要なき者の夢
昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。
昔、男がいた。その男は、自分自身を必要のない者と思い込んで、都にはいまい、東の方に住むのによい国を探しに行こうと思って行った。
古いメモ帳に記してあったそれは、伊勢物語、東下りの一節だった。
ネットを巡回していた時に見つけたその一節には、心臓を絞めあげるような切実さがあった。
要なきもの。
この世に生きるに値しないもの。
伊勢物語の主人公は、自分が住むべき国を探しに行くことができた。
その男はどこかで自分を信じていたし、どこかに自分が住むべき国があるということを信じていたからだ。
そういう希望を、夢を、男は持ちえていたからだ。
だが果たして、このおれに住むに値する「東の国」があるだろうか?
自分を信じることができない人間が、自分が住むべき理想郷があることを信じることができるだろうか?
できはしない。
資格のために通っていた学校をやめた。
自分自身を繋ぎ止めるように続けていた仕事も、やめてしまった。
部屋を整理し、ささやかな遺書を書いた。
二重ガラスの窓から、秋の陽射しが差し込んでいた。
ペットボトルに水を汲んで、あぜ道を歩いた。
外は、まっさらに透き通るような青空で、おれは少し解放的な気分になった。
溶けてしまいたいと思った。できることならば、この一瞬の中に身を埋めてしまいたいと思った。
おれは草の上に座り、力を抜いて、陽光に照らされた体が輪郭を失くしてしまうのを待った。
日が沈み、夕暮れの名残りが体から消えてしまうまで、おれはずっとそうしていた。
暗闇がすべてを覆ってしまったあと、おれは立ち上がり、自分の穴倉へと帰った。
二階建てのアパートの階段を上り、ドアを閉め、鍵をかけた。おれは玄関の靴箱にもたれて、足元のコンクリートを眺めた。
萎えた大腿を立ち上げた時の痛みが、いつまでも体の中に残っている気がした。
耳が熱く火照っていた。喉の奥でヒューヒューと喘息の耳障りな音がしていた。
ひどく、ものを考えるのが億劫だった。
耳を塞いでいたざわめきが治まると、ポツリポツリと、シンクを水が打つ音に気づいた。
閉め損ねた蛇口と金属カゴが、差し込んだアパートの電灯で光っていた。
キッチンの金属カゴは、もうずっと前に洗い終えた食器で、溢れていた。
いちいち棚に戻すのが面倒で、おれはそのままそこを食器の置き場所にしていたのだった。
ほんの少し、手を動かせばよかったのに、おれはなにもしなかった。ほんの少し、気持ちを変えてやればよかったのに、なにもしなかった。
いつも、そんな、仮宿を一生の住処にしてしまうようなやり方がおれのやり方だった。
洗い終えた皿を使ったのは、いつのことだったろうか?
フライパンに油をひいたのは、いつのことだったろうか?
体のためにと思って作り続けていたチーズ入りのオムレツも、作らなくなっていた。
ひどく、喉が渇いていた。
だがもう、水を飲むことさえ億劫だった。
末期の水のことを思い出した。
葬式で、あるいは臨終の場で、死にゆく人間の唇を濡らすこと。
いつも形式的な儀式として見過ごしてきたそれが、ふと理解できた。
死にゆく人間の渇きを。
その苦しみに安らぎを与えてやりたいという願いを。
その悲しみに満ちた所作を。
それは、祈りのようなものだった。
おれは手を握り、親指でかじかんだ指を擦った。
プラスチックのキャップを開け、ゆっくりと水を口に含んだ。
冷えた水が割れた唇に触れ、口蓋に染み、喉を伝い落ちていった。
本当に久しぶりに、おれは喉を潤したという気がした。
おれは、この先、どこへ行くこともないだろう。
どこに行き着くことないだろう。
おれにわかっていたのは、死があらゆる苦しみから自分を解き放つだろうということだけだった。
だがそれでも、おれは夢を抱いていた。
もはや自らを立ち上げる力さえなくても、その夢を忘れることはできなかった。
なぜならおれは結局のところ、セルバンテスがかつてその小説に書き記したのと同じように、
死んで命を求め、
病気になって健康を、
牢に繋がれて自由を、
希い求める者だからだ。
わかっている。
それは愚か者の希いだ。
何もかもが手遅れで、それでも諦め切れない、愚か者の希いだ。
だがそれは、地獄から天に続いていく糸にすがるように、忘れることのできない夢だった。
参考文献
『伊勢物語』参考サイト URI:http://www.raku-kobun.com/ise9.html (アクセス日:2016-05-19)
ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ 前編 下』(荻内勝之訳)新潮社、2005年
テーマ曲
Radiohead「Present Tense」
Kindness「House」