第一話 世界の終わり02
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「いらっしゃい」
プレイヤーショップが並ぶ細い路地の中の一件。ドアが開くと同時になるカウベルにあわせて、女性の声が届く。
「レイくんですか」
そう云って微笑むのは店主のクレプスさんだ。肩当たりで切りそろえられた髪は、生徒たちに示しがつくくらいの暗い茶色。赤いフレームの眼鏡の奥から、黒目がちの瞳がこちらを覗いていた。髪型以外は学校で会うときと変わらない。現実世界ではロングの髪をどうしてここでがセミロングくらいまでにしたのかと尋ねたら「ヘンに伸ばしてるせいで、なんだか切れなくなっちゃったんですよね。貧乏性なので」と云っていた。「それでもショートにまでする勇気はないです」と前髪をいじりながら続けたのは、半年ほど前のことだ。クレプスさんと話すようになったのはこっちに来てから。閉じ込められた後の話だ。不思議なものだな、と思う。現実世界では顔を見ることはあっても、私的な会話なんてしたことなかったのに。
「どうも」
俺は頭を下げてカウンターへ向かう。
「お安くしときますよ?」
「や、俺が売る側なんで高めでお願いします」
「あらあら。では……お安くしときましょう」
「生活かかってるんですって。貧乏人なんで」
「またまたー。レイくん、生活に全然困ってないじゃないですか」
「先生だって生活に困っちゃいないでしょ」
「めっ」
つい『先生』とよんでしまったら、めっ、された。
「こんなネトゲ廃人を『先生』なんていっちゃいけません」
「そっち!?」
「レイくんはそんな大人に……ああ、もう手遅れですか……」
「諦めないで!?」
しかも自分じゃなくて俺だし!
「人間、一度堕落しちゃうとなかなか立ち直れないんですよう。ほら、ここで課金したらひけなくなる、って思っちゃう場面でうっかり倍プッシュかけちゃったり」
「それは……とてもダメな感じですね……」
「交際費かからないとついついゲームとかに使っちゃうんですよねぇ……」
なんて関係ないダメ人間トークをしつつ、狩りで得たドロップアイテムなんかを買い取ってもらう。
「ん、全部で720ドラクマですね」
「ありがとうございます」
アイテムの換金を終えて、俺はひと心地つく。NPCの店なら一食が30ほど。もはや攻略を諦めている俺は、宿屋よりも安く部屋を借りてしまっているので、これだけで半月以上生活できる。もちろん、休みたい時に休むために、それ以上の頻度では狩りに出かけるが。
五時までまだ結構時間はあるが、準備もあるだろうと俺は店を後にする。とはいえ五時直後にくる客などほとんどいなくて、大体が六時すぎだ。五時は、職人側が街へ戻る努力目標。先……クレプスさんみたいに先に店を開けるのはかなりの少数派で、基本的にはやるとしても後だ。で、何故先生が先に店を開けるかというと……。
もとの世界の感覚で、朝起きて夕に帰るタイプが大半なのだが、なかには本来ネトゲを深夜にやっていた感覚のまま、夜出かけて朝方かえって来てから寝るタイプがいる。クレプスさんは後者というわけだ。先の街にいるネトゲ仲間とともに深夜攻略をすすめている。日が頂点を越えてから起きて、店を開け、攻略に出る。
タイプと云えば。
プレイヤーショップ、の中でも食事系の店にはこれもまた二種類のタイプがある。ひとつは通常通り、クッキングスキルを上げて行われるもの。もう一つは、元々の調理技術で行う普通の料理、だ。ネオアルカディアは基本的に、いかなることにでもオートとマニュアルの切り替えが存在する。スキルレベルをあげれば俺だって高級料理店の味が出せる。反対に、スキルレベルがゼロでも自分が食べるだけの料理ならリアルと同じようにはつくれる、ということだ。プレイヤーの中には脱サラ感覚で料理屋をやっているものもいると聞く。さすがに、鍛冶スキルを自前でやる人間は聞いたことがないが。騎乗スキルくらいならいるのかも知れない。知り合いが少ない俺は見たことがないが。攻略をするでもない俺は、ソロの方が気楽だ。無理はしない。だから仲間も必須じゃない。強がりでも、あまりない。仲間を維持する方が大変だと思う。それはいいとして。
戦闘にしたってそうだ。殴る強さ自体には攻撃力の補正がかかるから、規定の動きをするよりも、例えば剣道の有段者なら全部自分で戦った方が場合によっては強かったりもする。特に『生き残る』ことが大切になったあの日以降は。俺も半分はマニュアルで戦っている。筋力はいらないから、反射神経だけ持ち前でそれなりなら、戦闘スキルの強さが直接の強さにはならない。基礎ステータスの差があるので、レベルの絶対値は高い方がいいのだが。極端な話、高レベルスキルをトレースする目と神経があれば、使えてしまうのだ。もちろん、基礎レベルが低ければ攻撃力自体が低いだろうし、本来のけぞらない威力なのに強制のけぞりがついている場合などにはその限りでもないが。それに無理矢理な体勢からでも、初動よみとりで強制発動できるのは便利だし。全くスキルを使わないなんてごくごく少数で、マニュアル戦闘派だって抜け道や裏技的にオフにするだけだ。
さて、NPCの店で食事でもして部屋に帰るか、と街を歩いていると――。
突然の警報。
それも起床アラーム付き。そんなことはまずない。警報だけならたまにある、だが強制起床を促すものを含むのはあの日――ここに閉じ込められた、一年半前。あのときだけだ。俺は息を呑んで、ウインドウを表示させた。
『プレイヤーの皆様へ
最終シナリオ<プロメテウス/パンドラ>が発動されました。
世界はどこであろうと戦場で、非情なものです。
これより各大地に≪支配者≫が配置され、街がモンスターに認識されるようになります。放たれた七体を打ち破り、叡智の火をともしてください。
進化に犠牲はつきものです。箱の底に残る未来が、明るいものでありますように』
「なんだ、これ」
思わず声が出た。いきなりなにを、と理解を放棄する感情部分に理性が語りかける。『街を認識する』とはどういうことか。そしてもうひとつ。『最終シナリオ』といった。ついに終わるのか。出られるのか、ここから――?
けれど考えをまとめる間もなく、俺――いや、俺たちは、知ることになる。
ここは、この世界は、あの日から。
俺たちにとっての戦場だったということを。