第12話 期待と現実
キリアは地を蹴り、風切り音と共にアレクの懐へ踏み込んだ。
横薙ぎの一閃が、草原の空気を斬り裂く。
「──ッ!」
アレクの瞳がわずかに見開かれた。
その反応は、彼にとって珍しい“驚き”の色を滲ませていた。
その速さに、観衆も息を呑む。
「おい……今の見たか……?」
「あいつが……あんな動き……?」
「どうなってんだ……お前……見えたか?」
「いや……見えなかった……。」
あのワイバーンはただのAクラス魔獣ではなかった。
他の個体と一線を画すほど、異常な魔力を内包していた。
その魔力を取り込んだことで、リックだけでなく──キリア自身の魔力と身体能力も大幅に成長していたのだ。
アレクはキリアの剣を刃の側面で軽く弾きながら、楽しげに笑った。
「なかなかやるじゃないか。
いつの間にこんなに強くなったんだい?」
その声には微かな驚きが混じっている。
しかし、その表情に焦りは一切ない。
キリアは歯を食いしばり、さらに踏み込む。
斬りつけ、斬り上げ、突き、薙ぎ払い──
持てる全てをもって五月雨の斬撃を浴びせる。
だが──
アレクはその全てを、軽々と受け流した。
「……くっ!」
キリアの胸に灯った淡い期待を、塗り潰すように無慈悲な現実が突き刺さる。
ワイバーンを倒したあの力。
少しは強くなった。
そして、あの時の“共鳴”があれば──と、どこかで期待していた。
だが、現実は一切の容赦を与えてくれない。
“剣帝”。
そのギフトは伊達ではない。
剣帝とは──
己の剣技によって全ての闇を斬り伏せる者。
そして、全ての道を切り拓く覇者。
アレクの剣は、まさにその象徴だった。
もともと持っていた剣の才も相まって、同世代で肩を並べる者はいない。
「満足したかい?」
アレクが軽く笑い、攻勢に転じた。
「──ッ!」
瞬く間に距離を詰められ、キリアの剣が絡め取られる。
次の瞬間、キリアの手から剣が弾き飛んだ。
「……くっ……!」
たじろいだキリアの腕を払い、防具の隙間から腹へ拳が叩き込まれる。
「……かはっ……!
ぐ……ぉぇ……。」
嗚咽が漏れ、キリアは膝から崩れ落ちた。
肺が潰れたように呼吸がままならない。
「勝負あり、かな。」
アレクは剣を鞘に納めようとした。
「……まだ、だ……!」
震える声が、草原に響いた。
ここで諦めれば、リックが──
その想いが彼女の意識を繋ぎ止める。
だが──
その一言で、アレクの表情から爽やかさが消え去る。
眉間に皺を寄せ、露骨な不快感を滲ませた。
貴族として、そして剣帝として、滅多に見せない表情だった。
「んー、ちょっとしつこいよ。
……まあ、顔以外ならいいか。」
その瞬間、アレクの身体から殺気が溢れた。
リックの耳が跳ね上がり、背筋に悪寒が走り抜ける。
「足の一本くらいなら、まあ……
あとで、治癒魔法でどうとでもなるだろう。」
アレクが再び剣を構えた。
冷え切った淡蒼の瞳が、キリアを見下ろす。
──彼女の足を斬り落とすつもりだ。
「くっ──!」
キリアが歯を食いしばる。
避けたくても足が言う事を聞かない。
──キリアが危ない!──
「──ガルアアアアアッ!!」
怒号のような咆哮と共に、リックが疾風の如く飛び込んだ。
アレクとキリアの間に割って入り、全身の毛を逆立てる。
真紅の瞳が魔力を帯び、さらに深く紅く光る。
底知れぬ怒りと、キリアを守るという確固たる意志が、強大な魔力となってリックの全身から立ち昇っていた。
「はあ……。
──なら、お前からだ。」
アレクが剣を構え直した、その時だった。
「──ッ!?」
リックの背後で、膨大な魔力が渦を巻き始めた。
リックから立ち昇っていた魔力が、キリアの身体へと吸い込まれるように集束していく。
「これ……は……!」
キリアの身体が真紅の光に包まれ、熱い血が全身を駆け巡るように魔力が脈動する。
観衆が息を呑む。
「おいおい……なんだよあれ……。」
「あれ……魔力か……?」
「あんなに濃い魔力、見た事あるか……?」
「なんだ……あれは……。」
アイザックが息を呑む。
「キリア……。」
リエットは不安そうにキリアを見つめる。
アレクは思わず後ずさる。
剣帝の顔からは余裕が消えていた。
「……なんだ……この魔力は……!?」
それはあのワイバーン戦を超える──
圧倒的な、勇者と魔獣の共鳴だった。




