第10話
何度頭を打ち付けたんだろう。
体の感覚も無ければ時間の感覚も無い。
頭の片隅に残る「これで駄目なら別に死んでもいいや」という考えだけは何故かハッキリと認識でき、痛みも感じないならこれは意外と良い死に方なんじゃないかとすら思えてくる。
ミーナを幸せに出来なかった事に関して悔いは残るが、死というものが現実味を帯びてきたからなのか、衣食住といった余計なしがらみから解放されたからなのか、全身を謎の全能感の様な感覚に包まれた。
これが死ぬって事なのか?
けど別に怖いという感情も無い為、意外と楽に死ねるかもという感想が思い浮かぶ。
しょーもない人生だったけど、まあまあ普通に生きたかなって感じかねえ。
そんな当たり障りの無い、人生の総括をしつつ「走馬灯ってないもんだなあ」なんて呑気に考える。
我ながら余裕があって良し。
死ぬ瞬間ってどんな風になるんだろ……?
これからの間もない未来に想いを馳せていたその時。
「―――――ッ―――ッ―――――ッ―――――」
ふと空間にノイズを感じた。
それは音の様であり、振動でもあった。
これが全能感の力か……!
謎の感動をしていると、徐々にノイズが大きくなってくる。
「――――んッ――――ッ――ッ―――メッ――」
そして気付く。
これは紛れもない声なんだと。
「―――さんッ―――――だッ―――いッ――」
そしてその声の主は。
そうだ、これは。
「――ヤさんッ―――いッ――――やだッ――」
直近で聞き覚えのある声に思わず苦笑が浮かんだ。
――あーあ、これは奇跡の生還になるんかね?
先程と変わらない呑気な言葉を空間に溢しながらも、表情に浮かんだ笑みは戻らない。
怒られるのかなあ、それはやだなぁ……。
けれど直近では聞き覚えの無い声色が耳に届く度、強くなる感情は一つ。
生きたい。
この声を聴けば聴く程、生にしがみつきたくなる。
突如、体を覆っていた謎の全能感が消え去り、同時に意識がどこかへと強く引っ張られる。
「カズヤさんッ! 死んじゃヤダよッ! お願い起きてッ!」
今度こそハッキリと聞こえたミーナの声に笑みが止まらない。
その直後、急速に意識を失う感覚に苛まれる。
意識を失う直前に考えた事は。
――やっぱご都合展開様万々歳だわ。
ゆっくりと意識が覚醒してくる。
何となく自分の身体に戻ったんだな、言い表せない直感で認識できた。
それと同時に訪れる激痛の波。
あまりの痛みに意識を失いそうになるが、それもまた痛みにより強制的に覚醒させられる。
そして意識を失えない要因がもう一つ。
それは体外から伝わってくる振動だ。
その振動の元は何だ、なんて考えなくても理解した。
けれどもそれ以上にどうしようもなく埋め尽くされている思考。
――ミーナさんッ今だけ! 今だけでいいからまた意識失わせてええええッ!
なんて願いは叶わず、徐々に視界が開けてくる。
そこは真っ暗な景色だった。
まさか視力を失ったかッ、と焦ったのも一瞬、視界の端に小さく橙の灯りが映りまだ夜のままなのだと認識し直す。
しかしながら視界に違和感を強く感じる。
突如視界が全面真っ黒に覆われた。
眼前を何かが覆ったのだ。
やたらと小さく聞こえていた耳も、聴力が徐々に回復してきたのか外の音を認識出来る様になってくる。
「カズヤさんッ! 大丈夫ですかッ! 生きてますかッ!?」
短時間で聴きなれた声にやはり笑みが浮かぶ。
「――――ぇぅ」
大丈夫です、そう言ったつもりだったが耳に届いたのはやたらにしゃがれた小さな声。
ホントに俺の声か、なんて疑問に思いつつもこの様な状態になる可能性もあるか、と自己完結。
「カズヤさん! ミーナですッ! 分かりますかッ!?」
俺が目を覚ました事に気付いたのかミーナは顔を覗き込む様に寄せてくる。
またあんな声出たらちょっと恥ずかしいな、なんて考えつつも返事は流石にしないと悪いなと思い再び口を開いた。
「―――ぁぅぉ」
激しい頭痛が止まない体に羞恥心が湧き上がる。
分かりますよくらい言えろよ俺!
内心で叱責しつつも、このままこの声だったら趣味のカラオケ出来なくなるから治んないかななんて呑気な考えが浮かぶ。
細かい事は頭痛が酷く、考えたくなかった。
だが、思考はどうしても今回の顛末について考え始めてしまう。
一際鋭い頭痛が頭を駆け巡り、思わず顔を顰める。
同時に、未だにぼやける視界の中でミーナが体を震わせるのが見えた。
「カズヤさんッ……お願いです、死なないでくだ、さい……ッ」
届く声は震えており、声色には"悲"の様相を呈している。
ふと頬に触れた液体。
それは定期的に俺の頬へと降り注ぐ。
どうやらと言うのかやはりと言うべきか、ミーナを泣かせてしまった。
そんな姿をぼやけた視界で眺めつつ、頭痛に苛まれながらも思考が再始動し出す。
ミーナを泣かせてしまった、というのは正確には御幣がある。
正確にはミーナが泣いてくれた、だろう。
ミーナが泣いてしまう可能性が考えていた。
寧ろ可能性が高いとまで思っていた。
今回の賭けはまず、ミーナが俺に駆け寄ってくるかどうかに掛かっていた。
無論ミーナが来てくれる可能性はそれなりに高いと踏んでの行為。
しかしながらこのギャンブルには大切な情報が欠けており、それはミーナがどの程度俺に対して親しみを覚えてくれているのか、そこがハッキリとしていなかった。
如何せん声のみでのコミュニケーションであった為、顔を見ながら行うコミュニケーションよりかは確実に精度が落ちてしまう。
だがそれでも六五五三六を引くよりも確率は高かったみたいだ。
まあ個人的には八一九二の方が好きだったが……。
それはさておき、ミーナが俺に駆け寄ってきてくれたのならば彼女の中で俺の好感度が結構高いという事。
即ち失いたくないと思えるまでに、彼女の中で俺の存在が植え付けられていたのだ。
彼女は母親の死を何よりも恐れている。
それは彼女の中に存在する他人は母親だけだった為、母親の死を何よりも恐れた。
そんな彼女の中に別の他人が巣食ったらどうなるのか。
彼女は母親に対してしか自分を見せる方法が分からない。
つまり母親と同じく自分の中に存在してしまった人物に対して、その者が死に瀕したならば。
彼女はその者に対して、母親と同じ程に失う恐怖を抱いてしまう。
眼前にいるミーナの反応は、母親が同じ事態に陥った場合に現れる反応。
そして、母親と同等と認識してしまった人物が目の前で喪失するかもしれない事態に陥ったならば。
失う恐怖を母親と同等にした事で、生きていて欲しい、大切にしないとという感情もまた大きく上振れる。
母親と同じく俺もミーナの中では存在しなければならない人物になったという訳だ。
そしてミーナは自身の性格上、自分じゃこの人を護る力はない、けれどこの人を一人にしたらまた同じ悲しみを味わうかもしれない。
ならば常に一緒にいてこの人を失わない様にしなければいけないと考えつく可能性がかなり高い。
これがミーナ依存計画の全容である。
ミーナを手に入れる為には多少分が悪い賭けでも行えたし、この体の状態や激しい頭痛も必要経費として我慢出来る。
そしてミーナが俺と常にいてくれるという事は即ち、ミーナが俺の衣食住を保証してくれる事に他ならない。
まあミーナが奴隷という立場の為、生活品質は行ってしまえば劣悪であろう事は仕方ない。
それは既に覚悟済みだ。
そんな事を考えつつ思考の海から抜け出すと、視界のぼやけも大分晴れてきたらしく、徐々に眼前ですすり泣いているミーナの輪郭がはっきりとしてきた。
例えどんな容姿であろうと、決めた以上はミーナを幸せにしてみせる。
だけど、
――どちらかと言えば可愛い方が良いなって思うのは男の性として許してくれ……!
遠くに灯る橙を光源に、互いの距離が近い事もあり、暗くともミーナの顔はハッキリと見えた。
歳の層は大体高校生から大学生程度といった感じ。
瞳の色は分からないが目じりが少し垂れた大きな瞳は可愛らしく、細くスラっと伸びた鼻筋、健康そうに僅かに膨らむ唇。
それらをまとめる輪郭は美しいというよりも、やはり可愛らしいという印象を見る者に与える。
暗くとも分かる亜麻色の髪はふわふわとしてとても滑らかで柔らかそうで、撫でたら寧ろ撫でる方が心地よくなってしまうのではないかと錯覚させる程綺麗で。
キメの細かそうな肌は彼女の純粋な心を表すかの様に白い。
――総評、こんな可愛い子はマジで見た事ない!
良いご都合展開様万々歳やー、なんて考えながらあまりの美少女に呆然と見惚れていると、彼女の眼は徐々に見開かれていく。
そして可愛らしい唇もやがて開かれた。
「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
絶望を大いに孕んだ悲鳴が辺りに木霊した。
――…………えっ?