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烙印の男たち、チトセとルカ

 入り口そばの男を一瞥し、拾った仮面を差し出す。


「怪我をしているんだろう」


 まっすぐに、怪我人の元へ歩く。


「止まれ」


 抜き身の剣を持った男が、おれに剣を突きつける。


「何者だ?どうやってここに入った?」


 金色の、猫のような瞳がおれを睨む。


「隠れているつもりだったのか?簡単だったよ、ここに入るのは。血の痕を見つけたんでね。気になって見に来ただけさ。」


 軽口を叩いてみる。おれは剣士から、横たわる男達に目を移す。


「ふざけやがって。なんのつもりだ。なにしにここにきた?」


 抜き身の剣に力が入る。

 突きつけられた(やいば)の、鈍い光。これがどんななまくらだろうと、人を傷つけることは容易いだろう。


他人(ひと)の血を流す者は、他人(ひと)によって自分の血を流される」


 おれは、突きつけられた切っ先をそっと掴んだ。

 剣士の目がわずかに揺れる。


「……そう書かれている。古い書物の中にな」


 切先は冷たく、男が引けば容易くこの指は切り落とされるだろう。自分の身体が自分のものじゃないみたいに、不思議と心は無感動だった。


「殺すのなら、殺せばいい。おれはそれで、かまいやしない」


 淀みなく口に出された言葉が、自分の心を落ち着かせていく。そう、かまいやしない。


「だがそれでどうなる?奪って奪って奪い続けて、それでお前の心は晴れるのか?……居場所をなくしていくだけだ。自らが居るべき場所を」


 洞窟の壁に投げかけられた影が、照らされた炎に揺れた。

 剣士の顔色が動くのを見た気がした。

 切っ先に込められた力がかすかにゆるむ。

 おれは、掴んだ切っ先を離した。


「そこから逃れる方法は、一つしかない。交わし合うことだ。互いが互いの手に、持ち合わせたものを」


 おれは、背筋を伸ばしていた。無意識のうちに。


「おれは交易をおこなう者。つまりは商人。おれが持ち合わせた物の中に、その男たちを救えるものがあるかもしれない。見るつもりはあるか?」


 まっすぐに、剣士の男を見る。

 剣士の男が目線を外し、奥の、怪我人のそばにいる長髪の男を見た。


「いいだろう。見せてくれ」


 長髪の男がそう言った。


 おれは笑い、一歩大きく下がって、深くお辞儀をする。

 目の前の地面に見えない線を引くように、おれは外套をひらめかせる。

 カバンの留め金を外し、両手にポーションを出して、おれは言う。


「ここに中身の知れないポーションが6本ある」


 しっかりと男たちにポーションを見せつける。

 彼らの目に戸惑いの色が浮かぶのをおれは見逃さない。


「3本選べ。もしお前たちに見る目があるのなら、その男たちを救うことができるかもしれない。」


 凄むように、剣士の男が聞く。


「中身のわからないポーションだと?」


 おれは剣士の男に答える。


「そうだ。3本選び、お前たちがそれに値すると思うものを渡せ。物々交換だ。何を渡すのか、お前たちの自由だ。おれはなにも選ばない。すべては、お前たちが選ぶんだ」


 剣士の男が疑問を呈す。


「わけがわからんな。そんなことをしてお前になんの得がある?俺たちはお前にゴミを渡してもいいってことだろう?」


 おれは笑う。


「それでいいさ。お前たちが、自分が選んだものがその程度の価値しか無いと思うなら」


 訝しげな目を向ける剣士の男に、おれは種明かしをするように肩をすくめて続けた。


「おれの目的は、このポーションの中身を知ることなのさ。お前たちがものを見る目を持っていようといまいと、お前たちがこれを使えば、おれはこの中身を知ることができる。おれはこれと同じものをもう1セット持っていてね、手元に残ったものの中身がわかれば儲けものということなのさ。あくどいだろ?商人というものは、悪徳と狡猾さに満ちているものなのさ」


 剣士の男がわずかにたじろいだ。


「そのカバンの中にある6本が、これと同じセットというわけだ。」


 髪の長い男が言う。


「そうだ」

「だがいいのか?色が同じだからと言って、中身も同じものだとは限らない」

「……まじか」


 おれは続けて聞く。


「だが色が同じなのに中身は別なんて、そんなややこしいことをするやつがいるか?色が同じで中身が違うのなら、そうわかるように目印をつけるはずだ」


 ビンの形を変えたり、シールを貼ったり、ラベリングをして管理するはずだ。


「それは、ダンジョン産のものだろう。ダンジョン産のものに、人間の常識は通用しない。」


 髪の長い男は、カバンを指して言う。わかるのか。

 髪の長い男が近づいてきて言った。


「それに別の場合もある。それはこのポーションの管理者が、色で見分けなくとも、その中身を判別できる場合。そういう場合、目印は必要ない。確認させてもらっても?」

「かまわない」


 髪の長い男は、赤い一本を手に取り、しげしげと眺める。

 おれは外套を敷き、あぐらをかいて座る。

 男が見やすいように、外套の上に、一本一本ポーションを並べていく。露天商のように。

 男はしゃがみ、目を細めてポーションを見ていく。


「俺は、鑑定スキルを持っていてね。低位のものだが、無いよりはマシなんだ。その低位鑑定スキルによれば、赤は初級ポーション、緑は中級ポーション、ま、俗に言うハイポーションだ。赤は治癒促進、緑は身体欠損回復の効果がある」


 言い聞かせるように、髪の長い男は言った。

 ポーションに触れながら続けて言う。


「だが、これでは足らない。この2つは、俺たちも持っていた。これらでは、その場しのぎにしかならない」

「その場しのぎ?」


 おれは髪の長い男の目を見た。男は頷いて言う。


「そうだ、俺たちの傷は、一時的にふさがっても、時間が経てば、同じ場所に傷が現れる。俺たちが受けたのは、一種の呪い。おそらくは、烙印を刻む魔法と同じ原理を利用している」


 長髪の男が、髪をかきあげて見せた。よく見ると、他の男たちにも、体のあちこちに烙印が刻まれている。汚れや血の痕に混じって気づかなかった。


「体に刻まれた烙印は、決して消え去ることはない。腕を切り落とし、ハイポーションで再生させたとしても、その烙印は必ず腕に浮かび上がる。その烙印は、俺たちの魂に刻み込まれているからだ。これを消すには特別な恩赦を受けるか、特別なアイテムを使うしかない」

「特別なアイテム」


 おれは反復して言う。


「そうだ。俺自身も噂でしか聞いたことのないものばかりだが、いくつか、候補となるようなものはある。ポーションにも一つそういうアイテムが存在する。……烙印すら消し去るポーションは、ひとつだけだ。エクスポーション。魂に刻まれた汚泥さえ、それは消し去ることができる」


 長髪の男は続けて言う。


「他の4つのポーションは鑑定不能だった」


 この4つだ、とそう言って、長髪の男はポーションを並べ替えた。


「鑑定不能の結果が示す可能性は、2つ」


 長髪の男は、2本指を立てる。


「これらが、俺の鑑定の能力を超えるほど上位の品であるか、ただのガラクタか、だ。」


 部屋の中の壊れた木箱や陶片が、目に入った。


「そちらも見せてもらっても?」


 長髪の男は柔らかく手首を見せながら、カバンを指して言った。

 おれは頷き、黙ってカバンを差し出す。

 長髪の男はひとつひとつ確かめていく。


「同じだ。赤は初級、緑は中級。その他は、鑑定不能だ」


 先に並べたポーションとカバンの中身を見比べるように、長髪の男は言った。


「だがわかったことがある。この12本のポーションは、バラバラの12種類ではなく、間違いなく6種類のポーション2組だということ。俺の低位鑑定スキルは、中身がどういったものかはわからなくても、この同じ色をしたものが間違いなく同じ種類のものだというところまではわかる」


 未確定アイテムの分類までは可能だということか。不思議のダンジョンみたいだ。


「俺たちが欲するのは、この3本。貴方には申し訳無いが、同じものを2本もらいたい」


 青色のものを2本と琥珀色のものを1本並べて、長髪の男は言った。


「理由を聞いても?」

「上級ポーション、つまりエクスポーションの色は青色だと聞いたことがある。初級と中級では、助かる見込みはない。だから、少しでも可能性のある方を選びたい。琥珀色の方は、ただの気まぐれさ」

「そうか」


 少し、面食らったように黙り込むと、窺うように声を低めて、長髪の男は言った。


「……復活薬の話を、聞いたことがあるか?」


 復活薬?


「いや、ないな」

「……復活薬は、その名の通り、死からの復活を実現する薬。そしてそれは、鑑定で判別できない薬と言われている」

「例えば、お前が持ってる低位鑑定スキルの上位版みたいなものでも無理ってことか?」

「そうだ。復活薬には、偽薬が存在すると言われているんだ。なぜならば、鑑定に成功したものでも、その効果を発揮しないものがあるからだ。名だたる鑑定人が、偽物を掴まされた。それは鑑定を欺く薬。鑑定スキルの例外と言われている。高位鑑定能力ですら欺く、悪魔の薬だ」

「これが、そうだと……?」


おれは黙ったまま、ポーションを見つめた。


「……可能性がある、という話だ」


しばらくして、彼は静かにそう言った。


「そしてもし、これが本物だった場合、俺たちに差し出せるものなどなにもない。それこそ、命をもってあがなうことしかできない」


 ずいぶんと、大仰なことを言う。


「そういうのはいいんだ。おれは具体的に使えるものが欲しいだけなんだ。水筒とかナイフとか地図とかな」

「……地図ならば、およそ手に入る限り、最上のものがある」

「おい!!」


 剣士の男が声を張り上げた。


「あれを渡す気か!?」

「だが、上級ポーション2本に復活薬、この3つに値するものがあるか?」

「可能性があるだけだ!ガラクタかもしれないんだぞ!」

「可能性があるというだけで、これはそれに値する。

 いいか、俺たちには4つの可能性がある。

 1つ、上級ポーションは本物で、復活薬は偽物という場合。

 2つ、上級ポーションは偽物で、復活薬は本物という場合。

 3つ、上級ポーションも復活薬はどちらも偽物という場合。

 最後は、上級ポーションも復活薬、どちらも本物という場合、だ」


 長髪の男は、宥めるように、剣士の男に言った。


「要は、この可能性に対してどれくらいのものを俺たちが引き渡せるか、という話なんだ。これは、ガラクタかもしれない。だが、同時に、人生をひっくり返すようなお宝かもしれない。それに対して、俺たちが差し出せるものが他にあるか?

 その男が言った通りだよ。ダン。奪い続けることはできない。奪うことは人の居場所を作らない。

 なにより、道具を惜しんで仲間を見捨てる未来が、まっとうであるはずがない。単純な、損得のためにするんじゃない。これは、明日俺たちが胸を張っていられるためにするんだ。団長だって、そうするはずだ」


 剣士の男が黙り込んだ。

 この長髪の男の他に、頭がいるのか。


「出してくれ、レビ」


 長髪の男が言う。

 部屋の入口にいた男が、無言でうなずいて、部屋の奥へ移動した。どこから箱を取り出し、一枚の紙を持ってくる。

 長髪の男に手渡す。長髪の男が、紙を広げて言う。


「これは、『盗賊の地図』と呼ばれている。アーティファクトには及ばないが、それに準ずると言われているマジックアイテムだ。この地図の効能は、滞在するダンジョンフロアの全構造表示、そして、その階層に存在する全アイテムの位置表示だ」


 すげえ。


「いいのか?」

「当然だ。水筒とナイフもつけよう。水筒は、自動生成機能付きのものだ。最初に呼び水となる水を入れれば、その後は自動で水を生成し続ける。ナイフは……」

「ナイフはダメだ」


 剣士の男が遮る。


「得体の知れない人間に、兇器となりうるものは渡せない」


 長髪の男がこちらを見た。


「それでかまわない。地図と水筒と、ここまで教えてくれたあんたの知識で、十分だ」


 おれは続ける。


「知識というものもまた、交わすに値するもの(・・)だ。知らぬ者にとってはガラクタでも、知る者にとっては宝になる。知ることが、ものの価値を変える。それは、路傍の石を黄金に変えるようなこと。それが、お前の持ち合わせたもので、お前の差し出せるものだった。だから、お前は惜しげもなく自分の知識を披露した。そうだろう?」


 長髪の男は静かに笑った。


「もともと、貴方に持ちかけられたこの話は、藁にもすがるような話だった。可能性があるのなら、なんだってするさ」


 おれたちは交わし合う。3本のポーションと、1枚の地図と水筒を。

 長髪の男はポーションを握りしめる。

 おれは長髪の男に聞く。


「見ていても?」

「ああ、そうしてくれ」


 長髪の男は、怪我人のもとへ向かう。

 そばに座り、話しかける。


「いまから、ポーションを使う。なにもしなくていい。おまえはただ楽にしていればいい」


 怪我人の男が、倒れ臥したまま笑い、長髪の男に言った。


「怖がるなよ、ルカ。失敗しても、死が早まるかどうかの違いしかないのだから」

「……ああ」


 おれには、長髪の男が怖がっているなんてわからなかった。彼らの間には絆がある、それも深い絆が。

 2本のポーションを、長髪の男が掲げる。ここから見ると、2つのポーションは重なって見えた。それはまるで透かしガラスのアンティークのようだった。

 長髪の男が、滔々(とうとう)と呪文を発する。


『**************』


 言葉の意味は、わからなかった。だがその男の声は、胸を透過するように体の奥まで響いた。

 最後にひとつ、長髪の男が鋭く簡潔な言葉を発した瞬間、掲げたポーションが光を放ち、溶けた。

 空気がうねる。青白い霧の光が渦巻き、雪が落ちるように、倒れ臥した男たちに降り注いだ。

 消し去っていく、傷と、そして体に染み付いた穢れを。


「烙印が……まさか……本物だ。本物のエクスポーションだ」

「まさか……」


 おれは大きく息を吸い、立ち上がる。

 部屋を出る。なるべくひっそりと、音を立てぬように。

 どうやって外に出ようか。できるなら彼らの視界の外で、見えないところで外套を被りたい。


「待て」


 ダメだ。見つかった。剣士の男だ。


「まだお前に、聞きたいことがある」

「……なんだ」


 あんまりボロが出ないうちに、消えたい。


「お前が部屋に入ってくる前のあの現象、あれはお前か?」


 なかなか、嫌なことを聞くな。


「……そうだ」

「なぜ、あんなことをしたんだ?」


 はぐらかすことは、できそうもない。

 軽く振り返って、おれは答える。


「答えは、単純だよ。こいつには何かある、と思わせた方が、人は話を聞いてくれるだろう?」

「その為に、あんなことをして俺たちを脅かしたわけだ」

「そうだ」

「……お前は狂人だな」

「そうかな?おれはそうは思わない」

「頭のおかしいやつは、だいたい自分のことをそう言うんだ」


 剣士の男が大振りの短刀を胸の前で掲げる。鯉口を切り、隙間から刃を覗かせる。


「このナイフは、『冒険者のナイフ』。おれがまだ冒険者ギルドに属していたころの、支給品のナイフだ。ナイフが欲しいんだろう。こんなもんでも、なにもないよりはマシなはずだ」


 剣士の男はそのナイフを鞘に納め、それを投げて寄こした。

 おれは取り損ねて、落とすところだった。


「……ありがとう」


 剣士の男が、初めて笑った気がした。

 いつの間にか、長髪の男が剣士の男の隣まで来ていた。


「今日、お前がしてくれたことを俺たちは決して忘れない」

「……おれは別に、中身のわからないものを売りつけただけさ」


 おれは少し、肩をすくめてみせる。

 長髪の男は笑い、居住まいを正すように、まっすぐに顔を向ける。

 おれは、体を向け、その目を見る。


「俺の名はルカ。ルカとは光をもたらす者、という意味だ。お前は?」


 この男は、まっすぐに言葉を届けてくる。

 雲が動き、太陽の光が強まる。入り口から差し込む光がやたら眩しかった。

 少し、息が詰まって、光に背に向けたままおれは言った。


「……おれの名は、チトセ。チトセとは、千年という意味。千年ほども長く生きるように、そう願いを込めて付けられた」


 なにか、気恥ずかしいような、そんな気がした。おれは言葉を続ける。


「今日は、お前たちに会えてよかった。さよならだ。また会おう。千年後、おれがまだこの世界のどこかにいたらな」


 馬鹿馬鹿しくて、自分でも思わず笑いが洩れた。

 おれは、入り口へ向かい、崖を飛び降りる。相手の視界から外れたところで、すばやく外套を纏う。


 漆黒が、おれを包んでいく。

 おれはおれの、自分の世界へ、帰っていく。


 今日は少し、うまくやれたかな。

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