第一章「スカウトされたんですけど、何か?」
はじめまして、またはお久しぶりです。
今回は「武」と「アイドル」という、
一見すると真逆の要素を組み合わせた作品になります。
派手な展開というよりは、
少しずつズレている日常や、
空気の違いを楽しんでいただければ嬉しいです。
ゆっくりとした立ち上がりになりますが、
お付き合いいただければと思います。
教室は、いつも通り騒がしかった。
笑い声と、机を引く音。
誰かがスマホを見せて、また小さく盛り上がる。
その中で、私は一人で席に座っていた。
私の名前は神崎凛。この高校に入学して半年になる。
クラスの女子が楽しそうにお話しているのが目に入る。
別に、孤立しているわけではない。
話しかけられないわけでもない。
ただ――
誰も、わざわざ話しかけて来ないだけだ。
窓の外を見ていた。
校庭では運動部が練習をしている。
規則正しく動くその様子を、じっと見つめる。
「神崎さん」
声をかけられて、振り向く。
同じクラスの女子が、プリントを持って立っていた。
「これ、後ろに回してもらっていい?」
「はい」
立ち上がり、相手に一歩近づく。
――近い。
女子は一瞬だけ、ほんの少しだけ後ろに下がった。
そのまま、プリントを受け取る。
「……ありがとう」
「はい」
私は気づかない。
そのまま後ろの席にプリントを渡し、何事もなかったように席に戻る。
再び窓の外を見る。
さっきと同じ景色。
――同じはずなのに、どこか違う気がした。
理由は、わからない。
放課後。
下駄箱は、少しだけ騒がしかった。
「また明日ねー」
「うん、ばいばい」
そんな声が、あちこちから聞こえる。
私は、その中をまっすぐ歩いていた。
立ち止まらない。
周りも見ていないようで、ぶつかることもない。
人の流れを避けているというより、
動きだけを見て、空いている場所を選んでいる。
無駄はない。
下駄箱の前で止まり、靴を履き替える。
動作は速いが、雑ではない。
紐の位置も、かかとの収まりも、一度で決まる。
そのまま立ち上がる。
「神崎さん、さようなら」
後ろから声をかけられた。
振り向くと、同じクラスの女子だった。
「さようなら」
それだけ言って、また歩き出す。
女子は少しだけ口を開きかけて、やめた。
「……うん」
小さく返事をして、別の友達の方へ向き直る。
「でさ、さっきのさ——」
会話はすぐに元に戻る。
笑い声がまた広がる。
振り返らない。
校門へ向かって、そのまま歩く。
誰かと並ぶこともなく、
足並みを合わせることもない。
ただ、一人で進む。
それが、いつも通りだった。
でも、これでいいのかなと、少しだけひっかかる。
そして今日も、寄り道もせず、まっすぐ校門を出た。
夕方の駅前は、人通りが多い。
自宅は駅の反対側だった。
いつも通る道。煌々と光るお店のネオン。
買い物袋を下げた主婦、学校帰りの学生。
人混みの中を、一定の速度で歩く。
気を抜くとぶつかってしまいそうなくらいには、賑わっている。
視線はぶれず、足取りに迷いもない。
すれ違う人間の動きだけを見て、最短の軌道で避けていく。
「ねぇ、キミちょっといい?」
声をかけられる。
いわゆるキャッチセールスだろうか。
お店も多いので、ときどき呼び止められる。
でも、視線を動かさない。
「結構です」
歩いたまま、答える。
「キミ、カワイイね。星ノ宮学園の生徒?」
これは、もしかしてナンパ?
制服で学校名まで当てられると、少し鬱陶しくなる。
男は一瞬だけ間を置いたが、すぐに横に並んできた。
「ちょっとだけでいいからさ、話聞いてくんない?」
歩調を合わせ、少し覗き込むように話しかけてくる。
しかし、無視して顔すら見ない。
黙って歩き続ける。
「ねぇ、ちょっとだけでいいからさ……」
堪り兼ねた男は、さらに一歩前に出て進路を塞ぐ。
その瞬間――
さすがに迷惑だと感じ、私の足がわずかに動いた。
ほんの一歩。
ドン!
石畳に、日常ではありえない音が響く。
次の瞬間、私の姿は男の目の前から消えていた。
「……今の、なんだ?」
男は振り向く。
私は、すでに男の半歩後ろにいる。
何事もなかったように、また歩き出していた。
「どうなって……」
男は一瞬呆然とした。
だがすぐに、目の色が変わる。
「ちょ、待ってって!」
慌てて追いかける。
回り込むようにして、再び前に出る。
「お願い! お願いだから、ちょっとだけ!
ほんとにちょっとだけでいいからさ!」
息を切らしながら、両手を合わせる。
足を止める。
初めて男性を正面から見た。
胸元をざっくりと開けた派手なシャツ。
白いスーツにジャラジャラと付けたアクセサリ。
金色に染めた髪。
とても誠実そうには見えない、胡散臭い身なりだった。
――そして、動きが無駄に大きい。
でも、なぜか必死さを感じさせる態度が気になり、足を止めた。
「……なんですか」
短く問う。
男は少しだけ安心したように笑った。
「助かった……いやさ、俺、この辺でタレント事務所やってて」
「タレント事務所?」
「キミ、この先の星ノ宮学園の生徒だろ?
俺、こういう者なんだけど」
ポケットから名刺を取り出す。
手渡された名刺を見る。
白地に、黒い文字。
「スターライトプロダクション?」
会社名と、名前。
――真田康夫。
「マネージャーなんだけどさ。キミ、絶対アイドル向いてると思うんだよね」
アイドル。
また、いっそう胡散臭くなった。
「どう、よかったら、やってみない?」
「……興味ありません」
即答。
だが、名刺は返さない。
タレント事務所のマネージャーと名乗る男性は、少しだけ笑った。
「だよね。まあ、だいたいみんな最初そう言うよ」
肩をすくめる。
「だいたいって、そんなに大勢、声をかけてまわっているんですか?」
不信感に気づいたのか、慌ててこう答える。
「いや、それは誤解だ。誰彼構わず女の子に声をかけてるわけじゃないよ」
ニヤッと笑うと、こう続ける。
「キミ、何か他の娘と違う気がするんだよね。
なんていうかさ、歩き方とか姿勢とか、仕草に惹かれるっていうかさ」
「適当なことを言ってませんか?」
「いや、ホントだって!」
それでも、視線は外さない。
「でもさ」
少しだけ、声の調子が変わる。
「キミ、妙に堂々としてるよね。
人前に立つの、向いてるよ」
言葉の意味はわからない。
でも、そう言った真田さんの目が、少し気になる。
そんなはずはないと思いつつも、何か圧倒されるような、
強敵と対峙したときのような力強さを感じた。
そして――
何かを変えるキッカケになるのかもしれないと、少しだけ思う。
真田はそれ以上、何も言わなかった。
「気が向いたらでいいからさ。連絡ちょうだい」
軽く手を振る。
それだけで、引いた。
私は少しだけその場に立ち、名刺を見た。
遠くで、女子たちの笑い声が聞こえる。
ちらりとそちらを見る。
すぐに視線を戻す。
名刺をポケットに入れた。
歩き出す。
――今のままで、いいのだろうか。
答えは出ない。
神崎家の道場は、静かだった。
靴を揃え、奥に入る。
着替え、帯を締める。
無駄な動きはない。
床の中央に立つ。
呼吸を整える。
そして――
踏み込む。
ドン、と床が鳴る。
体が一瞬で前に出る。
拳が伸びる。
短い距離。
だが、空気が震える。
もう一度。
ドン。
バン。
繰り返す。
考えない。
ただ、動く。
それが当たり前だった。
「……」
視線を感じて、止まる。
振り向くと、父が立っていた。
神崎剛玄。
何も言わず、こちらを見ている。
私にとって父は、教えは絶対の存在だった。
物心着く前から八極拳と向かい合い、
厳しかったけど、父はいつも正しかった。
できることの実感、実現する楽しさ。
それを教えてくれたのが父だった。
私は一瞬だけ、間を置いた。
――でも、さっきのこと、関係ない話だろうか。
そんな気の迷いも、父は見逃さなかった。
「凛、今の踏み込みに迷いがある」
「はい、申し訳ありません」
「何かあったのか?」
少しだけ考える。
「……あの、アイドルにスカウトされました」
「そうか」
短い返事。
興味があるのかないのか、わからない。
「どうすればいいですか」
「お前が決めろ」
それだけだった。
私は小さく頷いた。
「はい」
再び構える。
踏み込む。
ドン。
バン。
変わらない。
何も変わらないはずだった。
道場の外から、静かな声がした。
「お茶、入れてありますよ」
母、和の声だ。
一瞬だけそちらに視線を向ける。
すぐに戻す。
もう一度、踏み込む。
ドン。
夜。
部屋の中で、制服のポケットに入れた名刺を取り出した。
白い紙。
そこに書かれた名前。
指でなぞる。
「……妙に堂々としてるよね。人前に立つの、向いてるよ」
小さく呟く。
クラスの声が、少しだけ浮かぶ。
すぐに消える。
考える。
――わからない。
名刺を机に置く。
立ち上がる。
道場へ向かう。
床に立つ。
呼吸を整える。
そして――
踏み込む。
ドン。
暗い道場に、その音だけが響いた。
(第一章 終)
第一章を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は導入ということで、
主人公・神崎凛の「違和感」と、
これから関わっていく世界の入口を描いています。
次回からはレッスンや事務所の話など、
少しずつ物語が動いていく予定です。
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