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猛火のスペクトラム  作者: 雪乃府宏明
第1幕第3部
35/88

1-3-18-5 【桜瀬七波】 Nadiaの導き 5

 あたしは一つ深呼吸をして、ゆっくりと体を起こす。


 ぼうっとした頭は、ここがどこかを把握するところから活動を再開した。

 ……もふりと手を置いた場所が、柔らかな反動を返してくる。


七波「……。……ああ、そうか……」


 確か、頭はここを、上与野城のスポーツジムと認識したハズ。

 そしてあたしはどうも、そのジムの休憩室か何かのソファに寝かされていたらしい。


??「大丈夫? まだぼんやりしてるみたいだけど」


 声のする方へと顔を向けると、次第に焦点が定まってくる。

 そして顔を上げたところで、やっとその人の姿を捉える事が出来た。


七波「……萌唯もい、さん」


萌唯「ん、少し意識がはっきりしてきたかな」


七波「……。……まぁね」


 ぼんやりと、あたしを覗き込んでくるその人を見つめて、曖昧な声を返す。


 譜治光ふじみつ萌唯もいさん。


 メガネをかけた、知的な印象の切れ長の目の美人。

 もう、それだけで、大体の男はこの人が横を通れば振り返るだろう。


 すらっと背も高くてスタイルも申し分ない現役女子大生。

 この人も穂積の常連だ。暇を見てコーヒーを飲みに来る。まぁ……『目的』は別にあったりもするんだろうが。


 今日の格好は、下は黒のスラックスに、上は黒とド黄色が幾何学的に組み合わさった模様のポロシャツだった。

 この格好は、普段着というより……。


七波「……あれ……萌唯さん、ここの人なの……?」


萌唯「ああ、事務のバイトよ。ジムの事務のバイト」


七波「……」


萌唯「ジムの事務のバイト」


七波「聞こえてるよっ!」


萌唯「疲れた顔しないでくれる?」


七波「何と言いますか、めんどくせぇんで」


 あとフツーに疲れてますんで。

 いつものさらっと出てくるオヤジギャグの相手は勘弁していただきたい。


 ……そうだよね、その服装はここのユニフォームだよね。

 あんまりこの人が、こう言う所で汗水たらしてトレーニングしてるイメージがないから、それならこの場にいるのは理解できる。……まぁ、この人のプライベートなんて知らないから、してたって構わないわけだけど。


萌唯「で……七波ちゃん、どうしたの?」


七波「……何が?」


萌唯「うん、どうして男子更衣室から出てきたのかなって」


七波「……あぁ。……うーん……」


 状況を思い出した。むくつけき男たちの裸体と一緒に。


 ……できれば何事もないなら、さっさとこの人の前はバイバイしてしまいたいトコなんだけど、流石に倒れてここに担ぎ込んでもらって、何でもない、ハイさよーならはできないかなーと。


 ……とはいえ。


七波「……困った事に、その問いには恐らく正しく答える事ができないと思う」


萌唯「性の目覚めとか」


七波「んなわきゃねーわ、とっくに目覚めてるわっ!! そりゃ興味深いモノを大変ありがたく伺ったワケだけど、あたし的にはそんな簡単だったら苦労しな……!」


 ……。


 ……あー……。でも……


七波「……でも……そう考えてもらった方がいいのかなー……」


萌唯「え……?」


 別に誰かを傷付けたわけじゃなし(お金払わずに有料施設に入ったと言うのはあるが)、説明されずにもやもやされるってんなら、ある程度でも『あり得ること』で納得して貰えればそれでいいはずだ。

 ……まぁ、今の萌唯さんのは全力却下だが。


 でも、それで終わらせたら、多分、色々終了って話で。


 萌唯さんだけじゃなくて、あたしにも知りたい事は山のようにあるんだから。


七波「えと……更衣室にいた人たちって、何かあたしの事言ってなかった?」


萌唯「……そういう言い回しになるって事は、更衣室に入っていったのは意識してやった事じゃないって事なのかな」


七波「……」


 ……この人のこう言う人を見透かした様なトコは好きになれない。


萌唯「でも……ただの無意識って感じでもないわね。だってお客さんみんな、口を揃えて言うのよ」


七波「なんて?」




萌唯「七波ちゃんみたいな女の子が入ってきたら、絶対に誰か気付くはずだと思うのに、誰一人それに気づかなかったって」




七波「……」


 ……なるほど。


七波「……みんながあたしに気付いたのは、どのタイミング?」


萌唯「気付いたって言うか……気が付いたら七波ちゃんが更衣室の真ん中に立ってたって話。人によってはフッと現れた、なんて言ってた人もいたかな」


七波「……そうなんだ……」


 あたしはあの空間に、食堂街の小道から入って、ふらふらと歩き回った。

 そしてその後、あのクレシダに導かれて、更に歩いてから『サインアウト』した。


 つまり……あたしはあの空間にいた間は、誰にも見えなかったって事なんじゃないだろうか?

 って事は、あの『Nadia』とかいうシステムを使うと、一時的にこの世界から、あの空間に『行く』と言う認識が正しいんだろうと思われる。


 しかも壁抜けしちゃうとか。

 光の線で町は描かれてたけど、そう言うのも無視できちゃうって事?

 ……明日、銀行強盗しちゃおっかな……。……強盗じゃないな、押し入ったりするわけじゃないし。じゃ、ただの泥棒か。……銀行泥棒ってしっくりこないなー……。


 ……まぁ、そんなのはさておき、そんな事ができる空間を作れるのは……。


 ……。


 ……あたしは地球人じゃないと思うんじゃが……。


七波「萌唯さん、ごめん。あたしの事気遣ってくれるなら、あたしの事を夢遊病患者にしといてもらってもいい?」


萌唯「え……ああ、うん……え、夢遊病患者?」


 二度見の萌唯さん。


七波「うん。納得できないのは分かるんだけど。さっきも言った通り、ちゃんと説明しても今は理解してもらえないと思うから、もし誰かに何か聞かれたら、ごめんけど、それでオナシャス」


萌唯「……七波ちゃんがそれでいいって言うなら、適当に説明しとくけど」


七波「ありがと」


 温か味なんかこれっぱかしも感じられない声を、わざと発して淡々と言葉を紡ぐ。

 ……ヤな女の子になってるのは知ってる。萌唯さんの優しさに甘えてるのは自分でも理解してる。


 でも。



 この人が『かつてした事』。



 それを振り返ると、あたしはこの人をどうしても好きになれないんだ。

 バカだから、色んなものを分別して考える事ができない。


七波「……あれ、外暗い? 何時だろ?」


 ふと見た休憩室の窓の外はもう真っ暗だ。


萌唯「ああ、5時……違う、もう6時過ぎてる。私も気付かなかったわ、6時半だって」


七波「……まじで!? 咲子が来ちゃう!」


萌唯「帰るの? 一人で大丈夫?」


七波「ご心配恐縮! でももう大丈夫。萌唯さん、色々ありがとう」


萌唯「……出来れば一人で帰したくないんだけど」


七波「広い通り通っていくから大丈夫だって」


萌唯「そうじゃなくて」


七波「何」


 と、萌唯さんが少し心配そうな顔で窓の外を見つめながら。




萌唯「あのね、さっき警察が向こうの食堂街の廃ビルに集まってたのよ。なんか不審者がうろついてる可能性があるって」




七波「……っ!?」




 ZASAZAZAZAZAZAAAAA!!


『――!!』


 ――ZAZAZAAAAA!!!




七波「そ、それで……!?」


萌唯「うん、多分、今もまだ捕まってないみたいだから……女の子一人で暗い道は私も心配で」


七波「……」


 あの時。

 ドタバタと『あいつ』のいたトコの奥の方からした音は、その警察が廃ビルに入り込んでくる音だったんじゃないだろうか?

 とすれば、多分……あの警察官の死体は、警察に発見されただろう。その場にいた『あいつ』は逃げちゃったのか……。


 『あいつ』が、警察と鉢合わせになったら、一体どういう事になるだろう。

 それは少し……あたしの期待する展開ではあるんだけど……。


萌唯「……やっぱり心配だな、私も一緒に……」


七波「……大丈夫だから。人の多い通りから商店街抜けてけば、危ないトコはないって」


 最も、今の『あいつ』なら、そういうトコに見境なく表れないとも限らないわけだけど。

 とにもかくにもあたしは荷物をひっつかんで、萌唯さんを押し留めるように立ち上がる。


萌唯「……。一応、穂積には電話しとくわ。……みんなに宜しくね」


七波「ありがと。じゃ」


 そんなそっけない素振り……萌唯さんは明らかに好意で言ってくれてるのに、ロクでもないガキだな、あたしも……。

 萌唯さんも、あたしが萌唯さんの事、嫌ってる事は気付いてるから、あたしに無理強いはしようとしなかった。


 ただ、今……『あいつ』の顔を知ってるあたしの傍にいたら、逆に危険なのは萌唯さんじゃないかとも考えてるんだ。


 だからあたしは一人で、とにかく危険の少ない道を選んで、穂積に帰るしかない。




 4時には帰る予定だったのに……完全に失敗した。


 とは言え、もう後の祭り。

 あたしは萌唯さんにチラッと顔を向け、軽く手を振ると、そのまま休憩室を飛び出した。




 ……少し、焦ってる。色んな事情で。




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