第1話 操魔の少年
大陸北方の広大な土地を世界と分断するかのように、続きが見えぬほど広がる堅牢な石壁。
壁外の傍には、朽ちた魔獣の骨が転がっている。
ここは“イストラルダ帝国”。
城塞国家として知られ、外敵の侵入を許さぬその城壁は、幾度となく魔獣の群れを退け人々に安寧をもたらしてきた。
その帝国北部──壁内の一部と、壁外の深い森と山脈に囲まれた土地を領地とするのが、グランジェット家である。
屋敷を構える広い庭では、数体の魔獣が飼い慣らされ訓練されていた。
グランジェット家は代々“操魔士”を輩出する家系として知られ、周辺諸国にまでその名を轟かせる名門だ。
操魔士とは、魔獣を従え、その能力を借り受けて戦う者のこと。
人類が十五歳の誕生日に受ける“天恵の儀”によって操魔の天恵を授かった者だけが就ける、選ばれし職業だ。
その家に生まれた少年──リック・グランジェット。
彼は幼い頃から父と兄の背中を追い続けてきた。
父のガイアスは、帝国でも屈指の操魔士であり、兄レオンもまた、若くして父の補佐を務めるほどの実力者。
二人が魔獣を従えて戦場を駆ける姿は、リックにとって憧れそのものだった。
「いつか僕も、父さんや兄さんみたいな操魔士になるんだ。」
その言葉と共に、金糸の髪をなびかせ鍛錬に励むリック。
その瞳は、グランジェット家特有の“操魔の瞳”であり、鮮やかな真紅の光を宿していた。
そして迎えた十五歳の誕生日。
領内の教会には、リックの天恵の儀を見届けようと多くの人が集まっていた。
基本的に血筋で決まる天恵だが、やはり例外はある。
観衆の表情は一様に、期待と不安を滲ませていた。
神官が祈りを捧げると、天井から柔らかな光が降り注ぎ、転生神の使徒が姿を現す。
『神の子、リック・グランジェット。
──汝に己の未来を切り開く恵みを授けましょう。』
荘厳な声が響き、光がリックの胸へと吸い込まれていく。
次の瞬間、彼の身体を包む魔力が震え、赤い瞳が強く輝いた。
『汝の行く末が善きものであらんことを。』
そう言い残すと、使徒は細かな光の粒となり霧散していく。
そして、リックは静かに瞼を開けた。
「ゆっくりでいい。
ギフトを確認してみなさい。」
ガイアスは、自信を滲ませ声をかける。
「何を授かっても心配はいらないぞ!」
レオンは明らかに心配した様子だった。
「うん。」
リックは息を呑み、言葉を紡いだ。
「──我が天恵を示せ。」
詠唱と共に、リックの手の甲に紋章が、淡い光を帯びて浮かび上がる。
それは確かに“操魔のギフト”を示していた。
「やったよ!操魔のギフトだ!」
リックは高らかに声を上げた。
神官たちが安堵の息を漏らし、祝福の笑みを浮かべる。
周囲からは不安の色は消え、歓声が湧き起こった。
「よくやった、リック!」
父の誇らしげな声が響く。
「無事、父上と同じギフトを授かったな!」
兄の弾む声がリックを優しく包んだ。
リックは、湧き上がる熱を確かめるように胸に手を当て、観衆に向け深く頭を下げた。
早速、その日のうちにリックは魔獣調伏の初訓練に挑むことになった。
グランジェット家が用意したのは、Bクラスの魔獣“サーベルキャット”──
生々しい牙を剥き出しにし、捕食者たる獣の気配を纏っている。
本来なら新人が挑むには早すぎる相手だが、ガイアスは確信めいた想いがあった。
幼い頃、操魔の天恵を持たずして、魔獣を恐れないリック。
世話係は相当肝を冷やした事だろうが、父はそこに、息子の潜在的な可能性を感じていた。
「お前なら大丈夫だ。」
ガイアスの表情に疑いの色は宿っていない。
「うん……。やってみるよ。」
リックはそう言って魔獣の檻の前に立つ。
その額には冷えた汗が滲み、背筋を畏怖の感触が走った。
サーベルキャットは鼻の周りに皺を寄せる。
喉から低い唸りを響かせ、鈍く光る鋭い牙を見せつけるように剥き出した。
だが、リックは一歩も引かない。
身体の奥で激しく胸を打つ脈と、波立つ魔力を静かに整えた。
額の汗を拭い、ゆっくりと拳をサーベルキャットに向ける。
調伏は一瞬の勝負──
ここで魔獣の敵意や怯えを抑え込み、従わせる事ができなければ、二度とその個体とは心を繋ぐことができない。
もし誰とも心が繋げなければ、それはただの危険な魔獣。
生かしておく訳にはいかなくなってしまう。
リックは魔獣と視線を合わせ呟く。
「……僕と、共に戦おう。」
その瞬間、真紅の瞳が強く輝き、手の甲の紋章が力強く呼応し明滅する。
それに反応するように、魔獣の身体を包む魔力が揺らいだ。
サーベルキャットは抵抗するように低く吠えたが、やがてその瞳からは敵意が薄れていく。
そして、リックへゆっくり近づくと、足元へと静かに伏し額を寄せた。
「調伏……した……?」
「Bクラスの魔獣だぞ……!?」
「史上初じゃないのか……!?」
固唾を飲んで彼を見守っていた執事やメイドたち。
安堵と歓喜が入り混じる声が、室内に響き渡った。
リックはそっと胸を撫で下ろす。
その小さな胸は驚きと喜びで溢れていた。
そんな彼を見た父も兄も、誇らしげにその肩を叩いた。
リックが早速、その魔獣に“クラウ”と名づけると、名を呼ばれたクラウは嬉しそうに喉を鳴らす。
二人は身を寄せ合い、これからの冒険に胸を高鳴らせた。
その夜、屋敷では盛大な祝いの宴が開かれた。
リックは何度も祝福され、兄のレオンからは「お前は自慢の弟だ」と頭を撫でられた。
だが素直な嬉しさと同時に、リックの胸には別の感情も芽生えていた。
飼い慣らされた魔獣では、本当に才能があると言えないのではないか──
自分なら、もっと強力な魔獣を調伏できるのではないか──
遥か高みにいる父や兄との差が、リックに才能を自覚させず、未熟な自尊心に危うい影を落としていた。
幼さからくる焦りにも似た熱は、夜が更けても消えることはなかった。
翌朝。
まだ空が薄暗く、宴の熱は冷え、屋敷はまだ夜気の静寂に包まれていた。
そんな中、音を隠すようにそっと玄関を抜け出すリックの姿があった──
隣には、爪を隠し無音で歩くクラウが寄り添っている。
「行こう、クラウ。」
クラウが低く鳴き、リックの後をついていく。
二人が向かったのは、領地の外れにそびえる“竜哭の禁山”。
古来より強力な魔獣が棲むとされ、何人の立ち入りも禁じられた危険な山だ。
聳える山の方角からは重い空気の気配が漂っていた。
リックは、屋敷にある資料を見て知っていた。
この禁山には、Aクラスの魔獣が生息していることを。
「Aクラスが調伏出来たら、才能は本物だって言えるはずだ……!」
昨日の成功と周囲の歓喜が、リックの早まった向上心を焚きつけていた。
その熱に呼応するように、クラウも猛々しく声を上げる。
リックはクラウの頭を撫でた。
「頼りにしてるからな。」
こうして、未熟な少年と魔獣は、禁山の深奥へと足を踏み入れた。
──彼は知る由もない。
この選択が、自らの運命を大きく狂わせてしまうということを。
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