1-4-26-2 【桜瀬七波】 世界は、斯く在れと 2
七波「作家……? 作家……だよね……?」
信じたくなくて。
あたしは思わず、震えた声でそんな事を聞く。
その姿、その体から発するものが、あたしの祈りを片っ端から打ち砕いているというのに。
フレイバーン「……ふざ……けんじゃあぁ……」
七波「んぐっ!?」
容赦なく、胸倉をつかまれる。
浮き上がる感じがあって……
振り回されて……!
七波「……ぃっ……!?」
フレイバーン「……ねェぞぉぁぁあああああっ!!!!!」
七波「……っっっ!!!?」
時間にして数瞬などという言葉ですらない、あまりに刹那の時間だったと思う。
あたしは宙を飛んでいた。
さっき同じような格好で、地面に叩きつけられた警官を見たけど、
今度のあたしは、本当に野球のボールのように
投げられていた。
なんで?
どうして?
あいつは、あの装置に封印されたんだよね?
ゲフリーさんがまた嘘をついたの?
ううん、そんなこと無い……!
さっき詩遥ちゃんと一緒にやられてた……嘘をつく理由が無い……!
そういえば……アレは実験の過程で造ったって言ってた。
じゃあ……アレは……失敗作だっ――
――がしゃああああああっ!!!!
七波「……ぇあっ!!!?」
その音は色んな音が交じり合った音だった。
あたしは、パトカーのドアに叩きつけられていた。
金属が凹む音。
ガラスが割れる音。
そして……あたしの全身が砕けるかのような音が、頭の中で響く……!
七波「あぅぐっ……!? あっ……かはっ……あっ……あっ……!!」
――ずるずると、あたしは自分が作ったドアの凹みを、滑り落ちた。
あまりの衝撃で、息の仕方が分からなくなる。
息を吸ったのか、それとも吐き切った後なのか。
これから息を吸わなければならないのか、吐かなければいけないのか。
その何も分からない状況に、目が宙を泳ぎながら、体ががくがくと震えて……そして……!
七波「んんっ……んんんっ!? ……んげぁはっ!!?」
体の奥から、あたしの意思などお構いなしに吐き出される苦汁。
七波「ん、ぃっ……あっ……かはっ……あっ……あぁっ……!? あああああああっ!!!?」
そこであたしは、ようやく体に凄まじい痛みが駆け巡っていることに気付いた。
体を前に倒していられない。
でも、背骨でうまく体を支えてもいられない。
とどのつまり――どんな格好でも痛みが引かない。
全身に痺れが混じり、精神が痛みに侵されるように、胃が再び逆流しそうな不快感がねっとりとあたしにまとわり付く。
辛うじて背中を、叩き付けられたパトカーに預けて、びくびくと体を震わせることしか出来なかった。
良くアニメとかで、敵に吹き飛ばされて壁に叩き付けられた後に、また敵に向かってくとか言うシーンあるけど……アレ無理だろ……!
どうやら背中だけだったから、後頭部を打ち付けることは無かったけど……首が後ろに飛んでいきそうだった……。
こんなの……立ちあがるなんて……考えられないじゃないか……っ!
かしゃり……
かしゃり……
七波「あっ……あっ……」
悪夢の夜――あの日を思い出す、その音。
それを聞くあたしは、ただ譫言のような呻き声を、口から垂れ流す事しかできなくて。
フレイバーン「寝ぼ……けるなよ……ガキ……。何だ今の……マジで死ぬかと思ったぞ……!?」
憎々しげな声があたしの耳に届く。
今気付いたが、目もおかしくなって周囲が二重に見えていたようで……それが今、どうにか一つに戻る。
でも、元に戻ることが正しいことかどうか、分からなくて。
七波「なんっ……んぐぅっ!? ……んぃ、ぁっ……はっ……なん、でっ……!」
しゃべるだけでも、とてつもない痛みを伴う。
でも、何も知らないままでいる事が怖くて、あたしは無理やりにでも声を出す。
フレイバーン「あぁ?」
七波「なん……で、へいき、なの……?」
フレイバーン「平気なワケあるかよ、ボケがっ! とんでもねぇ電流ブチかましてくれやがって……」
苛立ったように声を上げるフレイバーン。
でも……あたしの目的は……。
七波「ふたつの、せいしんを……ぶんりできる、はずだった、のに……」
フレイバーン「ぁ? ……ああ。……あぁあぁ! アレはそういう奴だったのか! はっ……ぅははははっ!」
合点が行ったという声を、嘲笑めいた笑いと共に吐き出すフレイバーン。
フレイバーン「俺を精神寄生体だって知ってるってワケか。ゲフリーレンの入れ知恵か? ……けどよ、残念だったなぁ! ――分離って事は」
赤い目をあたしに捻じ込むように顔を寄せてきて。
フレイバーン「『二つの精神』があればって事だろ?」
七波「……え?」
……何……?
フレイバーン「もう、ねーよ」
七波「な、にが……!?」
フレイバーン「この体のよぉ……元の精神はぁぁぁ……」
こんこんと頭を指さして。
フレイバーン「俺が殺してから入ったんだから、残ってるわけねぇよなぁ!?」
七波「……っ……!?」
ゲフリーさんの情報が……勘違いだったって事……?
ううん、そんなことよりも……!
七波「……しん……だの……?」
作家が……?
しんだ……?
殺された?
こいつに……こいつに……!
フレイバーン「ま、俺が寄生するってのは、そういう事だからよ。この体は、今は俺だけのモンだ」
うそ……だ……うそだっ……!
フレイバーン「……ガキ。テメーみてーなこんな未開の田舎惑星の人間にはわからねー事だろうが、ゲフリーレンってのはそりゃあ悪いヤローなのさ。俺がちゃんと『逮捕』してやらなきゃだろ?」
ひょうひょうと言い放つフレイバーンに、あたしはふつふつと湧き上がる怒りがあって。
七波「そのために、あんたはっ……誰かが……犠牲に、なってもっ……!」
フレイバーン「テメェの知ったことかよっ!」
七波「……あぅぐっ!?」
肩の辺りを蹴り飛ばされ、あたしの体は再び車のドアに押し付けられて、ドアの凹みに沈み込む。
七波「んぁっ……!!? あ、あくぁっ……!!」
気を失いそうなほどに……痛いよぅ……!
そんなあたしの意識を辛うじて繋ぎとめるのは――
フレイバーン「60億もいるこの星の原住民の一人二人の犠牲で、宇宙の大罪人が捕まるなら安いもんだってんだよ! そんで……ひひひっ……これでようやく俺の評価も報奨金も安泰って話だ」
七波「……ひょう、か……? 報奨、金……!?」
目の前の存在へ向ける感情一つ――そんな……物のために……っ……!
ぎりりっ、と力を込めた奥歯の噛み合わせが、痛みの全てを痺れさせる……!
フレイバーン「さーてぇ……?」
ふと、フレイバーンが手にしていた銃のグリップの辺りにあるウィンドウをいじる。
そして……その銃口を……。
七波「っ……!」
フレイバーン「人の事、大分舐めてくれたよなぁ……? まぁ、手ェかけたのは、この星の人間二人に、あー……一人は腕溶かしただけか。俺にしちゃ我慢した方だな、ははっ」
七波「なん……だと……!?」
フレイバーン「睨むのはいいけどよ、覚悟は出来てんだろ? な?」
かたかたと震えながら、顔を上げる。
その震えは、怯えなんかじゃない……!
……覚悟なんて……できるかっ……そんなの……できるわけあるかっ!!
七波「ふざけんな……っ! なんでだっ……なんで、あんたなんかに……」
零れそうになるものを必死に押し留め、そして……
七波「作家が……殺されなきゃ……! 咲子が夢を奪われなきゃっ!!」
痛みを耐えて、握り拳を固める。
フレイバーン「ゆめェ? この星の人間はまだそんなゴミみてーな感情にしがみついてんのか。そんなおめでてーから、ぼろっと蒸発するんだな、はははっ!」
七波「ぎっ……!!」
許さない……!
笑った……咲子の、夢をっ……こいつは奪うに飽き足らず……笑ったっ……!!
七波「あん……たはぁっ!!」
フレイバーン「それによ……はぁ……もう一個、全く分からねぇんだが」
フレイバーンは至極面倒くさそうに、人差し指でまた頭をコツコツとノックして。
フレイバーン「なんでテメーがそんなにこの体の奴の事を気にすんだ、あぁ?」
七波「そんなのはぁっ!!」
そんなの……その体が……!
七波(……。えっ……?)
ふと、その言葉で。
あたしの茹っていた脳に、あたしの内側にある様々な記憶が溢れ返り始める。
特に引っかかっていた言葉たちが頭の中に残り――
そのフレイバーンの言葉と結びついて、
おぼろげながら『ある事実』をあたしに告げた……。
七波「く……ぅっ……!」
フレイバーン「……あ?」
あたしは歯を食いしばり、もう一度痛みをこらえて、突きつけられていたフレイバーンの銃を握り締める。
フレイバーン「……何のマネだ?」
七波「ぐくっ……くっ……くぅぅっ……!!」
あたしはその銃口を、必死に逸らそうとする。
まだ、死ねない。……死にたくないっ……!
頭の中にヘンな靄がかかってる。多分、まだはっきりしていないことがあるんだ。
だからこそ、確認しなくちゃ……それを、するまではっ……!
フレイバーン「はっ……くははっ! ……オラ、しっかりずらさねェと、引き金引いちまうぜ?」
七波「ぅっ……くぅぅぅぅっ……!!!」
全然動かない。
ダメージのせいなのか、あたしが非力なせいなのか、分からない。
でも、抵抗できない事が――力に屈する事が、こんなにも悔しいと感じた事はない……!
何も抵抗できない……
何も……できない……なんて……
七波(どう……して……どうして、また……!)
あたしは、あたしの手から……零れ落ちるものを拾い上げる事が、できないんだろう……!
悔しい……悔しいよぅっ……!
絶対にしないと決めていた『それ』が……心の奥からあふれ出しそうになって……。
フレイバーン「ま、いつまでも遊んでられねぇか」
フレイバーンは、ぶんっ、と腕を振り上げてあたしを振り払う。
七波「……あうっ!」
地べたに這いつくばるあたし。
フレイバーン「感謝はしてるぜ? ゲフリーレンのトコまで連れてきてくれたことにはな。だから――用済みだ」
銃口が、改めてあたしに定められて――
フレイバーン「死ね」
引き金が引かれ――
――ガギィィィッ!!!
硬いものが、ぶつかり合う音。
七波(……分か……った……!)
――それが。
あたしの頭の中に掛かっていた靄を、取り払うかのようだった。




