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第9話

 ――ダメッ!

 彼女から出た拒絶の言葉が脳裏にこびり付いて離れない。

 自分でも動揺しているのが自覚出来る状況の中でも、幾分か冷静な思考も残っていたらしい。

 焦るのは後! まずはミーナさんと話をしないと。


「あっ、す、すみません。ちょっと急過ぎましたよね。いや、自分勝手だなって、ホント自分自身が嫌になっちゃいますよ」


 あはは、なんて付け足した笑いは引く程に乾いていた。

 次の言葉を続けようにも、思った様に思考は定まらず二の句が継げない。


「………………お、おおご、え……出して、ごめんな、さい…………作業が残っている、ので、もう……行きま、す……」


 その声に続き、地面に置いた物を持ち上げる動作と音が耳に届く。

 彼女の声色は完全に拒絶の色を強めたそれ。

 何か話さないと彼女は行ってしまう。

 何か話さないと彼女とはもう話せない気がする。

 何か話さないと彼女とはもう会えない気がする。

 何か話さないと――。


 焦る俺とは裏腹に、彼女は慣れた手付きで重そうな荷物を抱えて俺の正面から体を逸らす。

 何か話さないと――。

 思考は乱れたまま、口を開けど出るのは声にならない息ばかり。

 ゆっくりと彼女のシルエットは正面から側面へと角度を変える。

 何か話さないと――。

 何で声が出ないんだと自分を内心で怒鳴りつけても結果は変わらない。

 シルエットが側面からまた背面へと角度を変えていく。


 何か話さないと――。

 シルエットが完全に背面を向くその直前。


 暗がりで見えない筈にも拘わらず、彼女と視線が交差した気がした。


 気付けば体は前へと走り出していた。

 思考は一向に定まらないまま。

 けれど体は目的があるかの様に、一直線に進み続ける。

 そして眼前に現れた柵。

 俺と彼女を遮る存在。

 それはまるでこれが彼女の心の壁だというかの様に、押せど揺らせどびくともしない。

 彼女のシルエットは徐々に小さくなっていく。

 まるでそれは亡くなる直前の野良猫といった印象を俺に植え付けた。


「――ミーナッ!」


 気付けば口を開き、彼女が嫌うであろうありったけの大声で、相手の名を呼んでいた。

 気付けば今まで感じた事が無い程に心臓が激しく高鳴っている。

 貫く様な大声に彼女が大袈裟なまでに身を竦めたのが、暗闇の中に微かに映るシルエットで分かった。

 相手から許可されずに「さん」付けを外して名前を呼ぶのは記憶の限り家族以外で初めてだが、何故か分からないがその方が良い気がした。

 徐々に冷静になる思考を感じ、彼女に届く言葉を考える。

 だが拒絶された俺の言葉は彼女に届くのか……?

 そんな不安が胸中を占める。

 けれど何か言わなければミーナは完全に俺の前からいなくなってしまう。

 胸中は焦っているのに、嫌な程に冷静な思考。

 こんな事、前にもあったな、なんて無駄に記憶が蘇る。


 それは一人目の彼女から別れの言葉を切り出された時。

 その直前まで能天気な俺は彼女の心境の変化に気付けていなかった。

 仕事が終わり、家に帰る。

 そこで先に帰宅していた彼女から告げられた突然の別れ。

 その時、俺は――。


 理解出来ず暫し呆然とし、その後徐々に状況を理解して彼女を引き留める為に理由を聞く為に情けなく相手へと縋る様に無様に訊ね続ける。


 なんて事は全くなく、別れの言葉が紡がれた直後に俺の思考はある状態へと切り替わったのを感じた。

 それは仕事をしている、販売をしている時の、目の前の相手をどう契約まで持っていくか、そう考える表面は取り繕いながらも中身は一切無感情な自分になっていた。


 彼女が別れを切り出した、表情を見る限りまだ若干の未練はありそうだがこちらに向いていない割合が多い。それはつまり俺以外に好きな人が出来た可能性が高く、現段階だと対新しい彼氏と比較をした場合、彼女は新しい彼氏の方が良いと考えている割合が高い為AtoBは却下、今後このまま付き合った場合のメリットを伝えようとした場合、現段階で彼女は俺と付き合い続ける事はデメリットの方が多いと考えており、新しい彼氏の方がメリット。つまりメリットデメリット方式ではやはり新しい彼氏に対してデメリットを突き付ける必要がある為、現段階では得策ではない。そして彼女は現段階でほぼ俺に対して拒否を打ち出しておりそもそもこのまま契約に進むには新しい彼氏を超えるキャッシュバックがあれば可能かもしれないが、それは現時点で用意は不可。つまり今の時点では幾ら戦術を検討したとて契約まで持っていける可能性はかなり低い、イコールもうよりを戻す事は不可能に近い。だがこのまま素直に別れると、彼女からすれば俺はそこまで愛してくれていなかったのかと思われる可能性がある為、ワンクッションを挟んだ上で別れを決めるという流れの方が良い印象のまま、お互いに精神衛生上良い状態ですっきり別れる事が出来るだろう。……よし、じゃあ泣くか。


 今でもはっきりと憶えているがその間、約二秒程度で上記思考を終えてその後涙が流れた。

 頭は冷静なまま若干情けなく泣き付いたが、結局彼女の心は変わらず別れる事が決定した。

 約五分程度の出来事だった。


 そんな昔懐かしい記憶が蘇り、現在の自分の状態を理解する。

 これは自分が接客モードになっている時の感覚。

 こんなモードなんて、販売業を卒業した一年前以来だったが、不思議と違和感は無い。

 この状態であれば通常よりも多くの分岐で物事を考える事が出来る。

 しかしそれは打算を大いに含む内容がメインとなる。

 打算ありきの言葉をミーナに伝えて良いのか……?

 天使側であろう俺の意見が頭に浮かぶ。

 彼女は奴隷という最底辺の中で世の中の理不尽に甚振られながらも懸命に生き、働き、大切な母親を救う為に身を粉にして日常の悪意に耐えている。

 そんな彼女に打算ありきの言葉を届けて良いのか……。

 そもそもそんな上辺だけの言葉が彼女に響くのか。


 そんな天使的思考は次に生まれた悪魔的思考に吞み込まれた。


 ――そもそも、俺がミーナと仲を深めたい事自体打算だろ。


 その思考にハッとさせられる。

 何故俺がミーナと仲良くなろうと思ったのか、最初の動機は何だったのか。

 この森の中でサバイバル生活なんか無理、かといって言葉を始め俺の存在が受け入れられるか定かでは無い相手に対して率先してコミュニケーションを図るのも無理。

 そんな自堕落的思考の折に現れたのがミーナだ。

 彼女は内向的で卑屈、誰かに頼る事も出来ずかと言って自分で何とかする勇気も無い。

 言ってしまえば付け込むには持ってこいの相手だ。

 そんな彼女と仲良くなり他の村人に紹介してもらい、村の一員となり衣食住を保証してもらう。

 それは俺の思考のどこかにはずっと、必ずあったはず。

 いや、あったからこそそんな打算を思い浮かべても、それに対して反対の気持ちが湧かない。


 つまりはそもそもが打算から始まっているなら、打算を通しても良いのでは無いか。

 彼女の境遇に同情し、可哀そうと感じ、俺が何とかしてあげたいと思う気持ちもまた本心。

 これは本音と建て前ではなく、どちらも引き離せない本心なのだ。

 ならばそれぞれを本心に押し込み、それぞれを別で考えていく。

 両方の本心を満たす為に必要な方法。

 それは、


 ――ミーナを俺に依存させて共に暮らす。


 浮かんだ考えに背筋が凍る様な寒さを感じたが、それも一瞬。

 それを実現出来る方法もまた、粗削りながら浮かんでしまった。

 後は俺の覚悟だけ。

 現在ミーナは奴隷であり理不尽に甚振られている。

 そんなミーナが母親を治したら?

 ミーナは母親の下に帰り今よりは幸せに暮らせるだろう。

 しかしそれはあくまでもミーナ側の意見。

 それが叶えられるのはミーナの雇用主の考え方次第。

 だが奴隷に暴力を日常的に振るう雇用主側が、一奴隷の言う事等果たして聞いてくれるだろうか。

 更にそれが奴隷から解放してくれ、なんて要求ならば。

 答えは否。そうなる可能性が高すぎる。

 世界史で見た黒人奴隷の扱い、それとミーナは大差無い様に感じる。

 つまり雇用主側の意見も大差無いと考えた方が正しいだろう。

 いや、ここは異世界であり人権の意識なんぞ、地球上のどの地域よりも究極的なまでに低いかもしれない。

 即ちミーナは母親を治療したとしてもこのまま奴隷を続けさせられる可能性が圧倒的に高く、最悪のケースは健康になった母親までも奴隷にさせられる可能性すら考えられる。

 ミーナが愛している母親だ、母親もまたミーナを深く愛しているんだろう。

 そんな母親がミーナを人質とされた場合、自身が奴隷となる事を拒むのか。

 これも答えは否。二人揃って奴隷落ち。

 それのどこに幸せがあるんだろうか。

 だったら。


 ――ミーナは俺が幸せにするから大丈夫。


 現れたその考えが決意となり、俺の中に残る最後のピースを埋めた。

 考えれば考える程、俺が例え独善的でもミーナを幸せにした方が、現状のままで訪れる可能性の高い未来よりはミーナを幸せにしてあげられるはずだ。

 必要ならばミーナの母に関しても真剣に考える事にする。

 そしてこの場合の幸せとは精神的な幸せであり、言わば「最低限稼いで、最大限一緒にいよう」という事がミーナにとって幸せへと繋がるはず。

 それくらいなら俺にだって出来る。

 俺の思考は完全に一つへと纏まった。


 意識を外界へと戻せばまだミーナは先ほどと変わらない位置で立ち止まっている。

 恐らく今の思考も数秒程度だったんだろう。

 しかしいつミーナが動き始めるか分からない為、早速行動に移す。


「ミーナッ!」


 改めて上げた大声に、映像を巻き戻して再生した様にミーナは大きく体を震わせた。

 これからやる行為は、どちらかと言えば若干分が悪い賭け。

 しかし不思議と不安は無い。

 思考の端に常に漂う魔法の言葉。

 ――"良くも悪くもご都合展開"、なる様になるだけさ。

 ケセラセラってね。

 不安は無いが久々のギャンブルに思わず苦笑が浮かぶ。

 ……スロットももう一年前に卒業したんだけどなぁ。

 だけど、


 ――六五五三六引くよりは絶対確率が高いしな!


「ミーナがこっちに戻って来なきゃ、ここで俺死ぬからな!」


 再び張り上げた声と共に、目の前に聳える木の柵へと勢い良く頭を打ち付けた。

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