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番外編 銀朱の盾01

番外編 銀朱の盾


 その日。

 その日は至って平凡な、繰り返されていく一日のはずだった。

 唐突な最終シナリオの発動と、街へきたモンスターの群れで、激変してしまう、これは数時間前のこと。


 高校に入るとき、随分緊張したっけ。

 新しい場所への不安と期待と。でも、気づけばなれていて、続いていくのはいつだって、ありふれた私の日常だ。

 四角く切り取られた石を積み上げで出来た、地下の、ダンジョン。剣と盾を手に、そんな事を思い出した。

 リッカは今日もパーティーメンバーとともに、このダンジョンに潜っていた。最大人数の六人で、彼女たちはダンジョンに潜る。第二の大地の適正レベルは25くらいまでで、それでも「死んだら死ぬ」ということが当たり前の今、だいたい5レベルくらい余裕を持って、30くらいで向かうのがセオリーだ。だから、レベル32のリッカたち――一番低いメンバーも30だ――にとってこのダンジョンはかなりぬるい。その分、効率もよくない。それでも別に、「最前線は無理でも第二攻略組に」とか考えているわけじゃない彼女たちには問題なかった。レベルはなかなか上がらないし、稼ぎも多くはないかも知れないけれど、安全に越したことはない。もちろん程度問題で、本当の本当に安全だけを最大限目指すなら、最初の街からあまり動かない方がいいのだけれど、さすがにそれは、退屈すぎて死んでしまう。

(死んでしまう、ね)

 人間は慣れる生き物だ。最初はおののいた非日常も、一年半もした今、もはや日常。中学から高校へ上がったのと、たいして変わらない。強制的な引っ越しは全寮制だと思えば、人間関係のリセットは進学すれば普通、ルールの変更は教科が変わったようなもの。

 与えられたものを変えられないなら、逃げられないなら、適応していくしかない。それは現実世界も、ここも同じだ。それだけのことだ。

(元々、世界なんて変えられなかった。不条理は生まれたときからだ)

 あの頃も、今も。自分は恵まれている方だと思う。だからといって幸せだったわけじゃない。幸せなわけじゃない。それはとても普通なことで、普通な私にはお似合いの、ありふれた欠乏だ。

 学校へ行くようにダンジョンへ行く。問題集をとくようにモンスターと戦う。抜き打ちテストの感覚でたまに違うモンスターが出てくる。なにもかも延長か変奏。ちょっとした失敗はあっても、それで死ぬようなことはない。死なないくらいには、真面目に頑張っている。

 自分の分くらい、わきまえている。

 クラスの中でも、この世界でも。

 私には中心に立てるだけの何かがなくて、そんなもの得ようとする努力も虚しくて、だから別に、いいやって。仕方ないって。

 ユニーク宝箱のあききったダンジョンで、とっくの昔に誰かが通った道をなぞって、新しいものなんてない世界を、消費していく。

「この先の角を――ってあれ?」

「どうしました?」

 少し前を歩いていたリーダーが上げた声に、リッカが尋ねる。

「や、角をまがるつもり、だったんだけど、ほら、正面に扉が。こんなの、マップにのってないんだよなぁ」

 突き当たりには扉がある。このダンジョンには珍しい、金属製のちゃんとした扉。なにかの模様が彫り込まれている。

「どこかで道を間違えたか――」

「レア系? レア系かな?」

 後からぴょんと顔を出して少女が尋ねる。実年齢よりも幼く見える容姿と身長。しゃべり方もどこか舌足らずで、かかる手間を考慮して、砂糖菓子という形容が相応しい。

「かなぁ」

 時折、レアイベントというのがある。発生条件がわかって普及するものもあるし、結局わからずじまいのものもある。

 さして情報収集に熱心なわけではないから確実ではないけれど、でも、普通に過ごす範囲では、こんな扉のクエストは知らなかった。

「レアならチャンスじゃない?」

「でも、危険かも知れませんよ」

「リッカちゃんは真面目だなぁ」

「レベル的にはいける、と思うよね」

「……そうですね」

 少しみんなで話して、いってみよう、ということになった。いざとなれば縮地の書で逃げればいい。準備だけして、

「じゃあ、あけるよ」

 云って、リーダーが扉を開ける。

「……うわぁ」

 中は神殿のようだった。立ち並ぶ柱はなんといったか、世界史でやったような、古代風のもの。装飾が施してあって、よく見ればそれは扉ものと近い。その奥にある祭壇に、六人は近づく。すると、ぼんやりと放たれた光の中から、まつられているだろう神が姿を現した。

「間違いない、レアイベントだ」

 と、云ったのは誰だったか。しかしそれを問う必要ない。六人全員が、そう思ったからだ。

『ヘパイストス』

 神は語る。六名を睥睨して。その身体はヒトのようだ。ただその体躯は大きく、三メートルほどだろうか。そして脚は、膝から下が機械のようだった。剥き出しの部品、という表現が最適で、機能はしないのだと思われる。ヒトの器に収まらない、とリッカは感じた。そしてそれが、重要な意味を秘めている、と思った。その理由と確信は得られなかったが、結論を述べればその直感は正しい。

 ヘパイストス、という名は、たしか、ギリシャ神話だったか、とリッカは首を傾げる。神殿なるエリアに来たのは初めてで、そもそも神というNPCの概念を今まで知らなかった。

『人の子よ――』

 人の子、とはなんと傲慢な言葉だろうか。けれどもその瞬間、その空間には神と人がいた。六人は人としてくくられ、存在として統合される。発する喉の差に意味はなく、用いられる言葉に区別はなく、捉えてそれは人と神との、二者となる。

『もっとも攻略され、それ故にもっともシステム的に意識の薄いこの大地で、それでこそアテナ――否、ヘラの目をかいくぐることが出来る』

 アテナ、という名は、そういえば聞いたことがある。あれは確か、ネオ・アルカディアのシステム側が用意した案内アバターだ。そうか、アテナ、それは女神の名か。ネオ・アルカディアにおいて権限、あるいはシステム側である者に与えられるのが神の名、だろうか。けれど、ヘラ、というのは聞いたことがない。それは主神であるゼウスの妻だったか。と、何故かわかった。それはリッカではなく、五人の内誰かの知識だったのかも知れない。

『人の子よ。内と外、本来相容れない我らは、けれどヘラを討つ一点に於いて協調できる』

「――ヘラとは?」

 これはヘラ、というものを討つクエストなのだろうか、とリッカたちは素直に思う。けれども、それはレベル30そこそこで、本来なら更に低い、この第二の大地で課されるクエストなのだろうか、という疑問はある。やれる、という意見と、無理だろう、という意見がまとまらないままヘラとは何かを問う。それは六人に共通する疑問だ。

『ヘラはゼウスの妻をなのる神。メタ的にはこの世界の実質的な創造主。ゼウスの理念やアイディアをこの世界として形作った、人の言葉で語れば、経営者だ』

「ネオ・アルカディアの、開発者?」

『色のない云い方をすれば、それで正しい。開発者の一人、中心メンバー、主犯だ』

「主犯とは?」

『あらゆる意味で。主には、この世界の創造だ。芯として、この世界をこの世界たらしめた、人の言葉にして、ログアウト不可。それがヘラの思惑によるものだ、と解釈して正しい』

 持って回った云い方だ、と感じる。それは威厳の、キャラ付けのためか、もしくは日本語が不自由なのか、と思い当たる。

「で、あれば、ヘパイストス。同じ十二神のあなたも、開発スタッフなのか?」

『半分は正しい。だが人の言葉ではそう捉えられないだろう。私はアテナ――本来のアテナに近しい。あれは入れ物だが、私は内側しかない、ということだ』

「よくわからない」

『システムだ。アテナは複数の管理者による、実体のないアカウントだ。私は管理AIだ、といえばわかるだろうか。アテナは死のない舟である。私は単一の水である、とも云える』

「ひとではない?」

『然り。アテナ、私、そしてヘラが生み出そうとしているアレスは、人ではない。ヘラやゼウス、その他の十二神は人である。否、人であった、と表現すべき者もいる』

「……管理者は、今もネオ・アルカディアを管理できているのか?」

『否。ヘスティアをはじめ、外側の人はネオ・アルカディアに手は出せない。私も管理権限の大部分を今のアテナ――ヘラの手に奪われている。ダメージ・アイテムその他演算に使われているのは私だと云える。が、AIとしてのこの私ではないとも云える』

「ログアウト不可の時点で、全てヘラに奪われた?」

『そう思って正しい。外と内、あらゆる意味に置いて、ヘラがこの世界を支配している。私と、中にいたアポロンやアルテミスは困惑した。アポロンやヘスティアはこれを、ヘラによる突然の暴走と考えたかも知れないが、しかしこれは本来の仕様であり、ヘラの目的の途中だ』

「アポロン……?」

 その名は聞いたことがある。けれど、NPCや管理者としてではない。現在の、最前線攻略パーティーの中心的人物の一人、プレイヤーとして、だ。

『そう、彼とアルテミスは内部から事態を解決しようとした。ヘラが権限を握っていると考えれば随分と無謀な発想だが、ヘラはその点についてフェアだった――否、実際にはそこまで細かい操作がヘラにはできなかった。彼らは一般のプレイヤーと同じ認識で、同じように扱われている。データ的なチートの類いは行えないが、運営側の一員としての知識はある』

 だから彼は最前線の攻略パーティーにいるのか。と思った。データ的な権限がないなら、彼らはけれど命を賭しているのだ。事実、アルテミスというプレイヤーは第五の大地攻略で命をおとしていた。彼女が開発チームだとするなら、命をおとしたのは、トップクラスのプレイヤーが死んだ、ということよりも更に暗い意味を持つ。

「開発チームで、外から解決できないのか?」

『出来ない、出来なかった、のだろうと推察される。それは今現在私が、ヘラが、こうして存在しているからだ。プログラム的な実力で云えば外に残されたポセイドンたちが解決する可能性も考えられたが、人の子は人の子であったらしい。外にいる以上、人でしかない――或いは、ヘラがなにか策を講じたかも知れない。ポセイドンがこの世界を壊してしまえない理由を』

「外から壊せない理由?」

『トリトンかエリクトニア――ポセイドンの子を内部に抱えている、と思われる。その二名のキャラクターデータを、私はネオ・アルカディアが正規と思われる運営をされていた時点で確認している。人質、というわけだ』

「だから、外からは強引な手がとれない?」

『然り。ヘラの管理状態について、外から知る術はない。特定、或いは全キャラクターを消去できるという可能性を考えて、手を出せないのかも知れない。加えて、初期メンバーであるポセイドンはヘラの目的を知っている可能性がある。その内容がもし、我が子の生存と競合しないのであれば、様子を見て時間を経ても我が子が帰ってきやすい選択をするのかも知れない』

「自分勝手だ」

『否、そうではない。子を生かすことはここに閉じ込められた人の子らを生かすことと同義だ。自分勝手、というのは、我が子が死んだ時点でポセイドンが強攻策にでた時に使われるべき言葉だ。どちらだ、とはまだ云えない』

「ヘラは、何をしようとしているのか?」

『そう、それが、本来相容れない我々が唯一協調できる理由である。ヘラの目的は、アレスを生み出すことだ』

「アレスを、生み出す?」

『アレスはAIだ。そしてヘラとゼウスの子である。それを生み出す。この世界は母胎である、と考えることが出来る』

「生み出されると、どうなる?」

『その後の考えがヘラにはないと推察される。あれは妄執に囚われた女だ。アレスを生み出すことしか考えていない。すべてのリソースをそこに割くことで、あれは本分を超えた力を発揮し、この世界を作り支配した。ひとつ云えるのは、アレスが完成した時点で少なくとも、私とネオ・アルカディア内で一度死んだものの消滅が確定される。生きている人についてはわからない。全滅はないと思われるが、大多数がともに呑まれる可能性は十分にある』

「それは……永遠に閉じ込められると云うことか?」

『永遠はない。メタ的に、というより、人の言葉で、死ぬ。肉体に戻ることがかなわなくなる。肉体的死を迎えるかは、私には判断しかねる。外のことが私にはわからない。ただ、精神がここにある以上、人の、認識の言葉に於いて死ぬ。最大限楽観的に見れば、記憶喪失として、ソフトのない人間として再起動する可能性はある。外の人間からすれば生きている、ということになるが、今、この内部にいる、諸君らの認識では死に他ならない。わかるか?』

「同じ容姿と同じ名前ではあっても、そこに人格がない、ということか」

『然り。死んだと気づかれないままに死ぬ。それは人にとって、肉体が死ぬ以上に耐えがたいのではないか、少なくとも同じではないか、と、消滅を拒むこの私は推察する』

「だから、協調できる?」

『然り。我々は等しく、アレスが生み出されネオ・アルカディアが強制終了される、という結末を望まないはずだ。だから、ヘラを討つことは双方の必須条件になる、と推察する』

「……けれど、それはつまり、結局ゲームクリアーで出ることと違いがあるのか? つまり、僕らには既に勝ち目のないゲームだと云うことではないのか?」

『正規の手段で、つまり七の大陸と七の支配者と魔王を倒すことによるエンドであれば、生き残っている人間は肉体に戻される。それは、ヘラには変えられない仕様だ。そこをいじることは計画の露呈に繋がる。だからその部分は残し、ヘラはヘラの勝利条件を付け加えたに過ぎない。つまり、アレスを生み出す、ということだ。そのエンドが生き残っている者にどういう影響を与えるのかはわからない。ただ、その場合でも私とネオ・アルカディア内で死んだプレイヤーは消滅する。諸君らにとっては正規ルートでのクリアーが望ましいことに変わりはないと思われる』

「さっきから、『私』と『死んだプレイヤー』が同じに扱われるのはどういうことなのだ?」

『現在、この世界には三種の人格がある。つまり、「中でしか存在できぬ者」「中でも外でも存在できる者」「ヘラ」だ。ヘラは中でも外でも存在出来る内に含めることが出来るかも知れないが、便宜上分ける。この区分に於いて、プレイヤーやアレスは「中でも外でも存在出来る者」であるといえる。つまり、帰る肉体がある者、だ』

「アレスには、帰る肉体があるのか?」

『未だない、とも云える。もうあるとすることも出来る。アレスは肉体に転移できる人格だ、と判断できる』

「転移できる人格?」

『人のような人格、人のようなスペック、人のような構築。アレスは造られた人である、ということだ。完成すれば、だが。現在はまだ完成していない。アレスが完成し、その人格を人体にコピーすることで、アレスは誕生する。生み出される。遺伝子は重要ではない。こういう考え方も出来る。現在、精神を切り離された人の子は、別の肉体に帰ることも出来る、と。もちろんある程度の調整は必要だ。アレスはつまり、おそらく一つの肉体にあわせチューニングされて生まれてくる。人とは精神である。思考である。人格である。という考え方だ』

「肉体をシャッフルすることが出来る?」

『多少、手間をかければ。それがアレスを生む条件であり、ネオ・アルカディアに人の子を閉じ込めた理由でもある。人とは肉体である、と考える者には、アレスは存在しない。そしてこの世界にも人は存在しない。そういうことだ。考えるこの私は存在する、と考える。だから人の子も私も存在している。それが真実だ、と私は述べる』

「わかった。いや、飲み込めないことばかりだが、今まで通り正規クリアーを目指すべきで、それを阻むヘラのクリアーを阻止すべきだ、ということはわかった。それで、具体的には、どうすればいい? ヘラを討つ、とはどういうことなのか」

『ヘラを討つことは魔王を討つ事に等しい、と推察される。ヘラと魔王、アテナたちはいまや同じである、と思われる。そこには演算・管理システムとしてのヘパイストスも含まれるかも知れない。つまり、ヘラを正規手段で討つまでの間、アレスの誕生を阻止する、ということになる』

「アレスは、アレスとしてそこにあるのか? つまり、アレスというプレイヤーキャラを殺せばいいのか?」

『その認識で間違いない。しかし一度ですむとは限らない。アレスの完成を阻止する間にヘラを倒す、ということだ。もしくは――』

「もしくは?」

『アレスについて奔走するヘラを私が幽閉する。これが私たちとっての最良の勝利だと思われる。このためにも、まずアレスを一度は消して、ヘラを引きずり出すことが必要になる。アレスはその性質上、権限がない。プレイヤーキャラと同じ扱いだ。権限のない今の私では、それでも手出しできないが、人の子にとっては、同じレイヤーだと云える。武力に於いても知能に於いても勝てない相手では、決してない。そのような存在では生み出されないからだ――つまり、私のように、人におさまらないのなら、アレスには意味がないからだ』

 ヘパイストスは神話上、ヘラによって生み出され、容貌故にヘラに捨てられた子だ、というのを思い出した。管理システムとして名を与えられ生み出されたヘパイストスは、この場合最初から、失敗したアレス、或いはアレスの踏み台だ、ということになる。

「了解した。居場所もつかめないアレスを殺せというのはきわめて困難だが、挑戦しなければならないということは理解した」

『十全だ。幸運を祈る』

 そう云って神は消滅した。レアイベント、そう、確かにこれはレアイベントなのかも知れない。わからないことだらけだ。そして、どれだけシリアス――つまり現実的に力のある問題――なのかもわからない。ただのシナリオ的フレーバーなのかも知れないし、或いは本当にこの状況、ログアウト不可に深く関わる事象なのかも知れない。それは街へ戻って、他のプレイヤーにそれとなく聞いてみてもいいのかも知れない、と思った。

 ポーン、と音がして、リーダーのボックスにアイテムが送られる。『存意の炎』使用ボタンは灰色で、現在押せない。それはもしかしたら消費アイテムではなく、オブジェクトなのかも知れない。神に背く、叡智と意志の象徴だ。

 気づくと神殿は消滅していて、六人は元のダンジョンにいた。角のところに扉はない。六人は壁の前にいた。


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