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猛火のスペクトラム  作者: 雪乃府宏明
第1幕第1部
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1-1-4 【桜瀬七波】 生の瞬き、内に淀む死

 隠れてやり過ごすという選択肢はある。

 複雑に入り組んでいるだけあって、隠れられそうな場所は何度か視線の端に映り込むことはあった。


 だけど、あたしはその選択肢を選ばない。いや、選べなかった。


 暗がりを湛えたその場所の向こうが伺えない。


 その場所は本当に安全なのか? その場所は『あいつ』からあたしの姿をくらます事ができるのか?

 そして何より、『隠れて身動ぎせずにやりすごす』という行為が、心のどこかで『追い込まれる』という言葉に結びついて、走る事からそっちに考えがシフトしてくれない。



 もう一つ、理由がある。


 立ち止まれないんだ。


 立ち止まった瞬間、『あいつ』が背中から猛然と追い付いてきたら、あたしには何一つなす術がないだろう事は想像に難くない。


 ここまで、走り続けた。状況に反して、足はそろそろ笑いだしそうだった。

 だけど、振り返る事も出来ない。



 記憶がまた、脳内でザッピングを起こす。

 自分の姿が、あの肉塊と化した姿と重なってしまう。


 怖い。


 ただただ、怖い……!


 自分がこんなに臆病な人間だとは思わなかった。普段は去勢張って、気に入らない事には遠慮会釈なくかみつく性格のはずなのに。


 だが、その逃亡劇にも終わりがやってきたかに見えた。


七波「……っ……!? うそ……嘘っ!?」


 ……最悪の形で。



 そこは袋小路だった。


 ビルとビルの間に飛び込んで、ビルの裏側を抜けようとした。もしも『あいつ』があたしを今も後ろから追いかけてきているなら、四角いビルとぐるりと回りこめば、やり過ごすようにメインストリートへの道へ引き返せると踏んだのに……!


 高台を削って広い水平な土地を作っているこの場所。ビルの背面はほぼ直角に削り取られた壁面で、優に5m近くある。とても上れるように出来ていない。


 そして左右はビルのフェンスと塀。こっちも防犯という己の役割を見事に果たすべく、あたしの侵入を拒むだけの高さを携えていた。



 かしゃり……かしゃり……



七波「っ……!!」


 びくりと震える。

 その音はまだ遠く、小さいが、あたしを震撼させるのに十分だった。

 間違いなくあたしを追いかけてきている『あいつ』。


 このままじゃ……このままじゃっ……!!


七波「くっ……!」


 ふと、気づく。


 左側のビル。

 その塀となっている一部分が、くぼんでいるのが暗がりの中で見て取れた。……どうやらビルの通用口になっているらしい。

 迷わずあたしはそこへ飛び込んだ。


 ……そこは少し塀から奥まった場所、3mぐらい先に鉄製のドアがある。


 ドアへ駆け寄る。


 一縷の望みを託して――ドアノブを回す……!



七波「んんっ……!」




 ……回らない。




 当然のように、休日のビルのドアにはカギがかけられ、あたしという外部からの侵入を拒む。


七波「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」


 もう、ここへ入ってきた通りには戻れない。絶対に『あいつ』と鉢合わせになる……!


 その予想が間違いであったとしても、あたしはもう、この狭い3m四方の空間から一歩も出ることはできなかった。


 ……周囲を見回す。

 この位置から通りは見えない。


 つまり、今のこの状況ではそこが唯一の身を隠せる場所。

 通り側の壁に体を押し付けるようにして、身を小さくしていれば……なんとか……!


 かしゃり……かしゃり……


 考えている暇はなかった。

 あたしはその音に押し込まれるように、その通用口の入り口の壁に身を押し付ける……!


 ……。


 ……。




 かしゃり……かしゃり……




 息を……


 殺す……。




 かしゃり……かしゃり……




 少しでも……


 別の何かに見えるように……。




 かしゃり……かしゃり……




 顔を伏せて……


 小さく……


 小さくなる……。




 かしゃり……かしゃり……




 まるで生まれる前の……


 胎児のように……。




 かしゃり……かしゃり……




 でも……




 かしゃり……かしゃり……




 その姿のまま……




 かしゃり……かしゃり……




 生まれる前の姿のまま……




 かしゃり……かしゃり……




 あたしはこのまま死んでしまうかもしれなくて。




 かしゃり……かしゃり……




 ……ぞくり。




七波「ひ……ひっ……!」




 ……無理だ。


 無理だ。


 無理だ無理だ無理だ無理だ……!


 とてもじゃないけど、身を隠せてるなんて思えない……!!


 『あいつ』が首をこちらの傾ければ、そこにあたしはいる……!

 こんなの隠れられてるわけがない、見つからないわけがない……!!


 恐怖で、頭がおかしくなりそうだった。

 がたがたと膝が震えて、その振動は全身を駆け巡る。


七波「とまって……とまって、止まって止まって止まって……!!」


 『あいつ』が迫っているのに――お構いなく声をあげて膝に命令する。この状況で大きな声を張り上げる度胸なんてないはずだから、きっと小さかった事だろう。

 でもそれは、辺りに響かんばかりの声に感じられた。


 そして、心音がやかましく鼓動する。走っている時なんて比べ物にならないくらいに、ばくばくと、耳をつんざくんじゃないかと感じられるぐらいの心臓の音。


七波「とまって……! 止まれっ、止まれ止まれ止まれっ……!!」


 もう、それが何を意味するかなんて考えられるわけがない。

 いっそ、このまま止まってしまえば、この恐怖から解放されるかもしれない……死ねば……死んじゃえば、そうだ、このまま、パッてここから出ちゃえば……!!




 ィィィィィィィィィ……!!




 瞬間。


 目の前が真っ白になるような、そんな感覚。




 あ……れ……? これ……って……?




 ……不意に。


七波「……んぐふっっ……!!」


 あたしはそれに目を白黒させるしかなかった。

 もっと心臓が弱かったら、その時のあまりの衝撃で本当に心臓が止まっていたかもしれない。


 後ろから、口元を押さえつけられて、引き倒された……!


七波「んんーっ……!!? んんんんっーーーーっ!!!」


 気付かなかった。『後ろに誰かがいた』……!


 それを振りほどこうと激しく身動ぎするが、お腹辺りに腕を回され、左手は手首をしっかりと握られて、右手はがっちりと体ごとその腕にホールドされて、動きを拘束される。


 『誰か』の体の上に全身が乗り、足は完全に宙に浮く。カリッ……カリッ……とローファーのかかとが地面を僅かに削るのみ……。


七波(もう……もうイヤだよ……! なに……何なんだよぅコレっ!!)


 世界の全てがあたしの敵なんじゃないかって思えるほど恐怖し、そして……それを越える悲しみが体の奥から溢れてくるかのようだった。


七波(お兄ちゃん……! 咲子……みんなっ……)


 親しい人たちの顔が浮かぶ。

 戻りたい……みんなの所に……帰りたい……!


 帰して……! 帰し――



??「……じっとしていろ」


七波「……っ……!?」



 後ろから、ささやきかけられる。

 低い男の声で。

 

 男は『じっとしていろ』という言葉で、あたしの動きを止めようとした。


 命令口調だ。

 でも、その言葉には、この場においてあたしだけをどうにかしようという色は含まれていなかった。それなら『動くな』という一方的な命令口調であるはずだから。


 男は『じっとしていろ』と言った。それは自分にも危機が及んでいて、あたしと同じ危機を乗り越えようという言葉に受け取れた。


 だからあたしは――心臓の鼓動は変わることはなかったが――ふと気が付けば、男の拘束からもがき抜け出そうという試みをやめていた。


 諦めだったのかもしれない。男の行為を信じたのかもしれない。

 振り返ってみても、この時の自分の真意は測れない。


 かしゃり……かしゃり……


 混乱で気が付かなかったが、その音は、もうすぐそこまで迫っていた。

 この袋小路にすでに侵入している……数秒とせず、この通用口の前を通って……!


 かしゃり……かしゃり……!




 かしゃりっ!




七波「……っ……!!」


 そいつが、こちらへその目を向けて、更に何かをこちらに突き付けてきた。


 黒い、影。赤い双眸。いや……赤く、光っている。

 ……はっきりとは見えないが、全身黒い姿であることは間違いなく、丸みを帯びた甲冑のようだった。


 そいつが。


 こちらを……。




 ……いや……?




 その体はこちらに確かに向いている。

 でも、その目らしき光は、あたしに向けられてはいない。

 冷静に考えて、羽交い絞めにされている女子高生と男が、この近距離で二人で仰向けに寝転がっていれば、どう考えたってそれを見るだろう。




 だけど。




 見えていない。




 『こいつ』はあたしたちを見ていない。




 通用口という、道の壁の窪みとなるこの場所に、当然のように視線を向けて、少しだけ――しかし隈なく見据えた、


 その時。




 がたごとっ!




 袋小路の奥……!?


 七波(っ……!?)


 ???「っ……!?」


 あり得ないとは思っていたものの、多分それは、『そいつ』とあたしの心がシンクロした瞬間だったろう。

 『そいつ』は袋小路の奥へと視線を向けて、その手にしていたものを向ける。

 撃ち出される光線体。


 それが袋小路の奥で変化したのか、ばしゃりっ、と音を立て、液体がまき散らされる音が響く。



 にゃあああああぁぁぁぁぁっ!!



 七波(……っ!!)


 ネコ……!?

 その甲高い声が周囲に響いて、あたしは身を竦ませた。


 ……道の奥から、しゅうしゅうという音がわずかに聞こえる。

 それは、今のあたしにとって、あまりに不快な音。

 ……ネコにだって、『あんなこと』にはなってほしくない。

 どうなったろう……一体……。


 確かめたい一心だったが、今のあたしが、それをさせてもらえる状況にあろうはずがなく。


 塞がれたままの口で小さく、小さく呼吸。

 音が、しないように。


 だけど、その試みは人の呼吸という営みと反するもので、逆に息は上がっていく。

 息が……次第に……苦しくなって……!




???「……」




 でも。


 『そいつ』は袋小路に入念に視線を送った後、そこが行き止まりであると把握できたらしく、ゆっくりと踵を返し、道を出ていった。

 かしゃり……かしゃり……という音が遠のいていく……。


??「ノクトビジョン……だけか……? サーマルセンサーの使用ぐらいは、ある程度覚悟していたが……」


七波「……」


??「素人ではないはず……しかしあのステルラスーツが新型だとすれば……」


七波「……んんっ……」


??「いや……『奴』が俺を追ってきたことに間違いはない。あれはやはり例の特捜……」


七波「……んんぁまっ! はーなせってのッ!!」


 あたしは強引に、何事かぶつくさ始めた男の腕を振り払って、男から距離を取る。……あくまでもこそこそ声でだ。

 振り返って片膝をついて、そこを見る。


??「……」


 男は、そこにいた。




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