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【2】


「よしノリ! お前、俺等の部活に入ろうぜ!」

 白い歯を見せつけながら笑う渡瀬涼耶が俺の肩を粉砕せんばかりに叩きながら、そう言った。

 彼の隣に座る菊池深空も同じような笑顔をして「そうだね!」なんて言っている。あれ?

「そうだね!?」

「そうだよん、ヨシノリ君も涼耶の部活に入ればいいと思うよー」

「ヨシノリじゃねえよ俺の名前! なんでヨシノリ!?」

「あれえ? 今涼耶がヨシノリって言ってなかったあ?」

「いやそれは違うと思うんだけど……あの、こう、よし! ノリ! みたいな……呼びかけ? というか」

「そうだねー! ヨシノリ君!」

「うわダメだ通じてない」

ええっと。少し状況を整理する必要があるようだ。まず最初に何があったか。

そう、渡瀬涼耶が叫んだ。放課後の図書室、古くなって少しばかりカビの臭いがするカーテンと日に焼けた本棚だけが俺達を見守るそれはどこか現実から隔離された――ってまずい。下手な情景描写をしたくなるくらいには混乱しているらしい。

それもそうだ。何の脈絡もなく突然叫ばれたり、部活に勧誘されたり……。

一体、どうなってるんだ。


               (☄ฺ♛ฺ3♛ฺ)


「……えっと、(さか)(もり)さん」

 意を決して、般若の形相の坂森さんに声をかける。何故に、平穏な学校生活の中で『意を決する』なんて言葉で自分の心境を形容しなければならない事態に直面することになったのか。

「うおお、ついに喋ったああああああ!」

「ぽお! わあ涼耶、喋った! 喋ったね! 初めて声聞いたね!」

 その上、奇人二人が坂森さんとの会話を邪魔してくる。この二人とも会話せざるを得ないんだろうか……? そうなんだろうなあ……。形容しがたいほどに気が重い。

 緊張からか不安からか、手のひらに大量の脂汗がにじんだ。

「あら(いち)()君。何?」

 む、無視! きゃっきゃとはしゃぐ二人を完全に無視!

 そして、俺が二人の前で初めて口を開いたという、高校生にあるまじき陰鬱な日常を想像をして憐みの目を俺にむけたくなるような、悲惨な事実も無視!

坂森さんは、もはや渡瀬涼耶と菊池深空には微塵の興味もないといった風に俺と正面から目を合わせた。坂森さんの瞳に他意はなく、健全な高校生男子だったら勘違いしそうになるくらい真っ直ぐだ。

だが、俺は坂森さんの一挙一動――髪を耳にかけ、小さな唇を開き、ずれたメガネを押し上げる、それだけの行動にいちいち冷や汗をかく。

失礼と分かっていながらも俺は目を逸らした。

 そういえば、坂森さんは何で鼻をつまんでいるんだろう。派手に行動しすぎていたから、どこかに打ったのだろうか。鼻血でも出ているのかもしれない。

「まったく、生魚臭くて仕方ないわね」

 ……少しだけ渡瀬涼耶がかわいそうになった。

渡瀬涼耶、落ち込むなよ。その銀髪、そりゃ二年生になって初めて同じクラスになったときこそびっくりしたけど、よく似合ってるよ。あの、だから全然生臭くなんか……

「すげえな! 普通に男だな! 実は女で、喋るとばれるから喋れない説は残念だかはずれだったみたいだな!」

「そうだね! でもなんで私たちには喋ってくれないんだろうね? んむー」

「そりゃ、俺等がうるせえからだろ」

「そっかあ!」

 全く動じて無かった。こっちもこっちで聞いてなかったのかもしれない。

「とりあえず、渡瀬君、立たせてもいいですよね。それと……」

 俺は言葉を紡ぐのを躊躇って(ためら)から、ぐっと奥歯を噛みしめて、言った。

「多分、二人は俺に用があるんです。少しだけ、ここで話していいですか」

 終始視線は埃が散乱した床に突き刺さったままだったが、なんとか言葉尻を震わすこともなく言い切った。

坂森さんは渡瀬涼耶にこそ厳しかったが、俺に対してはそうでもない。

坂森さんはあまり笑わない人で、無表情かつ口調も平坦なことが多い人だから、どんな気持ちで言葉を発しているのかはいつも分からない。彼女は今度もにこりともせずに首を縦に振った。

怒るか無表情か。俺は坂森さんのこの二つの表情しかみたことがない。

腹の中では、目を合わせて喋らない俺のことを何て野郎だと罵倒しているということもありえるのではと考えたこともあるが、たぶんそれは坂森さんに限ってありえないことだ。

坂森さんは、人を直接罵ることに躊躇を覚えない人だから。

「いいわよ。どうせ人もいないし、さっきみたいにそこのシラスが騒ぎ出したりしなければね」

「ありがとうございやす!」

 いつの間にか立ち上がっていた渡瀬涼耶が、俺と坂森さんの間に割り込んで敬礼をする。一八〇センチを軽く上回る長身男がもの凄い勢いで立ち上がったせいで、床に溜まった埃がぶわっと舞った。

 目線の先には丁度渡瀬涼耶の背中。渡瀬涼耶とは確かに同じクラスだが、先程彼等が言ったように俺はこれほどまで彼に接近したことがない。

――勿論、菊池深空も、他のクラスメイトとも、ろくに会話を交わしたことはない。

渡瀬涼耶の広い背中を目の前に、思わず拳に力がこもった。反射的に菊池深空の位置も目だけで確認してしまう。

彼女は俺たちとは離れた閲覧席に座っていて、にこにこと微笑んでいた。窓から射し込んだ陽の光が菊池深空の髪を輝かせているのに対して、俺は渡瀬涼耶の影に埋れて(うも)いた。

「じゃあ私は奥にいるからね、一谷君。何かあったら言ってね、一谷君」

 あくまで私は一谷君と話してるんであってアンタと話してるわけじゃないの、と言わんばかりの完全な無視。目線は渡瀬涼耶。話し相手は、俺。

颯爽とカウンターの奥へ消えていった坂森さんを茫然と黙って見届けた。あっ。

 ちょっと待って。この二人と三人きり? 

「そんじゃあノリ君! 座って話そうじゃないか!」

 くるりと軽快に振り返った渡瀬涼耶の顔には、満面の笑みがはりついていた。対照的に引きつる俺の口角。思わず一歩後ずさりしそうになってよろめくと、またしても素早く腕を掴まれてしまった。

そのままぐいぐいと引っ張られて、菊池深空が陣取っている閲覧席に連れて行かれる。

俺たちの他には人っ子一人いない図書室に、上履きがゴムの床をこする音だけが、響くことも無く吸収されていく。何故か渡瀬涼耶は足音をほとんど立てずに歩いている。お前は忍者か。

「どぞどぞーっ」

 抵抗することもできず、菊池深空が引いた椅子に座らされた。

 俺と二人が対面する配置の椅子。嫌だな、高校受験の面接を思い出した。

真正面に座ったのは菊池深空ではなく渡瀬涼耶だった。背が高いせいで前からの威圧感が凄い。派手な銀髪とピアスも相伴って、俺の心境は今まさに不良に絡まれた時の中学生。

 渡瀬涼耶は、頬杖をついてニコリと笑った。さっきからよく笑う男だ。

反対に俺は、何がおかしいんだと顔の筋肉に力を込める。

「ノリ君、その漫画はノリ君の物?」

「あれっ? ちょっと待って。何で俺の名前……」

 クラスメイトの口から自分の名前がすんなりと出てくるなんて。あまりの驚きに早速話しの腰を折ってしまう。

「ぎゃははは!」「ノリ君何言ってるのーっひひひ」

「なっ」

 一笑に付されるどころか爆笑に付された。突然真面目な顔になったり大笑いしだしたり、菊池深空に限っては相好を一時も崩さないし。なんだこいつら。

 普通、高校に入学してから同級生と一言も会話していないような人間の名前を覚えられるか? 影が薄すぎてイジメの対象にもならないような奴だ。先生にすら忘れられるこがあるくらいなんだぞ、自慢じゃないけれど。

俺だったら覚えていられない。存在が無いことになっている人間に、名前があるだなんて考えすらしない。空気よりも薄い人間を気に掛けるほど、高校生だって暇じゃない。自分の周り(まわ)の対人関係だけで手一杯なはずだ。

一谷(いちや)(のり)だろ? 同じクラスの」

「う、うん」

「まさか! 俺らの名前は覚えていないとか!」

「ががーん! ショック!」

 効果音を口にする人間を初めて見た。こっちが、ががーんだ。

「仕方ないよ深空……俺等あんま目立たねえし」

「はあん、そうだね……間違ってもクラスの中心! って感じじゃないもんねー……」

 まあ確かに、二人はいわゆる、どこの学校にもいるであろう「クラスの中心人物」と言われるような人物ではない。

服装に関する校則がほとんど無いに等しい梅沢高校には、金髪も茶髪も掃いて捨てるほどいるから、渡瀬涼耶の銀髪も、目を惹くことは惹くが特別目立っているというわけでもない。

余談だが、俺のクラスの中心であろう人物は文芸部に所属するの男子で、その取り巻き――と言ったら聞こえは悪いが、現実そうである男女数名――がまず間違いなく「そっちのクラスって誰がいるっけ?」と訊かれれば真っ先に頭の中に浮かぶような面々だ。他のクラスについては、見事にそのような人物が所属していないクラスもあるみたいだけれど、大体は運動部の男女が主体のようだ。

梅ヶ丘高校には中等部が存在し、やはり中等部からの人間と高校から入ってきた『外部』では雰囲気が違う。二年になった今ではだいぶ緩和されてきているが、社交性に欠ける外部の生徒達と、学校に慣れた外部と、中等部からの生徒との間では、隠しきれない『格分け』的な風潮が学校には根付いてしまっている。

 その点では、俺のクラスはある意味異常だ。

 その文芸部の男子は外部の生徒で、しかも文芸部はほぼ帰宅部状態。

 どちらかと言えば、文化部より運動部のほうが力のある梅ヶ丘高校において、文芸部といえば無駄の中の無駄。部室の無駄。部費の無駄。無駄の象徴。キング・オブ・ザ・無駄。運動部からも、一部の文化部からも疎まれる存在なのだ。

 クラスの六割が運動部に所属しているという環境の中で、よくも文化部――しかも文芸部所属の男子がクラスの人気者をやっていけるなとつくづく思う。

そもそも、彼が文芸部所属だということを大多数は知らないのかもしれない。

ともかく、彼の名前を知らない人物は学年内にはいないだろうというほどに彼は有名人で、俺はそんな人物が吸って吐いた二酸化炭素を吸って生活している。畏れ多いぜ。

「お前外部だったの!?」と中等部から上がってきた生徒が驚愕するほどの、凄まじい状況対応能力で、入学してから一週間足らずで馴染んでしまったという謎のカリスマ性。羨ましいことこの上ない。

そんな、こっちの目がつぶれそうなほどに輝く彼が率いるグループが、いつだってクラスの中心にいる。

 どこの学校でも俗に言う「グループ」は存在するのだろう。小学生の頃ですらあったのだから、高校でもそのようなものが存在するのはむしろ当たり前だ。

 俺はというと、どこのグループにも属していない。

 実際のところ、「お前うちの生徒だったの!?」と教師が驚愕するほど影が薄い俺は、クラスの誰からも認識されていないわけで。むしろ、俺はそれを望んでいたのだけど……。

うわあ恥ずかしい。いくらかっこつけても意味なんてない。

――だから、渡瀬涼耶と菊池深空が俺の名前を知っているとは思ってもみなかった。

 渡瀬涼耶と菊池深空の、クラスでの立ち位置は俺とは全く逆だから、余計(よけい)に。

 

話が脱線しすぎる前に、話の焦点を渡瀬涼耶と菊池深空に戻そう。

 

彼らは、どこのグループにも属していない。それでいてどこのグループにも受け入れられる。強いて言えば渡瀬涼耶、菊池深空の二人で一つのグループだ。

 体育会系のグループでも楽しそうにしているし、逆に、ばっさり言ってしまえば根暗な人達が集うグループの中でも笑顔を見せているところをよく見かける。

常時二人が一緒にいるというわけではないみたいだけれど、二人が一緒にいる時間は(はた)から見てもかなり長い。クラスの女子が二人は付き合っていたりするんじゃないかと噂話をしているところを聞いたことがあるけれど、どうなんだろう。俺にはわからない。

 

誰とでも分け隔てなく接しているが決して執着したりはしない。広く浅く。

 そんな人付き合いの仕方をしている同士だから、気が合うのかな。なんて今まで思っていた。精々その程度で、二人について特筆することなんて無い、と。

 だから……

渡瀬涼耶(わたせすずや)と、菊池(きくち)()(そら)でしょ……?」

「……お、おう。なんか改めてフルネームで呼ばれると照れるな」

「んん、菊池って私のこと?」

「何言ってんだお前」

「んんー。皆私のこと下の名前で呼ぶから一瞬忘れちゃってたよー」

「まったく、深空のお馬鹿!」

「えへへ」

……まさか、まさかこの二人が、こんな変人だったなんて知らなかった。

 何故(なぜ)だ。何でこの二人はこんなにも楽しそうなんだ。二人のほうから話しかけてきた(叫びかけるという言葉がもしあるならそっちのほうが正しい)というのに、早くも俺は置いてかれつつある。

ああ、そうか、この漫画か。この漫画に用があるのか。 

まさか……万引きしたのがばれたとか。 

ないない。してないからね? シャレにもならないって。早速、渡瀬菊池菌に侵され始めているらしい。心中で呟いただけだというのに、思わず誰かに聞かれたんじゃないかと首をせわしなく振って赤面する。寒いノリツッコミ、笑えない。

(しょ)(ぱな)、影薄い根暗野郎が漫画の万引きをクラスメイトに見つかって――って、どういう方向に持っていきたいんだか。

 っと、真顔でふざけてる場合でなくて。

「この漫画は俺のだけど……それがどうしたの?」

 俺は瞬時に落ち着いた顔を取り繕って訊いた。無意識に棘のある口調になってしまった気がする。無意識に、他人を遠ざけようとしているらしいと気づいて、気分は落ち着いた。

「ノリって結構話してみると普通だな」

「話がどんどんずれてきそうだから質問に答えてくれないかな……? て言うか、名前呼び捨て……?」

そりゃお前よりは普通だろうよ! 誰よりも無難なヤツだと思ってた人間がとんでもない変人だったっていう衝撃的事実に直面して気持ち悪い脂汗かいてる俺だけども、お前よりは普通だろうよ!

「ああ、いやなー。部活の友達がノリが読んでる漫画が好きでさあ、すげえ推されてたから俺もちょっと読んでみたわけよ。そしたらそれおもしれえのな。だから……」

「ちょ、ちょっと待って」

「ん?」

「渡瀬君って部活入ってたの? えっ、俺が読んでる? 何で知ってるの?」

 しつこいが、俺は自他ともに認める――否、他者に存在を認められないくらいの影の薄さだ。

名前を憶えられていた上に、俺が教室で読んでる漫画まで把握されていた?

わけが分からない。動揺を隠すこともできずに矢継ぎ早に質問をくりかえした。

自分で話をずらすなと言っておいて、話の腰を折っているということにも気づかずに、俺の視線はただひたすら泳いだ。

「んむう、私も涼耶と同じ部活だよー。涼耶が作った部活なんだあ」

「そうそう! 環境(かんきょう)保護部(ほごぶ)っていうの。知らね?」

「知らない。そもそもこの学校、同好会も多いから全部を把握してないんだけど……。部活って確か最低四人いないと創部できないんじゃないの?」

「何で(はな)から四人以下ってことになってんだよ」

「え、四人以上もいるの? 環境保護部でしょ?」

 いくら根暗な生活を送っている俺でも、そんな何の魅力も感じられない名前の部活には入らない。何で放課後にもなって、平凡な一高校生が環境の保護なんか。

 地球に住まう生き物の一員として云々(うんぬん)。

 大した正論だが、それを遊びほうけたい盛りの高校二年生に説き伏せたって無駄だろう。

 俺にはどうしても、この二人が仲良く苗木を植えたりゴミを拾ったりしている姿が想像できない。俺の姿をあてはめるとそれなりにしっくりきた。そりゃ、外見が地味だからな。

「俺と深空含めて四人いるぜ」

 うわあ、ギッリギリ。

 俺は、長身の銀髪男と真っ黒に日焼けしたベリーショート女が着崩した制服を着て、浜辺に散らばった吸い殻を拾い歩きまわって、近所のおばあさんなんかに「最近の子はいいこねえ」「アッハッハ当然ですよおばあさんッハハ」なんて朗らかに会話している光景を思い浮かべてみた。……シュールだ。

 お前等、もうゴミ拾いはいいからゲーセン行けよ。何でここにいるんだよ。

「何で俺等がノリのことを知ってたか? そんなん、ノリがその漫画読んでたからに決まってんだろ」

くだらない妄想から、渡瀬涼耶の声で現実に引き戻される。目の前に放り出されたままの漫画を、長くて細い渡瀬涼耶の指が指示(さししめ)していた。

俺には似つかわしくない、バトルもの。おおよそ国民的とは言えない漫画で、今読んでいる七巻を読み終われば次はもう最終巻だ。

 よほどマニアックな人でなければ読まないような代物だ。平たく言えばオタク。

これを読んでいて、しかも友人に勧めるような人間がこの高校にいたなんて、軽く感激だ。

 いけない、感激している場合じゃない。さっきの渡瀬涼耶の言葉には明らかにおかしな箇所があったはずだ。

「漫画を読んでいたからってことは、今までは俺の名前を知らなかったってことだよね? でも俺がこの漫画を読んでたのは今日の放課後、図書室に来てからだよ。渡瀬達は図書室に入ってすぐ俺に絡んできたよね?」

 この漫画を見て、瞬時に俺の名前まで思い出したとか? ないだろう。

「いや、ちょっと違う」

 どういうことだ? ずり落ちてきたメガネのブリッジを押し上げながら、自然と首が傾いた。

「実はノリに話しかける前一度、図書室に顔を出してたんだ。入り口は開けっ放しだったから廊下から中を覗いた程度だけどな。そしたらその漫画を読んでる奴が目に入ったから、職員室に名前を調べに行ったっていうわけですよ。いやあ、同じクラスに俺が把握してない奴がいるとはな! びびったわ!」

 軽快に笑い声を上げた菊池深空が椅子をひいたせいで、床と摩擦を起こした椅子の足が嫌な音をたてた。足元では少し埃が舞っただろう。

「こ、こっちがびびった、だよ! なんでそこまでするの!?」

「え、同じ漫画とか趣味持ってる奴と話したくなんねえ?」

「……ま、まあ。でもっ、名前くらい直接訊いてくれても別に」

 ……今更傷ついたりなんかしないのに。

 そう続く言葉を、唾と一緒に飲み込んだ。飲み込まれた言葉は思いのほか口あたりが悪くて、自然と視線が下がる。

目線が落ちた先に放置されていた漫画の表紙が、メガネのレンズを通して俺の網膜に映りこんでくる。眉目秀麗な男女がポーズを決めている表紙に、居場所を求めるように片手を乗せた。

「ねえねえ、それ見せてー!」

 と、そこへ菊池深空が無邪気な声をあげて身を乗り出して来た。彼女自身はこの漫画を読んだことが無いようだったから、俺達の会話を隣で聞いていて内容が気になったのかもしれない。

 目標はあくまで漫画であり、そこに置かれていた俺の手には触れずに取ることは充分に可能だったはずだ。

だがしかし、突然向かいの席から身を乗り出してきた菊池深空に驚いた俺は、反射的に漫画から手を浮かせてしまう。そこへ、タイミング悪く深空の小さな掌がぶつかった。

 ぶつかると言うよりは、軽く触れるといった程度の、双方に微塵の傷も負わせないどころか下手したらお互いの手が触れたことに気づかないかもしれない、という程度の軽い接触が起きた。

 身を乗り出した格好のまま、菊池深空は首だけを持ち上げて俺と視線を合わせると、相好を保ったまま口を開いた。

「あっ、ごめ――」



「ウワアアアアソアアアアアア!」



 かるたの名人もびっくりの凄まじい払いで漫画を数メートル先の本棚に衝突するまで吹っ飛ばすと、椅子ごと後ろに後ずさった。

しかし、そんな珍行が綺麗に成功するはずもなく、バランスを崩した俺は椅子を巻き込んで後ろにひっくりかえる。凄まじい悲鳴と共にけたたましい衝突音が部屋中にこだました。

 ひっくりかえる直前、呆然とした表情の渡瀬涼耶と目を見開いた菊池深空が視界に映りこんだ。――菊池深空の笑顔以外の表情を見たのはこれが初めてのことだ。

「ちょっと、一谷君!? 大丈夫!?」

 俺の悲鳴を聞きつけた坂森さんがカウンターの奥から声を上げた。

 ……やってしまった。

 強打した背中をさすりながら上体を起こすと、机の向こうで立ち上がった渡瀬涼耶と目があった。

そのまま身体が固まってしまい、しばらく動けなくなる。

 あまりに突然な出来事に、さすがの渡瀬涼耶も驚いたらしい。口を半開きにしたまま、瞳を揺らして俺を凝視している。

 今の渡瀬涼耶と同じ顔を、過去に何度も見てきた、気がする。……気がする?

 曖昧なのは、ここ四年間と少しの間で忘れかけていた顔だからだろう。


僅かに開かれた渡瀬涼耶の薄い唇の透き間から、一つの呼吸の後に続いて、ほとんど滑り落ちるようにして疑問符つきの言葉が零れ落ちた。


「お前――女、だめなの?」





 (☄ฺ♛ฺ3♛ฺ)


 












 

「お前――女、だめなの?」


 カウンターの奥から駆けつけてきた坂森さんは、今度はカウンターを乗り越えようとはせずに、素直に粗末な出入り口から出てきた。

俺に駆け寄ろうとして、慌てて踏みとどまったのが視界の端に映る。

 

――そう。

――渡瀬涼耶が言ったように、俺は女という生き物が苦手なんだ。

 

それはもう病的なほどに。事実医者には『女性恐怖症』という病名なんだかそうでないんだかよく分からない、薬のない病名を告げられている。それも小学二年生の頃。

 会話を交わすのが精一杯。目を合わせる、触れる、一定の距離まで近づくといったことが女相手にうまくできない。年齢を問わず、女が近づくと鳥肌がたって呂律が回らなくなる。体が触れようものなら思わず声を上げてしまう。

そんなことがもう何年も続いている。

 一年生の頃から面識があった坂森さんはこのことを知っていたから、今のように俺との間に一定の距離を保ってくれているが、彼女だって最初は現在の渡瀬涼耶と菊池深空と同じように戸惑ったはずだ。

「……そうだよ」

 力なく立ち上がって倒れた椅子をなおしながら、俺は消え入りそうな声でそう言った。二人に聞こえなかったかもしれない。

それでもいいかとすら思い始めていた。

今までずっと隠してきたのに、まさかこんなところでバレてしまうなんて思ってもみなかったのだ。あと二年、あと二年間だけバレずに過ごすことができたなら、静かに卒業できたのに。

 くそっ。もうどうにでもなれだ。突然奇声を発してぶっ倒れた気違いオタクだろうが、女嫌いなホモ野郎だろうが、もうなんでもいい。

 久しぶりにこの、触れてはいけないものに触れてしまった――というような反応を食らった俺は耐性がなくなっていたのだろう、自暴自棄になろうとする思考を止めることができなかった。

この場をどう取り繕うかなんてことは微塵も考えずにただただ押し寄せる絶望感と焦燥感に埋れていく。

顔が広いこの二人に知られてしまっては、クラスメイトに知られるのも時間の問題だ。早ければ明日にでも、二年三組には今まで無かった俺の居場所が出来上がってしまうかもしれない。

「女性……恐怖症?」

 女性恐怖症という言葉自体はそれなりに知られている言葉なのだろうか。菊池深空はほとんど独り言のようにその言葉を口にした。

「……そうだよ。それ。だめなんだよ、昔から。別に高校生だけじゃない。百歳近いババァだろうが猿みてえな顔した赤ん坊だろうが金玉がついてねえ生き物は全部だめなんだよ!」

「ノ、ノリ?」

「くそが! 四年間ずっと隠し通してきのに……。迂闊だった。しばらく女と触れあってなかっただけであんな声が出るなんて思ってなかった!」

「……本当に女性恐怖症なのか?」

「そうだっつってんだろが!」

「お、女みたいな顔なのに?」

「じゃあお前はネコ目だからって猫なのかよ! ちげえだろ!」

「ご、ごもっともで」

 自分が何をしているのかは分かっていた。逆切れもいいところだ。分かっていたけれど、止まらなかった。

後になって、落ち着いてから考え直してみれば、やっぱり不安だったのだと思う。

 一谷則という存在を認識されないことは別段苦にならない。むしろ楽だった。

誰も俺を傷つけないし、周りに気を使わせることも無い。

でも、一度存在を認められてから距離を置かれてしまうのは、辛い。誰だってそうだろう。俺はそれにもう耐えられる気がしない。だから今まで必死に隠れてきたんだ。

忘れてしまった身の置き方。今までどうやってその場に生きていたのか。誰も教えてはくれないし、誰とも関わりたくない。誰かに甘やかしてほしいのに、その気持ちを認めてしまったら負けてしまうような気がする。そんな、あの時の、意味の無い言葉が脳裏に張り付いてはなれない、あの感覚をもう体感したくはなかったんだ。


……俺はどうすればいいんだろう。

渡瀬涼耶の対応に困っていたときと同じように、自問自答を試みる。

今、すべきことは何か。

――落ち着け。落ち着きを取り戻しさえすれば、大丈夫だ。

顔を上げて、確認するんだ。渡瀬涼耶の、菊池深空の、坂森さんの、戸惑った顔を。鉛のように重くなった頭を上げているつもりになって、俺は地面の埃を吸い上げる。

 ほら、見慣れた顔だ。

忘れていただけなんだ。

何も焦ることなんて無い。この図書室は梅ヶ丘高校で唯一の、自分の居場所だったじゃないか。

 そうだ、またここに戻ってくればいい。教室は今まで以上に居心地が悪くなるかもしれない。それでも、またここに逃げ込んでくればいい。坂森さんなら分かってくれる。罵倒することもせずに、哀れんでくれるだろう。

 坂森さんが暴れたり、俺がひっくり返ったりしたせいで、床には埃が奇妙な図を描いていた。制服についた埃を手で払いのけ、視線を上げることなく口を開く。

「えっと、ごめんね、菊池さん。ちょっとびっくりしちゃっ」

「だからお前はずっと目立たないようにしてたってわけだな! なるほど!」

「えっ」

 俺の声を遮ったのは渡瀬涼耶の声だった。「え、同じ漫画とか趣味持ってる奴と話したくなんね?」と、数分前に訊いたときとさしてかわらない、妙にうわついた声色の。

 もう目を合わすまいという心内(こころうち)の決心など一瞬で吹っ飛び、反射的に顔をあげて、高い位置にある渡瀬涼耶の顔を見上げてしまう。図星すぎて、思わず否定しそうになってしまった。

 相も変わらず、渡瀬涼耶の隣に腕を背後に回して立っている菊池深空は笑っていた。相好を崩したのはあの一瞬だけ……だったのか?

「そうなんだろ?」

 あまりに自然で、自分に向けられた言葉じゃないんじゃないかと――

 ――いや、

錯覚させる一言だった。

まるで、まるで俺と渡瀬涼耶は長年の友人で、くだらない悩み事を見抜かれてしまったと、ただそれだけの日常の一部――そんな錯覚を覚えてしまうほど、渡瀬涼耶の言葉は自然だった。

そして俺は、はにかみながら頭を掻いて、実はそうなんだよなあなんて言う。

そんな日常もあった、ような気がする。いいや、無いか。あの頃はまだ悩み事を友人に相談するような年頃じゃなかった。

……って、何を、

「そうだよ……そうだよ!」

 錯覚から覚めた俺は、渡瀬涼耶の一言で再び落ち着きを失う。

四年分溜め込まれていた言葉が喉の奥から溢れ出てきて、俺にはどうしようもなかった。

「もう誰かに迷惑をかけるのは嫌なんだよ! 迷惑そうな目で見られるのは嫌なんだ!俺がいたら皆、女と一緒に過ごし辛くなる。気を使ってくれる人だって多かったけど、それだって長続きしないんだ。理由も無く拒絶される女のほうだって、俺なんかいないほうがいいだろ!」

「その女性恐怖症はいつからなんだ?」

「お前話聞いてんのか!?」

 さっきまで叫んで騒いで暴れまわっていたくせに、妙に落ち着いた渡瀬涼耶の態度が癪に障った……いいや、分からなかった。

何でこいつはこんなに落ち着いているんだ? 今まで出会ってきたような人達なら、俺が逆上した時点で立ち去って行ったんじゃないか?

 分からない。話のネタにするために詳しい情報が欲しいのかもしれない。それなら、俺こそ急いでこの場を立ち去るべきだ。今すぐに。

 とまれ、とまれ、とまれ!

 端から会話する気なんて無かったじゃないか。こいつの質問に、バカ丁寧に答える必要性なんてどこにも――

「小二からだよ! 小学生の間は皆が気を使ってくれるのに甘えてた! それがどんなに迷惑なことか分かってなかったんだ!」

 瞬間、俺の網膜に過去の映像が次々と映りこんで、食道のあたりを激しい吐き気が通り抜けた。



 ――一谷がいると女子と遊べないんだよね。まあ病気だから仕方ないんだろうけど。


 俺がいないところで、そんな話をしている同級生を見つけてしまったのは卒業間近の小学六年生の頃だったと思う。

 教室前の廊下で聞こえたあの声を思い出すたび、あのときの自分がかいた冷や汗の温度、急に力がはいらなくなった膝、冷たさを増す壁の色を思い出して吐きそうになる。丁度、今みたいに。

誰が言っていたのかは忘れてしまった。田中とか佐藤とか、そう珍しい名前ではなかった気がする。顔や名前はどうしても思い出せないのに、あのときの高い声だけは鮮明に思い出せるのだ。

兎にも角にも、俺はそのとき初めて他人が抱いてる、当たり前の感情に気がつくことになった。俺だって逆の立場だったら同じような愚痴をこぼしていただろうということに気がついたのは、もう少し後のこと。

当時の俺はずいぶん腹を立てたし、大袈裟でもなんでもなく、人生を百八十度変えてしまうには充分すぎる程のショックを受けた。

 それから後のことは思い出すまでも無い。小学校卒業と同時に引っ越して、中学校生活は知り合いが一人もいない状態で始めることになり、同時に、女に限らず人との関わりをほとんど持たない生活もその頃から始まったのだ。

 以降今に至るまでの四年間、俺の生活には時々襲ってくる嫌な吐き気以外、何の苦難もなく過ぎてきた。

 

突然現れた俺の生活を揺るがす闖入者を前に、俺は小学六年生の、あの頃の自分に戻りつつあった。

 逃げなければ。あの時と同じように、逃げ出さなければ。

「……」

 仕方ない、漫画と荷物は諦めよう。また後で取りに来ればいい。

 全力疾走で図書室を後にしたいのは山々だったが、足が言うことをきかない。情けない背中を見せつけながらとぼとぼと歩いて出て行くしかないようだ。

さすがにもう何も言ってこないだろう。もう、俺をいじり倒すには十分な情報を手に入れているはずだ。一谷則は女性恐怖症で、しかもそれは小二からで、ああ、何より一谷則という人物が二年三組に所属していたという事実。これが何よりか。

 俺は、できるだけ三人の顔を見ないように(渡瀬涼耶に限っては首を傾けないと視界に入らないのだが)上履きを睨みながら体の向きを変えた。

 そのまま右足を一歩踏み出そうとした――途端、

 肩に強烈な痛みが走った。

「うぇっ!? だだだだだだ痛い痛いいってえって!」

 しかも慢性的な痛み。加えて肩から妙な音が鳴っている。めりめりっと。

痛みの原因はすぐに分かった。肩を掴まれているのだ。誰に? 渡瀬涼耶以外の可能性があるのかってんだよ。渡瀬涼耶は俺の言動を遮るのが大好きで仕方ないらしいな。

「痛いっつてんだろ!」

 振り返ると、やはり渡瀬涼耶だった。喧嘩売ってんのかこいつ、まだ離さん。

 本人は力を入れているつもりは無いらしく、表情はといえば満面の笑みだ。

さすがに気味が悪くなった俺は、ありったけの力で渡瀬涼耶の掌を払いのけようと肩を揺らす、が、払いのけられない。今日ほど自分の貧弱さを恨んだことは無い。

「何だよ! もういいだろ! できればこのことは内密にと言いたいところだけど、もう何十人でも何百人にでも言いふらしていいから! な、離せよ!」



「よしノリ! お前、俺等の部活に入ろうぜ!」


 白い歯を見せつけて笑う渡瀬涼耶が俺の肩を粉砕せんばかりに叩きながら、そう言った。

 彼の隣に座る菊池深空も同じような笑顔を浮かべて「そうだね!」なんて言っている。あれ?

「そうだね!?」

「そうだよん、ヨシノリ君も涼耶の部活に入ればいいと思うよー」

「ヨシノリじゃねえよ俺の名前! なんでヨシノリ!?」

「あれえ? 今涼耶がヨシノリって言ってなかったー?」

「いやそれは違うと思うんだけど……あの、こう、よし! ノリ! みたいな……呼びかけ? というか」

「そうだねー! ヨシノリ君!」

「うわダメだ通じてない」

ええっと。少し状況を整理する必要があるようだ。

……整理した。

分かんねえ。

「ま、待ってくれない?  全然意味が分からないんだけど……」

「ん? さっきみたいに普通に話せよお、水素原子と酸素原子の共有結合臭いなあ」

「水臭いって言いたいの……?」

「さっすがヨシノリ。お前なら分かってくれると思ってたぜ」

「だからヨシノリじゃないって……」

 俺がいつ普通に話したというんだ。誰がどこからどう考えても、ヒステリーを起こして喚き散らしていただけだ、という自覚が、ある、ぞ。半ば初対面の人間相手にぎゃあぎゃあと。あれ、自信が無くなってきた。

 ……冷静になってみれば、とんでもねえ恥ずかしいことをしてしまったようじゃないか。じゃまいか。落ち着け落ち着け、ただでさえも久方ぶりの会話で口内がカラカラだというのに、これ以上混乱してしまったら突発的に失語症まで発症しそうだ。

「涼耶、きっとヨシノリ君混乱しちゃってるんだよ。そんな顔だよー」

 そんな顔らしい。そりゃそうだ。

「なーる。じゃあ要約してやろうか」

 渡瀬涼耶が大袈裟に偉ぶって見せながら言った。

「う、うん」

「まず、二年三組には、今まで誰からも忘れ去られていたヨシノリという人物がいた」

 怒涛の一日、否、怒涛の放課後だ。まさか改名せざるを得ない状況にまで立たされるとは。

「ヨシノリは小二の時に女性恐怖症を発症してから、女はだけじゃなく男ともほとんど関わりを持っていない」

 なんだ、渡瀬涼耶は意外や意外、バカではないのでは? 見るからにバカなのに。と、坂森さんの顔に書いてあるのが目に入った。俺以上に分かりやすい人だ。

「なんでかってーと、ヨシノリとつるむと女と関わる機会が必然的に減っちゃうわ、女を傍に置かないように気を使うわで、それが申し訳ないと。ん? 申し訳ない? まあそれもあるけどヨシノリ的にも罪悪感で死にそうになっちまうから、人とは関わらないようにしてきた。っつーことかね、そういうわけな?」

「ふむふむなるほど。なるほどだよ!」

 渡瀬涼耶の後に続いて、菊池深空は体を左右にゆらりと揺らしながら、元々つり上がっていた口角をいっそう横に広げて、声を立てずに微笑んだ。

 なんだか俺の短い生涯がなんともちんけな物に思えてきてしまう話だな。

だがしかし、そうだと肯かないわけにはいかない。その通りなのだから。

 渡瀬涼耶は、俺が肯いたのを確認すると、俺のそれよりも大きく頷いて、薄っぺらな俺の肩を鷲掴みにした。そして、アーモンド形の大きな目の中におさまった大きな瞳を輝かせ、もう一度言い放った。

「だったらヨシノリは俺等の部活動――環境保護部に入部するべきだ!」

 やっぱり、渡瀬涼耶の言葉からは肝心なところが抜けている。わざわざ要約してくださった――それもぞっとするほど的確に――にも関わらず、全くもって理解不能。終わりよければ全てよし。言いかえれば、終わりがだめなら全てだめ。

渡瀬涼耶の場合はこれだ。終わりがどうも、だめだ。

「なんでそうなるの!? 今自分で言ってたよね、俺は女がだめなんだよ! そこにいる菊池さんだって環境保護部の一員なんでしょ? 俺は菊池さんと仲良くできないし、菊池さんだってあからさまに拒否されるのは不快なはずだ! それに渡瀬君だって、いちいち俺に気を使ってたら――」

 そこまで言ったところで再び俺の言葉は遮られる。

またしても、渡瀬涼耶によって。

「俺等はお前のために気使ったりしないぜー」

「……は?」

「むしろできねえな、うん。ほら、俺等がそうだろ? 全然気なんか使ってない」

 自覚があるだと。俺は面食らって黙り込む。

「そういう奴等ばっかりが集ってるんだよ、俺達の部活。そりゃ勿論女はいる。男もいる。でもヨシノリだって、いつまでも女と関われない人と関われないじゃ困るんじゃねえの?」

 そんな正論を言われてしまっては何もいえない……わけねえだろ何でお前なんかに言われなきゃなんないんだよ! シャーッ!

 俺はガキ(さま)(さま)、幼稚な神経をフルに活動させてひねくれる。長年(ながねん)人と関わらないという生活を送ってきたせいか、このときの俺の神経の三分の二は四歳児並にまで退化していたんじゃないかと、もう少し後になってから思い出して悶え死にそうになるだなんて、このときの俺は考えもしない。何せガキなのだから。

「だからさあ、俺等の部活入っちゃうついでに女性恐怖症も治しちゃおうぜーっていうわけですよ!」

「ですよー!」

「ですよ、じゃないよ……。あっ、坂森さん!」

 そういえば途中から坂森さんの気配が完全に消えていた。俺としたことが、一生の不覚。

今こそ彼女に助けを求める時。

散々女がだめだ何だ言っておいてこうするのも(なん)だけど、この際仕方ない。今この場に、坂森さん以外に頼れる人間がいるのなら、首根っこ掴んででも連れてきて欲しいものだ。

「あれっ、坂森さん?」

 坂森さんが立っているであろう、カウンターの出入り口に振り返ると、そこに人影はなかった。あるのは積みあがった古い本のみ。

 気配が消えていたどころか彼女自身が消えていた。確かに坂森さんはカウンターから出てきていたはずだ。それなのにどうして? 人が五人程入れば狭く感じるこの図書室に、隠れることができる場所なんてカウンターの奥以外考えられない。ということは、カウンターの奥に戻ってしまったのか? 

「メガネの女の子ならちょっと前に帰ったよー。後は任せたわよとか何とか言われちゃったてへー」

 頭の後ろで腕を組んだ菊池深空が、ヘラヘラと笑いながら言った。な、なんて奴等に任せてくれちゃってるんですか坂森さん。

坂森さんにあるまじき人選ミスだ! 何が起こったというんだ? まさか坂森さん、こんな奇人に俺をあずけても大丈夫だと本気で思ったのか? そんなの、年端もいかない主人公にレベル10にも満たないポケットサイズのモンスターを持たせて旅に送りだすお母さん並みに無責任だ! ああ、無責任と言うのには語弊があるか。

 そもそも、坂森さんが俺に責任を持つ必要なんて皆無なんだからな。

俺は心のどこかで、いざとなったら坂森さんがいるから大丈夫と高をくくっていたようだ。情けないにも程がある、坂森さんは俺のお母さんか? え? 

ということは、俺は最初からポケットサイズのお友達すら持っていない状態だったということか。

とにかく、俺が頼れる人間はこの場にいなくなってしまった――既にいなくなっていたというわけだ。状況把握に数分かかったのだが、変人二人はご丁寧なことにゼロ円スマイルをたたえて待っていてくれた。

「それじゃ、俺等の部室に早速ご招待しちゃおうか!」

「おーう!」

 渡瀬涼耶の大きな掌が俺の背中を圧迫している。まさか菊池深空まで俺の背中を押そうとするんじゃないかと慌てて後ろを振り返ったが、彼女はちゃっかり俺のリュックサックを持って後ろからついて来ているだけだった。

だけだった? しまっていた、だろう。いつの間にか、環境保護部なんていうわけの分からない部活への入部が決まってしまっているではないか。どういうことだ。何を当たり前みたいな顔をして俺のリュックサックを持っているんだ!

「やっ、やめてよ! 俺は環境保護部に入る気なんて全然ないよ!」

「まあまあ、そう寂しいこと言うんじゃねえよ」

 渡瀬涼耶に押されるがままに、足の裏に熱を感じていると、だんだん怖くなってきた。

 何で、ここまでするんだ?

 ほとんど今日出会ったような相手に、何でここまで。

「何で……何でここまでするんだよ!? 変だよ! お前等、変だよ!」

 俺の裏返った叫び声に、渡瀬涼耶は薄っすらと頬を緩ませたあくまで自然な表情を、ニッと口元を横に引き伸ばした小学生のような邪気の無い笑顔に一転させて、言い放った。




「AB型だから」





「……えっ、なんて?」




「まあ最初はさっき言った通り、同じ漫画を読んでるヨシノリに話しかけてみたくなっただけだった。ちょっと興奮しすぎたけど」

「本当だよ」

「でも今はそれだけじゃないぜ。お前に興味がわいた。最近面白いことも何もなかったしな」

「面白い? 俺にとったらとんでもない迷惑なんだよ! こんだけ人が拒否してるっていうのに、ここまでしつこくしてくる理由が分かんねえよ!」




「AB型だから、俺等」




「…………はあ?」


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