ソウルイーター
「はっ」
リナは鼻で笑った。な、なんで?
「ほら、急ぐわよ」
リナはぐんぐん先に進んでいく。
「お、おい」
おれは、小走りになって後を追いかけた。
なにか、気に障ることを言っただろうか?
ざわついた気持ちが、胸をよぎった。
リナが、歩きながらふと、うつむいたまま笑った。
……おれはなんとなくほっとして、そのまま歩調を緩めて、彼女の背中を見ながら歩いた。
しばらく歩くと、自分の腰に下げた水筒が、水音を立てているのに気づいた。
おれはわざと足を当てて、ちゃぷちゃぷ鳴らしながら歩く。
「なあ、リナは魔法を使えるのか?」
「なに?」
「別に、聞いてみただけだ」
「……使えない。条件が揃えば、一部の魔術は扱うことはできるけど、それだけよ」
「なんだ。使えるんじゃないか」
はあと、わざとらしくリナは溜め息をついた。
「こいつ、なにもわかってないんだから、みたいな声出すなよ。傷つくだろ?」
声のトーンを低くして、おれは続けた。
「おれ自身も、世界渡りというものに興味がある。教えてくれないか、リナ」
「……世界渡りっていうのは、世界を渡ったと言われる魔術師の総称なの。この世界の魔法っていうのはね、そのほとんどが、神々と魔族に由来するの。だけど、一部だけ、そのどちらにも属さない魔法があった。それは、ヒトに由来する魔法。そしてそれは、世界を渡るほどの力をもった魔術師に由来している。その魔術は、ほとんどゴミみたいな効果しか及ばさないものもあった。いえ実際、そのほとんどがゴミだった。だけど私達は、その魔術を研究している。それが世界に穴を開けるほどの魔法になりうると、信じてる。私が使えるのは、その魔術」
「お前は、自分が落ちこぼれだと思ってるのか?」
「落ちこぼれ、だなんて思ってない。あたしはただ、初めから、どこにも属してはいなかったというだけ。……おちゃらけて生きているあなたには、わからないかもしれないけど」
「まったくだ」
肩をすくめて、おれは応えた。
秋風が心の奥底を撫でる。
それでいい。
どこにも属していない。そういうことが確かにある。
◆
斜光が道行く木々の梢を透かす。もうじき、夕暮れだ。
崖のうねりに合わせて道は作られており、行く先の曲がり道に山の影になっている一帯があった。そこでは一足早く、夜の暗がりがやってきていた。太陽の下から離れると、存外に体が冷える気がした。
リナがふと、思い出すように足を止めた。暗闇が、その目の先でわだかまっていた。
風が、ざあざあと木の葉を揺らした。
「もうじき、日が暮れる」
しんと、森の中で言葉が響いた。
リナはじっと前を見ながら、独り言のように、言葉を続けた。
「少し前、このあたりに、魔物が出た。その魔物は、子どもを一人、喰い殺して姿をくらませた。近隣の冒険者を総動員して山狩りがおこなわれたけど、その魔物は見つからなかった」
なんとなく、おれは低木の隙間やあたりの草むらを見た。
「一人の狩人が、まだその魔物を追ってる。彼は、その魔物はソウルイーターなんじゃないかと予測してる」
「ソウルイーター」
「それは、食べた魂に応じて姿を変える魔物。何者かになることを欲し、でも何者にもなれなかった魔物。満たされることのない飢餓の中にいて、足掻き続けるもの」
彼女は続ける。
「彼の根拠は、いくつかある。魔物が喰い殺した鳥の痕跡。追跡した魔物の足跡が、途中から飛び去ったように消えていたこと。混じり合う二つの魔物の臭い。そしてはっきりとは言わなかったけど、彼には他に、確信に至るような根拠がある」
食い殺された子ども。
あの、ちいさな靴。
「子どもの姿を見たのかもしれない。死んだはずの子どもの姿を」
ああ、と一言、リナは息を吐くように言った。
「そうね……そうかもしれない」
リナはふと、太陽の下、まだ日差しの差す世界に目を移した。
少し声のトーンを変えて、彼女は言った。
「ソウルイーターなんて魔物が本当にいるはずがないって、そういう風に言った人もいたのよ。そんなものは、ただの戯れ言だって。そんなものは、実際には、存在するはずのない魔物だって」
「……だがお前は、その存在を疑ってはいない」
「そうね」
リナは、はっきりとした声で続けた。
「その魔物は、あたしが探している魔物でもあるから」
体の裏側で、なにかが、過ぎ去っていく。
「……ソウルイーターというのは、魂を喰うのに、その生き物の肉体を喰う必要があるのか?」
「いえ、肉体ごと魂を食べる場合もあるし、魂だけ、奪っていく場合もある」
魂なき者。抜け殻のリナ。
「その魂は、どうなる?」
「はっきりとはわからない。消え去るか、あるいはどこかで保たれる。宝石箱の中に宝石がしまわれるように」
「お前は、自分の魂もソウルイーターが奪ったと考えているんだな。お前の魂も、いつか帰ってくるかもしれないわけだ。その魂が、ソウルイーターに奪われたものならば」
リナの眼が、おれを強く見る。
「存在するかもわからない救いに縋るより、その方がまだ可能性はある。そうでしょう?」
リナは、毅然として言った。まっすぐに人を見つめる瞳が美しくて、思わず言葉が詰まった。
「そうだな」
自然と、おれは微笑っていた。
リナはふっと息を吐くと、顎を上げて上空を見た。
霧が晴れ、天空へ続く塔が、夕日に照らされる。
「ソウルイーターは二頭一対の魔物と言われているの。ソウルイーターが出現した階層には、必ずミミックが存在する。ソウルイーターが死んでも、ミミックが存在する限り、ソウルイーターは無限に生み直される。
二つの魔物の関係性は、ある高名なパーティが明らかにした。そのパーティが、石壁の中のミミックを見つけるまで、いくつものパーティが犠牲になった。千の顔を持つ魔物の討伐。後に最上級冒険者に登りつめた冒険者の、最初の仕事だった。
ソウルイーターを生み出すほど高位のダンジョンは、ここにはあの塔しか存在しない。あなたは、あの塔から落ちてきたと言ったわね。あなた、そこでミミックを見なかった?」
動いた脚に触れて、たまった水筒の水が、また音を立てた。
「確認したいことがある。ミミックというのは、箱の魔物か?」
「そう、それは宝箱に模して人を欺く、トラップ型の魔物」
箱。おれは、肩がけのカバンに触れる。
おれはこれが、外套の下にあったものだと思った。
「おれが見た箱は、ふたつ」
だが、足先に触れた箱の感覚。あれは、この革張りの木箱の感触とは違う。
「ひとつは、このカバン」
塔の上で外套に包まれていた箱。外套を持ち上げた時、そこにはなにもなかった。
「もうひとつは、見失った」
だがその箱が生きているとしたら、そいつはどこにいる?
「おそらくは、ここにいる」
急激に、力が吸われていく。
指先が震え始める。
「下がれ!リナ!」
おれは力を振り絞って外套を放り投げた。
投げた先は、真後ろ。そう遠くへは、投げられなかった。
ゴトリと、地に落ちた外套の下で、何かが音を立てた。
浮き上がっている。箱の形に。
黒い布が滑り落ちていく。
布越しでも、蓋が開いていくのがわかった。
開けた口に、無数の牙が見えた。
開いた箱の中の目と、目があった気がした。
「お、おおおおお!」
飛びかかってくる。とっさに逆手に引き抜いたナイフが、ミミックの牙に当たり弾き飛ばされた。
左腕がその口に飲み込まれた瞬間、なにも失わずにいることは不可能だと悟った。
逃してはならない。おれの体がどうなろうと。右手でミミックの蓋を握りしめた。
噛み締めた牙を間近に見ながら、体ごと地面にミミックを叩きつけた。
「あぐっ」
衝撃で、箱が跳ね上がる。
腕が食い千切られた。二度と口を開かせまいと抱え込んだ右腕も、外れてしまった。
目の前に、その箱の獰猛な口が見える。
カカカと、その箱が笑った気がした。
ガヅッ!
凄まじい音がして、ミミックが跳ね飛ばされた。
なんだ?
側に立ったリナの手に、弾き飛ばされたナイフが握られていた。
刺突を喰らわせたのだ。ミミックの口に。だが、ナイフが差し込まれる前に、ミミックが口を閉じたから、ミミックは跳ね飛ばされたのだ。
あたりには、カバンの中のポーションが散乱していた。体を叩きつけた時に、カバンが壊れたんだ。
「リナ!この中に!」
使えるものはあるかと問いかけようとした瞬間、リナは拾い上げたポーションをミミックに投げつけていた。
ガシャンと音がして、ミミックにその中身が降りかかっていた。
「中級麻痺薬をぶっかけた!だけど、そう長くは持たない!直に動き出す!」
「どうしたらいい!?」
「呪符の魔術を使うわ」
呪符を取り出し、リナは言う。
「世界渡りの魔術、『灰色鼠』を」