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地母神の像とちいさな靴

 箱の中には、ビンに入った液体が、12本。フタをされ、封がされている。見た感じは、ポーションみたいだ。


 一本取り出し、太陽にかざしてみる。透き通った赤が、宝石のように美しかった。


 一本一本、半ばまで取り出し、色を確かめていく。色は6色。同じ色のものが、2本ずつある。


 6種類×2で計12本。


 だが、まだこれを開けるわけにはいかない。当然、飲むわけにもいかない。これがいったいどういうものなのか、おれには、まだわかっていないからだ。この世界がファンタジーゲームなら、この中の一本ぐらいは、回復薬があるだろう。だがそうである保証はどこにもない。

 脱水で死の一歩手前まで追い込まれるようなことがあったら、飲んでみてもいいかもしれない。あるいは中身を捨てて、ビンを道具として使わせてもらうか。でも捨てられるかな、もったいなくて、飲んでしまう気がする。


 ビンをしまい、蓋を閉め、留め具を留める。肩紐と箱の埃を払い、立ち上がって肩に掛ける。


 ……おでかけ、という感じがする。これは、あれだ。虫かごを提げる感じと似ている。いまいち、かっこがつかないが、まあ、それでもいい。歩こう。


 この塔がある平地の上の方、そちらには、山の頂上に向かうざっくりとした山道がある。

 だが頂上に、用はない。だからおれが向かうのは、山を下る方だ。


 おれは塔に背を向け、森の切れ目に向かう。

 そこには、山頂に向かう山道よりしっかりとした石の階段があった。それはところどころ崩れてはいるが、通行不能なほどじゃない。

 山の下の方は、霧が出てきており、よく見えない。だが、落下中に見た景色を鑑みれば、集落かなにかがあるはずだ。道沿いに進めば、水飲み場かなにかがあってもおかしくはないだろう。

 念の為、外套を被って移動する。外の景色が見れるように、隙間を開け、目を覗かせながら。


 こうやって、布を被って移動すると、子供のころを思い出す。シーツを被って、おばけのマネをして遊んだこと。こんな風に人をおどかしてやるのが、おれは好きだった。もう何年も、そんなことはやってないが。別に、そういうことをやってもよかったんだ。手品師にでもなって、毎日人を驚かして生きてもよかったんだ。

 でもおれはそうはしなかった。おれは別の生き方を選んだ。定められた枠の中にいて、定められた振る舞いの中で、生きていくことを。

 なぜ、そういう生き方を選んだのか?

 それは恐れのため。人の中で、異物として排除されていくことへの怯えのため。

 だが結局、その安全の中で、おれはおれ自身を擦り減らしていった。


 息を吸って、大きく両手を広げる。おれは階段を降りていく。時に、両足を揃えて、時に、二段抜かしで。


 ――外套の中にいると、気づくことがある。

 それはこの中にいる時、喉の渇きを忘れていられるということ。

 それが気のせいなのか、そうではないのか、すぐには判断できない。腹痛に波があるように、身体の出すシグナルには、波というものがあるから。

 口の渇きと体のだるさというのが、脱水の初期症状であり、少なくとも今、おれは、口の渇きを感じていない。だるさの方は、よくわからない。おそらく、大したことはない。

 昔、どうしようもなくだるくて、気持ちが落ち込んで、病院に行ったことがあった。その時は、少なくとも軽い脱水症状が起こっていると言われて、そのまま家に帰された。

 だから、軽度の脱水状態にある時、体は能動的に動くことができなくなっていくということを、おれは知っている。そういう状態にある時、明らかに、体は無駄な動きを避けようとする。

 だが、今のおれは、ピンピンしている。二段抜かしで階段を降りていくだけの元気がある。

 それが、単に、苦痛の感覚が麻痺しているだけなのか、体が万全な状態に戻っているからなのか、おれには、判別できない。

 体が万全な状態にあるなら、何も問題はない。

 問題は、前者。単に危機のシグナルが発せられてない場合。

 血が流れれば、体は、痛みを感じる。

 それは警告のため。体の持ち主に、一刻も早く、その痛みから脱するよう促すため。

 そのシグナルが失われていれば、どうなるか?

 血は流れ続け、やがては死に至る。

 危機の感覚は、体をこわばらせ、人間に抑制を促す。それは時に、人間を行動不能に陥らせていく。

 だから同時に、人間は、その危機の感覚を忘れさせるシステムを持っている。忘れることでしか、現状を脱することができないという状況があるから。

 だがそれは、短期的なものでなくてはならない。長期的に危機の感覚を忘れた者の行き着く先は、死だ。


 歩きながら、体をよぎっていく小さな虫を見て、わかったことがある。

 外套の中から見える光。それらは、必ずしも、全ての生き物に備わっているわけじゃない。

 その証に、通り過ぎていった小さな虫たちに、その光はなかった。鳥にあり、扉にあって、虫にないもの。なにか、条件がある。

 そして、発せられる光にも、強弱がある。


 今、おれの行く手に、光の群生地がある。真ん中の強い光を囲うように、小さな光が群がっている。

 なんだろうか?おれは、足を速めて近づいていく。

 近づくにつれ、その輪郭がわかった。

 それは、女神の像と無数の花。照らされた太陽の中で、それはひどくのどかな光景に見えた。

 小さな花が風に揺れている。水を含んだ空気のにおいがする。雫の滴り落ちる音が聞こえる。

 石像の前、道行く先に、踊り場がある。小休止のための、立ち止まるためのスペースとして。

 おれは石像の前で立ち止まり、外套を脱いだ。


 中央に位置する女神の像。捧げるように、胸の半ばまで掲げられた左手から、水が滴り落ちている。

 掬い上げるように握られた指の隙間からこぼれ、こぶしの関節を伝い、落ちていく点滴。添えられた右手は、それをまた受け止めようとしたのだろうか?だがその右手は、肘から先を失っていた。

 そして突き出た女神の両胸は、左右均等ではなかった。ゆったりとしたドレープに隠されているが、その胸は明らかに失われていた。病か、あるいは拷問か。だが、悲愴な感じはしなかった。それは姿勢の問題だろうか?この女神は、背を真っ直ぐに伸ばし、顔を上げているから。

 石像の顔は、頭を覆うベールによって半ば隠されている。そしてその暗がりの中の眼は、布によって隠されている。盲目なのだろうか?オイディプス王のように、この世の穢れを見ずに済むように、その眼を閉ざしてしまったのだろうか?あるいは、眼には見えぬ、空蝉のまことを見るために、その瞳は閉ざされているのだろうか?

 石の扉に印されていた眼の意匠。それが一瞬頭をよぎる。


 地母神か、なにかだろうか?あるいは、運命を司るような神なのだろうか?


 そして、その神の持つ性質は、足元に捧げられた小さな靴と関係があるのだろうか?


 その靴は、足元の赤い花が作る繁みの中に、忘れられたように置かれていた。

 それは、3~4歳の子どもが履くような靴だった。しょっちゅう脱げて、そこらへんにほっぽりだされている、そんな感じの。

 そんな風にして、この靴も繁みの中に忘れられていったのだろうか?これがここにあるのはただの偶然で、この靴とこの像は、まったく無関係なものなのだろうか?

 そうかもしれない。小さな子供とその親というものは、色んなものを外に置き忘れてきてしまうから。

 だがおれには確信があった。関係ないはずがないという確信が。

 おれはこれと似たものをよく知っていた。それは、水子供養の墓。

 子供を模した小さな地蔵と風車、小さな靴下や、ぬいぐるみの数々。

 形見か思いの依代か。それは、生まれ出ることのなかった子どもの安らぎと来世の幸せを願って、添えられる。今、ここにあった愛と、ありえたはずの未来を悼むものとして。

 そこにある、失われたものに対する哀切の情。

 ここにあるものが、生まれる前の子へのものなのか、生まれた後の子へのものなのかはわからない。

 だが、同じなのだ。どこにいようと、どんな姿かたちをしていようと、ここにいるのは、同じ人間なのだ。


 風車が回るように、像を囲む赤い花々が、風に応えて揺れる。


 おれは、女神の手からこぼれ落ちる水に、手を添える。地に落ちて、赤い花々を咲かせたその水に。


 おれはその水を口に含み、ひざまづいて祈る。

 失い、また失われようとしている命に。

 今ここにある全てと、そして、来るべき未来に。

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