case11
封鎖された金属加工工場の三階、分厚い鉄の扉の前に二人はいた。
扉は防犯用のセキュリティシステムが搭載されていた様が、既にクラッキングされていて本来の役割を果たしていない。
篝は声を落として指示を出しながら、扉の奥の気配を伺う。
「やっぱりここにいやがったか……おい、出番だちんくしゃ」
「……ちんくしゃじゃないです。というか出番ったって、ただの囮じゃないですか」
暴言を混じえ不遜な態度で自分を呼びつける相方に、晃は不満げに唇を尖らせた。
そんな晃に振り向きもせず篝は言葉を続ける。
「うるせぇよ、やる事は分かってんだろうな?」
「大丈夫ですよ、アイツのガスマスクをむしり取ってとにかく異能を使わせまくればいいんですよね?」
「マスクを外すタイミングは任せる。効率よく低酸素状態を作るために頃合い見て扉も閉めるからな」
こくりと一つ頷いて晃は扉を引いた。
ロックが解除された無骨な扉は無抵抗にするりと開く。
早鐘を打つ心臓を落ち着ける様に息を吐いた後、ゆっくりと足を動かした。
資材庫に踏み入れた晃は、そっと雑然とした室内を見渡しターゲットを探す。
しかし、決して広くない部屋だというのにその姿を見つける事ができない。
警戒は維持したまま、物色する様に視線を移動させると、壁際に集められた溶接用の細い金属の棒や、金属板が目に入る。
(この部屋に隠れられる場所なんて無い……もしかして既に移動した? ……あれ、)
思案しながら地面に置かれた金属に視線を落とした晃は、ふと足を止めた。
窓からの陽に当たる金属板が不自然にチラついている。
ジッと目を凝らすと黒く細い何かが何本も揺れているのが分かった。
(……これは、影? っ!!)
晃は弾かれる様に頭上を見上げる。
その視線の先には蜘蛛の巣の様に張り巡らされたワイヤーによって宙に浮く赤髪の男の姿があった。
よくよく目を凝らせば、部屋中にワイヤーが走っている。
「きひひ、見つかっちゃったぁ。やっぱりおねぇさんは面白いやぁ。もっともーっと、遊ぼぉよ」
男は心底楽しいという様な声で笑い、勢いよくワイヤーを放った。
酸化反応を起こしているそれは、熱によって真っ赤に光りながら晃に迫る。
慌てて横に飛ぶも、避けきれなかったワイヤーが頬を掠める。
確認はできないが、じくじくとした痛みに火傷を負った事を悟った。
「きひひ、おねぇさんの顔は赤が映えるねぇ」
「……そう言ってられるのも今のうちよ」
「きひ、ひひひ」
うっとりと恍惚の表情を浮かべて笑う男を睨みつけ、内心の動揺を悟られない様に口を引き結んだ。
そんな晃の様子に、男は笑みを深め酸化させたワイヤーを幾重にも重ねて放つ。
(この距離じゃ、嬲られるだけだ。何か、打破する策を考えないと……! そうだ、あれは?!)
降り注ぐワイヤーを避けつつ晃は辺りを見渡す。
部屋に入った際に見た、溶接用の金属棒。
猛攻を受ける中、無造作に置かれた資材に埋もれたそれを探す。
「なぁに、余所見してるのぉ?」
「っ!」
目を離した隙に、背後から不機嫌そうな男の声が飛び込む。
慌てて視線を戻そうとする晃だが、それよりも早く腕に痛みが走った。
見れば、熱されたワイヤーが巻きつき、晃の細い腕に食い込んでいる。
「だめだよぉ? 俺様と遊ぶ時は本気でって言ったよねぇ? オシオキの時間だぁ」
ふざけた言葉と共に男は思い切りワイヤーを振るう。
それに伴いワイヤーの絡んだ晃の身体が宙に浮き壁に叩きつけられた。
衝撃に肺の中にあった空気が一気に逃げ出し、喉が引きつったように痙攣する。
一階で篝の受けた攻撃と同じものだ。そう晃が気がつくよりも先にワイヤーが鞭のようにしなり追撃を加えてくる。
「ゔっ!」
「きひひひひひ!」
苦しげに呻く晃は霞んだ視界に、探していた棒がある事に気がついた。
与えられる痛みに耐え、這うようにそれに近づくと勢い良く掴み、背後に掲げた。
シュルシュルと軽快な音を立て晃に向かっていたワイヤーが棒に絡まる。
思うように動かせ無くなったワイヤーにけたたましく響いていた男の笑い声が止まった。
にやり、晃は腫れ上がった頬を痙攣らせながら歪な笑みを浮かべる。
「さぁて、オシオキの時間かしら?」
その言葉を切っ掛けに、自身の異能力を稼働させ手元の棒に絡んだワイヤーごと男を引き寄せる。
驚く暇もなく見事に一本釣りされた男を資材の山に放り投げ、ゆっくりと立ち上がった。
「警察、なめんじゃないわよ」
壁に打ち付けられた時に切ったのか額から滴る血を、さっと腕で拭い油断なく男の人動きを待つ。
赤い髪の男は呻き声を上げ、ガチャガチャと金属音を立てながら起き上がる。
顔を覆うガスマスクによって表情を伺う事はできないが、異様な雰囲気に緊張感が高まった。
「なんだよ、遊んでやってたのに」
ふらりと晃に向き直り目を合わせると男は興味を失ったかの様に淡々と言葉を吐き出した。
「お前、もう要らない」
ダンッ! 床全体が振動する程強く踏み締め晃は前に飛び出した。
男の変貌ぶりに出方を伺うよりも先攻する事を選んだのだ。手に握る金属の棒を勢い良く振り下ろす。
「効かねぇよ、ばぁか」
男の掌で受け止められたそれは、瞬き一つの間に赤褐色に変わり果てボロボロと崩れ落ちた。
(……大丈夫、これで良い)
しかし、晃は冷静にもう使い物にならない棒だったものを投げ捨て、新しく金属棒を手に取った。
刀の様に構えられたそれを見て、男は馬鹿にした様に嗤う。
「きひ、そんなもん全部崩してやるよ」
「……やってみなさいよ」
晃は言葉と共に握った棒を男に向けて突き出した。
当然男はそれを掴んで酸化させる。
何度も何度も、棒を拾い上げてはそれを繰り返していく。
一見追い詰められている様に見えるが、現実は違った。
これこそが晃の目論見なのだ。
順調に薄くなる空気に晃の息も上がり始める。
(そろそろ、いいんじゃないの? 篝さん!)
チラリと扉に視線をやるが、開く気配は無い。
(……マスクを外すまでは加勢もしないって訳ね)
満身創痍の中、篝の助けが入らない事を悟り視線を戻せば、流石に晃の狙いに気がついたのだろう様子の男が目に入った。
「はぁ、はぁっ! この、くそアマ……! ブッ殺してやる」
パチン! 破裂音を立てて赤髪の男は両手を合わせたその瞬間、部屋中にツンとした刺激臭が広がる。
「っ?!」
咄嗟に背後に飛びずさり男から距離をとった晃だが、空気から逃げられる訳もなく目を真っ赤に充血させて涙をボロボロと溢した。
(この臭い……アンモニア?!)
涙のせいで霞んだ視界の先に、宙に浮いた水の球を弄ぶ男の姿が入る。
恐らく、あれがこの臭気の原因だろう。
慌てて腕で口元を覆う。
(どうして、)
急に現れた薬物に晃はごくりと唾を飲み込む。
喉に異物感の様な痛みを感じ顔を顰めた。きっとアンモニアによって焼けてしまったのだろう。
アンモニアは小学校の実験でも使われる親しみやすい薬品ではあるが、使い方次第では皮膚を溶かしたり、許容量を越えれば死に至るという面も併せ持つ、非常に危険なものでもある。
しかし、晃はそれよりもアンモニアの持つもう一つの性質を危惧していた。
(アンモニアは点火源があると爆発する……折角酸素を減らしたのに、これじゃあ篝さんに火炎を使わせられない!)
青褪める晃に、男は肩を震わせ嗤った。
「酸化の能力だと思った? アンモニアのお味はいかがぁ?」
「っ!」
その一言で晃はここに向かう途中に聞いた音寺の言葉を思い出し、このアンモニアの発生という不可思議な現象に納得する。
『酸化というのはあくまで仮説で、化合という可能性も有ります』
(酸化も化合の一種。こいつの能力は化合だったのね!)
アンモニアは水素と窒素で成り立つ物質だ。
二つとも空気中に存在する為、空気に触れさえすれば生成可能という事だろう。
しかし、能力が分かった所で現状は変わらない。
高濃度のアンモニアに当てられたのか目眩に襲われる。
晃がグラグラと揺れる視界に堪える中、男はガスマスクによって守られている。
時間が経てば経つほど不利になる状況で、晃は逡巡する。
(どっちにしたってあのガスマスクを外させないと。でも、どうやって?)
男の顔の側にはアンモニアの塊が有りとても手を出せそうには無い。
でも、このまま時間が経てば確実に晃は倒れるだろう。
痛みを堪えてもう一度唾を飲み込む。
(……やるしかないでしょ)
相手を見据え、晃は覚悟を決めた。
グッと力強く握り込んだ拳が怯えるように、カタカタと微かに震える。
それを誤魔化す様に真っ直ぐに男に向かって駆け出す。
距離を詰めると、ツンと鼻を刺す様な臭気が強くなった。
そんな晃の行動に面食らった様に立ち竦む赤髪の男に、足が手前に来るような形で思い切り足払いをかける。
驚いた顔で身体を傾ける男を見て、晃は畳み掛ける様にガスマスクに手を伸ばした。
躊躇なく男の顔前にあったアンモニア水に手を突っ込み、マスクに触れる。
球体が崩れた事によって顔や首元にもその水が跳ねた。
「アンモニアの味だっけ? なかなか悪くないわよ!」
ガッ、
力任せに勢いよく男のマスクを剥ぎ取り、遠くへ放り投げる。
背後に倒れる男の顔に重力に従ってアンモニア水が降り注いだ。
「!!」
晃は必死の形相で顔を拭う男の襟元を掴み、篝が控える扉と反対に投げ飛ばす。
しかし、壁にぶつかる前に不自然な動きで男の身体が止まった。
(しまった、あそこにはワイヤーが!)
そう、始めに視認した張り巡らされたワイヤーが、男の身体を支えていたのだ。
選択を間違えたと舌打ちをしたその時、赤髪の男が此方に手を伸ばした。
「調子に乗るなよ、クソがぁああ!!」
ワイヤーから飛び降り、我を忘れた様に酸化の能力を繰り出してくる男を右に転がる事で避ける。
男の触れた床材は一瞬にして変貌してしまった。
ここからどうするか、痛む身体に鞭打つ様に立ち上がった晃の耳に、援軍の知らせが飛び込む。
「どいてろ、ちんくしゃ!!」
ドアの開く音と共に、部屋に響いた耳障りの良い低めの声。
いつもなら腹が立つ事しかないのだが、この時ばかりは安堵した。
「篝さん!」
アンモニアによって焼けた喉からはガラガラとした声が絞り出される。
そこで、はたと危惧していた事に思い当たった。
安堵している場合ではない。
先程自分は、アンモニアの爆発する性質に篝の援軍は厳しいと考えなかったか。
「篝さん! アンモニアです! 火炎は、爆発する!」
「うるせぇ! しねぇよ!」
晃の必死の訴えを即座に否定し右手を構える篝。
その様子に息を飲み、晃は慌てて扉を出ると篝の背後に滑り込んだ。
それを確認した瞬間、篝の掌から赤い光が飛び出す。
赤く染まった視界に、晃は爆発の衝撃に備え、身を守る様に丸く縮こまった。
(……あれ?)
しかし、一向に来ない衝撃に、そっと顔を上げれば炎の輪に囲まれ膝をつく男と、涼しい顔をして炎を放つ篝の姿があった。
予想に反した光景に晃が首を傾げる中、放射されていた炎の勢いが落ち着いていった。
「ちんくしゃ、さっさとしろよ」
呆れた様な声に、顔を上げると篝は顎で部屋の中を指してみせた。
釣られる様に視線を向ければ、気を失う赤髪の姿が見える。
(そうだ、確保!)
腰のポーチから首錠を取り出しながら男に近づき、その首に触れた。
カシャン。軽快な音と共に首輪が締まる。
「異能力使用法違反の現行犯で逮捕です!」
そう口にすると、力が抜けてへなへなと床に座り込む晃。
思い出した様にあちこち痛む身体に、思わず苦い笑いが起きる。
そんな相方の様子に篝も満足そうにうっすらと表情を緩めた。
初逮捕の余韻に浸る晃が視線を窓に向ければ、すっかり陽が傾き赤く染まっている。
(そういえば、なんで爆発しなかったんだろう?)
ふと思い出した疑問に首を傾げる。
(篝さん、聞いたら教えてくれるかな)
少し考えて、素直に教えてくれる篝が想像できずに頭を振った。
(教えて、くれないだろうなぁ)