NO, 3「初戦」
あれから数時間の間、冷鷲は森の中をさまよい続けていた。
最初のころは気楽なもので、直ぐにでも我が城に着くと考えていた……のだが。そうは問屋が卸さない。
彼は嫌でも思い知ることとなる。
「リアル森、マジでやべえよっ!!」
ここはもう、ゲームの世界などではないのだ。その証拠に彼は今、とてつもない問題を抱えている。
「……道に……。迷うてしもたあ!」
絶賛迷子中なのであった。
* * *
時間は少々遡り、冷鷲が己が城(笑い)を目指して歩き出したころへと戻る。
少し森の中を進んだころにそいつは現れた。
「ガルルルルル!」
血走った眼と、見事なほどに成長した牙がチャームポイント。
その名も《ブラッティーハンター》だ。
名前のとおり、しとめた獲物の血で体中を染めたと見間違うほどの体色の狼だ。
……今「思わせぶりなこと言ってんじゃねえよ」って心の中で叫んだやつ。考えてもみてくれ。
オンラインゲームの敵モンスターとして、血まみれの狼的な何かがでてきた場合を。……怖いだろ? 気持ち悪いだろ? 否!!気持ち悪い。
それに、本当にそんなグラフィックを使ってしまえば、一気に対象年齢が上がってしまう。
そんなこんなでMS内ではブラッティーハンターは『なんちゃって血濡れ狼』と呼ばれていた。
……MS内では……。
「ガルルルルルルル!」
目の前には巨大な狼が一匹。頭の高さが冷鷲の胸の辺りにまである。
そこまで大きいのであれば、他の部分も巨大で、体長は軽く2mを超えていそうなほどに逞しくていらっしゃる。
そ…れ…に…!!
お口の周りには赤黒い液体がべったりとこびり付き、断続的に吐き出される吐息には何ともいえない鉄っぽい匂いが……。
(これは……。本物の血…か)
そのようだった。ふとブラッティーハンターの現れた茂みを見てみると
血だらけの、元モンスターか何かが見えたが勤めて冷鷲は気にしないことにした。
「ガルルルルルル!」
不意に目の前の殺気が強まる。先ほどのモンスターの死骸からも分かるようにどうやら、食事の最中だったのだろう。
そんな至福のときをじゃまされた、相対する血濡れ狼は、途轍もなくいらだっているように見えた。その上、出会ってから今まで何の動きも見せない彼に、より一層いらだったようだ。
「グルウオオオオオオ!!」
冷鷲がいろいろと取り留めもないことを考えていると我慢の限界を超えたブラッティーハンターが飛び掛ってくる。
「……!!」
急な転回に動けないでいた冷鷲だが、眼前にまで迫った、鋭い牙が並ぶ狼の大きな口を認めるや否や、気付けば彼は反射的に相手の顔を思いっきり殴りつけていた。
「キャウン!!」
後もう少しで新しい獲物が手に入ると、油断していたブラッティーハンターの下顎に冷鷲の一撃がきれいに決まる。
見事なアッパーカットだ。ガチリと無理やり噛み合わさせられた凶悪な音が一帯に空しく響き、同時に狼が苛立たしげに地面を踏み鳴らす音がその後を追う。
「グルルルルルル!」
そして警戒を深め、冷鷲から距離をとった。
同時に冷鷲自身も、戦う準備をするのに十分な時間をとることができた。
「……」
こちらを警戒する狼に向かって冷鷲は渾身の睨みをぶつける。
「……グ、グルルルルルル!」
その瞬間、気圧されたかのように数歩後退する血濡れ狼。
「……。やってやるぜ」
そう、自分に言い聞かせるように呟いた冷鷲は腰に下げている紅月へと手を伸ばし、次の瞬間勢い良く鞘を払った。
その際に、鞘に添えている手首を軽く返して鞘から刀がスムーズに抜けるようにすることを忘れない。
そうしながら、彼は高らかにスキル名を叫ぶ。
「【圧空刃】!!」
勢い良く抜き放たれた紅月の紅き刀身が空を裂く。
その勢いは凄まじく、紅き刀身は自分の存在を誇示するかのように己の行く手に存在する空気という空気を押し退け進む。
押し退けられた空気たちは圧縮され、不可視の刃となる。そして、今なおこちらを警戒する血濡れ狼へと死を与えるために襲い掛かる。
「!!」
それは一瞬だった。
冷鷲は刀を左下から右上へと振り抜いた。いわゆる居合切りの最も基本の型だ。
ならば、生成される真空の刃も刀が辿った軌跡とおりに放たれる。
……つまり。
つまりだ。
グシャリ
という音と共に、先ほどまでこちらを警戒し牙を向いていた狼だった物が、あっけなく崩れ落ちる。
「……」
思わず呆然と立ち尽くしてしまう冷鷲であったが、ふとあることに気がついた。
(この惨状は……)
(……俺が)
(引き起こしてしまったのか)
「う…、く……」
噎せ返るような血液独特の鉄くささが鼻腔を刺激し冷鷲はそのまま胃の内容物を吐き出しそうになったが、必至に堪える。……いや、耐えなければならない。
それは何故か。そんなこと決まっている。
「自分がやったことには最後まで責任をとる」
血の気が引き、今にも倒れてしまいそうな弱々しい表情から発せられたその言葉は、どこまでも堂々としており、自信に満ちていた。
「自分がやったことには最後まで責任をとる」という言葉は、彼の亡き祖父がまだ冷鷲が小さなころに教え聞かせた言葉だった。
『いいか、冷鷲。男たる物、自分の行いには最後まで責任をとり、自分が守りたいと思った物は、何が何でも守り通すのだ』
それが彼の祖父、鷲影の口癖だった。
鷲影は冷鷲のことを普通の子供として見てくれる数少ない大人の一人である。
だからこそ、彼が冷鷲に教えたことの殆どが冷鷲自身の常識となっている。
「…よし…」
覚束ない足取りながらも彼は狼の死骸の元へと近寄り、魔法の詠唱を始める。
狼の大きさ的に埋めてやることが難しそうだったため魔法で燃やしてしまおうと考えたのだ。
狼の前まで来た冷鷲はその死骸に向けて手を翳す。
「運べ聖炎。昇れ螺旋。光は天への道しるべに。熱は凍えた魂の衣に……」
すると、何か暖かな物が、体の中ーー俗にいう丹田という場所ーーから体内を移動し、狼に向けて翳している手に集まってくるのが分かった。
(これが、魔力……か)
内心でそう思いながら、冷鷲は魔法を発動させてみる。
「【レクイエムフレア】」
冷鷲の言葉が切欠となったらしく、手のひらから魔力が漏れ出る感覚がする。
そしてどこからともなく現れた魔法陣が狼の死骸を中心に広がり次の瞬間、魔方陣から白く美しい炎が立ち上る。
炎は数十秒もすれば跡形もなく消え去り、その後、その場にはもう、何も残っていなかった。
「……」
何もなくなった地面に向けて黙祷をささげ、冷鷲は歩き出した。
これから、自分が生きるために奪うであろう、多くの命に感謝と、命を奪うということについての覚悟とを胸に。
* * *
そんなことがあり、早数時間。彼はいまだに森の中をさ迷い続けている。
だが、もう直ぐ目的地に着く機がするのだ。なぜなら。
「これは……」
目の前に広がる眺めに眼を奪われる冷鷲。
「これは……。道だああああああ!!」
森を彷徨い始めて早5時間。彼は、やっとのことで森の中に伸びる、草臥れた道を発見できたのであった。