(その4)
四
国後島・ユジノクリリスクで漁業を営むユーリは奇妙な依頼を受けた。
色丹島まで渡りたいので自分の漁船をチャーターしたいというのだ。
総勢一四名。プラス、二人ががりでないと運べないほどの大きな木箱に入った荷物が三つ。
通常、国有地である国後島、そして色丹島にはロシア人であっても当局の許可がないと立ち入ることは出来ない。
彼らはモスクワの大学の研究チームで、ロシア連邦天然資源環境省発行の許可証を持っていた。その目的は色丹島に生息する野鳥及び野鳥が食べる植物や昆虫などの調査と許可証にあった。彼らは色丹島の山中にキャンプを張り、しばらく滞在するという。
調査チームのリーダーは白髪、白髭の偉丈夫で、風貌は学者というより軍人のようだ。他のメンバーも全員男で体格のいい者ばかり。
「アンタ、学者には見えないな」
と、リーダーに言うと、リーダーは「野鳥の調査は忍耐勝負、まさに自然との闘いだ。一年のうち八ヶ月もこんなところでキャンプを張って調査をしていると自然とこんな体になる」と笑って応えた。
依頼自体は難しいことではない。しかし、この手の依頼にしてはあまりにも報酬が高額すぎる。
その事をリーダーに尋ねると「この報酬額は省令で決められたものなので高い安いは我々には判断しかねる。君はこういう依頼を受けるのは初めてか? なら一般論としてあまり人には言わない方がいい」と言った。我々の知ったことではないが、こんな田舎だ、話はすぐに拡がる。高額の報酬は周りから妬みを買う。特に薄給の役人や国境警備隊の連中の耳に入ると何だかんだと難癖をつけられむしり取られるぞ、と。
「女房にも黙ってろってか?」
「無論だ。女は口が軽い。奥様には報酬から安い指輪の一つでも買って誕生日に贈ってやるといい。それで万事丸く収まる」
ユーリはもっともだと思い、それならば人目のつかない深夜に港を出よう、と提案した。
リーダーは大きく頷き「ハラショー」と応えた。
*
根室の朝の海は凪いでいた。天気は快晴、やや冷たいながらも潮風が心地よい。
信は北方四島交流等事業使用船舶〝えとぴりか〟の右舷デッキに立ち、ひとつ伸びをした。
〝えとぴりか〟は、二〇一二年に就航した、ビザ無し交流専用に設計された船だ。その名は北太平洋沿岸域、日本では北海道東部、そして北方四島に生息している海鳥・エトピリカに由来する。エトピリカはアイヌ語で「美しい嘴」という意味らしく、その名の通り大きく鮮やかなオレンジ色の嘴が特徴として挙げられる。この船の煙突にもエトピリカのイラスト――ファンネルマークというそうだが――が描かれている。
総トン数は一一二四トン。全長六六・五一メートルで幅一二・八メートルの四層構造。ディーゼル機関を一基搭載し航海速力は一五ノット。一二名の乗組員によって操船され、旅客定員は八四名。
前日開催されたオリエンテーションの場で配布された〝えとぴりか〟のリーフレットに書かれている船のスペックを読んでも、また根室港に停泊する〝えとぴりか〟の実物を見ても信はピンと来なかったが、その船内は建築の仕事を生業にしている信の心を惹いた。
客室の一部と浴室がバリアフリー化されており、多目的トイレやエレベーターも完備されている。これは主な利用者である、高齢化が進む北方四島の元島民に配慮された設計で、ロビーなど他の共用スペースも車椅子の使用を前提としているようで船の中とは思えないほど余裕をもった作りになっている。
集会室も兼ねる食堂は広く、落ち着いた内装は陸に立つホテルと較べても遜色はない。陸のホテルと違うのは、揺れ対策なのだろう、テーブルと椅子が床に固定されている事と、一般的なものと較べて天井がやや低い事だ。食堂のような広いスペースでこの天井高は少し圧迫感を感じる。
他に、ランドリールーム、少人数の会議も可能な休憩室、喫煙室を完備。喫煙室があるのでデッキでは禁煙だ。
……なのに、デッキで胸ポケットから煙草を取り出し吸おうとする男を信は視界の片隅に捉えた。信はその男に近づき、言った。
「あの、ここ禁煙なんですけど。オリエンテーションで聞きませんでした?」
男は名札を首から提げていて、〝結城直樹〟と見て取れた。確か結城は都内の名門私立大の大学院生で、国際政治学を専攻していると結団式で自己紹介していたはずだ。
「あ、そうなの? ったく、デッキくらい良さそうなもんだけどねぇ」
悪びれるふうもなく、結城は煙草をポケットにしまった。
その態度に信は少し苛立ちを覚えた。
大学院生とはいえ、年齢はどう見ても信よりは上だろう。髪は長め、というか伸ばすに任せて放置してあるという感じ。身長は信より頭一つ大きいくらいでやや肥満気味。青のチェックの起毛シャツにダメージデニムのパンツというスタイルは一言でいうとだらしない印象を受ける。
信は結城に言った。
「煙草なら喫煙室があります。どうぞそちらでごゆっくりと」
「もう、つれないねぇ団長さん。別に煙草吸いにデッキに来たんじゃないんだけど」
口元を歪め、デッキの手摺に背中を預けながら結城は応えた。
その言い方に信は既知感を覚えた。どこか人を食ったような言い回し。それは地元の川崎先輩によく似ていた。
「それより気付いた? 参加者の中のご老人。ありゃやっぱり本物だった」
結城は強引に話題を変えた。
老人と呼べる人物は参加者の中では元島民の田丸精一氏しか思い当たらない。〝本物〟とはどういう意味だろう……?
信が黙っていると、結城は続けた。
「あのタマルフーズの総帥の田丸さんだよ。御年九一歳。いやぁ元気なもんだ」
「九一歳!」
信は老人の年齢を知ってまず驚いたが、それでも〝本物〟という意味が解らない。タマルフーズとはどこかで聞いた事があるが……。
「……タマルちゃん?」
ようやく信は子どもの頃からお馴染みのテレビCMを思い出した。
「そう。あのタマルちゃんラーメンのタマルだよ。その創業者にして日本の食品業界に君臨する田丸精一氏ご本人。昨日会った時話をしたんだけどね。あの人経済人の中じゃあんまり表に出ない方なんだよ。まず色丹島出身ってのを知らなかった。今回のビザ無し交流は初めての参加なんだってさ。こんな大物とご一緒できるなんて、いやぁ参加してよかった」
田丸氏云々より、よくしゃべる男だ、と信は思った。
「お? 噂をすれば、だ」
結城の視線の先を振り返ると、件の老人と、老人に付き添うように北野が歩み寄ってきた。
「おはようございます。今回はよろしくお願いします」
信は北野に会釈しながら言った。
「それはこちらの台詞ですよ。こちらこそ、よろしくお願いします」
北野も微笑を浮かべながら慇懃に応えた。
「北野さん、団長さんと知り合いなのか?」
老人が北野に尋ねた。
「春の東京での全国会議でご一緒させていただいたんです。彼女、かなりお酒が強いんですよ」
「そんな情報いりませんから。あ、ご挨拶が遅れました。今回団長を務めます桜井と申します」
信は慌てて老人に向き直りポケットから名刺を取り出し渡した。それを受け取りながら老人は応えた。
「田丸です。あいにく今は無職なんで名刺を持たんのですが」
「いえいえ、お気になさらずに」
とても九一歳に見えない、とまず信は思った。背筋はピンと伸び、歩くにしても杖一つ使っていない。言葉もやや掠れてはいるが大きく聞き取りやすい。顔立ちは年相応の深い皺が刻まれ、右の頬骨のあたりに歪な形の大きなシミが見られるものの、外国人のように彫りが深い。きっと若い頃は相当な美男子だったであろうと想像できた。
何より、結城からさっき聞いた話を抜きにしても、体全体から風格というか、自分が今まで感じた事のないオーラを感じる。九一歳という人生経験、そしてそこまで生き抜いたという自信。そういったものを持つ者のみが醸し出す事が出来るオーラ、とでも言おうか。
「団長さんはおいくつに?」
老人は訊いた。
「二七歳です」
「若いのにしっかりしたもんだ。ご結婚は?」
「ええと、独身です」
同年代の男性なら躊躇われるであろう質問を、老人はまるで今の時間を訊いているかのような易々さでしてきた。信の方も、お茶を濁そうかどうかという判断をする前に自然と正直な答えが口をついた。信にとっては、それは本来不快な質問だ。いつもであれば「それが何か?」と素気なく返すところだが、何故か独身で申し訳ありませんという気持ちになり、思わず苦笑いをしてしまった。
それを見た老人もつられたように微笑を見せた。
「今回は団長の大役ご苦労さん。ではまた後ほど」
老人はそう言うと、北野と共に去って行った。
信と老人のやりとりを黙って見ていた結城が口を開いた。
「凄いだろ、あの威圧感」
「威圧感……ってのとまた違うような。近寄りがたいっていう雰囲気もないし。でも、確かにオーラは感じたわ」
結城は人目を憚るように信の耳に顔を寄せ、囁いた。
「あれが人呼んで〝釧路の妖怪〟だよ」
「妖怪……?」
妖怪という表現が適切かどうか信には判りかねたが、確かに人間離れした何かは持ってるかも……とは思った。
「で、桜井団長は二七歳独身かぁ。ふぅん」
「それが何か?」
にやにやと下卑た笑みを浮かべる結城を、信は睨み付けた。
午前九時二十分に根室港を出港した〝えとぴりか〟は、およそその一時間後、〝中間点〟と呼ばれる地点を通過した。北緯四三度二八分、東経一四五度四六分。根室港から北東に約二一・五キロの地点だ。
根室から北方領土へ向かう船、そして北方領土から根室へ向かう船は必ずこの地点を通過する事がルールとして定められている。
ここはロシアが定めた、日本とロシアとの〝国境〟だ。
言うまでもなく、ここに〝国境〟など存在しない。北方領土はロシアの領土ではないからだ。したがって、日本ではロシアが言うところの〝国境〟を〝中間線〟もしくは〝参考ライン〟〝承認ライン〟と呼んでいる。しかし、この線を越えて日本の漁船が無断で操業すれば、ロシアの国境警備隊によって拿捕されるばかりか、北海道海面漁業調整規則という日本の国内法に則って処罰される。
納沙布岬から最も近い歯舞群島の貝殻島――厳密には国連海洋法条約で言うところの〝島〟ではなく〝低潮高地〟というらしいが――までは直線距離にしてわずか三・七キロ。その中間は一・八五キロだ。こんな目の前の海なのに、この線を越えたばかりに過去に拿捕された漁師、あるいはロシアの国境警備隊に銃撃され命を落とした漁師の遺族の無念はいかばかりだったろう、と信は思いを馳せた。
いや、これは過去の話ばかりではない。現在、そして未来も、領土問題が解決されない限り〝中間線〟は道東の漁民にとって〝見えない壁〟として立ちはだかるのだ……。
〝えとぴりか〟のマストにもロシアの国旗が掲げられた。これは〝えとぴりか〟が北方領土でのロシアの主権を認めているからではなく、あくまでも国際航路を航行する船舶の慣例に則ったものだという説明を信は受けた。
日本が何だかんだ言っても、ここから先は日本の施政権は及ばない。日本であって日本ではないのだ。潮風を受けてなびくロシア国旗を見つめながら、信は身が引き締まる思いがした。
信はここで手持ちの腕時計を二時間進めた。時計を〝現地時間〟に合わせるためだ。北方領土には〝時差〟があることを信は今回初めて知った。
〝えとぴりか〟は〝中間点〟から北上し、〝現地時間〟の午後二時三〇分、国後島の古釜布湾に到着、投錨した。古釜布湾は国後島のほぼ中央、島の東側にある湾だ。
今回訪問するのは色丹島。本来なら〝中間点〟から北東へ向かわなければいけないのだが、直接向かう事は出来ない。択捉島へ向かう場合も同様だが、まずここに立ち寄り〝入域手続〟を行う必要がある。〝入国手続〟ではない。
〝入域手続〟は〝えとぴりか〟の船内で行われる。投錨から間もなくすると、ロシアの係官が乗った船が〝えとぴりか〟に近づいてきた。
乗り込んできた係官は三名。全員女性だ。係官は通訳を伴った北対協職員とやりとりをした後、事前に提出された写真付きの身分証明書と参加者全員とを照合する。特に質問等のやりとりこそ無かったものの、身分証明書と交互に険しい視線を信に向ける美しい女性係官に信はたじろいだ。
係官が引き上げた後、信は北対協職員にかみついた。あれでは海外旅行のイミグレーションと変わらない。そもそも彼女たちは何だ? 入国審査官か? 〝ビザ無し〟なのにおかしいんじゃないか、と。職員は申し訳なさそうに、あれは仰るような入国審査ではない。しかし北方領土への実効支配が及ばない以上、関税審査や検疫手続はやむを得ない、と信に回答した。
投錨してからおよそ二時間後〝えとぴりか〟は古釜布湾を抜錨。東南東へ進路を取り、およそ三時間後の午後八時二〇分に色丹島へ到着した。
信はデッキに上がり国後島の島影に沈む夕日を望んだ。日本時間では現在午後六時二〇分。丁度夕暮れ時だ。
〝えとぴりか〟は色丹島の中央、北側に位置する穴澗湾に入った。
国後島には日本の援助で建てられた緊急避難所兼宿泊施設があり、ビザ無し交流の参加者はそこに宿泊するのだが、色丹島にはそういったものを含めて官営・民営問わず宿泊施設は無い。したがって信たち参加者は全行程〝えとぴりか〟船内に宿泊する。色丹島への上陸は明日からだ。
誰かが夕日が綺麗だと触れ回ったのだろう、多くの参加者がデッキに上がってきた。
その中に、信は一人佇むあの老人の姿を見つけた。信は老人に近寄り話しかけた。
「お疲れではありませんか?」
「……ああ、団長さんか。おかげさんで快適な船旅だよ」
老人は笑顔を見せ信に応えた。
「いかがですか、久しぶりの故郷の島は?」
そう言った瞬間、拙い事を訊いたな、と信は後悔した。今回この老人は初めてのビザ無し交流の参加である事はさっき結城から聞いた。となると常識的に考えて七〇数年ぶりの里帰りということになる。そんな事、訊くだけ野暮だ。在りし日を思い感極まっているに違いない。私、お邪魔だったかな……。
ところが老人はあっけらかんと言った。
「別に」
「あれ?」
「特にどうこうって感情は無いな。俺が住んでた泊って集落は島の南側なんだ。穴澗なんて行った事もない。あるいは泊まで行ければ感じるものがあるかも知れんが」
「そんなもんですかねぇ……」
色丹島には戦前いくつも集落があったが、ロシアが実効支配するようになってからは穴澗湾に面した穴澗と、そこから北東にある斜古丹の二つの集落にしか人は住んでいない。それ以外の集落は朽ち果て、そこに至る道すら今は無いと聞く。当然、ビザ無し交流といえどそういう所まで行く事は許可されていない。
「まぁ、夕日は綺麗だよ……来てよかった」
独りごつように老人は言った。
信はデッキの手摺に体を預け、ほとんど国後島の影に消えかけている夕日を見る。国後島の稜線が茜色に染められていた。
色丹島。アイヌ語で「大きな村」という意味だ。島全体が緑に覆われた緩やかな丘陵で、島の東南部の複雑に入り組んだ海岸線は北欧のフィヨルドを連想させる。戦前は北海道の十八景勝地のひとつにも数えられていたという、美しい島だ。
面積は二五三平方キロ。択捉島や国後島に較べれば小さな島だが、鹿児島県・奄美大島の南西に位置する徳之島にほぼ匹敵する面積だ。この島に現在、およそ三〇〇〇人のロシア人が住んでいる。
根室で結団式を行ってから三日目の朝、信ら〝後継者訪問〟の参加者たちはそんな色丹島への上陸を果たした。
午前八時一〇分、穴澗港に着桟。信を先頭に参加者名簿順に〝えとぴりか〟を下船する。信たちを迎えてくれたのは、サラファンと呼ばれる赤を基調としたロシアの民族衣装を身につけた少女たちだった。
彼女たちは手に大人の頭ほどもある大きなパンと小皿に入れられた塩を持っていて、それを信たちに差し出した。
パンはロシア語で〝フレーブ〟。塩は〝ソーリ〟。二つ合わせて〝フレーボソーリストボ〟といい、日本で言うところの〝おもてなし〟という意味になるのだという。これはロシアで親愛なる客をもてなす時の伝統的なセレモニーなのだ。
信はパンを一口大にちぎり、塩をつけて口に運んだ。香ばしいパンの香りが口の中に広がり、自然と顔が綻ぶ。
「スパシーバ! オーチン・フクースナ!」
信は、昨夜〝えとぴりか〟船内で行われたロシア語講座で覚えたばかりのロシア語で少女たちに応えた。〝ありがとう。とても美味しい〟という意味だ。
信のつたないロシア語が少女たちに伝わったかどうかは判らないが、少女たちは信ににっこりと微笑み返した。
参加者全員が少女たちの〝おもてなし〟を受けた後、行政関係者による歓迎式に臨むために移動する。信たちの目に映ったのは一〇数台はあろうかという車列だった。これに分乗しろという事らしい。
バスは無いのだろうかと信は思ったが、その理由は間もなく分かった。道路が舗装されていないのだ。マイクロバスならともかく、起伏に富んだこんな道路では車体の長いバスやトラックでは揺れがひどくてたまらないだろう。
そして、使われる車はほとんどが日本製だ。悪路に強いRV車が多い。日本の中古車がサハリン経由で渡り、この島で使われているのだという。たまたま乗り合わせた結城は、よくこんな古い車に乗ってるな、と驚きの声を上げた。
穴澗港のすぐ近く、歓迎式を行う文化会館に到着した。どうやらこのあたりが穴澗のメインストリートらしい。
文化会館は平屋建て。アプローチ部は切妻屋根に太い柱と何故かギリシャ風だ。信はやはりどうしても建物の方に目がいく。
中に入ると、穴澗村長と斜古丹村長が出迎えた。穴澗村長はレフ・チーホノフ氏。痩身で背が高い。斜古丹村長のヴィクトル・ビリュコフ氏は対照的に恰幅がいい。
そしてもう一人、スキンヘッドで精悍な顔つきをした男が信に握手を求めてきた。北対協職員に何者かと尋ねると、ミンスキー氏という、地元の企業家らしい。それ以上の事は尋ねなかったが、ミンスキー氏は信との挨拶もそこそこに、満面の笑みを浮かべながらあの老人、田丸精一氏のところへ向かっていった。
歓迎式では両村長と共に、〝日ロ両国民の友好を強化せよ!〟とお世辞にも上手いとはいえない日本語で書かれた横断幕が架かったステージに上がり、両村長の歓迎の挨拶を受け、信も参加者を代表して挨拶をした。
この、団長の挨拶というのが今回の行程では実に多い。まず根室で行われた結団式での挨拶。島に来てからはこの歓迎式での挨拶。翌日の夕食交流会での挨拶。色丹島を離れた後に〝えとぴりか〟船内で行われる解団式の挨拶。さらに根室に戻ってからの記者会見。
一応、北対協から事前に「それぞれの挨拶で述べていただきたい事」というメモをもらってはいたが、原稿はそれを基に自分で考えなくてはいけなかった。
もっとも青年団のリーダーをした経験のある信にとって、人前でスピーチするのはなんら苦ではなかった。ただ、それぞれの原稿を用意するのが煩わしく、いっそ原稿なしでしゃべってやろうかしらとも思ったが、それでは余計な事を口走るかも知れないと思い、仕事の合間を縫いながら原稿を用意したのだ。
歓迎式の終了後、文化会館の近くにある穴澗の学校と病院を視察した。
道路が未舗装なのもさることながら、このあたりはメインストリートといっても商店とおぼしき平屋の建物が二、三軒とレストランがあるくらい。はっきり言って田舎だ。
その割には学校も病院もかなり立派だ。小高い丘にそびえ立つ病院は遠目から見ても、最近建てられたものだと判る。
信たちはまず学校に案内された。
黄色い外壁の、鉄筋コンクリート造一部鉄骨造二階建ての学校は閑散としていた。それもそのはずで、ロシアの学校では六月から八月までは夏期休暇にあたるためだ。
説明にあたった女性の校長代行によると、この学校は小中高一貫の一一年制。義務教育は九年目までで、一〇年目に進級するには試験に受からなければいけない。そして一一年目を修了すると大学受験資格が与えられる。最大二〇〇名の生徒を受け容れる事が出来るが、現在の在校生は一三〇名ほどだという。
施設は工作室、理科室、家庭科教室、そしてパソコン教室などの専門教室に体育館とかなり充実している。ただ、信は廊下や教室の至る所にロシアの国旗やダヴィトフ大統領の写真が掲げられていたのに違和感を感じた。それを見て、まるで戦前の日本だな、と田丸氏は吐き捨てるように言った。
続いて隣に建つ病院に向かう。学校もそうだったが、高台に病院があるのは津波対策らしい。
楕円形を丁の時に組み合わせた平面構成が特徴的な三階建てのこの病院は〝南クリル地区中央病院色丹分院〟というのが正式名称だそうだ。延床面積は四二〇〇平米。八名の医師、一六名の看護師を含む四八名が勤務し、ベッド数は二五床。内科、外科、小児科、産婦人科、歯科などの診療科があり、医療機器も欧米製の最新のものを使っている、と病院長が誇らしげに説明した。さらに、この病院が出来る前は出産施設が島にはなく、そのためにわざわざサハリンへ渡る必要があった。この病院のおかげで島内での出産が可能になった。色丹島はこれからますます人口が増えますよ、と続けた。
離島の病院にしては出来すぎてるな、と結城は言った。それは信も同感だった。
ロシアにしてみれば僻地であるはずの色丹島に、何故これほど立派な学校や病院があるのか。その理由は明白だ。ロシア政府による、北方領土の実効支配強化の一環だ。
住民サービスが強化され、島民の定住が進めばますます領土問題の解決は難しくなる……そう、信は思った。
学校と病院の視察が終わると、信たちは数名づつのグループに分かれて、昼食を兼ねてそれぞれ島内の一般家庭を訪問するホームビジットに向かった。
信のグループは斜古丹村長のビリュコフ氏の家庭を訪問する事になっている。そのメンバーは信のほか、田丸氏、北野、結城、そして北対協職員の笹木と通訳の大嶋の六名。大嶋氏は今回同行した四人の通訳の中ではリーダー格で、昨夜のロシア語講座の講師も務めた。信たちは二台の車に分乗した。
穴澗からビリュコフ氏の自宅のある斜古丹までは車でおよそ三〇分ほどだという。言うまでもなく、無舗装の道だ。道中には信号機も無い。砂埃を巻き上げながら二台の車は連なって斜古丹へ向かった。
斜古丹は穴澗より大きな集落で、戦前色丹島が一つの〝色丹村〟だった頃は村役場や小学校、警察駐在所、郵便局などが置かれた中心集落だった。今でも斜古丹にはロシア国境警備隊の基地があり、大きな湾と港があるにも関わらず、機密保持のため〝えとぴりか〟の入港は出来ない。また、この集落を訪れるビザ無し交流の参加者も同様の理由で港や国境警備隊施設の写真撮影が禁止されている。
ビリュコフ氏の家は市街地から少し離れた緑の多い場所に建っており、到着するとビリュコフ氏とその夫人と娘、そして先程歓迎式で会ったミンスキー氏が出迎えた。ミンスキー氏はビリュコフ氏の〝大切な友人〟なのだそうだ。
丸い大きなピロークを中心に、ボルシチ、揚げたピロシキなど所狭しと料理の並んだダイニングテーブルに着席し、自己紹介が始まった。ビリュコフ氏は夫人と共にこの島に来て今年でちょうど三〇年目を迎えるとの事。その、豊満な体型のビリュコフ氏の夫人はナターリヤといい、ブロンドの美しいスレンダーな娘はエレーナと名乗った。エレーナはサハリンの大学に通っているが、今は帰省しているのだという。目の前の料理はエレーナとナターリアの手料理で、エレーナが、あまりに美味しいので日本の料理はもう食べられないかも、とジョークで場を和ませた。
信はメモを片手にロシア語で自己紹介をしようと試みたが、いきなり〝こんにちは〟の意味の〝ズドラーストヴィチェ〟の巻き舌のところが上手く発音できず断念。結局大嶋に頼ってしまった。
そして田丸氏は……。
「ミニャー・ザヴート・タマルセイーチ。ムニェ・ジェヴェノースタージン・ゴート」
それを聞いたナターリアとエレーナ、そして北野を除く日本側のメンバーが一斉におお、と歓声を上げた。
「田丸さん、ロシア語が話せるんですか?」
いちばん声が大きかったのが信だった。信はそれを自覚して両の掌を大きく広げ口を覆いながら老人に訊いた。
「昔、ソ連人相手に商売をしてたんでね。なに、片言だよ」
「で、なんて言ったんですか?」
「名前と歳を言っただけだ」
こともなげに老人は答えた。
「すごーい……」
信は自分が出来ない事が出来る人間を素直にリスペクトする。その代わり、礼儀作法など人として当たり前に出来る事が出来ない人間はとことん軽蔑するのだが。
さらに続いて北野が流暢なロシア語で自己紹介をした。そして、何と結城までもロシア語で自己紹介をしたのだ。結城は巻き舌の発音も完璧だった。
もはや信は言葉を失っていた。
「いや……北野さんは解るけど、結城さんまで……」
得意満面で結城は言った。
「伊達に三〇ン歳まで生きてねぇよ」
信の横で、老人はふん、と鼻を鳴らした。
「エレーナは、日本にどんなイメージを持っているの?」
ウオッカとオレンジジュースで乾杯した後、話を切り出したのは信だった。
エレーナの回答は明快だった。
「自動車ね。あとは日本食。私は食べたことないけど、ママは大好きって」
「私はもう四度も日本に行ってるの。日本食はどれも美味しいわね。特にトウフが好きなの。ヘルシーだしね」
ナターリアが続いた。
ビザ無し交流は日本人が北方領土へ行くばかりではなく、平行して北方領土在住のロシア人も毎年日本に数十名訪問している。ただ、北方領土在住のロシア人は日本側と違い絶対数が少ないので複数回参加する人も少なくない。ロシア側にとって「ビザ無し交流が観光旅行化している」と指摘されている所以だ。ナターリアもその一人なのだろう。
「私は今日初めてロシア料理をいただきました。エレーナさんが自慢するだけあってすごく美味しい! このひき肉の入ったピロシキなんて特に好き。オーチン・フクースナ!」
信がナターリアにそう言うと、ナターリアはそれを大嶋氏が訳す前に「スパスィーバ」と微笑んだ。
「貴女は、ロシアと聞いて何をイメージしますか?」
逆にビリュコフ氏が信に訊いてきた。
信の脳裏に真っ先に浮かんだ言葉は〝北方領土〟だった。しかしいきなりこれをストレートに言ってしまうのはどうかと思いとどまった。
ピロシキ、ウオッカ、ボルシチ。目の前にあるそのまんまじゃん。後は……後は……。
あれ? 私ロシアの事ってあんまりよく知らない……?
信が答えあぐねていると、横の老人が口を開いた。
「日本人はロシアについてあんまりいいイメージはないね。仕事はしない、約束を守らない、金にはルーズ……。もっとも、俺はそうは思わんが」
すかさずビリュコフ氏が反論した。
「ロシア人は日本人の勤勉さを学ぶべきだと思うが、日本人もロシア人のゆとりを学ぶべきだと思う」
嫌な空気になってきた、と信は思った。信は横目で北野を見た。
北野は口を開いた。通訳は介さず、日本語とロシア語それぞれで話す。
「日本でロシアについてあまり良いイメージを持っていない人が多いのは、おそらく冷戦時代の旧ソ連の印象を引きずっているからでしょう。アメリカの映画ではソ連は大抵悪役でしたから」
結城が頷く。
「あの時代は俺達も嫌いだよ」
ミンスキー氏が相槌を打ち、ビリュコフ氏も頷いた。
「でも最近はインターネットの普及の影響で若い人を中心にロシアに関心を持つ方が増えています。旧ソ連時代は関心を持とうにも、そもそも情報が不足していましたから」
北野が続けると、そこに結城が乗っかってきた。
「そう。俺もそれでイメージが変わったクチ。ロシアの若い女性は美人が多いよね。ここに来てますますそう思った。〝ロシアには美人が多い〟ってのが、今の日本の若者が抱くロシアのイメージですよ」
結城はエレーナを見ながら言った。エレーナの頬が緩んだ。
調子のいい事を、と信は言いそうになったが、確かにエレーナも含めこの島の若い女性はまるでモデルのようにみんな手足が長く肌も透き通るように綺麗、とは信も感じていた。
「でも、それが何故みんな歳を重ねると横にかさばるか不思議でならない。あ、ここは訳さなくいいですよ」
結城はそう言って、にっと笑いながら信の方を見た。また余計な事を。って、なんで私の方を見るの? 知らないわよ。
「インターネットといえば、私たちもインターネットのおかげで随分日本の事を知る事が出来るようになったわ」
エレーナが言う。最近ロシアでは日本製のアニメなどのサブカルチャーが人気だという。しかし、色丹島までネットが繋がっているとは知らなかった。
「ネットは検閲とかされてないの? どっかの国みたいに」
結城がまたも余計な一言を挟みながらエレーナに訊いた。エレーナは「分からないわ」と答えるにとどまった。
「それから日本は地震が多いというイメージがあるわ。さきの大震災で不幸にも被害に遭われた方々へ、心からのお悔やみを」
ナターリアは言った。「さきの大震災」とは東日本大震災のことを指す。
あの時、アメリカをはじめ世界中から支援の手が差し伸べられたが、ロシアからも迅速かつ相当の支援を受けたことはあまり知られていない。
震災発生わずか二日後に救助隊の第一陣がロシア極東地区から日本に到着、五日後には医師などを含む一六一名の支援隊が展開し活動を行った。そして八日後には毛布一万七千枚や飲料水などの救援物資が空輸された。これはロシア史上最大の外国への災害支援だという。北方四島からも義捐金の申し出がユジノサハリンスクの在ロシア総領事館に相次いだという。
「あの時のロシアの皆様のお心遣い、本当に感謝しています」
北野は慇懃に礼を述べた。
「そういえば、こちらでも過去に大きな地震に見舞われましたね。その時の被害もかなり深刻だったと聞きましたが」
結城が遠慮がちに尋ねた。これは一九九四年、根室半島沖二〇〇キロを震源に発生した北海道東方沖地震の事だ。「ああ、あの地震か」と老人も頷いた。
日本では釧路市を中心に負傷者や建物に大きな被害が出たものの、死者は出なかった。一方北方四島では地震に加え津波も発生し、択捉島では一一名が犠牲になった。この色丹島でも、倒壊や津波に呑まれたりなどして建物の実に九割が罹災したと伝えられている。ちなみに、その時の北方四島の震度や津波の高さの記録は一切無い。当時のロシアは財政難で、択捉・国後・色丹にそれぞれあった地震観測所は前の年に閉鎖されてしまったからだ。
「あの時は辛かった。家の中は滅茶苦茶。サハリンからの物流も途絶え、多くの人が島を去りました」
そう答えたのはビリュコフ氏だった。
信は尋ねた。
「ビリュコフさんは島から出ていこうとは考えなかったんですか?」
「ニェット」
「何故?」
「私たちが踏ん張って島での生活を良くしなければならないと考えたからです。その甲斐あって、当時大きく減った島の人口は再び増え出し、私たちの生活も当時に比べて随分改善されました」
信は衝撃を受けた。自らの手で生活を良くする。それはまさに地域青年団の発想だ。そしてその発想は自分の住む地域を愛していないと生まれない。
まさかこの島の人からこんな言葉が出るとは思いもよらなかった。この島の人たちは旧ソ連、そしてロシアの国策でこんな極東の果てに図らずも来たのではないのか……?
信は思った。ビリュコフ氏にとって、もうこの島は紛れもなく〝故郷〟なのだ、と。
それから話題は多岐にわたった。信の仕事の話やエレーナの学校の話。余暇は何をしているのかと老人がビリュコフ氏に尋ねると、ビリュコフ氏はもっぱらダーチャと呼ばれる自家菜園での庭いじりだと答えた。逆に老人はナターリアに長寿を讃えられ、その秘訣を問われた。老人は一日三食しっかり食べる事、そしてそのために歯を大切にする事だと説いた。二〇代の頃から朝と毎食後と就寝前に一〇分以上かけて歯を磨くことを習慣にしていると老人が言うと、日本人を含む一同からは感嘆の声が上がった。
信は、島の人たちは生活習慣の違いこそあれ、私たち日本人と変わらない日常を送り、私たちと同じような価値観を持っている、と知った。
しかし、北方領土についてはどうだろう? 和やかな場も、あと少しで予定時間を迎える。このまま、とりとめのない話で盛り上がっている方が余程楽しい。
が、ここに来てからいまだに北方領土の〝ほ〟の字すら話題に上がっていない。場を壊す事を怖れてこの話題を避ける訳にはいかない、と信は意を決してビリュコフ氏に尋ねた。
「今、日本とロシアの間には平和条約が結ばれていません。この事についてどう思われますか?」
「大変不幸な事だと思います」
ビリュコフ氏は即答した。そしてさらに続けた。
「両国の考え方に隔たりがある事は理解しています。政治の話を私たちがとやかく言う事は出来ませんが、問題の解決のために、私たちはお互いに譲歩する必要があると考えます」
譲歩とは具体的に? と信が問おうとする前に老人が口を挟んだ。
「俺は昔この島に住んでいた。仮にだ、俺のような昔島に住んでいた人間が再びこの島に戻って来たとして、俺達と共存できると思うか?」
「ダー」と答えたのはミンスキー氏だ。
「日本人とロシア人、お互いが敬意を持って接し、文化を尊重し合えばそれは可能だ。日本人は優れた技術を有している。私たちはそれらを共有したいといつも思っている」
後は日本人次第だ、とミンスキー氏は言外ににじませているようだった。
老人は無言だった。
「最後の質問さ、あれは島の人間の誰に訊いたって同じような答えだと思うよ」
ビリュコフ氏の家を辞し、他のメンバーと合流するため穴澗に戻る車内で、浮かない顔をしていた信を察したのだろうか、結城は信に話しかけた。
「領土問題は所詮政治の話。他の島民なら『難しい話は分からない』って逃げられるのがオチだ。でもビリュコフはさすが村長だ、よく答えてくれたと思う。」
そうかもしれない、と信は思った。
「じゃあ、あの人が言ってた『譲歩』って何だと思う? それを聞きそびれちゃって……」
信は結城に訊いた。
「一般論として推測すれば、『日本は二島で折り合いをつけろ』って事じゃね?」
「でもそれじゃ、色丹島は日本のものよ? そうなったらビリュコフさんは島を出て行くかしら? あれだけこの島のことを思っている人が」
「出て行くとは限らないんじゃない? 主権が日本であれロシアであれ、この島が自分の故郷であることは変わらない、と」
いささか都合のいい結城の解釈に、信は半ば呆れた。
おそらくビリュコフ氏は四島そのものを諦めるべきだと思っているのではないか。北方四島は第二次世界大戦の結果ロシアのものになった。これはビリュコフ氏に限らず全てのロシア人の共通認識だ。
しかし彼は「お互いに」と言った。そうであるならば、ではロシア側の「譲歩」とは一体何を指すのだろう……?
信が思案していると、先行していた車がハザードランプを点灯して停まった。何事かとこちらも停まると先行車に乗っていた笹木が車を降り走り寄ってきた。
笹木によると、予定ではまっすぐ穴澗に向かう予定なのだが、あの老人がどうしてもイネモシリに寄りたいと言ってきかないという。
「イネモシリってところには、確か明日行く予定でしたよね?」
「はい。この先を左に入るとイネモシリなんですが、行って帰るだけでも一時間はかかります。この後も予定があるので時間がないと言っても、どうしても今日のうちに行きたいと……」
信が訊くと、笹木は困り果てた体で答えた。
イネモシリは島の南側に位置する。信たちは明日そこを訪れ、海岸の視察と、その地に残る旧集落の墓をお参りする予定だ。
何をそんな聞き分けのない事を……と言おうとした信は、〝えとぴりか〟での老人との会話を思い出した。
老人がこの島で住んでいたところは島の南側だったという。そして、イネモシリは今回の行程で唯一訪れる島の南側の地だ。
信は鞄から行程表を取りだし、腕時計と交互に見比べた。この後穴澗に戻り一時間かけて穴澗の商店の視察をし、その後は穴澗にある、日本が人道支援のために建設した発電所を見学する予定だ。
「……私と田丸さんでイネモシリに行きます。他の人は予定通り穴澗に戻って下さい」
驚き、それは困るという笹木に信は続けた。
「穴澗の商店の視察には一時間もかからないと思います。要は、発電所の見学の時間までに穴澗に戻ってくれば問題ないでしょう。それまでならまだ二時間近くあります」
「確かに商店の視察は時間調整の意味あいもあるんですが……」
「おそらく田丸さんは自分がかつて住んでいたところの近くに早く行きたくて、いてもたってもいられなくなったんでしょう。明日行く予定といっても、明日になってみれば本人が体調を崩して行けなくなるかも知れない。ご高齢だから分かりませんよ? ここはやはり元島民の意向を尊重してあげないと」
「それはそうだとしても、なにもアンタまで行く必要ないんじゃない?」
結城が口を挟んだ。
「団長自ら予定外の行動を取るのは確かに問題だけど、田丸さん一人悪者にさせられませんよ」
結局、信と老人、そして笹木がイネモシリに向かうことになった。信は北野と入れ替えに老人の乗る車に乗った。
老人は信と笹木、そしていちばんとばっちりを受けているであろう運転手の島民に、無理を言ってすまん、と詫びた。
道は、穴澗と斜古丹を結ぶ道よりさらに悪路だった。三〇分ほどを要して車はイネモシリに到着した。
イネモシリは湾になっており、沖にいくつも岩礁が見える風光明媚なところだ。海岸にはおびただしい数の昆布が打ち上げられていた。
ここにはロシア人は住んでいない。かつてここに日本人の集落があったとされているがその痕跡は全くなく、付近の雑草で覆い尽くされた高台にひっそりと建つ、日本語で墓銘が刻まれた複数の墓石が、この辺りに日本人が住んでいたことを示すのみだ。
老人は車を降り、海岸へ向かって歩いて行った。信たちはその後に続く。
海辺にたどり着いた老人は、手荷物から小さなガラス瓶を二つ取り出した。中には灰色の粉末が入っている。老人はそれを一つづつガラス瓶から手に取り、勢いよく海に撒いた。
「これは……?」
信が老人に尋ねると、老人は答えた。
「この島で生まれ育った、幼なじみの遺骨だよ。……他の参加者が気味悪がるといけないと思ってね、一人で来させてもらった」
そう言うと、ガラス瓶をしまい、合掌した。
「……手を、合わさせてもらってもいいですか?」
老人は無言だった。信はそれを了承の意味と解釈し、合掌した。
「これで、この島に来た目的の半分は成った」
合掌を解き、独りごつように老人は言った。
「あとの半分は?」
信が尋ねると、老人はしばし沈黙し、そして言った。
「この島に、俺と、奴らの墓を建てることだよ」
この日の日程を終え、信たちは〝えとぴりか〟に戻り食堂で夕食を取っていた。
隣には結城、向かいに笹木が座っている。
どういう成り行きか、結城は今日一日ずっと信にくっついていた。おそらく、他の参加者は結城と年齢が離れているため話が合わないからなのだろう。とはいえ、この男は年齢関係なく誰とでも気さくに話ができそうではあるのだが。今も、結城より一回りは年上であろう笹木と食事をしながら世間話で盛り上がっていた。
「そういえば、この後の予定は就寝まで何にも無いんですよね。せっかく来たんだから夜もロシア人と交流できるようにすれば良かったのに」
結城は笹木に尋ねると、笹木は「実は……」と裏話を披露し始めた。
夕食の後、田丸氏に〝島の語り部〟として当時の色丹島の様子を講演してもらう予定だった。ところが田丸氏にその旨を伝えると、田丸氏は「辛い思い出しかないから話したくない」と固辞したという。
「それを早く言って下さいよぉ」
信は結城と笹木の話に割って入った。
「私、聞きたい。当時の島の話を。そういう事なら、さっきイネモシリに行く時バーターで使えたのに」
「ああ、予定を変更してイネモシリに行く代わりに夜講演を……って事?」
結城が言うと、信は「そう」と頷いた。
「したたかな女だな」
「うるさいわね」
「辛い話ってんだから、それはおそらく島を追われた時の話だよ。今田丸翁は九一歳だから……ソ連軍の侵攻があった当時は二十歳くらいか。かなり鮮明に覚えているんだろうな」
北方領土の元島民で〝語り部〟として後世に伝えるべく当時の島の様子を精力的に講演をする人も少なくない。信も、〝語り部〟の話を聞く機会はこれまで幾度とあった。
ソ連兵の監視の目をかいくぐりながら命からがら島を脱出した話。内地への強制送還命令を受け、経由地であるサハリンの収容所に抑留され過酷な収容所生活を余儀なくされた話等々、生まれ育った土地を泣く泣く離れざるを得なかった、全ての元島民が持つ体験。確かに、思い出すのも辛い話かも知れない。それでも、そんな元島民の無念を今を生きる私たちは共有するべきではないか。
「ちょっと後出しジャンケンっぽいけど、とりあえず私交渉してみる」
信は食事もそこそこに、少し離れたところで北野と食事をとっている老人のところへ駆け寄った。
「そりゃあフェアじゃねぇな。そういう事は行く前に言わないと」
信の要請に、老人は眉をひそめた。
「うう……ゴメンなさい。私も今聞いた話なので」
ここは信も謝るしかなかった。
「あの、嫌な話は無理にしなくても構いません。でも、私知りたいんです。当時の島でどういう生活をしていたのか。それに、イネモシリで言っていた幼なじみの方の話とか」
「あの島、見たろ? 何にもない。昔も今も一緒だ。そんな島の昔話なんて、若い連中は興味ないだろ」
「なにも若い人にウケる話をしてほしいなんて言ってません。脚色抜きで、ありのままの姿を語って欲しいんです。北対協が〝後継者訪問〟を企画したのは、若い人に興味を持ってもらう機会を増やすのがねらいです。ですから是非」
信も食い下がる。
「参ったな……北野さん、どうする?」
老人は北野に振った。
「私にどうこう言う筋合いはありません。でも、私も後学のために田丸さんの話を聞きたいとは思います」
「ですよね!」
信も北野に応じた。
「……わかった。若い娘にそこまで言われちゃ無下にも出来ない。でもこれが最初で最後だ」
「ありがとうございます!」
信は体を深く折り、笹木らに振り返ると親指を立て右腕を突き出した。
午後八時。参加者は食堂に集まった。
講演は老人の意向で、演台に立って行うのではなく、テーブルに着席した老人を囲むように各自座り話を聞くという座談会のような形式になった。
「最初に言っておく。あんまり面白い話じゃないから期待しないで欲しい。それに、講演なんてしたこともないから聞き苦しいところもあるだろう」
開口一番、老人はそう言った。
「今日みんなが見た通り、色丹島は小さな、何にも無い島だ。そこに俺たちは生まれたんだ――」