第12話
未だに泣き止まないミーナ。
その頭を撫で続ける俺。
景色は変わらずに微かな橙の灯りが散らばる闇模様。
改めてここまでの状況を整理しようか。
まずは異世界転移。原因不明のまま。
ミーナとの遭遇。打算ありきでなんやかんや話が進んだ。
死にかける。感覚的には実質死に戻りと言っても過言ではないかもしれない。
告白。キャンユーセレブレイト? 爆発しろとは言われません様に。
考察はミーナのこの状況を基に推察していく。無論、自分の打算も込めて。
さて、まずはこの世界――異世界のルールを確認しよう。
ミーナは可愛い。現在俺の世界一可愛いはミーナの称号で間違い無く、それ程までに整った容姿をしている。
そんな彼女が「こんな醜い顔の私」と言ったのだ、特定のパーツではなく顔。
この世界は所謂"美醜逆転"している世界なんだろう。無論、俺の感性からすればであるが。
顔を見た時だけ、異様な拒絶感を持つ事からほぼ間違いない。
顔を見る以前にある程度コミュニケーションを円滑に出来たのは、お互い顔を見なかったからこそであり、地球上で言うところの"ネット上のお友達"に近い感覚だったからかもしれない。
日本では会うよりもスマホで交流の方が多かった俺とは違い、顔を合わせず世間話なんて経験はミーナには無いだろうし、だからこそどこか安堵感もあった可能性がある。
そして容姿を見られる事にあんなにも拒絶を示すのは何故か。
この世界が容姿至上主義の一面があるという事。
王都がある以上、そしてミーナが奴隷という立場から鑑みてこの世界に権力構造はある。
奴隷という身分が定着し、奴隷自身がそれを受け入れているという現実は、絶対王政が確固たる権力を握っている可能性が非常に高く、王族がいれば貴族がいる。謂わば貴族、平民の絶対的な格差が完成している世界。
そして妄想好きの俺の事だ、そんな世界に行けたならと空想は既に履修済み。
まずこんな世界に来たならば前提として考えなければならないのは、元の世界の価値観が残る俺が"可愛い"、"美しい"と感じる女性はほぼ共通して「容姿のせいで人権が無い」とまで追い込まれているという事。
そしてそんな彼女らは自分の事を絶対に"美しい"とは一生かかっても思えない。
何故なら彼女らは元からこの世界の住人で彼女たちの価値観も、俺から見れば美醜逆転していてもそれが当たり前。常識なのだ。
こんな世界であれば俺が"可愛くない""美しくない"と感じる女性であればある程、この世界では圧倒的な美人、美少女という事になる。
ミーナ達はそんな彼女らの事を綺麗、可愛いと思ってしまう。
そしてミーナ達の異性をカッコイイと思う基準もこの世界基準になりやすい。
俺は元の世界でも平均的っぽかったと思うし、それは恐らくこの世界でも可もなく不可もなくなんだろうが。……はあ。
それはこの世界の理として仕方のない事。
だからミーナ達は決して自分の事を「自分はかなり可愛い」なんて思える日は来ないだろう。
それは仕方なしとして、俺が受け入れなければならない事。
如何に俺の元世界の基準として、彼女らからすれば異世界の基準としてミーナの様な容姿の人が美人だ、可愛いんだと話をした所で彼女らがいるのはこの美醜逆転世界。
俺一人がどれだけ可愛い美しいと言った所で、彼女は相も変わらず世の中の理不尽を容姿という理由だけで被り続ける。
俺は可愛いと言う、しかし世界は醜いと言う。
二律背反な評価はいずれ彼女にとってストレスとなり、それはやがて耐え切れなくなる。
その際に彼女が俺を信じ続けてくれるという保証は無く、であれば俺が彼女の基準を受け入れた上で彼女と共に過ごせば良い。
可愛い、美しいなんて言わなくても幸せに出来る言葉は幾らでもある。
可愛い、美しいって言いたいと思うその気持ちが自分勝手と認識していれば言わなければという事も無い。
郷に入っては郷に従えとはその通り、俺はこの世界の基準に沿って彼女らの容姿には触れない。
それが彼女の幸せだから。
それに、綺麗や可愛いと言わなくともこちらを愛してくれるならそれに越した事は無い気もする。
そしてミーナの感情の動きについて。
一見、チョロインだろうと思わざるを得ない短時間での彼女攻略と相成った訳だが、これに関してはある程度考察は可能だ。
彼女は生まれつきこの世界の悪意に晒され続けてきた。
更に彼女の育った環境を考えてみる。
彼女の母親だ。
ミーナは「母親が自分を産んでから体が弱くなった」と話した。
そこからミーナの愛する母親は育て親ではなく産みの親という事。
地球上では、美人から産まれた子供は美人になりやすいというのはほぼ一般常識に近い。
詳しくは知らないが、遺伝子の関係等で所謂生物学上とかでも立証出来そうな気はする。
自分と同じ何かを産むという事が生物として当たり前なのであれば、目の前にいる地球上の人間と同じ構造をしているミーナもまた、それらの遺伝に準じて現在の容姿になった可能性が高い。
即ち、彼女の母親もまた俺から見たら美人の可能性が高いという事。
それはつまり、彼女の母親もまた、この世界の理不尽に晒され続けてきたのだ。
何故彼女の母親が子を身籠れたかは流石に分からん。
運よく容姿ではなく心で見てくれる男性がいたのか、俺と同じ価値観を持つ異世界人が母親の前に現れたのか。
それか所謂ヤリ逃げか。まあこの線は薄いが。
今は考えた所で仕方ない。
だがそもそも父親がいれば、彼女の母親は父親が面倒をみているはずであり、母親が夫を愛しているのであれば、盲目的な彼女もまた母親に倣い父親を愛する可能性が高い。
というか娘を愛する父親がいるならば、まず娘が奉公に出るのを止めそうな気はするが。
それはさて置き、そもそも父親もいて両親から愛情を注がれて育てばここまで自分の殻に籠る事も無かったのではないか。
その場合、彼女の根底に「自分と同じ容姿の母親でもこんなに素敵な男性と結ばれた」という想いがあり、彼女が言った"優しい母親"と同じ女性像を目指し生きる可能性が高いからだ。
俺から見れば異常であるこの世界ならば尚更。
しかし彼女は既にこの世の悪意に屈している。「諦めた」と彼女の口から出た所からもそれは察せる。
そこから考えるとやはり本来頼りたいはずの父親はおらず、母親もまたこの世界の悪意に晒され甚振られ、そして屈した所を彼女は目の当たりにしてきたのではないか。
母親もまた、子であるミーナと二人だけの狭い世界を作り外界から守る為の堅牢な殻で覆った、その狭い世界だけで幸せになろうとしたと考える方が容易である。
故にミーナがこんなにまで内向的な性格になったとも考えられる。
話を戻すと、ミーナは傍から見ればとんでもないチョロインだろう。
何せ出会って半日と経たない異性に依存し好きになるのだから。
但しそれは彼女を取り巻く環境を整理して考えれば納得出来る様になる。
良くある美醜逆転モノの物語では、その世界では容姿が醜いとされる人を主人公は可愛い美しいと感じ、それを伝えて紆余曲折あり幸せとなる。
まず前提として自分は醜く、それは世界が認めていると自他共に醜い判定していた人にいきなり「あなたは可愛い、美しい」と言って、まず思うのは何だろうか。
そんな訳無いから怪しい。これが正常な思考だ。
だからミーナには可愛いも美しいも、俺が思っていても言わない。それは俺だけが思っていればいいだけの話。無理にこちらの価値観を押し付ける必要もない。
話は逸れたが戻すと、突然醜い自分の事を謎に可愛い美しいと言ってきた怪しい人物には警戒する。
警戒する理由は単純、自分を煽てて何が目的だ。
金か、権力か、人質か。
目的と思うものは様々だろう。
だがそう思えるのは、まだ彼女らにそういった社会に順応出来るだけのバックグラウンドがあるから。
例え醜くとも金は幾らかある。じゃないと生活が出来ない。
醜くとも能力があればある程度認められる世界であれば、優秀なら権力も一定あったりもする。
自分を人質として、他の誰かがそれを開放してくれると思えるだけの人脈がある。
等々、何かしらその世界に適応する為のツールを持っているからこそ、それを奪われない為に警戒してしまう。
それを踏まえてミーナはどうだろう?
彼女は奴隷で金は無さそう。ミーナが出てきたボロい家を見れば更にそう思う。奴隷だからこそ極々最低限の衣食住が保証されているに過ぎない。だが、それがされているからこそ彼女は今生活出来ている。そして彼女の母親をミーナが治そうとしているという点で、彼女の実家にも金銭的な余裕が無い事は明白。
そして権力だが、奴隷にそんなものは無いだろう。実家に金が無いという点、そして母親を助けたいという人がミーナしかいない点からして母親にも何かしらの権力も無い。
最後は人脈。しかし彼女にとって繋がりがあるのは母親のみ、そしてその母も今はミーナが何とかしてあげなければいけない状態で、言ってしまえば何か事を起こすには価値の無い人物。
奴隷という立場の為に作業員が減って雇用主は困りはするだろうが、それだけ。替えは幾らでもいるだろうし。彼女に暴力を振るうところから考えて、奴隷がミーナである必要は無いに違いない。
これらの条件から、つまり彼女には何かに警戒するだけの理由が無い。
まあ「可愛い美しい」と伝えていたら嫌がらせ等と勘違いし、更に自分の殻に籠って出てこなくはなっただろうが。そう考えるとギリギリまでミーナの顔を見なくて済んだご都合展開には感謝しかない。
警戒する理由が彼女にとっては暴力だけ。
それは彼女が話してくれた内容から察せられる。
あくまでも想像だが、彼女を罵る言葉は単に耳に届くだけ。実害は自分の精神だけ。
しかし暴力は物理的にダメージを受ける。そうすると奴隷の仕事に支障が出る。支障が出るとまた暴力が振るわれては生活に支障が出るから嫌と思っているのかもしれない。単純に痛いのは嫌と思っている可能性もあるが。
そして彼女の周りには誰も彼女を助けてくれる人はいない。
いつ暴力を振るうか分からない為警戒しているはずの初対面の俺に対して、彼女は「話しやすい」と言った。
つまり彼女の周りには、そんな状態の俺以上に彼女の話を聞く人すらいないという状況に他ならない。
他に話し相手がいればそもそも俺にここまで自分の情報を話す意味が無いから。
更に、そんな人がいたのであれば彼女は俺の事なんか一顧だにせず、黙々と仕事をして去ったに違いない。あくまで殴られないか警戒はしながら。
ミーナにとって話をしてくれて彼女の話を聞いてくれる存在は、母親以外で俺が初めてだったという事。
だからこそ彼女の中で殴らないなら警戒は薄れるし、同じ目線で話をしてくれるのは母親と俺だけ。
つまり俺は母と同じ様な人なんじゃないか、と思う様になった。
元も子もなく言えば、最初から彼女は詐欺に騙される条件を全て満たしており、騙されるのを待っているだけの状態だったのだ。
だからこそ俺と言う詐欺師に簡単に騙された。まあ、打算は含めどミーナに対して何か騙すつもり等一切ないけども。
つまり時間なんかではなく、きっかけが結果的に嚙み合った故にこう成り得たというだけの話である。ご都合展開様万々歳。
そして一世一代の告白シーン。
ここで見せた彼女の狂乱。
これは容易に想像出来る。
彼女の中で俺は母親と同じく一緒にいたい人となった。
一緒にいたいとは恐らくだが精神面のみで生み出され、彼女の中で具体的なイメージはなく漠然とだが、一緒にいたいという気持ちだけハッキリとしていたという事かもしれない。
何となくだけど何かずっと一緒にいれると良いなぁ。そんな感じ。
その後、思考がその"一緒"について具体的に考え始める。
そして気付いてしまった。
一緒にいたいは変わらないはずの俺と母親が違う点、それは性別。
それに彼女にとって初めての異性。
一組の異性がずっと一緒にいると考えた時に、真っ先に思い浮かぶ光景は何だろうか。
意識するなと言っても難しいだろう。逆の立場なら俺だって意識する自信がある。
同時に生まれたのは葛藤。
当然、日本で言う高校か大学生程度の年齢に見えるミーナの事だ。
奴隷と言えど、流石に恋愛や色恋についての知識は多少なりともあるはず。
そこでイメージしてしまった光景に彼女に湧いてきてしまった感情が、母親のものとは違うもの。
この人と結ばれた、という何とも乙女チックな想い。
しかし同時に思い出す。自分の容姿を。
そして思う、こんな自分にそんな事は望んじゃいけない。相手に迷惑だからこんな分不相応な気持ちはすぐに捨て去るべきだ。
湧いてしまった気持ちを彼女の中で必死に殺そうとしていたというのに。
まさか、相手から自分が望んだ言葉を言われるなんて。
一度目は思考の範疇を超え過ぎた言葉に理解出来ない。
二度目でやっとその言葉を認識した、認識してしまった。
途端に勢力を増す、押し殺そうとした気持ち。
しかし彼女の中の思考が、現実が必死に受けた言葉を否定し続ける。
それでも根底に抱いてしまっていた"望み"が膨れ上がり過ぎて、頭と心の矛盾が限界を超えたからこそ狂乱してしまった。
そして精神の安寧を求めて、相手に否定を懇願する。
何故なら今まで母親にしか肯定して貰えなかったはずの彼女の事だ、母親以外から何かを与えられるという選択肢が無い。
だからこそ否定して欲しかった。
今まで否定していた物に対して自ら肯定し歩み寄る勇気なんて、彼女には無いのだから。
否定されれば苦しいが、以前の様に自分の殻に籠れば良いだけ。逃げ方は既に覚えているから。
"自分を欲してくれる"なんて事はありえないのだから、ハッキリと相手から否定の言葉を望んだ。
そうすれば納得出来るから。
心の悲鳴を無視して。
しかし相手の口から放たれた言葉は、再度の肯定。
思考は望んでいないのに気持ちが望んだ言葉。
気持ちが思考を上回った事で混乱を極めた彼女が取った行動は、現実逃避。
耳を塞いで目をきつく閉じ外界からの情報を一切遮断する、なんて一見幼稚な方法。
まるで小さい子供が親から叱られて「聞きたくない!」と意思表示する様な行動。
だが違う目線から見ると、彼女が行える他者への表現方法がそこまでしか成長していないという何とも無常な現実がそこにはあった。
相手を罵倒する言葉が「バカ」しか無いという点でも察せられるかもしれない。
そこに飛び込む、改めての気持ちが望んでいる言葉。
ここで彼女はついに精神が限界を迎えた。
最後の最後まで自分の精神を覆っていた思考という殻が砕け、相手にその破片を飛び散らせるかの様に言葉をぶつける。
彼女の言った「卑怯」という言葉は、俺の「死んでも良いと思った」というミーナが俺を死なせたくないと知った上での発言に対してはもちろんの事、もしかしたら彼女なりに俺を嫌おうと「この人は、人を弱らせる卑怯者なんだ」的な思い込みをしようと、自己暗示の様に呟いたのかもしれない。
思い込みを乗せて、風前の灯火とは思えぬ勢いをこちらに向けた。
しかし彼女がこちらに飛ばしてくるのは、懸命に彼女の精神を覆っていた最後の盾。
言葉を紡ぐにつれて気持ちが表面へと現れ始める。
そしてその殻が無くなった彼女は――本心である気持ちを漸く口にする事が出来た。
それでも彼女の中に巣食うこの世の常識が最後のブレーキをかける。
何せ彼女が生まれてきてからずっと付き合わざるを得なかったこの世の悪意だ。理性を超えた深くに浸み込んでいても不思議ではない。
そんな世の中の悪意が囁く。
"でも世界はあなたを醜いと確信している。彼が今後そうならない保証はどこにもない"
それが彼女にとって一歩を踏み出させる決意をさせた。
彼女が初めて他者に歩み寄る決意を。
"望んだ気持ちを肯定して――諦める決意を"。
だからこその願い。それも一生のお願い。
一度。たった一度でいいから、もう一度だけ自分を肯定して欲しい。
その事実さえあればこれからも生きていける。その言葉を胸に、諦められる。
ありえない、けどあった夢として思い出にする。
それを糧にこれからもずっと続く苦しい世界を生きていく。
こんな自分に優しくしてくれる彼にはもっと素敵な女性の方が絶対に良い。ここはちょっと盛ってたかもしれん。
彼女にとって恐らくは、万感の思いで絞り出した言葉だったのだろう。
それを俺は断った。
その時の彼女の心情はどんなものだったのか。
ここばかりは想像だに出来ない。
物語であればここをもっと掘り下げて掘り下げて、とっても美味しいハッピーエンドを演出するのかもしれないが、ここは現実。
そしてシリアスは苦手だ。心が痛む。
言葉遊びには少し自信はあったが、シリアス直後に言葉遊びだけを武器に挑む自信が無かった為、すぐに本心を口にした。
結果はご覧の通り。
最後の「ばか」は、良い意味で彼女の精神が追い付いていないが故に放たれたのだと信じたい。
――なんてね、物語風味に考察してみたが真相は分からない。
けれど、概ね間違っていないとも思う。
意識を現実に戻し、ミーナを見やる。
俺に寄りそう彼女を見ていると余計に。
身体が震えているが、先ほどよりは落ち着いてきた様だ。
休むにしてもそろそろミーナ宅で、室内で休みたい気分。
例えボロい家と言えどもやはり人間、プライベートスペースの方が落ち着くというもの。
人によっては他人の家だと眠れないパターンもあるらしいが、俺は別段仲良くなったと感じたなら初対面の人の家でもある程度緊張せずにいられるから気にはならない。
寧ろ早くミーナの家に入り、ここが俺の家になるのだと実感したいまである。
そんな訳でミーナに話し掛けようか。