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落下、そして外套の世界

 糸が伸ばされる。


 風に吹き飛ばされた外套から細く細く伸びた糸が、おれを捕らえる。


 無数の糸がおれの身体を絡め取り、形を成す。


 黒い衣は急速に膨張し、花の蕾が閉じるように、おれを包み込んだ。


 世界から、彩度が失われる。


 物質の輪郭だけが、目に見える。線描の世界の中をおれは落ちていく。目の端を、塔の斜線が流れていく。


 塔の中に、光が見える。共に落ちていくアリの身体の中心にも、同じ光がある。


 そしてなにより、おれが落ちていくその先に、星空のように、無数の光がある。


 それはまるで地上の星。


 点々と打たれる光の点描と、巨大な流れ。


 地表に近づくにつれ、それらの光は、まばらになっていく。


 ――漆黒の水面が近づいてくる。


 衝撃と共に、おれは漆黒の水面へ飲み込まれた。


 息ができない。沈んでいく。


 手足を動かしても、手応えがない。無慈悲な引力によって、体は引き込まれていく。


 足元が、仄かに明るい。地の底に、誰かいる。底にいる誰かが、ゆっくりと顔をあげた気がした。


 ――絡みついた外套が体を引っ張る。


 急速に、おれは、引き戻されていく。地表へ、浮き上がっていく。



 ぷはっ。


 腕を、外套の下から出した。

 手が地表の土に触れる。

 突き出た石を掴み、おれは外套の下から這い出た。

 咽せる。あたりは砂埃がたちこめている。袖を口に押し当て、目に手をかざして砂埃の中から出た。


 たちこめていた粉塵が風に吹き流される。


 粉塵の中から塔が現れる。山脈を背景に、それは厳然とそびえ立ち、天を突いている。

 折れた塔の先は見えない。

 崩壊したのは、塔の上部だけみたいだ。崩壊した瓦礫が、あたりに積み重なっている。


 アリが、半ば瓦礫に埋もれたまま、微かに体を震えさせている。


 ふと思い立って、外套を頭から被り直す。


 アリをかたどる光の線描が見える。

 瓦礫に埋もれていたアリは、いくつかの脚を失い、ボロボロだったが、線描によって描き出された光のアリには、なにひとつ、欠けた部分はなかった。


 光るアリの形象は震えを止め、やがて地面に飲み込まれていく。


 外套をあげて、アリの実体を見た。アリの体はピクリとも動かなくなっている。


 死んで魂が、地の底に飲み込まれていった。そういう感じがした。地の底は、黄泉か、地獄か。楽園ではないだろう。


 見回して、もう一匹のアリを探す。だがもう一匹のアリはどうしても見当たらなかった。

 代わりに、瓦礫の中にアリの魂とは別の光が見えた。


 それは、一枚の透き通ったステンドグラス。眼と門の意匠。


 見た瞬間にわかった。それは、ダンジョンにあった石の扉だった。


 おれは沈んでいく扉に近づき、膝を突いて、漆黒の地面に手を突っ込んだ。

 水で溶かしたコーンスターチに手を突っ込んだような感覚。


 手は、届かない。


 地面の浅い部分では、まだ、光を放つ扉が見える。肘の先まで突っ込み、手を掻き上げる。


 その瞬間、わかった。


 手が届いてないわけじゃない。触れてないんだ。壁に投げかけられた影に触れるように、それは具体的な手応えを返さなかった。


 為す術もなく、扉は沈んでいく。アリの魂が地の底に消えたように、その扉もまた、やがては見えなくなった。


 おれは外套を脱ぎ去る。現実の地面の下には、まだ物質としての扉が埋まっているはずだ。おれは外套の世界から戻り、瓦礫を掻き分けて扉の実体に触れた。

 扉は、残っている。ひび割れて、メチャクチャになってはいるが、パズルのピースのようにその全ては残っている。

 ひび割れた扉の欠片を拾い上げ、手のひらで掴み上げた。だが、強固であったはずのそれは崩れ落ち、対処する間もなく砂礫となって消えていった。

 足元の扉の残骸も砂となり、もはや欠片として掴み上げることすら、できなかった。


 ……呆然として、塔を見上げた。

 相変わらず、塔の先は伸びていく線の消失点としてしか存在しない。


 塔の上部は、どこまで崩壊したんだろうか?

 おれがやってきたあの入り口は、どうなったんだろうか?


 見ておきたい。

 おそらく扉は、扉に過ぎない。

 扉は、入り口を塞いでいたに過ぎない。

 扉自体にではなく、扉があった場所に、なにか、おそらくは異界への入り口がある。

 そうでなければ、扉が、棺の形をしているはずがない。

 棺とは、死を遠ざけ、そして保管しておくための箱。

 そして死者にとっては、新しい生の入り口となるべき場所。少なくとも、死後の復活を信じる者たちにとってはそうだった。だからそれを信じていた人々は、棺の裏に、門を描いた。


 おれはもう一度あの場所に戻る。それは、おれ自身の「これから」には、必要のないものなのかもしれない。だが確かめておきたい。おれは、これから歩んでいく自分の人生を、心残りのないものにしたい。

 知りたいと思うままに、見たいものを見、行きたい場所に行く。

 おれのこの生きた体は、そのためにある。


 ……だけどその前に、水でも飲みたいな。

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