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猛火のスペクトラム  作者: 雪乃府宏明
第1幕第2部
21/88

1-2-14 【桜瀬七波】 手を携えて

 退院お知らせの突発イベントは、みんなのおかげで全てのドーナツを無事に配り終え、盛況の内に幕を閉じた。

 とりあえず自分の元気な姿を見せる事が出来て、心配をかけちゃった近所の人たちに、少しは謝ることができたかなと思う。


咲子「……でも、ここ来て安心したかもしれへんな」


 微笑みながら、穂積のテーブル席の一つに腰を掛けた咲子が、コーヒーの乗ったお盆を持ってやってきたあたしに言う。


七波「ん? あたしの元気なトコ見て?」


咲子「それもあるけど……退院早々、あんな周りを巻き込んでイベントやってまうんやもん。そらウチも大袈裟や言われてまうなぁ、思うてな」


七波「ゴメンゴメン。……咲子は絶対、心配してるとは思ってたんだ。でも……さ、まぁ……照れくさくて」


咲子「ふふ……ナナちゃんらしいで」


 二人で笑い合う。

 どっちかというとほんわかな性格のせいだからか、咲子の柔らかな京弁は相変わらずホッとする。


 ジャグラーやムジカたちは、咲子とゆっくり話ができるように後片付けを買って出てくれた。……うん、ここは素直に感謝だね。


七波「ハイ、咲子」


 と、あたしはミルクをたっぷり入れたお兄ちゃん特製のコーヒーと、ミスドのドーナツを皿に乗せて咲子の前に差し出した。


咲子「わぁ、ハニーディップや」


七波「莉々菜ちゃんのお見舞い。さっきのイベントの前にみんなで食べたんだよ」


咲子「せやったんか」


 ちなみに我が癒し、莉々菜ちゃんはお母さんが早く帰ってこれそうという連絡を受けて、帰っていった。いつもはウチを信頼してくれて、八時ぐらいまでここで宿題やって帰ったりもしてる。


七波「咲子、あっためたの好きだったもんね」


咲子「さすがやね、分かってはるわぁ」


 ハニーディップはレンジで温めると柔らかくなって、更に上のグレーズが、あまぁくとろける。フレンチクルーラーも可。結構有名なネタだけど、やった事ない人は一度ぜひお試しあれ。


 咲子は満足そうにハニーディップを口に運び、一口。

 小さな口に収まったドーナツを、もくもくと食べて、今度はコーヒーを一口。


咲子「ふぁ……。……ふふ、心配で一杯やった頭も、やっと一心地、言う感じやな」


七波「そら良かった」


 あたしは自分のコーヒーをテーブルに置きながら、咲子の前の席に腰を掛けた。

 こっちのコーヒーにも砂糖は入れず、ミルクたっぷり。

 あたしと咲子とはコーヒーの好きな味とか、入れるものとか、趣味が割と似てるんだよね。


咲子「ね、ナナちゃん」


七波「ん?」


 少し、躊躇いがちに。


咲子「……何が、あったんかな?」


 でも、ストレートに咲子は聞いてくる。


七波「ん、まぁ……そうなるよね」


 ……その問いかけに、あたしは少し苦笑いを浮かべてたと思うけど。


咲子「あー……」


七波「え?」


咲子「……言いにくい?」


七波「……んー……」


 さすが良く分かってる。

 嬉しい事に、それが付き合いの長い友達の勘という奴だ。


 ただ……さっきのあんな心配のされようでは、正直、まんまあの夜の事を話すのは憚られるというもので。


咲子「人治郎さんは、疲れて倒れたー言うて説明してくれたけど」


七波「うん。でもンなわけないのは……」


咲子「せやね、文化祭の準備かて――休みの日に出た言うたかて、まだ追い込み言う程、切羽詰まってへんし」


 咲子は、つっ……とコーヒーを口に含ませる。

 そして、にまーっと笑って。


咲子「まぁ、ウチもナナちゃんの体の全てを知ってるわけやないさかいに……? 体の隅々まで? 奥の奥まで調べさせてくれるんやったら信じるけど……?」


七波「メガネ光らせながら微エロ発言やめぃ。そんな事せんでも、咲子のお察しの通りだっての」


咲子「やっぱり」


七波「……うーんと」


 あたしは悩む。


 ……困ったもんだ、なんであたしはあんなことに巻き込まれちゃったのか。


 命の危険はあったけど、それに加えて、何があったのかこうして話せない事というのも、十分に災難だ。


 お兄ちゃんには、ああいう人だから話せたけど、フツーの人にホントの事話せば頭おかしいと思われかねないし、ウソを吐けば、あたしの性格じゃ、すーぐに矛盾が出るのは分かってる。

 ……ウソって想像力と頭の回転が必要なんだよね。だからそれを苦手とするあたしは病院の先生にも、おどおどで通したんだし。


 もちろん咲子の事は信じてるよ? でも……事が突飛すぎてて、話すことに勇気がいる。壊したくないものが壊れちゃうかもしれないって心のどこかで思ってる……。

 ……男の子への告白みたいだな……。


 そして、それ以上に……。


七波「……」


 そもそもあんな危ない目にあった事を話して、咲子がどんだけショックを受けるか……。


咲子「ナナちゃん」


七波「え?」


咲子「今、やさしいこと考えてる目してるわ」


 ……一瞬、きょとん。


七波「……はぁぁぁ? 今ならあたし、頭ン中メダパニ状態ですよ?」


咲子「うん、でも最後はやさしい顔になっとった。隠し事、できひんねぇ」


七波「……あんたは察しが良すぎ」


 たまーに、咲子の事怖いと思うのはこういうトコだ。……京美人は微笑みながら裏と表の顔を使い分けるというが……。


 咲子の事を考えてたのは確かだ。優しいかどうかはあたしには分かんないけど。

 でも、もう終わったことで、咲子を怖がらせたくないんだよ。


 何より……あの夜の事は。



 ……終わってないのかもしれないし。



咲子「一人で抱え込んで、大丈夫?」


 それは『無理して話さなくてもいいよ』って気遣いの一言に感じられた。……でも、だからこそ。


七波「……わっかんね。でもね」


 あたしはそれに、ちゃんと答えなきゃいけない。


七波「あたしは、自分にとって大切なことと一緒に、そいつを抱え込んでる」


咲子「……ほうか」


 咲子は満足したように微笑んで、コーヒーをまた一口。


 ……そしてカップを置きながら、あたしへと視線を向けて、言った。


咲子「ん。……ウチは信じとるよ。ナナちゃんの事」


七波「……ありがと、咲子」


 同じ形の笑顔で。


 あたし達は頷き合えた。


咲子「……なんや、こーゆーの言うの、恥ずかしな」


七波「お前が言ったんじゃ!」


咲子「せやっ!」


 ぱぁんっ!


七波「ぅおぅっ!?」


 いきなり眼前で、ネコだまし宜しく、手を思いっきり叩かれて話を切り替えられ、焦るあたし。何しやがる。


咲子「ウチ、ナナちゃんが退院したら、絶対話そ思うてたことがあってん! ずっと鼻長くして待っとってんよ!」


七波「ピノキオかよ! ウソつきまくってんじゃんか、大丈夫か、あたし!? 何か騙されてないか!?」


咲子「ほら、イラスト話でウチ、出版社さんに打ち合わせ行ってきたんやんか!」


七波「……っ……」


 ……とくんっ、と一瞬、胸の奥が不安に高鳴る。


 取り繕え、あたし。

 親友の門出を祝うだけでいいんだ……。


七波「……おお、そうだわ! どうだったの!?」


咲子「2ページ、イラスト任されてんよ! キャラはディアナとウーゼルでええて!」


七波「やった、良かったじゃん! どっちも咲子、超お気に入りだし!」


 声を上げる事で、何とか持ち上がるテンション。

 咲子の話についていく。


 ディアナとウーゼルってのは、スマホアプリゲーム『ブルーライン・オデッセイ』略してブルオデの登場キャラだ。


 ディアナってのは女の子キャラ。他のゲームや神話だと別名アルテミスとか呼ばれたりするかな。ゲーム上の設定は活発系の女の子で、運営がパラメータの振り方間違ったのか、火属性の壊れキャラとしてもゲームに君臨している。

 ウーゼルはショタキャラ。ショタだが設定的にあのエクスカリバーで有名なアーサー王のパパという。これは咲子の大好き設定。

 まぁ今のスマホゲームにありがちな、神話やら伝承やらのごった煮だね。


七波「確か、イラシブで何枚か描いてたよね。描き易いんじゃない?」


咲子「せやな、せやけど……ウチ……」


急にトーンの落ちていく咲子。


咲子「ちと自信なくて……な」


七波「……何よ、急に」


 あたしは咲子の顔を覗き込むようにして首を傾げる。


咲子「担当さんに、出来れば動きのある絵で固めたい言われてんよ。せやけどほら、確かにウチはこの二人描いてるけど、どっちもほとんど棒立ちか、上半身の絵だけやん」


 咲子はスマホを操作して、イラスト投稿サイト・イラシブの投稿イラストの一覧を表示してあたしに見せた。


七波「……ああ、確かにそうだったね」


 一覧のサムネでも分かる状態。

 ディアナは腰から上のイラスト。花を手にしてて美麗系のイラストに仕上がってて、これはとっても綺麗。活発系キャラからのギャップもいい感じだ。

 ウーゼルは剣を構えようとしてる状態。ちょっと及び腰で、ショタっぽいキャラは捉えてる気がする。


 どっちも一枚の絵としては良く出来てるし棒立ちとは言わんけど、『動きがあるか?』っていうと、どっちにもないわな……。


咲子「でな、できればウチ」


七波「うん」


咲子「ナナちゃんにそれ、見て欲しいねん」


 ……。


七波「ファッ!? ……え、見るって……え、何を?」


咲子「監修、ってトコやろか? ナナちゃんなら思うてて、退院待ってたんよ」


七波「監修って……できたイラスト見て何か言えって事?」


咲子「うん、主にダメ出しの類でオナシャス」


七波「待て待て待て! あたしは絵心なんか、これっぱかしもないぞ!?」


咲子「せやかてね、担当さんが目を止めてくれた、ウチが書いた葦原ミズちゃんの絵は」


咲子はイラスト一覧のサムネイルの一つをタップして。


咲子「……ナナちゃんがこうしたらええ、言うてくれたイラストやねんもん」


七波「……え……」


 ……分かる。そのイラストは、あたしも大好きだ。


 だって、あたしのスマホの壁紙は、まさにそれなんだもん。


 飛び上がったところから体に捻りを利かせて、こちらに手を差し出した、満面の笑顔の魅力的な女の子。

 パースもぴったり決まってて、ツインテの流麗な流れも手伝ってアクティブさが際立つ。


 デジタルイメージな背景も、葦原ミズホの電子妖精的なキャラを引き立ててた。


 高校生イラストレーターの手によるものにして、イラシブのデイリーランキングで12位という驚異的な記録を持つこのイラストは――確かにあたしが『もっともっと咲子の絵は輝く!』とか思って、色々あーだこーだ言わせてもらった結果、生まれた作品だった。

 付いたコメントで、『フィギュアの原型に!』とか言う声すら上がったほどだ。


咲子「ウチ、あのイラストから大分色んな構図を自分でも試してん。……度胸はついたよ? でも、まだまだや、あんな綺麗でアクティブで大胆なイラストは、あの後……描けてへんねん……。どうしても棒立ちに逃げてまう……」


 なんだか『しょぼん』な咲子。


七波「……なんてーか……やっぱり動きのある絵って、違うの? 普段描いてる絵と。その……描き応え、というか、描き口というか、切り口というか……うまくは言えないんだけど」


咲子「うん、ちゃうよ、やっぱり。描いても描いても、どっかバランスが崩れて見えてもうて……自信出ぇへんねん……」


 なるほど……それは咲子にしか分からない悩みだと思う。……だけど……。


七波「んー……。……でも……そんなの、あたしはホント言うだけ番長だぞ、多分?」


咲子「それでええねん!」


七波「うぉう!?」


 咲子は、少しだけ自分へと傾いたあたしの心をぐっと引き寄せるように、珍しく少し興奮したように言った。


咲子「描くことと見ることは、ちゃうんよ、ナナちゃん。ナナちゃんやったら、絶対見る力がある! ……ウチはそう思うて、今こうして、お願いさせてもろてんよ」


七波「そう、なのかなぁ……」


咲子「ナナちゃんには、きっと何かをまとめる活力みたいなもんがあんねん。それがあのイラストにめっちゃ出たんやと思うねんよ。さっきのイベントもそうや思うた。ナナちゃん、自分でみんなにやりたい言うて、みんなをまとめたんやろ?」


七波「まぁ……そうとも言う。……いっつも終わった後に立ち返ると、うわー、スゲーわがまま言っちゃったなーとは思ってるんだけど……」


咲子「気にしたらあかんよ。それができる人とできひん人がおる――ウチはそう思うねん。ナナちゃんはしかも、好かれてそれができる人……ウチ……ナナちゃんのそんなトコが羨ましくて、そんで……大好きやねん」


七波「よ、よせよう! それに……そんなのいいトコ穂積の中だけで、お山の大将みたいなもんだし……」


咲子「……照れるナナちゃん、ツンデレの典型やな。めっちゃかいらしかわいらしいなぁ」


七波「むゅー……」


咲子「……ふふ……」


 思わず微笑む咲子から目を逸らすが、内心はやっぱり嬉しかったんだと思う。


咲子「まぁそんなワケで、色々言うたけど。……ウチが一番言いたいんは、な?」


咲子は両ひざに手を置いて真っ直ぐにあたしを見つめる。


咲子「ウチはナナちゃんと、一緒にイラスト描きたいねん」


七波「……。……でも、あたしは絵は……」


咲子「分かってる、ナナちゃんは絵を描かれへん、それはもちろん承知の上や。でも……な、ウチ、ナナちゃんといると、ホンマに自分に自信持てんねん。……勝手な話かもしれへんけど」


七波「いやまぁ、そうは思わんけど」


咲子「ありがとな。……ウチ、小学校中学校で、あんまし友達出来ひんコミュ障やったけど、高校上がって、こんないっぱいお話できる友達が出来て……それがナナちゃんでホンマ良かったと思うてる」


七波「……咲子」


 ……何だか饒舌な咲子。

 話しておきたい、みたいな雰囲気もあるんだが、それはもしかしたら、あたしがやっぱり病院に運ばれた事が原因なのかもしれない。……あたしは死なないけどな。


七波「まぁ……あたしに先に声かけてきたのはあんただけどね」


咲子「……せやったっけ?」


七波「そうだよ! あたしがスマホでボカロ曲検索してる時に? 後ろから忍び寄り? 『桜瀬さん、ボカロ聞くん?』って言って話しかけてきたのは!」


咲子「あー……そんな事も、あったやも知れぬー」


七波「あったよ! あったから、今こうなってこうなんじゃん! 全く……大したクソ度胸ですわ」


 くすくすと笑い合う。


 ……そう、本当に度胸があるのは咲子の方だと思う。

 あたしは……きっとあのままだと、誰とも今、こんな風に親密に話せてたりしなかっただろうから。

 どっちかと言えばコミュ障はあたしの方。あたしは全然人に踏み込んでいかないタイプだからね……。


咲子「ナナちゃんが自信もって『いい!』言うてくれる絵なら、ウチも自信持って、作品を担当さんに提出できる思う。……それが、絵を描かれへんくてもナナちゃんに絵を見て欲しい、いう理由やねんよ。……ちゃんと前提もあるねんで?」


 咲子はスマホの中で微笑む葦原ミズホを、あたしにもう一度見せた。


咲子「ナナちゃん、どうやろ? ……ウチのイラスト、見てくれへんかな……?」


七波「……」



 あの夕暮れの中。


 あたしは咲子がどこか知らない世界へ行っちゃったように感じていた。


 そしてあたしは一人置き去りになって。


 どこへ行っていいか分からなくなって。


 どんな自分になっていいか分からなくなって――自分を見失い始めていた。



 ……はずだった。



 でも、それは、大分勝手な一人よがりの悩みだったらしい。


 咲子はこうして戻ってきて。


 あたしをこうして手招きしてくれた。


 今回のこの咲子とのやり取りが、この先のあたしにどう影響するかは分かんない。


 でも、少なくとも。


 孤独なまま、あたしがあたしになる旅路を歩まなくてもよさそうだった。


 それが、たまらなく嬉しかった。



七波「……咲子、じゃあ言っとく」


咲子「何?」


七波「あたしが言ったことでイラスト描くのが苦痛に感じられるようになったら、遠慮なくあたしを無視して。あたしは咲子の、絵を描く事への楽しみを奪いたくない」


 それがあたしの譲歩できる条件。

 あたしの言葉が咲子のやりたい事の邪魔になっちゃいけないんだ。


 ……とかカッコつけてたら。


咲子「……それ言うんやったら、ウチもナナちゃんに言うで」


七波「な、何?」


咲子「絶対に妥協した発言せんで。ウチはもう『自分の思うような絵が描けてへん』いう苦しい中におんねん。そっから抜け出せんねやったら――そこからナナちゃんが引っ張り出してくれんねやったら、どんな言葉かてそれ以上に苦しい事ないわ」


 おお……なんかプロのクリエーター魂を見た気分だ。


七波「フッ……貴様……言うではないか……」


咲子「うにゃ。えへへ……」


 あたしは咲子の頭を撫でると、咲子は嬉しそうに笑ってくれた。


 確かに、あの葦原ミズホのイラストの時も、あたしは素人のくせに結構色々言ったのに、咲子は嫌な顔一つせずにふんふん頷きながら、熱心にあたしの言葉でイラストに向き合ってくれていた。


 それを思えば――あの時と同じスタンスでいいなら。


七波「……りょーかい。じゃ……やってみよっか、咲子」


咲子「……っ! うん! ナナちゃん! ありが……」


七波「おおっと、礼は全部完成してからにしてもらおうかぃ。あたしだって、あー……監修? そんなの右も左も分かんないんだからさ。ならもう単純に……」


 そう、仕事かもしんないけど、あたしたちが臨むべきスタンスは――。


 ……にかっと、あたしは笑って。


七波「……一緒に楽しんじゃおうよ、咲子」


咲子「はいっす! 了解であります!」


 おどけてみせるけど、その向こう側にあるのは、咲子の本気。

 その後押しなんて、これほど嬉しい事はないだろう。


 お礼を言おうとした咲子のそれを遮った。

 その理由はもちろん……お礼を言いたかったのはあたしの方だったからだ。


 咲子のおかげで、見失いかけた自分を取り戻せた。……あたしはそんな風に感じてる。


 でも、まだあたしも咲子も、どんなものができるか分からない。

 だから今は同じ目線で、咲子と同じ歩き方をしてみたいと思った。

 イラストが出来上がった時に、一緒に手を取り合って喜べれば、それで――ううん、それが一番いいと思う。


咲子「せや、ナナちゃん、覚醒させたディアナ持ってたやろ? あれの画像、スクショ撮って、ウチのLINEに送ってくれへん?」


七波「……ぬ?」


 ……。


七波「……ぬぅあぁぁぁぁっ!?」


咲子「えっ!? 何っ!?」


七波「あたし……ブルオデ、消しちまったんだぜぇぇっ!」


咲子「な、ナンダッテー!?」


 勝手に落ち込んだ結果が、ご覧のありさまだよ。何一人で酔ってたんだ、あたしは!


咲子「ナナちゃん、何があったんっ!?」


七波「い、いや、その……」


 ……えぇと。


七波「そ、操作、間違っちゃって……」


 流石に一人で悩みに悩んでアプリを消しましたとは、あの夜の事件と同じレベルで説明ができない。


 第一……恥ずかしい……。


咲子「お、落ち着くんだー、七波ー! ブルオデにはー、バックアップ機能があるんだぜー!?」


七波「誰だお前! ……って……え? ば、ばっくあっぷ?」


咲子「せや! ナナちゃん、バックアップ取って、一緒に石もろたやんか!」


 石 ⇒ ゲーム内通貨。

 これで課金ガチャとか回せる。ブルオデでは『輝青石』とか言うが、誰もそう呼ばない。


 最近のゲームだと、ユーザーの『間違って消しちゃいました、てへ☆』に、いちいち運営が対応しなくていいように、バックアップを取ってもらって、お礼にユーザーに石をゲットできるようにしてあるゲームが大抵。……との事。


七波「お……おぉ! アレが今、役に立つ時! ど、どうやんの?」


咲子「え、ええと……まずアプリをダウンロードし直してやな……」


 便利な機能もあったもので、あたしは何とか消す前の状態にデータを復旧することができた。

 ……誠にお騒がせしました、ハイ……。


??「……何大騒ぎしてんの?」


 ふと、脇から声を掛けられて。


七波「……作家。あたしと咲子の睦み合いに水を差すんじゃねー」


咲子「睦み合い中ー」


作家「いや、邪魔しに来たわけじゃないし。もう、がっぷり四つで睦み合ってもらえれば」


咲子「夜のお相撲てなんかやらしいな」


七波「セクハラで訴えるぞ、作家」


作家「今のは俺のせいじゃないでしょ!? 冤罪怖いわ! ってか……大体片付け終わったから、俺は今日は引き上げようと思ってさ」


七波「あ、マジ?」


 と、ぞろぞろと男連中が集まってくる。


ムジカ「作家くーん、つれないなぁ……夜はこれからだってのにねぇ」


七波「お前らで夜の取組やるなら、あたしに止める権限はない」


ツッコミ「つまり尻の危機という奴や」


作家「ストレートすぎる!」


ムジカ「ふふっ」


作家「何その乾いた笑い!?」


拍斗「いいじゃん、大した尻じゃないし」


作家「俺の尻の何を知ってるっての!?」


 揃うと、あたしたちなんかよりもよっぽど騒がしい、常連の面々。


 ――あたしの、日常たち。


七波「作家、みんなもお疲れ様、今日はホントありがとね」


ジャグラー「なーに、また穂積の前でジャグやらせてもらえれば」


七波「お前は要練習」


ジャグラー「ごもっとも」


ツッコミ「俺らはコーヒーもう一杯貰おう思うてるけど」


七波「それはお好きにどうぞ」


咲子「作家さん、今度また書いた本、読ませたって下さいね」


作家「今のアイディアまとめ切れたらね」


七波「まとめ切っても展開がイタくて……」


作家「そんな事ないと思うけどなぁ……」


咲子「ふふ……待ってますさかいに」




 ……今でこそ、咲子のお陰でそれは消えたとは言え。


 あの夕暮れ時の悩みの中で、少しだけ、みんなの事がちらついた。

 ……みんなの事が、うらやましいと思ったんだ。



 やってる事は、今は全然でも、本気でやりたい事に向かう姿がここにはある。


 空っぽのあたしが求めても、すぐには得られないものを持ってるみんな。




 好きな事への『情熱』。




 今はそれは、ただのない物ねだりであったとしても。


 いつかみんなと肩を並べてみたいと、今日、少しだけ思えたかもしれない――。




 ――ひゅぅぅぅ




 ぞくり




七波「……?」


 ふと、あたしはうなじの辺りを押えて周囲を見回す。


咲子「……ナナちゃん、どないしてん?」


七波「……。いや、なんでも」


 ない、と思いたかった。


 でも。




 かすかに首の筋を這った、

 ここにある情熱が吹かすものとは真逆の、僅かな冷たい風のようなものが。




 なぜかあたしを、手招きしたように感じられた。




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