第9話 疑心と自信
冒険者ギルドの扉を押し開けたキリアは、軽やかな足取りで弾むように受付へ向かった。
胸の奥には、まだ芯から熱を持ったままの達成感が静かに灯っている。
その隣を歩くリックもまた、亜生体となった身体の重さにまだ慣れないながらも、どこか誇らしげに爪の音を床に響かせた。
“最弱勇者が帰ってきた”。
そんな嘲笑の視線と共に、リックの変容が周囲の冒険者を騒つかせていた。
受付嬢のリエットは、キリアがギルドに来るたびに笑顔で迎えてくれる友人だ。
艶やかな黒髪を揺らし、切れ長の瞳を輝かせ、キリアの話に耳を傾ける。
いつも残り物の依頼を率先してこなすキリアに、妹を想う姉のような慈愛と敬意を抱いていた。
キリアにとっては、数少ない“味方”と言える存在だ。
「リエ姉!あの依頼終わったよ!
それともう一つ、すごい報告があるんだ!
聞いたら、ぜっっったい驚くぞ!」
いつにも増して明るい声。
リエットの耳を奥まで震わせる。
「わかったわかった!ちょっと落ち着いて!」
彼女は苦笑いを浮かべキリアを諌めた。
「あははっ。ごめんごめん。
早くリエ姉に話したくてつい……。」
キリアは軽く頭を掻いて微笑んだ。
その様子を見ていたリックは、胸の奥がほんのり暖かくなるのを感じていた。
そして、キリアが依頼中に起きた出来事を順を追って話して聞かせた。
だが──リエットから返ってきた反応は、いつもとは違っていた。
始めは和かに聞いていたリエットの顔は、徐々に強張っていく。
「……え?
──キリア、今……なんて言ったの?」
リエットの瞳が大きく見開かれ、口が半ば開いたまま閉じ方を忘れたようだ。
「だから、ワイバーンだよ!
僕とリックで討伐したんだ!」
瞬間──ギルドの空気が冷ややかな気配を帯びる。
「……ワイバーンって……
Aクラスの、あのワイバーン……よね?」
リエットの声は震えていた。
もちろん疑っているわけではない。
ただ──あまりにも現実離れした報告に、理解が追いついていないだけだった。
だが、周囲の冒険者たちは違った。
その視線は不快な気配を肌に突きつける。
「最弱勇者がワイバーンだと……?」
「Bクラスでも苦戦する奴が何言ってんだ。」
「偽善者が……ついに妄想癖まで……。」
「嘘にしたって、もっとマシな嘘つけよ。」
嘲笑、侮蔑、勇者という称号への嫉妬。
人の醜さを煮詰めような言葉が、キリアに向け放たれた。
以前なら、リックは唸り声を上げただろう。
しかし、彼は知っていた。
今のキリアに──
揺るぎない誇りと、それに見合う可能性を手に入れた彼女に、そんな言葉はもう届かない。
かつてなら、胸を締め付けられ、俯き、涙を必死に堪えていたかもしれない。
だが今の彼女の瞳は、まっすぐ前だけを見据えていた。
「まあ……信じられないよな……。
僕自身、まだ夢見たいな気分なんだ。
──でも、これを見てよリエ姉。」
キリアは静かに言うと、マジックバッグに手を入れた。
微かに揺らぐ亜空間から、鈍く光るワイバーンの鉤爪を取り出す。
その瞬間、リエットの表情から血の気が引く。
「……っ!?
え……、これ……本物……!?」
鉤爪は鋭く、重く──
その証は、爪だけになってもAクラス魔獣の存在感を感じさせた。
「キリア……あなた本当に……
──ついにやったのね……!
私、ずっと……ずっと信じてた!」
リエットは瞳を揺らし喜びの雫を溢す。
気づけば、キリアの手を強く握りしめていた。
その表情は、家族のような友の悲願を、心から祝福するものだった。
「すぐギルドマスター呼んでくるから!
解体用の、奥の広間で待ってて!」
リエットは慌てて執務室へ向け走り去る。
先ほどまでの嘲笑を隠す者。
掌を返して称賛の言葉を呟く者。
密かにキリアを祝福する者。
残された冒険者は、様々な様相を見せていた。
だがキリアにはもう、そんな視線は関係ない。
リックの頭を軽く撫で、花のような笑みを浮かべていた。
「行こうか、リック。」
奥の広間へ向かうと、ギルドマスターのアイザックと数名の職員が待っていた。
キリアはマジックバッグを開き、ワイバーンの亡骸を取り出す。
その瞬間──広間にいた全員が息を呑んだ。
「……まさか……本当に……。」
「この……ワイバーン、デカくないか……?」
「キリア……まさかお前が……。」
驚愕、敬意、そして信じられないという感情が入り混じった視線が、キリアへ向けられる。
その視線を全身に受けながら、キリアは静かに立っていた。
誇示するでもなく、ただ、真っ直ぐに。
「キリア……ほんとに変わったな。」
リックはそう心で呟く。
彼女の横顔を見つめ、その瞳を揺らしていた。
かつて“最弱”と呼ばれ、嘲笑され、傷ついていた少女。
今は誰よりも強い意志を持つ勇者へと変わりつつある。
そして──
その変化を一番近くで見守っていられることが、リックにとっては何よりの誇りだった。
その想いは身体の芯に、静かに熱を灯していた。
広間に横たわるワイバーンの亡骸は、キリアが“真なる勇者”として歩み始めた証。
疑心と誹謗に満ちた世界の中で、彼女は確固たる自信を手に入れたのだった。




