チトセ、生前の手記
『おっさん or die』 というフリーゲームがある。ナンセンスなストーリーと中毒的なシステムが売りのゲームで、タイトルもギャグみたいだけど、このタイトルの意味はつまり、年老いて生きていくか、若くして命を絶つか。
それは未だ若く、そして今まさにその若さを失っていこうとする人間が抱える主題。
あまりにも内気だと、おどけた態度の中に、自分の痛みや苦しみを埋め込むということがある。
道化師というものがいつもどこか悲しみを湛えているように、このゲームの「出発点」という曲もまた、そういう風に埋め込まれている。
初めは、さりげない室内楽だと思うかもしれない。軽快に、心地良く、キャラクターの移動を彩るための曲だと。だが、この曲の奥には、決意がある。自分自身の生き方など、選べなかった人間が、もう一度、自分自身の人生をどこから出発させたいと願うか。そういう決意が。
この曲は、アップテンポで明るいのに悲しい曲。
そしてこれは、どんなに憂鬱で、死にたくても、生きて生きて生き続けること。それを選ぶことについての曲。
なぜそれを選ぶのか?
いつかいいことがあるから、どこからか希望がもたらされるから、生きることを選ぶのか?
そんなことは、なにもありはしない。
ただ生きていかねばならないから、腹が空くから、そうすることを選ぶ。
誰のためでも、何のためでもなく。
それは、自分自身に期待すること。
何も起こらないような人生の中でも、いつか気分が上向いて、顔を上げてやっていける日々が来ることを期待すること。
この曲には、歌も歌詞もない。
だけどこの曲は、自分自身の未来に向けられた言葉。
歩きながら聞くと、この曲が、いつか走っていくための曲だということがわかる。
うつむきながらでも、ただ歩いて歩いて歩き続けていれば、いつか上を向いて、顔を上げてやっていける日が来るだろう。
長く長く続いていく道を歩く中で、いつか、遠くを見るように、のびやかに手を伸ばして、くるりと回って駆けていくこともあるだろう。
色を染めた葉が舞い落ちる中、日の暮れたサイクリングロードを歩いて、おれは今日、実際にくるりと回ってみた。
おっさん or die
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イメージ曲
青木「出発点」