case10
銃を突きつける者とそれを受ける者。
一瞬の膠着の後、赤髪の男は動いた。
自らの眉間に突き付けられた銃を弾き、そのままの姿勢で脚だけを伸ばして篝に足払いを仕掛ける。
男の能力によって錆び切った金属板は、ざりざりと音を立てて赤茶色の粉末へと姿を変えて周囲に舞い上がる。
篝は地面を撫でる様に滑るそれを、背後に飛ぶ事で避けた。
それと同時に、相手に追撃の余裕を与えない程のスピードで腰の火銃を取り出すと、息もつかさぬ程の連射を繰り出す。
しかし、まるで曲芸師の様な身のこなしで愉しげにその全てを避け切った赤髪の男は、一足飛びで篝との距離を詰めた。
馬鹿にした様な声色で語りかけ何もない空間に腕を振る。
「これ、本気の攻撃じゃないでしょぉ? ツマラナイおにぃさんにはオシオキねぇ」
マスクのせいでくぐもった言葉と共に、篝は見えない何かに引っ張られる様な形で吹き飛ぶ。
「がっ?!」
見えない力によって真っ直ぐに重機を薙ぎ払う様に飛んだ篝は、轟音を上げ壁に打ち付けられた。
「篝さん!!」
ズルズルと床に沈み咳き込む篝の前に赤髪の男はしゃがみ、苦しげに歪められた顔を覗き込む。
「ダメだよぉ? 何を狙ってるのか知らないけどぉ、俺様はこんなぬるい攻撃じゃあアガラナイからねぇ」
「……なら、お言葉に甘えて本気でいかせて貰いましょうか!」
圧倒的な立場に酔いしれ、篝に右手を伸ばしている男の死角から晃は飛び出した。
身体を捩り全体重を込めて固く握った拳を振り下ろす。
ドゴォ!! 鈍い音を響かせ、床材に使われている錆びた金属板が陥没し、それに伴い板の端が陥没を中心にして捲り上がる。
殺気に反応したのだろうか。間一髪で晃の攻撃を避けた男は、無惨な姿になった地面に目を剥く。
「お、おねぇさん、ちょお力強いねぇ……!」
晃は驚いた様に語りかけてくる男を無視し、今度は掌底を突き出す。
晃の視線は、ガラ空きになっている男の顎を捉えている。
人体の急所の一つに数えられるそこは、首の筋肉、つまりは力点から離れている為に、下から突けば簡単に脳を揺らし、脳震盪を誘発する事ができる。
単純ではあるが、相手の動きを封じるには効率の良い手だ。
しかし、新人なりに頭を使った渾身の攻撃も、軽やかな身のこなしでひらりと躱されてしまう。
晃は小さく舌打ちを零し、今度は背後に居る男の喉元に向かって左の肘を突き立てた。
パシン、晃の肘と男の掌が触れる。
喉元まで後少しと言った所で差し込まれた手よって防がれてしまったのだ。
(しまっ……!)
警戒していた相手の手に触れてしまった事で、脳内に警笛が鳴り響く。
途端に熱を持ち始める腕を慌てて引き剥がせば、触れていた部分の制服は破れ、隙間から見える肌は真っ赤に爛れている。
痛みはあるものの、炭化にまでは至っていない事に、晃はホッと安堵の息を洩らした。
そんな晃に、興奮した様子の赤髪の男が飛び掛る。
「きひっ、おねぇさん、ちゃあんと急所を狙ってるねぇ! そうだよ、それだよ! 今度はどこを狙う? 頭? 心臓? それとも……きひひひひひ!」
「くっ!」
晃は、腕を庇ながらも横に飛んで男を躱し、その勢いを殺さずに左脚を軸に思い切り回し蹴りを叩き込む。
向かってくる脚を、またも掴もうとする男に、晃が痛みを覚悟し顔を顰めた時だった。
熱い赤い光が組み合う二人の間を裂くように豪速で走る。
赤髪の男は慌てて身を引き距離を取ると光が飛んできた方向を睨みつけた。
そこには傷を庇いながら立ち上がった篝が、真剣な表情で火銃を構えている。
「篝さん! 助かりました!」
「うるせぇ、同じ様なヘマしてんじゃねぇ!」
「すっ、すみません……!」
篝は痛めたのか足を引きずりゆっくりと近付きながら、二度も相手の能力を食らいそうになった晃を叱る。
「あ~あ、面白くないなぁ……」
自分から意識を逸らし、篝に頭を下げる晃の様子を遠巻きに眺めていた赤髪の男が、不貞腐れた様に唇を尖らせた。
その表情はおもちゃを取り上げられた子供に近い。
男は篝を睨みつけながら、おもむろに腕を上げると空を切る様に勢い良くふるった。
先程、篝を襲った正体不明の攻撃と同じ動作に、いつでも迎撃できる様にそれぞれ構えを取る晃と篝だったが、その予想に反し、男は予備動作なく真上へと跳躍してみせた。
虚を突かれ、驚きに目を見開く二人を尻目に、三メートルはあるだろう高さを軽々と飛んだ男は、頭上に張り巡らされたパイプの一つに着地して耳障りな声で嗤う。
「きひひ、ねぇ、おねぇさんの能力ならココまで来れるでしょぉ? もっとあそぼぉよ」
「なっ?!」
誘う様にゆっくりと上に上がっていく赤髪の男を見上げ、晃は逡巡する。
確かに、晃の能力ならば脚の筋力を上げる事でこの位の高さは跳べるだろう。
しかし、篝はどうか。
かなり鍛えているとはいえ、身体機能的には一般人と変わらない。何より今はダメージもある。
硬い重機にぶつかり壁に打ち付けられたのだ。骨の何本もおかしくなっていても不思議じゃない。
勿論置いていくという方法もある。
しかし、相手の攻撃の正体が分からないこの状態で二手に分かれて良いのか。
悩みおし黙る姿に、篝が叫ぶ。
「……何してんだ、追え!」
ぐるぐると思考に飲まれていた晃は、その怒声によって引き戻された。
驚き、弾かれる様に声の主を見れば、整った顔をこれでもかと歪め怒りを露わにしている。
「で、でも篝さん……!」
「うるせぇ! 忘れたのか、3階は資材の保管庫だ。あの変態野郎をこれ以上調子付かせる気か! 俺も階段で追い掛ける、早く行け!」
「…………お先です!」
たっぷりの間を置いた後、晃は覚悟を決めた様に頷いた。
すぐさま能力を発動し、男の後を追う様に跳び上がる。
カン、と金属特有の軽い音を立てパイプに着地し上を見上げると、捕らえるべき赤い色が遠くでこちらを見下ろしていた。
「きっひひ、キタキタキタァ! ほらぁ、俺様はココだよぉ?」
きゃらきゃらと笑いパイプの上でくるりと回ってみせる男に晃は青筋を立てる。
(コイツ! 鬼ごっこでもしてるつもり?!)
猛スピードで上がってくる晃に、男は逃げる気が無いのか無邪気に手を振っている。
晃はチャンスとばかりに大きく跳び上がり、拳を振るう。
しかし、その手を掴まれそうになり、慌てて身をよじることでそれを躱した。
(くそお、遠距離攻撃さえできれば……!)
思う様に攻撃ができない事に苛立ち、忌々しげに自らの腿を叩く晃を見て、赤髪の男は首を捻る。
「あれぇ? おねぇさん、追いかけっこは飽きちゃったぁ? きひひ、じゃあ新しいアソビをしよぉか!」
意味深な言葉に警戒を強める晃を尻目に男は勢い良くしゃがみ込んだ。
「ま、まさか……!」
その意図に気がついた晃がハッと息を飲む。
男はゆっくりと足場にしているパイプに右手を伸ばした。
手が触れた瞬間、ブワッと勢い良くパイプが赤茶色に変色し、錆ついていく。
当たり前の様に、ボルトは砕け、パイプ自体もボロボロと崩壊していった。
晃は全身を包む浮遊感に肌を粟立たせ、錆びついた金属と一緒に背中から落下する。
必然的に上に向けられた視界に、片腕を上げ不自然に宙に浮く赤髪の男の姿が映り込んだ。
(何、あれ……?!)
よくよく目を凝らし観察すれば、上がった腕とその上にあるパイプの間が差し込む日差しによって時折キラリと光るのが見て取れた。
そう、そこにはピアノ線の様な細いワイヤーが張られていたのだ。
「きひひ! スリル満点でしょお? 満足できたぁ?」
甲高い声で嗤う男に、晃はギリリと歯をくいしばる。
先程の篝に対する正体不明の攻撃も、生身の人間ではあり得ないほどの跳躍も、これがカラクリだったのだ。
今だって、ワイヤーによって身体を浮かせ落下から逃れている。
篝の見つけたパイプの溝はこの為についていたのだ。
もう少し早く気がつけばこうはならなかったかもしれない。
(って、今はそんな事考えてる場合じゃ……!)
晃は自分の置かれた状況を思い出し、思考を投げ捨て慌てて掴まれる場所はないかと辺りを見渡す。
しかし、手頃な場所に足場に出来るような太いパイプは無い。
男もそれを見越してあの位置で待機していたのだろう。
二歩も三歩も負けている悔しさを飲み込み、手近な細いパイプを握る。
ガン! と強い衝撃と供に握ったパイプが揺れ落下が止まった。
しかし、息を吐き安堵する晃を嘲笑うかのように、どこからか微かにミシミシという不穏な音が漏れ始める。
「……嘘でしょ、」
冷や汗を滝の様にだらだらと流し、晃は縋る様に手元の金属を見る。
先程晃と供に落ちてきた金属にぶつかったせいかパイプにはいく層もの亀裂が走っていた。
これでは晃の体重を支えられなくても無理はない。
他に移れそうなパイプが見当たらず、絶体絶命のピンチにあたふたする晃の足元、更にその下の巨大なパイプを黒い影が走る。
ビシビシッ! 無情にも大きな音を立てて晃の生命線となっていたパイプが砕けた。
「そんな殺生な!」
支えを失った晃は思わず涙を浮かべながら重力に従いまたも落下を始める。
「手ぇ伸ばせ! 間抜け!」
「!」
落下の最中、もはや耳に馴染んでしまった暴言に従い咄嗟に手を前に伸ばす晃。
その腕をがっしりと大きな手が掴んだ。
晃がぶら下がったまま上を見上げれば、息を切らした篝がパイプに膝をつき顔を顰めている。
「か、篝さん?! どうしてこんな所に!」
「うるせぇ! さっさと上がれ、デブ!」
「デッ?!」
追い討ちをかける様に放り込まれた悪口に、晃は顔を引攣らせながらもグッと力を込めてパイプに這い上がった。
そっと篝の背後に視線を移せば、二階の落下防止用の柵が目に入る。
このパイプはどうやらあの柵を乗り越えれば辿り着けるらしい。
(……助けてくれた?)
じっと顔を見つめる後輩に篝は嫌そうに舌打ちを零した。
「……で? なんでお前が上から落ちてくんだよ」
「そうでした、犯人! あの男はワイヤーを使って攻撃を仕掛けてたんです! さっきも足元のパイプを崩されてアイツはワイヤーで……!」
まくし立てるようにきゃんきゃんと状況を報告する晃を見て、篝はなるほどと小さく頷いた。
「奴は既に三階に到達しているはずだ」
「……資材庫で色々生成中の可能性もありますね。すみません、足止めに失敗して……」
「まったくだ」
「うぐ……」
フォローするつもりのない鋭利な言葉がグサリと晃の身体に刺さる。
項垂れる晃に、篝は言葉を続けた。
「作戦を変えるぞ。奴の酸化の能力、実際に自分の目で見てお前は何が弱点だと思った?」
「弱点……」
バディからの問いかけに晃は視線を彷徨わせる。
(そうだ、弱点。それさえ理解できれば突破口になる)
晃は先程まで相対していた赤い髪の男を思い浮かべ、ゆっくりと口を開いた。
「直接触れないといけない事、でしょうか……?」
「まあ、それも勿論ある。遠距離からの攻撃に対処するためにワイヤーを使ってたんだろう。もう一つ、決定的な弱点がある。酸素だ」
「酸素?」
首を傾げる晃に、篝は頷く。
「そうだ、酸化反応を起こすにはどうしたって酸素を消費する。酸化能力を使うと一時的に奴の周りは著しい低酸素状態になっているはずだ。つまり、」
篝はニヤリと笑い掌から小さな炎を出した。
「アイツが散々酸化能力を使った所で俺の最大火力で囲ってやる。そうすりゃすぐに意識がトぶだろうよ」
炎に照らされた恐ろしい笑みに晃は身を震わせ、恐る恐る意見を述べる。
「ちょーっとだけ、よろしいでしょうか? 酸素がないと篝さんも能力使えないんじゃあ……?」
「そりゃそうだろ。俺は資材庫の外で待機する」
「……ん? えーっと、その場合、誰がアイツに酸化能力を使わせるんですか?」
「お前に決まってんだろ、ちんくしゃ。資材庫に辿り着く前に確保できなかったんだ、ちゃんと身を持って責任とってもらうぞ」
「?!」
身を守るように自分自身を抱きしめる晃を放置し、篝は二階につながる柵に向かって歩き始める。
その後姿を眺めて、晃はふと思い出してしまった。
恐らく犯人のあの男が生成しているであろう物質の特性を。
「か、篝さん……」
「なんだよ」
「もしアイツが既に重クロム酸カリウムを生成し終わってたらどうしますか? 確かアレって火気に近づけると爆発しますよね……?」
困ったような後輩の言葉を聞きくと、篝はピタリと足を止め、少しの間の後に呟いた。
「……犯人もろとも吹き飛ばすか」
「いっいやいやいや! そんなことしたら工場もタダじゃすみませんよ?! 始末書じゃ済まなくなります!」
「……なんとかなんだろ」
「篝さん?! ちょっと考えるの面倒になってません?!」
物騒な言葉に慌てて駆け寄り、喧しく反論する晃に篝は五月蝿そうに歩みを速める。
(この人なら本気でやりそうなんだけど……! 犯人の確保と、篝さんのコントロールなんて一人じゃ手に負えないんですけど?!)
スタスタと進む篝を追いかけながら晃は全力で頭を抱えた。