扉と階段
石の扉を開ける。
重い。引きずるように開けた引き戸は、半ばまでも動かない。
つっかえ棒でも挟まっているのか、これ以上開けるのは、無理だ。
だが、体を滑り込ませるには十分だ。肩をねじ込ませて、おれは部屋の中に転がり込んだ。
暗い。そこは、松明で照らされた部屋だった。けっこう広い。ダンジョンのボス部屋みたいだ。
壁にはなにか、絵が描いてある。巨大な絵だ。上の方が薄暗くて、うまく全容が掴めない。
おれは壁に近づき、挿してある松明の一つを手に取り壁にかざした。うーん、よくわからない。
床の方は、光を反射するのか、わりとよく見える。
床は変わり映えのしない石のタイルで敷きつめられている。
いや、一ヶ所だけ、緑色のタイルがある。
色違いのタイル。
むずむずしてくる。
こういうのは、落とし穴なんだよな。
カリ城みたいにな、落ちていくわけだ。露骨すぎだろ。
確かめるのは簡単だ。片足で踏んでみればいい。体重を乗せてなければ、落とし穴が作動したとしても落ちることはない。
ちょっとだけ、踏んでみる。
光が溢れる。踏んだ瞬間、地面が輝いて、緑のタイルが増えた。
……誰だ、落とし穴とか言った奴は。
おれか。
なぜ落とし穴以外のトラップを考えなかった。
いや、でもまだ色が変わっただけだ、まだ何も起きてない。落ち着け。じっくり考えるんだ。
緑のタイルは、床全面にランダムに散らばっている。とりあえず今、足はこの緑のタイルには触れてない。
遠くに、25メートルくらい先か、階段がある。そして後ろの方にも階段がある。距離は同じくらい。先が上への階段で、後ろが下への階段みたいだ。さて、どう……
突然、信号機が点滅するように、緑のタイルが点滅し始めた。
なんか、やばい気がする。ちょっと、やばい気がする!
点滅が終わり、色付きのタイルの位置が変わった。
おぅわっ!
踏んでいた足元のタイルが緑になった!
思わず飛び退いたが、その瞬間、緑のタイルに穴が開いた!セーフ!
心臓が、バクバクする。
マジかよ!落とし穴トラップ!あるんじゃねえか!
思わず穴を覗き込んだ。
いや、違う。これは、触手罠ッ……
ガクン
首に巻き付いた触手で、体勢が崩れた。
――マズい。引きずり込まれる。
とっさに両手を穴のふちにおいて、体がもってかれるの防いだ。
頭が、目まぐるしく回転する。
触れたトラップは、ひとつだけか?
足は、どうなってる。もう一か所、トラップに触れていたら、アウトだ。
この窮地から、うまく脱せられるか?
首に巻きついた触手が離れない。触手は、喉を締め上げて始めた。
あわてて片肘をついて、喉と触手の間に指先をねじ込ませた。
硬ぇ。
触ってわかったが、この触手は、植物系のやつだ。豆のツタみたいな感じだが、絶妙な硬さがある。
ナイフが欲しい。ナイフさえあれば、なんとかできる気がする。ナイフでなくても、尖った石のかけらでもいい。とにかくなにかが欲しい。
頭が、今ここにないもので満たされていく。良くない兆候なのは、わかってる。
苦しい状況にある時、すべきことは、足りないものを数えることじゃない。凌いでいくことだ。今目の前にあるもので。
だが何か欲しい。何かしらの道具がなければ、この窮地から脱するのは、不可能だ。
なんだかさっきから右足がぬくい。ちょっとチリチリするくらい。
……これは、あれだ。これはさっきおれが持ってきた松明。
ビビった拍子にぶっ飛んで行方知れずだったやつ。いなくなったことにすら気づいてなかったが、そこにいたのか。
瞬間的に思い浮かんだのは、つま先で松明を蹴り上げて、体の下を通して手元でキャッチするイメージ。
曲芸師みたいな真似だが、これが100%の回答だという気がする。
よし。
足先を使って、松明に実際に触ってみる。
あ、ダメだこれ。触れた瞬間わかった。これそんなにかっこよくいかない。なんとかコロコロ転がして、上まで持ってくのが精一杯だ。
あっつ!
あらぬ方向に転がった松明で、足が焼ける!
なんとか太腿でさらに上に蹴り上げて、床においた手までもってくる。
手まで、もってこれたはいいが、顔の方ばっか熱くてヤバい。
炎は、先の方にいくほど温度が高い。これ下の方はたいして焼けないんじゃないかな?
だがしかし、やるしかない。
体ごと首を傾け、なるべく触手にだけ、火が当たるように調整する。
松明を穴に半ば突っ込み、なんとかうまく、配置した。
あとは、ツタが焼け落ちるのを待つだけだ。
……なんだか、喉の奥から、笑いがこみあげてくる。
馬鹿みたいだ。馬鹿みたいだが、なんだか生きてる心地がする。
ツタの触手が、焼き切れる。
おれは飛びのいて立ち上がり、首に巻きついた触手を外す。床に捨てた触手がしなるように動いてる。植物っぽいと思ったけど、これほんとに植物かな……。
松明を手に持ったまま。ざっとまわりを見渡す。
自分が入ってきた、石の扉の周りと階段周辺。そこだけはタイルの色が変わってない。とりあえず、近い方に、石の扉のそばに、退避する。
とりあえず、安全地帯だ。
……あの男に、この世界が、どんな世界なのか、聞いておけばよかった。答えが返ってくるかは、わからないが。だが聞いといて損をすることでもないだろう。
あれだ。今戻って聞けばいいんだ。
戻るか!
石の扉に手をかける。
開かねえ!
扉には蔦が絡みついている。それががっちり組み合って扉を固定している。
――蔦が、木に巻きついたヘビのように、ゆっくり動く。
うおっ。
一歩、距離を置く。入ってくる時引っかかっていたのはたぶんこれだ。入ったあと、閉めた覚えはないから、おそらくこの蔦によって、開けた扉は閉じられた。
その蔦は、扉に絡みつく本数を増やしながら、なにかの印のように、みるみるうちに花を咲かせた。
なんだか、秘密の花園への入り口みたいになってる。
それは、開けられることを拒んでいる。
扉を開放するには、蔦を取り除く必要がある。
松明で燃やしちまってもいいが、おれは風流を解する男。今回はやめといてやろう。
……だがちょっとだけ、ちょっとだけ今日のおれは、風流を解さない男。今日のおれは蛮族なのだ。
松明で、ちょっと下からあぶってみる。
花火が炸裂するように、一気にツタが弾ける。
おわあ!
飛び退いて、距離をとった。
炸裂のあと、しなだれたツタはゆっくり扉の方に戻っていった。
はあ、さっきから驚くようなことばかりだ。
だがおれは、ナーバスにはなっていない。むしろ、おれは今日、舞い上がってるといっていい。
なんでおれは、こんなに舞い上がってるんだろうな。
まあ理由は、簡単なんだが。
嬉しかったからだ。命を救われて。
ガコンと、石がはずれるような大きな音がした。
振り向くと、触手が槍のように伸び上がり、天井に刺さっている。
緑のタイル全てから、触手が伸びて、林立している。
……天井が動き出すまで、気づきもしなかった。
徐々に、天井と床が、狭められていく。
これは、押し潰される。
降りてくる天井を、見上げる。
石の扉の周りに、境い目がある。
石の扉の周囲は、動く天井の範囲外みたいだ。構造物を避けるようにして、このトラップは作られている。
だがこのままここにいても、閉じ込められるだけだ。蝉の幼虫が作る地面の中の小部屋のように、どこにもつながらない密室の中にいることになる。
おれに石の中を進む術はない。
おれは先に進まねばならない。
迫りくる天井の中、林立した蔦の中を進む。
向かうべき先は、上に向かう階段。
なぜそっちなのか?
特筆すべき理由はない。ただ単に、おれが下に降っていくより、上に向かうのが好きだからという理由だけだ。
まあ、よく考えれば、地面には触手のトラップがあったわけだから、下に向かえばこの触手の本体みたいなものがいるかもしれない。だから下に行くのは避けて、上に向かうべきだということになるかもしれない。
だが結局、一番の理由は、おれは階段を上るのが好きだからという理由だけだ。伸び上がって、上に昇っていく感覚がおれは好きなんだ。
二歩三歩、おれは階段に足をかける。
階段部分を避けて、天井は降りていく。
区分けていく。おれのいる世界と、向こう側の世界を。
シャッターが降りていく中、おれは自分が通ってきた石の扉を眺める。
離れて見ると、その扉は、棺のように見えた。
棺の中から、おれは出てきたわけだ。
……聖書の中に、神に感謝を捧げる言葉がある。
それは自らを死から掬い上げ、命を与えてくれたことに対する感謝の言葉。
おれは、神に祈ることはないだろう。
ではおれが祈るべきは、だれか?
おれを陰府から引き上げ、墓穴に下ることを免れさせ、命を得させてくれたのは、誰なのか?
おれ自身の救い主は、誰なのか?
おれは、ひざまづいて、感謝を捧げたかった。
ヒリついた首の傷跡を撫でる。
シャッターが降りる。
おれは顔をあげ階段を上る。
参考文献
『旧約聖書 詩編』30編 第4節 参考サイト URI:https://www.bible.or.jp/read/vers_search.html (アクセス日:2018-11-15)