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世界渡りの魔術『灰色鼠(グレイラット)』

 リナが、指先を組んで窓を作り、ミミックをその枠に収める。


「期待しないで、ただの間に合わせよ。ただあいつを石牢に閉じ込める。それだけ」


 口元に呪符を構え、リナはまっすぐに前を見る。


『**********************』


 朗々と、リナが呪文を詠唱する。

 ミミックが、口を開けようとしている。なにか、しようとする気だ。おれはリナの顔を見た。


 ――あせらないで――とそう口を動かした気がした。


 リナが呪符をミミックに向かって突きつける。


『鳴け、灰色鼠(グレイラット)


 瞬間、空気が膨らんだような気がした。

 同時に、石柱が、ミミックをぎりぎりに掠めて突き刺さった。


「なっ」


 いくつもの石柱がリナの上方の空間で作りだされていく。

 リナは片手を挙げ、ミミックに向かって歩いていく。

 無数の石柱が撃ち出され、囲いを作っていく。葦原の中の作りかけの鳥の巣のように。

 ミミックの目の前まで、リナは行き着く。ミミックは動けない。

 リナが、かすかな声でミミックに向かって何かをつぶやいた。

 駄目押しのように、最後の余地に石柱が差し込まれ、ミミックはその口を閉じた。


「終わりよ」


 振り返って、リナは言った。



 戻ってきたリナが、緑色のポーションを拾い上げて、おれの左腕にふりかけた。


「うぐっ」

「我慢して」


 傷口がひどく染みた。


「立てる?ちょっとあの木の下まで、歩いてくれる?」


 リナが、すぐそばの木を指差して言った。

 おれは頷いたが、足に力が入らない。踏ん張ったが膝が揺れた。


「……貸すわよ、ちょっとだけ」


そう言って、リナがわずかに顔を背けながら肩を差し出した。

触れた肩は、思ったよりも細く、あたたかかった。


「すまない」


 肩を借りて、十数歩歩くまでの間に、嘘のように腕の痛みが引いていった。

 左腕の切断面が、丸く滑らかに修復された。昔、片腕のなかった友達もこんな感じだった。

 おれは、どっかりと腰を下ろし、木の幹にもたれ、息を吐いた。

 視界に、石柱とミミック、あたり一帯がちょうど収まった。

 背中を守り、ミミックを見張りながらあたりを警戒するために、彼女はここを選んだのだ。


「どうして、ミミックを仕留めなかったんだ?その魔法なら、殺すことができたんじゃないか?」

「そうね。そうかもしれない。でもおそらく、ミミックの外殻を貫くには足らない。それにその腕、ハイポーションの効果でも戻らなかったでしょ」

「ああ」

「喰われたからよ、腕の魂魄情報ごと。魂の情報がなければ、ハイポーションでもその欠損を取り戻すことはできない。

 ずっと片腕のままじゃ嫌でしょ?できることなら、試したいのよ。その腕の魂魄情報が、ミミックから取り戻せるかどうか」


 おれのためか。

 おれは失われた片腕を見た。おれはまだ、実感が湧いてないのかもしれない。おれはいつも、トロいからな。


「リナは……すごいな」


 少しだけ、声がかすれていた。


「なに?」

「魔法も、その判断力も、冷静さも。おれはただ、翻弄されてただけだった。あわわってな」


 おれは両腕をあげてみせる。

 リナは口をつぐんで腰を下ろした。自らが作り出した石柱のオブジェを見る。


「……あれは、呪符に呪文を込めた人がすごかったのよ。灰色鼠(グレイラット)っていうのは、元々、一発小石を撃ち出すだけの魔術なの。呪文を唱えれば誰でも使えるような初級魔術で、拾った石を投げた方が早いなんて、よく言われた」

「でも、それだけじゃなかったわけだ」

「そうね。近年になって、それは世界渡りの魔術として、再発見された。私も、研究に参加してね。グレイラットというのは、灰色鼠という意味らしいの。私は、その意味を探り当てた。誇らしかった。初めて、少しだけ自分が無意味な存在じゃないと思えた。

 小さな学会で、小さな発表なんかしてね。矮小な魔術に相応しい矮小な名前だって笑われたこともあったけど、それは確かに私の誇りだった」


 リナは顔をあげて空を見た。


「冷静だっていうのも、私には考える時間が与えられてるだけ。危機に際して、思考が加速するように。そういう加護を与えてもらったから。だからその腕も、治るかどうかはわからない」

「なにも、気にする必要はないさ。これはおれが不用意に、あの魔物を連れてきた結果なんだからな。

 おれが好きだった小説家も、隻腕だったんだ。その人は失った腕を誇りにしていた。名誉の負傷だってな」


 背を木にもたれかけて、失った左腕で前方を指し示す。


「あの、外套。あれは透明化と壁抜けのマジックアイテムなんだ。あれを拾った時、あの魔物は、初めからあの外套の中にいた。そして、ずっと息を潜めて外に出るのを待ってたんだ。あの外套がどういう仕組みで、どういう機能を持っているのか、おれにははっきりわかってない。勝手に動くしな」

「勝手に動く?」

「ああ。生きてるみたいにな。おれが塔から落ちた時、助けてくれたんだ」

「あなたよくそんな得体の知れないもの平気で使えるわね」

「成り行きだよ。むしろ今動かない方が心配なんだ」


 おれは立ち上がり、外套を拾って戻ってくる。


「そしてほら、こうして見ると透過した世界が見える」


 外套を被ってあたりを見回す。内側の布越しに、漆黒の半透明の世界が見える。

 ゆらゆらと、外套を揺らしてみる。どんな風に見えているだろうか?

 リナは、この世界からは見えない。

 少し音が鳴った気がして、ふと、後ろを振り向いてミミックを見る。

 なんだ?

 ミミックが、その口を開けている。そこから出ているのは、蟻の顎?

 見覚えがあった。

 あれは、ダンジョンの壁を溶かしていたのと同じ…


「リナ!」


 おれは外套を脱いで叫んだ。

 ぐちゃりと粘液が吐き出された音がした。蟻の顔が、溶けた石の間から覗いていた。


「くっ」


 跳ね上がるように立ち上がったリナが、呪符を取り出す。

 小型の岩石が撃ち出され、蟻の頭を穿つ。取り出した呪符が、灰になって崩れ落ちた。

 ワンテンポ遅れて、潰れた蟻の頭を掻き分け、穴の中から人の腕が突き出た。

 ひと目見てわかった。あれは、おれの腕だ。

 更に、腕が変化する。色は紫に、より大きく筋骨隆々のものへと。

 石が割れる。角の生えた巨大な上半身の獣が顔を出した。


「魔獣、ベヒーモス」


 リナが、苦々しい顔を浮かべて言った。あれが、子どもを喰い殺した魔物だろうか?


「逃げるか?」


 いままで見た、蟻やミミックとは、格が違っていた。

 あれが手に負えるとは、思えない。


「わからない。でもその魔物を、逃してはいけない。いまそいつを逃したら、間違いなくそいつは私達の手に負える魔物ではなくなってしまう。そいつはこれから山ほど人を取り込んでいく。ダンジョンを出て、人の社会に紛れるほど成長したソウルイーターをどうやって見つけることができると思う?見つけられるはずがない」

「……ナイフを。おれはおれができることをやってみようと思う」


 リナからナイフを受け取り、ベヒーモスと向き合う。


 闘牛士の真似事を、してみようじゃないか。


 頭だけ、外套を被る。ベヒーモスの魂の輪郭が見える。その下半身は、まだミミックとつながっている。これから出るのか、出られないのか。

 ベヒーモスはまだおれを見ている。なら、こうしたらどうなる?

 外套を全身に被る。道を逸れて、視線の移動を確かめる。見えてない。


 ならば、やってみようじゃないか。ナイフを持ち直し、一気にベヒーモスに駆け寄る。

 見ただけでわかるのは、この魔物が、強固な外皮と強大な腕力を持っていること。

 だがこの外套の前に、それは無意味だ。

 おれはベヒーモスの腕をすり抜ける。

 この世界で、おれは魂に触れることはできない。

 だが魂を抜けて、直接、この魔物の内部に触れることはできる。

 動いている心臓の輪郭が見える。ナイフを握りしめる。

 外套の隙間から、ベヒーモスの心臓に直接ナイフを叩き込んだ。


 この無音の世界の向こう側で、ベヒーモスが絶叫をあげているのがわかった。

 腕をつき、巨体が倒れ伏す。

 巨大な腕がもがくように地面を掻いた。苦しみに喘ぎながらベヒーモスが、前方を睨みつける。

 何を見ている?ベヒーモスの視線の先を見る。


 あそこいたのは、リナだ。


 無意識に、おれは駆け出していた。

 ほぼ同時に、手負いの獣が巨体を跳ね上げて突進を開始する。


 なんてやつだ。心臓を突き刺したんだぞ。

 引き込めるのか?リナを、この外套の中に。

 そもそも、ここに引き入れて彼女は大丈夫なのか?安全である保証がどこにある?

 思考が駆け巡る。

 リナなら、なにか対策を講じてるかもしれない。この数瞬にも彼女はそれができるかもしれない。だが灰色鼠の呪符は崩れ去った。

 出るしかない、おれが。出れば、囮にでも、肉壁にでもなれるはずだ。この中にいれば、おれは安全に全てをやり過ごしていけるだろう。だがそんなものに価値があるか?――価値などあるはずがない。

 外套を取り払って、リナの体に体当たりをぶちかます。ほぼ同時に、土手っ腹を角が貫いて、おれは木に体を縫い止められた。一瞬意識が飛んで、また剣を、取り落とした。熱い潮が、喉から込み上げてきて吐いた。血だ。

 ベヒーモスの顔を見る。その牙は折られ、顔が半ば焦げ、歯肉が剥き出しになっている。リナが、直前で何かやったのだ。

 下顎を、がくがくと動かしている。呼吸できていない。こいつも、限界なのだ。

 目の端に、リナが見える。砂に塗れて、肘をついて息をしている。限界があるはずだ。この子にも。だがリナは、それでもなお、歯を食いしばって立ち上がろうとしている。

「少しだけ、自分が無意味な存在じゃないと思えた」そう言ったリナの言葉が、頭の裏でリフレインする。この世界の片隅にあって、世界を変えようと願うなら、力を尽くすしかない。ただ無心で、走り続けるしかない。

 おれは思い出していた。リナが詠唱していた呪文を。

 呪文を聞いた時、頭の中に焼きつくような感覚があった。言葉のひとつひとつが、まるで生まれた瞬間から知っていたような響きを持っていた。

 耳が、遠い。

 声に出して、おれはその呪文を確かめる。


『灰色鼠は、泥に塗れて生き延びる』


 リナの目が見開かれる。何かを言いかけたが、すぐに口を閉じた。


 小さな存在であって構わない。


『消えぬ負い目は己を縛る枷となり』


 不完全であって構わない。


『やがて生きる歩みの力となる』


 おれはそういう風にして、歩いていきたい。

 おれは一歩、足を踏みしめ、右腕をベヒーモスの口の中に突っ込んだ。


『鳴け!足掻け!灰色鼠(グレイラット)!」


 右腕の先に力が生まれた気がした。

 ベヒーモスの口腔にひとかたまりの砲弾が生み出される。周囲の空気ごと、力が流れ込み、はじけるように岩石が撃ち出された。

 撃ち出されたそれは、口腔を貫き、まっすぐにベヒーモスの体内を進み、最終的にミミックの外殻を撃ち抜いて止まった。


 ◆


 苦労して角を外した後、残りのポーションを使ってリナが治療をしてくれた。


灰色鼠(グレイラット)の呪文を使ったことがあったの?」

「いや、初めてだよ。言ってただろ?呪文を唱えれば発動するって。だから試してみたんだ。すごい魔法だったな」


 心の奥が揺さぶられるような気がした。

 おれは手を握り、開く。今も手が震えてる。その震えは、不思議と、心地のいい震えだった。

 つばを飲み込んで、リナが聞いた。


「よく呪文を覚えてたわね。一度聞いただけでしょ?」

「そうだな、なんていうか、いい(うた)だと思ったからな」

「……どうしてその(うた)がいい(うた)だと思ったの?それにあなたは呪文に新しい言葉を足したでしょ?それはなぜ?」


 少し、その声が上擦っていた。


「なぜ?なぜって……なんか、いいと思ったんだよ。言葉の選び方とか、並びがさ。言葉を足したのも、なんとなくだよ。理由なんかないさ」


 息を吸って、リナが言った。


「その呪文の意味を理解した人は、いままでこの世界には誰もいない。私達は、その呪文をただの意味のわからない音の羅列としてしか使ってない。

 あなたには、その言葉の意味がわかるのね?」

「……そうだ」

「そして、よほどその呪文と適合していなければ、一発で呪文を扱えるはずがない。なぜなの?あなた自身も世界を渡ったから?あなた自身になにか心当たりはある?」


 おれはたじろいで、間に合わせの言葉を返した。


「はっきりとしたことはわからない」


 リナの不満げな雰囲気がわかった。学校で先生の質問にうまく答えられなかった時みたいだ。リナが言葉の続きを待っているのが、わかった。だが、そうだな、リナがこの詩に誇りを持っていたから、おれはそれを無下にしたくなかったんだ。

 冷えた水筒を揺らして、空に透かして水を眺めた。揺れる水の向こうに、星が瞬いていた。


「最初に呪文を聞いた時、ひとつだけ、思い出したことがあった。

 それは『瓶の中の鼠』という、灰色鼠を使った実験で、どういう実験かというと、水を入れた瓶の中に、灰色鼠を閉じ込めてしまうんだ。

 その瓶は、決して外に出られないようになっていて、瓶の中に入れられたネズミは、泳ぎ続けるか、諦めて死ぬしかない。

 すぐに、諦めて泳ぐことをやめてしまうネズミもいたし、何日も、泳ぎ続けたネズミもいた。どれも同じような体格の、同じようなネズミで、その差を分けるものがなんなのか、研究者は知りたいと思った。

 食べた餌か、生まれた親か。数々の観察と試行錯誤の末、研究者はネズミにある経験をさせることにした。

 それは、瓶の中から、救い出されるという経験をさせること。自分はそこから、抜け出すことができるという認識を与えること。いつ終わるかもわからない苦難の連続に、終わりがあることを知ること。

 ただそれだけだった。だがその経験を持ったネズミは、どれも例外なく、力の続く限り足掻き続けた。まるで、信念というものを持ち合わせたように。

 足掻き続けるものと諦めるもの。

 つまりは、似たような状況から生還したという経験の有無が、結果を分ける。

 関係ないのかもしれない。でも、おれはその呪文を聞いた時、その実験のことを思い出したんだ」

ルーデウスと、その作者、理不尽な孫の手先生に、限りない感謝を込めて。


参考文献

S・アイエンガー『選択の科学』文春文庫、2014年

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