第10話 帝国の剣帝
アイザックは、ワイバーンの亡骸を前にしばらく口を噤んでいた。
やがて、諦めたように深く息を吐き、キリアへ向き直る。
「……これが、討伐報酬だ。受け取ってくれ。
──素材については解体後に連絡する。」
差し出された袋は、初めての重さをキリアの手に伝えた。
キリアは、その感触を確かめながら誇らしげな笑みを浮かべた。
「ありがとう、アイザックさん!
これだけあれば、リックに旨いご飯をあげられるよ!」
「クルルル!」
リックも嬉しそうに喉を鳴らした。
二人が広間を出ようとしたその時、キリアの背に声が飛んできた。
「……待ってくれ、キリア。」
振り返ると、アイザックが眉間に皺を寄せ、こちらを見つめていた。
「今まで……すまなかった。
心の内で、お前は勇者に相応しくないと……そう、決めつけていた。
お前の頑張りを、俺は……間近で見てきたはずなのにな……。
本当に──申し訳なかった。」
キリアは、思いもよらない言葉に一瞬驚き目を丸くするが、すぐに柔らかく笑った。
「もういいんだ……些細なことさ!」
あれだけの胸を刺す言葉を受けてなお、その笑顔は決して絶えない。
その姿にアイザックは胸を打たれ、深く、頭を下げた。
「……ありがとう。
世界の行く末を、よろしく頼む。」
キリアは照れくさそうに頷くと、リックと共にギルドを後にした。
外に出ると、少し離れた場所で人だかりができていた。
取り囲む人々の騒つく声が、風と共に耳へ届く。
「なんだろう……?」
キリアが怪訝な顔で目を凝らしていると、人垣の中心にいた人物がこちらへ気づいた。
すぐに、堂々とした足取りで歩み寄ってくる。
その姿を見た瞬間──
キリアの表情がみるみる曇っていく。
いつも明るい彼女が、眉間に皺を寄せ、視線を落とした。
「やあ!キリアじゃないか!」
爽やかに響く耳心地の良い声。
だが、キリアは気まずそうに答えた。
「ど、どうも……。」
リックはその反応に違和感を覚えた。
笑顔の絶えないあのキリアが、ここまで露骨に嫌な顔をする姿は初めて見たからだ。
リックは不思議に思いながら、人垣や周囲の冒険者たちの囁きをその耳で拾う。
「“剣帝”アレク様だ……!」
「やあん、アレク様……素敵だわ。」
「なんでこんな地方の街に……?」
「ワイバーン討伐のためにいらっしゃったらしいぞ。」
帝国でも限られた血筋や、強運の持ち主のみが授かる“剣帝”のギフトを持つ青年──
彼の名は、アレク・デュランダール。
その身に纏う青白色の鎧は、軽快さの中にも高級感が漂う明らかな貴族の装い。
清流のごとき青い髪、淡蒼の瞳、端正な顔立ちをしながらもあどけなさを残す。
男女問わず、嫌悪感を抱く要素は何一つない。
次の瞬間、その口を開くまではリックもそう思っていた──
「まだ冒険者ギルドに通い詰めてるのか。
……その綺麗な顔が傷ついたらどうするんだい?」
そう言ってキリアの顔を覗き込む。
「最弱である君が、危険を冒す必要はないんだ。
……大人しく私の元に来たまえ。」
──こいつ!──
リックの心に敵意が芽生える。
鋭く立てた耳が無意識に揺れる。
キリアは顔を背け、悔しさを滲ませながら呟いた。
「アレク……僕は確かに弱い……
それでも、神様に選ばれた勇者なんだ。
君の元へ嫁ぐ気なんて……ないよ。」
アレクは肩を震わせて笑った。
「ふふ……あはははっ。
勇者特性を持ちながら私の足元にも及ばない君が……
勇者に選ばれたことがそもそもの間違いなんだよ。
それと、勘違いしないで欲しい。
“嫁ぐ”のではなく、妾として迎えてあげると言っているんだ。」
その瞬間、リックの全身の毛が逆立った。
肌に電流のような痺れと怒りが走り抜けた。
アレクは続ける。
「君の取り柄は、その顔と身体だけなのさ。
大人しく私に可愛がられていればいい。
綺麗なものは、飾られ愛でられてこそ価値があるんだ。」
紡がれる言葉のその全てが、一切の悪意を感じさせない。
それが、誹謗や揶揄ではない本心だと告げている。
その一語一句が、リックの逆鱗を刺激した。
キリアは唇を噛み、拳を硬く握り込んだ。
悔しさと怒りが滲み、肩を小さく震わせている。
リックの胸の奥で熱が爆ぜ、全身に広がっていくのを感じた。
激しい怒りが血を沸き立たせ、視界がアレク以外を排除する。
「──ガルルルルルゥゥッ!!」
リックは顔中に皺を刻み、低く重く喉を震わせた。
全身を包む嫌悪と敵意を、アレクに向け剥き出しにした。
周囲の冒険者たちが一斉に後ずさる──
リックの変容と全身が放つ憤怒の気配は、それほどまでに威圧感を放っていた。
「こ、こいつ……最弱勇者がいつも連れてたやつか……?」
「ついこの間まで幼体だったよな……!?」
「亜生体にしたって……なんか、デカくないか……?」
「あの気配……ほんとに安全なのか……?」
アレクは眉をひそめ、リックを見下ろすように言った。
「……サーベルキャット風情が、この私に牙を剥くのか?」
リックの爪が地面にめり込み、怒りに震える魔力が身体中を迸る。
キリアは慌ててリックの前に跪いた。
「リック、ダメだ……!
落ち着いてくれ……!」
だが、リックは真紅の瞳をさらに深く紅く燃やしていた。
アレクは薄く笑い、剣の柄に手を添える。
「もし主人が死ねば、討伐対象になるんだったか?
今のうちに、この私が直々に処分しておこうか。」
その瞬間、肌を刺す気配が周囲の空気を支配する。
帝国の剣帝アレクと、亜生体へ進化したリック。
そして、二人の狭間に立つ最弱の勇者キリア。
注がれる衆目の中──
三者の運命が、今まさに交わろうとしていた。




