第3話 覚悟の死闘
深い霧が静かに薄まり、影は輪郭を帯びていく。
その影は、巨岩のように重々しく、圧倒的な存在感を放っていた。
そして──
ゆっくりと獲物を探すように姿を現す。
「……っ……!」
リックの喉がひきつり、声にならない声が漏れた。
灰銀色の鱗。
鋭く湾曲した鉤爪。
空を裂くような巨大な翼。
そして、深い闇のような瞳。
紛れもない──Aクラスの魔獣、“ワイバーン”。
その強さは、Bクラスの魔獣が群れをなしても倒せるかどうか。
そんな存在に、駆け出しの操魔士と、格下の魔獣が二人きりで対峙している。
ワイバーンが低く唸るたびに、空気が震えた。
纏う空気が、心臓を握りつぶすような痛みを与える。
その威圧感は、ただそこに立っているだけで“死”を予感させるには十分すぎた。
リックは悟った。
自分がどれほど浅はかだったかを。
昨日の成功。
周囲の歓声。
父と兄の誇らしげな顔。
それらが胸を満たし、少年の心を浮かれさせていた。
本来の野生の魔獣であれば、自分のような駆け出しにはBクラスですら調伏などできない。
それを、“自分ならもっと強い魔獣も調伏できる”と信じて疑わなかった。
悔しさと恐怖で足が震え、全身が言うことを聞かない。
クラウも見たことのないほど怯え、地面に腹をつけて震えている。
“逃げる”という思いが、一瞬だけ頭をよぎった。
だが──
そうなれば、ワイバーンはリックを追って街へ来てしまうだろう。
いくら凄腕の父や兄がいても、領民に被害が出るのは確実だ。
リックは震える足を力いっぱい叩いた。
「……逃げる訳にはいかない……!」
その声は震えていたが、確かな覚悟が宿っていた。
クラウがリックの決意を感じ取ったのか、低く喉を鳴らし始める。
恐怖に震えながらも、主人の隣に立とうとするその姿に、リックの胸が締め付けられた。
「クラウ……お前だけでも逃げろ。」
クラウは首を振った。
その瞳には、揺るぎない意志が宿っている。
「……バカな主人でごめんな。
──ありがとう。……大好きだ。」
リックはクラウの頭を撫で、深く息を吸った。
「──獣化共鳴!」
クラウの身体が淡く光り、リックの全身に力が宿る。
ワイバーンは敵意を感じ取ったのか、低く重い唸り声を上げ始めた。
次の瞬間、鋭い棘を持つ槍のような尾が、雷を思わせる速度で振り抜かれた。
「──っ!」
リックは何とか反応し、間一髪で回避する。
尾が地面を抉り、岩肌を削り取った。
クラウが吠え、ワイバーンの足元へ喰いかかる。
だが、ワイバーンは翼を激しく羽ばたかせ、風圧だけでクラウを吹き飛ばした。
「クラウッ!!」
クラウは岩肌に叩きつけられ、苦しげに呻く。
リックは歯を食いしばり、これまでより大きな魔爪を形成しワイバーンへ突進した。
しかし、今のリックが振るえる最大の魔爪もその鱗には歯が立たない──
「うおおおおおっ!!」
それでも繰り出す渾身の魔爪は、ついにワイバーンの翼を引き裂いた。
ワイバーンは驚き、叫び声が轟く。
ワイバーンは怒り狂い、咆哮と共に尾を連撃のように振り下ろした。
その咆哮は空気を裂き、木々そのものを揺らす。
「くっ……!」
リックとクラウは必死に回避する。
だが、体力は限界に近い。
魔力も底をつきかけていた──
リックが岩の破片に足を取られ、一瞬ふらついた。
その瞬間──
ワイバーンの刺突が、稲妻のように夜気を斬り裂き走った。
そこへ影が──クラウが飛び込んだ。
「クラウ!?やめ──!」
鋭い棘が、クラウの身体を無慈悲に貫く。
クラウの身体が宙に浮き、地面へ叩き落とされた。
血が霧のように舞い、リックの頬を濡らした。
「クラウ……?
──クラウ……!!」
返事はない。
クラウの瞳は、もうリックを映していなかった。
「う……あああ!
──あああああああああああああっ!!」
リックの叫びが森に響く。
自分への失望が。
怒りと悲しみが。
様々な感情が胸を焼き、視界が赤く染まる。
「くそおおおお……っ!!」
リックはワイバーンへ突進した。
無謀で、無策で、ただ感情だけの突撃。
ワイバーンはそれを待っていたかのように、口を大きく開いた。
鋭い牙が鈍く光る──
次の瞬間、リックの身体を貫いた。
「……ぐぅっ……ごふっ……!」
意識が飛ぶほどの痛みが走り、血が溢れる。
視界は揺れ、世界が遠ざかっていく。
そのままリックは地面へ叩きつけられた。
身体が動かない──呼吸もできない。
意識が深い闇に沈んでいく。
世界から音が消えたような、澄んだ静寂がリックを包み込んでいった。
最後に浮かんだのは、クラウの笑顔──
その手に残るのは、最後に身を寄せた温もりだった。
もっと強くなりたかった。
たったそれだけのために──
「……クラウ……ごめんな……。」
そんな最後の後悔が、リックの胸を突き刺した。
そして──
少年の短い生は、静かに幕を閉じた。




