case13
目を覚ました晃は、真っ白な部屋にいた。
漂う薬品の匂いにここが病院だと悟る。
(私、何を……?)
ぼんやりとした頭で自分の身に起きた事を思い起こす。
(赤髪の男を捕まえて、それで……)
最後の記憶は、馬鹿にした様に笑う銀狼の顔だった。
満身創痍だったとはいえ、あの時出せる最高の拳を容易く受けられ、あまつさえ自分は一撃で沈められた事実に唇を噛み締めた。
「いっ、たたた……」
軋む身体を宥めゆっくり身を起こすと、自分が個室の病室にいる事が分かった。
動きがぎこちない身体を見れば、あちこちに巻かれた包帯やガーゼが目に入る。
(……行かないと)
暗い顔の晃が、ベッドから抜け出そうとした時だった。
音を立てて、病室の扉が開く。
「ああ、目が覚めたんだね」
まだ意識が戻っていないと思っていたのか、ゆっくりと開いた扉の影から顔を出した白川が驚いた顔を向ける。
慌てて居住まいを正そうとする晃を制すると、白川はベッド横のパイプ椅子に腰掛けた。
「心配おかけしてすみません」
「いいんだよ、ほら、傷が痛むだろう? 怪我人なんだから楽な姿勢にしなさい」
テンプレートの様な会話の後に少しの沈黙が落ちた。
晃は犯人を逃してしまった負い目から、白川の顔を見る事ができず俯く。
「あ、あの。白川さん」
「ん? なんだい?」
意を決してその沈黙を破り恐る恐る声を上げる晃に、白川は穏やかに首を傾げた。
「その……私が倒れた後の事、教えて貰えませんか」
その言葉を聞き、白川は苦い笑いを浮かべる。
目が覚めたらまず聞かれると覚悟をしていた筈だが、実際にボロボロになった部下を前にすると、思わず躊躇してしまった。
「……そうだね。じゃあ率直に言おうか、君達が捕まえてくれた化合の異能力を持つ男は仲間の異能犯に奪われ未だに見つかっていない。恐らく逃げ果せたんだろう」
「……そう、ですか」
「追跡していた篝君は、一晩明けてついさっき帰還したよ」
「…………」
白川は顔を上げない晃の姿に眉を下げた。
布団に投げ出された手は固く握られている。
(初の現場投入でこの結果だ、無理もない)
意気消沈する姿にどう言葉をかけるべきか迷う白川に、晃はゆっくりと顔を上げた。
「すみません……もうひとつだけ、#PSI__サイ__#とは、なんですか」
その表情を見て白川は、小さく息を飲む。
問いかける晃の瞳は、光を失っていない。戸惑う様に揺れてはいるが、彼女は目標を見失ってなどいなかった。その目は真っ直ぐに、今できることを探している。
その姿に、白川は覚悟を決めて口を開いた。
「……全ての異能力の総称。そして、我々が極秘裏に追いかけている異能犯罪組織の名前だよ」
「異能犯罪の、組織? そんなもの、聞いた事もありませんが……」
「極秘だと言っただろう? そんな事が世に広まれば、ただでさえ弱い異能力者の立場が更に危うくなってしまうだろうから公にできないんだ。現段階では異捜でも限られた人間しか知らない」
「……そんな大切な話を、どうして私に」
不安げな晃に、白川は安心させる様に微笑んだ。
「君だから、伝えたんだよ」
「……どういう事ですか」
「私と同じ目標を掲げる君だから、共に戦って欲しいと思ったんだ」
「!」
晃はその言葉に動きを止めた。
その表情には驚きと、安堵。それから少しの疑いの色が混ざり合っている。
その様子に白川は、初めて晃を知った時の事を脳裏に浮かべ、フッと目を細めた。
『ねえ、君はどうして異捜を目指すんだい?』
『私、異能力者が笑って暮らせる様な、差別のない社会が夢なんです。その為には犯罪を減らして無能力者からの信頼を得る事が必要ですから。私は自分の夢の為に異捜を目指してるんです』
衝撃だった。
同じ夢を持ち警察庁に入ったものの、現実に揉まれ、気持ちを少しずつ失っていた白川は、それを馬鹿な妄想だったと半ば諦めかけていた。
しかし、警察学校への視察でたまたま声を掛けた女学生が、頬を上気させて熱心に同じ夢を語る姿に恥ずかしくなったのだ。
「……同じ?」
「うん。私もね、異能差別の無い社会を夢見てここにいるんだよ。だからね、未来をしっかりと見据えている君だからこそ、私は信頼できると思っているんだよ」
真摯な白川の姿に、晃の瞳が揺れる。
「PSIの壊滅は、必ず大きな一歩になる。力を貸してくれるね?」
返事を確信した様に笑う白川に、晃はおずおずと頷いた。
「……私で、お役に立てるのであれば」
予想通りの部下の言葉に白川は笑みを深める。
「ありがとう、頼りにさせてもらうよ。それから、もうひとつだけ、君には知ってもらいたい事があるんだ」
「? はい」
「襲撃にあった時、篝君の様子がおかしいと思わなかったかい?」
「……そういえば、途中からやけに感情的になっていた気がします。たしか、相手の顔、いえ、刺青を見てから?」
白川は大きく頷き、ゆっくりと席を立った。
それにつられ晃の視線も上に向く。
「傷が癒えたら八〇三号室に行ってみなさい」
「え?」
「……行けば分かるよ」
言葉少なに哀しそうに目を伏せると白川は病室を後にした。
残された晃はポカンと口を開けそれを見送る。
「……どういう事?」
晃の呟きは誰にも拾われずひっそりと霧散した。
晃は、痛む身体を宥め時間をかけながら八階にやって来ていた。
傷が癒えたらと言われはしたが、じっとなどしていられなかったのだ。
どうやらこの階は長期治療が必要な患者を集めているらしい。見舞客は殆どおらず、閑散とした印象を受ける。
傷に触らないようにするあまり、ぎこちない動きになりながらも、遠巻きに心配そうに眺める看護師達のいるナースステーションを横切って真っ白な廊下を進む。
「この辺の筈だけど……」
部屋番号を見ながら進むと、目的の場所に辿り着く。
何故かそこだけ扉が閉まりきっておらず隙間が開いていた。
中を覗こうとした晃は、部屋から漏れる聞き覚えのある声にピタリと動きを止める。
「……逃しちまった。情けねぇな」
耳障りの良い低い声。
いつもの険のある話し方ではない、まるで懺悔するかの様にどこか悲哀に満ち、自分を責めている様に聞こえた。
相手からの返事は無い。
微かに震える声に、晃は戸惑いながらも隙間からそろりと中を伺う。
「……ごめん」
空気を入れ替える為だろう開け放たれた窓がカーテンを揺らしている。
長期治療のフロアとしては珍しく、ベッドの他には何もない部屋だった。
先程の白川の様にベッドの前に椅子を置き、俯いた男はこちらに背を向けて座っている。
普段の態度からは考えられない程、その背中は小さく見えた。
返事のない中、ただただ謝り続ける姿を呆然と眺めた後、晃は慌てて病室前のネームプレートを確認する。
(……篝、芽伊)
看護師のものだろう丸っこい字で書かれた三文字によって、この部屋で寝ているのが篝の身内だと悟る。
(どういう事なの。ご家族が入院している事と、犯罪組織。何のつながりが、)
新たに芽生えた疑問に顔を顰め、晃はそっと病室から離れた。
逸る心を抑え、先程通りかかったナースステーションを目指す。
(白川さんは、これを伝えたかった訳じゃない。一体篝さんの身に何があったの)
身体を引きずり目的の場所に近寄ると、丁度タイミング良く出てきた看護婦に声を掛けた。
「あの、」
「あら、警察の。どうされましたか?」
異捜の人間だと知っていたのか、警戒する事もなく看護婦は柔らかな笑みを浮かべて首を傾げた。
晃は罪悪感を感じながら、単刀直入に切り出す。
「八〇三号室の患者さんについて教えて下さい」
その言葉に、看護婦は目を丸くした。
続けてとんでもないとばかりに両手を振って拒否を示す。
「え、ええ?、 む、無理ですよ! 我々にも守秘義務が有りますから!」
「そこをなんとか! これも捜査の一貫なんです!」
「で、でも……」
「お願いします!」
必死に食い下がる晃に、看護婦の瞳が揺れる。
迷った末に、ゆっくりと綺麗にリップの引かれた口を開いた。
「…………絶対に、他の人には言わないで下さいね」
「! 勿論です!」
「じ、実は、あの部屋の患者さん……」
重々しく続けられた言葉に、晃の時が止まった。
「……え、」
時を同じくして高層ビルの屋上にその男はいた。
神経質そうな銀縁の眼鏡には眼前に広がる景色が映り込んでいる。
一つに結ばれた長い紺の髪と、糊の効いた同じく濃紺のスーツが風に靡く。
「ほらよ」
短い言葉と共に、ドサリ音を立て何かが地面に落ちる。
男は気怠げに振り返り、眼鏡に隔てられた糸の様な細い目を相手に向ける。
「ご苦労だったな、狐狼」
「別に労でもねーけど、まだこンな奴使うのかよ?」
狐狼と呼ばれた迷彩服に身を包んだ銀髪の青年は、不貞腐れた様に足元の塊を踏みつけ悪態をついた。
「そう言うなよ。化合の能力は貴重だからな。まだまだ利用価値はあるさ」
「この馬鹿に価値なんてあンのかねぇ」
狐狼によって塊が転がされる。
被せられていた布がずれ、人間の頭部が顔をだした。
傷だらけの顔は晴れ上がり人相が伺えなくなっているが、燃える様に赤い髪は変わらない。
晃達が捕らえ、そして逃した男だ。
「ま、どーでもいいけどよ。あ、そういやぁ昨日火炎の異捜を見たぜぃ」
「ほぉ?」
「そいつなっちを探してるみてーだったけど、知り合いかよ?」
にやりと意地の悪い笑みを浮かべる青年に、眼鏡の男ははたと動きを止めた。
「火炎の異能か、火炎、火炎……ああ、あの時の。もうそんな年齢になるのか、時が経つのは早いな」
「じじーかよ、なっち。って、やっぱ唾つけてたンか。珍しい能力が欲しいのも分かるけどよ、マジで派手にやりすぎて足元すくわれンなよ?」
「わかってるさ」
薄い手袋をした指で銀のフレームを押し上ると、漫然とした動きで地面に転がる赤い髪に近づく。
汚い物に触れるかの様に、磨き上げられた革靴の先で揺り動かした。
「化西、起きろ」
「…………ぐ、」
手袋を外しながらしゃがみ込み、呻き声を上げる男に艶のある声で小さく囁く。
「すぐに起きないと、お前の大事なモンを奪うぞ」
びくり、大きく身体を揺らし飛び起きた赤髪の男は、手袋を外した手を見て短い悲鳴を上げた。
恐怖に喘ぎながらずりずりと地面を這って距離を取ろうする姿に迷彩の男は吹き出す。
「だはは、だっせーな、化西! つーか、なっちもよ、その能力は洒落になンねーから簡単に手袋外すなっての」
眼鏡の男は手を触りながら薄い唇を動かした。
悪びれもせずに肩を竦める。
「酷いな、ちょっと頂くだけだろう?」
そっと開かれた瞳には、秤を鎖に絡め取られた天秤が怪しく光っていた。