬語になった。もしかしたら何か悪い事でもしたんじゃないか」そう思ってしまう事がある。
そしてそれに関して聞きたいが訊ねる勇気が持てず、その後の返答も気まずいままとなりそのまま心を殻で覆ってしまう。
これは稀にではなく意外とあり、しかもどこがその起爆剤となるか線引きが非常に不鮮明の為、いつ如何なる時もこちらは一歩踏み込んだフラットさで接する必要がある。
俺自身今の言い方は、少し尊大に感じて自分の発言としては苦手だが、これが彼女と接する為に必要な我慢。
その証拠に、俺の言葉に彼女は息を吐きながら肩を撫で下ろした。