第11話 勇者と剣帝
リックの怒りは限界を超えていた。
野生の魔獣のような殺気が、彼の全身から放たれている。
毛は一層逆立ち、いつでも飛びかかれるよう四肢の筋肉は腫れ上がっていた。
「──ガルウウウウウウッ!!」
その殺気は、周囲の冒険者たちが自身に向けられていると錯覚する程に、重く鋭い気配を放っていた。
──許せない──
只々その想いだけがリックの脳裏を埋め尽くす。
「リック、ダメだ……!
とにかく落ち着いてくれ……!」
キリアは慌ててリックの前に跪き、両手で彼の頬を包み込むように押さえた。
しかし、リックの真紅の瞳は怒りに染まり、アレク以外の存在は映っていない。
キリアの額を冷えた汗が伝い、焦りが胸を叩く。
リックは自分を守ろうとしているだけだ。
だが、このままでは、帝国の剣帝アレクが本気で剣を抜きかねない。
そして、アレクはその気配を隠そうともしなかった。
「……ふふっ。
君と違って、随分と気が強いじゃないか。」
アレクは薄く笑い、剣の柄に手を添えた。
その動作は軽く、余裕と自信に満ちている。
「もし、その場に他の操魔士がいない状況で主人が死ねば、野良になってしまい危険だ。
君は弱い……。
そうなる前に、私が処分しておいた方が安全だろう?」
その言葉に、キリアの顔色が変わった。
「やめてくれ……!
リックは……僕の大切な……家族だ……!」
焦りと悲壮に満ちた顔を浮かべ、キリアは必死に頭を下げた。
「僕がよく言って聞かせる……!
だから、リックには手を出さないでくれ……!」
その姿に、周囲の冒険者たちがざわめく。
魔獣を守る勇者──
それは、魔獣に苦しめられる民衆には理解が及ぶはずもない。
「勇者が……頭を下げてる……?」
「魔獣のために……?」
「剣帝様に敵意を向けたんだろ……?」
「あの殺意……なんと恐ろしい……。」
アレクは、キリアの叫びを意にも介さず、彼女を見下ろした。
「……家族、か。
そこまで言うなら、一つ提案をしよう。」
キリアは目を見開き顔を上げる。
アレクは剣を軽く抜き、陽光を纏わせながら彼女に突きつけ、こう言い放った。
「君と私で、一対一の決闘をしよう。」
キリアの瞳が揺れる。
「僕と君が、決闘……?」
「ああ。
君が勝てば、その魔獣は見逃そう。
だが──負けた時は、その毛皮は私の寝室に飾られる。
そして君は、私の妾としてベッドからその毛皮を眺めるんだ。」
その場の空気が凍りついた。
アレクは笑顔を浮かべているが、その瞳は悪魔のように冷ややかだった。
「決闘……!?」
「剣帝様、本気か……?」
「討伐も妾も……決まったも同然じゃないか……。」
「アレク様相手に……勝てるわけがない……。」
観衆はすでに、キリアの負けを確信していた。
それもそのはず──
こんな男でも、勇者特性なしでAクラス魔獣を単独討伐する、本物の実力者だ。
キリアは唇に血を滲ませた。
手は、足は、堪えても震えが止まらない。
アレクは帝国の名門、デュランダール公爵家の跡取り。
断れば、今度はその権威の元でリックは確実に討伐される。
──選択肢は、ない。
しばらく口を噤むキリア。
ワイバーンを討伐したあの力。
あの“共鳴”が、もう一度起きるかどうかは分からない。
それでも──リックを守るためには、賭けるしかなかった。
キリアは震える拳を握りしめ、静かにアレクを見据えた。
「……分かった。
……その決闘、受けるよ。」
アレクは満足げに笑った。
その表情は、すでに勝利を見据えていた。
「決まりだ。
さすがにここでは戦えないな。
──場所を移そうか。」
街外れの牧草地。
広く開けた場所に、キリアとアレクは向かい合った。
リックはキリアのそばを離れず、常にアレクを威嚇している。
いざとなれば、相打ちになってでもキリアを守るつもりだった。
周囲には、アイザックやリエットを始めとしたギルド職員、そして冒険者たちが集まり、固唾を飲んで見守っている。
「私の傍で飾られるその毛皮と君は、さぞ美しいだろうね。」
楽しげに挑発的な言葉を放つアレク。
「いつでも構わないよ。
──そちらからどうぞ。」
しかし、その立ち居振る舞いは強者のそれだった。
アレクは剣を抜く──
その瞬間、周囲の空気が緊張する。
軽やかに構え、挑発するように手で招いた。
キリアは息を呑み、深く深呼吸をした。
震える手で剣を構え、足を踏み出す。
──リックを必ず守る。
その決意だけが、キリアの震える身体を動かしていた。
こうして──
勇者と剣帝の誇りを賭けた決闘の火蓋が、切って落とされた。




