7 公爵の来訪
静かな緊張を抑えながら迎賓館の応接間へ入ると、魔術師の黒衣に身を包む男が座っていた。
漆黒の髪に、金色の瞳。まるで闇夜に浮かぶ月のような静けさ。
公爵は眉ひとつ動かさず、氷の刃のような冷たい表情でこちらを見据える。
……それにしても。
小説で知っていたとはいえ、恐ろしすぎるほどの美貌だ。
「リュノール・ロブロフォン公爵閣下。ご来訪いただき光栄です」
向かい合って座る。
これほど近くにいるのに、魔力の気配がまったくない。
それが逆に、彼の実力を物語っている。
(どう見ても、お情けで動くタイプじゃないわね)
彼に危険分子と判断されたら、命の保証はない。
でも、逃げるという選択肢もなし。
ここは“利用価値”を見せるしかない。
「ちょうど私からも、お話したいことがありました」
「俺に話? 言ってみろ」
「私の子を、あなたの後継者として、指名していただけませんか?」
公爵の瞳がわずかに動く。
ロブロフォン公爵家は、帝国の軍事を担う実力主義の名門だ。
血筋よりも才能を重視し、見込みある者なら養子も認める。
つまり、“後継者にふさわしい力”さえ見せられれば、血縁でなくても受け入れられる。
「凶獣を呼ぶ紫髪の幼子か」
やはり、大聖女の啓示は耳に入っているようだ。
「はい。エトワールは召喚士です」
「召喚士?」
金の瞳が細められ、空気が張り詰める。
「俺に知らない魔術などほぼ無いが……初耳だ。詳しく話せ」
(よしっ。前世でハマったゲーム知識、役に立った!)
頭の中で小躍りしながら、真剣な声色で続ける。
「召喚とは、これまでの魔術とは異なる系統。異界の存在を呼び寄せる希少な才能です」
そう。小説を読んだとき、私はそう理解していた。
「エトワールはまだ幼い。しかし、凶獣を呼ぶほどの潜在力を秘めています」
公爵後継者は、あとから取り消すこともできる。
エトワールが望まなければ、無理に続ける必要はない。
だから今は、公爵の庇護を得ることが第一。
それに公爵の後継者になれば、エトワールの魔力の才能、召喚について隠さなくてもいい。
「それに……たとえ凶獣が現れても、閣下なら討伐できますよね?」
「ああ」
さらっと言った。
いや、確かにこの人にできなければ、誰にもできないけど。
「俺の後継者が決まれば、うるさい連中も黙るだろう」
そうそう。
公爵は女帝や大司教に「早く世継ぎを」とせっつかれている。
けれど筋金入りの人嫌いらしく、妻子を持つことを拒み続けている――って、小説の中で大司教が愚痴っていた。
でも、後継者は血縁でなくてもいい。
人嫌いの彼にとっても、悪くない話だ。
「閣下、どうかエトワールを次期後継者として、正式に庇護していただきたいのです」
「わかった。ではアルージュ、ここにサインを」
公爵が懐から書類を取り出し、テーブルに置いた。
(準備がよすぎるような……ん? 婚姻?)
記されている文字に、目を疑う。
「これ、何ですか?」
「婚姻申請書だ」
いや、見ればわかる。
っていうかこの人、つらっと出してきたんだけど。
まさか、来訪の目的ってそれ?
「……理由をお聞かせいただけますか?」
「お前の元夫、ラウルド・ロンブルが教会の尋問を受けて証言した。『元妻の悪喰の力で操られ、記憶がない』――とな」
(出たわね。人生まるごと被害者モード)
「もちろん調査は進んでいる。俺が命を受けてお前を尾行していたときも、悪喰にそんな力はないと確認済みだ。だから奴の偽証の線で調べている」
本当に、全部暴いてほしい。
っていうか私、悪喰になったとき公爵に尾行されてたの?
全然気づかなかったんだけど。
「しかし近年は天災が続き、民は不安定だ。事実でなくても悪喰への悪評が広まれば、過去のような暴動が起こりかねない――と、陛下が懸念している」
なるほど。つまり公爵は『私を監視するために結婚したい』ってことね。
ずいぶん仕事熱心なことだ。
「とはいえ、お前が危険だと証明されたわけではないし、問題を起こしたわけでもない。婚姻を受け入れるなら、必要経費はすべて公爵家が負担する。公爵夫人と令息として迎える以上、服飾品や衣装の仕立てに遠慮はいらない」
(ちょっ……生活費タダ!?)
「さらに、公爵家の料理人は一度食べた味を再現できる」
(何それ神職人!?)
こっちの世界の食事って味が単調で、毎日塩味と硬いパンばかりじゃ流石に飽きてた。
「教育費も全額だ」
(それって、“エト貯金”も不要ってこと? 宝くじに当たったくらいの衝撃なんだけど!)
「もちろん婚姻後、悪喰で害をなさない限りは、行動制限もない。希望があれば魔術契約で親権、離縁条項、別寝室も明記も、変更も可能だ」
(……これ、いいことしかなくない?)
貴族の政略結婚なんて珍しくないし、あの女帝や大司教でも、公爵の妻には手を出せない。
それにエトワールがいるから「世継ぎを産め」と迫られる心配もなし。
つまり庇護もパトロンもお金も、全部手に入ったようなもの!
なにより、愛を期待する結婚はもうこりごり。
お飾り妻で十分だわ。
でも、ひとつだけ気になることがある。
「わかりました。ただ、かりそめの家族でも、エトワールと仲良くしてもらえますか?」
「ああ。必ず認めさせる」
だから、そういう言い方なんだって。
人嫌いなせいかもしれないけど、エトワールもこんな態度の公爵に慣れるまで時間がかかるはず。
少しずつ距離を縮めていければいいけど……
呼んでもらうと、ちょうどエトワールがお昼寝から目を覚ましたところで、ルシールと一緒にやってきた。
私を見つけた瞬間、天使の笑顔で駆け寄ってくる。
「あっ、おかぁしゃま! みてっ!」
なにか持っている……またおもちゃを召喚した?
「お前がエトワールか」
公爵の声が低く響く。
エトワールはびくりと肩を震わせ、私の後ろにさっと隠れた。
うん。あの圧、怖いよね。
「俺はリュノール・ロブロフォン。お前の才能を見込んで、暫定的に次期公爵の後継者に指名し、養父となる」
「……」
返事の代わりに、小さな指が私の袖をぎゅっと掴む。
「もちろん強要はしない。条件があるなら言え」
「……」
「考えてからでいい」
「……」
「……」
最強公爵、完敗だわ。
公爵が婚姻申請書を提出しに席を立ったあとも、エトワールは私にぴったり張りついたまま離れない。
私と離れていて少し甘えたいのか、それとも公爵が怖かったのか……
公爵領に行くのを嫌がったらって考えると、ちょっと気が重い。
私はエトワールを抱きしめながら、ふと気づいた。
「エト、それ……持っているもの、見せてくれる?」
エトワールはこくりと頷き、小さな両手でそれを差し出した。
「おかぁしゃま、これ、どうあそぶの?」
「これは……!」
「?」
「これはね、おもちゃじゃないの。でも、とっても嬉しいものよ!」
もしかしたら。
これがうまくいけば、エトワールも公爵領に行くのを楽しみにしてくれるかも。
私はルシールに事情を説明し、すぐ行動に移した。




