5 前世で見慣れたもの
隣にいるエトワールの小さな両腕には、昨夜はなかった大きなケースが抱えられていた。
「……色鉛筆ね」
三十六色セットだ。書いてあるのは、どう見ても日本語。
前世で見慣れたものが、どうしてこの世界に?
そういえば昨夜、エトワールの身体から溢れていた虹色の光……
あれは夢じゃなくて、色鉛筆の出現と関係あるとか?
見たところ、エトワールは特に変わった様子もなく。
色鉛筆を見て、にこにこしていた。
「いろえんぴちゅ、きれい!」
「本当ね。こうして並ぶと、虹みたい」
「おかぁしゃまに、にじ、あいっ!」
エトワールから色鉛筆を贈られると、胸がじんわりと暖かくなる。
前世では子供のとき、たくさん色が入ったものが欲しくて仕方がなかった。
……そうね。
これからは、好きな色を思い切り使ってみてもいいかもしれない。
「エト、ありがとう」
「あいっ!」
せっかくだから、久しぶりに描いてみよう。
テーブル前に腰掛け、常備されていたノートを開く。
とことこと近づいてきたエトワールが、私の手元をじっと覗き込んだ。
エトワールくらいの年頃なら、やっぱりあのお方よね。
私は色鉛筆を走らせる。
描いていくのは、毎週見ていたアニメ。
子供のころの推しキャラだ。
「このひと、おかぁしゃまの、おともだち?」
「それは、その……心の友よ。エトみたいに小さかったころ、会うのが楽しみだったの」
私は描きかけの絵に合わせて、前世で見ていた幼児向けアニメ風の物語を思い付く。
「むかしむかし、あるところに、不思議な国がありました――」
困っている人を助ける、優しい妖精。
悪い妖精に意地悪をされても、妖精がやってきて守ってくれる。
最後はお腹を空かせた動物たちにパンを分けてくれて、みんな笑顔になる。
「――おしまい」
ぱちぱちと小さな手が鳴る。
エトの頬がほんのり赤くなり、瞳はキラキラと輝いていた。
「ちゅぎは?」
アンコール……!?
でも、もうネタ切れなんだけど。
そうだ、別の話ならいける。
「むかしむかし、あるところに、不思議な国がありました――」
難事件を解決する、少年探偵。
見習い忍者たちの成長譚。
願いを叶えるため、冒険の旅に出る獣人……
観客の反応が伝わってきて、つい語りにも熱がこもる。
気づけば主題歌まで口ずさんでいた。
そのとき、扉がノックされる。
ルシールがお付きの女官を連れて、様子を見にやってきたのだ。
我に返ると、ノートには大量のオタクイラスト……
固まる私の横で、エトはそれを得意げに掲げる。
「おかあしゃまの、おともだち! おもちろい!」
「お友達?」
「こころのとも!」
「まぁ、哲学的ね」
ルシールは目を見開き、私の趣味全開のイラストを食い入るように見つめる。
そしてなぜか、感動したように息を呑んだ。
「アルージュ……! あなた、素晴らしい絵の才能があったのね! なんて独創性なのかしら!!」
「あ、ありがとう」
女官たちも集まり、私の落書きを鑑賞しはじめた。
キャラクターの感情表現や構図を品評し、真剣に分析している。
お仲間だったとは……
「ねぇアルージュ、ウィルは美術品に目が利くの。彼にも見せていいかしら?」
王太子殿下に、この落書きを!?
でも……ここまで世話になっているのに、断るわけにもいかない。
「もちろん。気に入ったものがあれば、どうぞ」
と、軽く返した翌日。
迎賓城のエントランスホールには、額装された私の絵がずらりと並んでいた。
こうして豪奢な城の一角は、私の心を映したアートギャラリーへと変貌していったのだった。
◇
ルシールに迎賓館へ招かれてから、十日ほどが経った。
悪喰の偏見もラウルドの嫌がらせもなく、穏やかなな日々が続いている。
エトワールは毎日のように色鉛筆を握りしめ、楽しそうに絵を描いていた。
それだけじゃない。
折り紙、塗り絵、積み木――
日本で見覚えのあるおもちゃが、まるでガチャみたいに次々と出現するのだ。
条件ははっきりしない。
わかっていることは、エトワールと同じ寝台で眠った翌日に起こる。
これって、多分……『異界から現れた凶獣』と同じ現象よね?
小説の中で凶獣が呼び出されたのも、アルージュとエトワールが一緒にいるときだったし。
だけど危険なものではなく、おもちゃばかり。
そんな『異界ガチャ能力』は謎が多いけれど、今のところ魔力暴走の兆候もない。
エトワールの食事や睡眠、運動に気を配りながら、観察を続けている。
◇
とある朝。
目を開けると、ブランケットの隙間からエトワールがひょこっと顔を出した。
紫色の瞳をキラキラ輝かせている。
寝ている間に、またガチャしたらしい。
「おかぁしゃま、これ、おもちろぃ?」
「おもしろいか、一緒に試してみましょう」
「あいっ!」
庭に出て、新たに出現した紙風船を軽く叩いて飛ばす。
力を入れすぎるとしぼんでしまうから、案外難しい。
「こうして、こうして、こうっ!!」
「こぅちて、ちてっ、こうっ!!」
私たちの声に合わせて、紙風船は陽射しの中を軽やかに弾む。
エトワールが小さな手を伸ばすたび、掌に魔力の集まる気配がした。
そう! これは魔力を指先に集める訓練にもなっている。
おもちゃで遊びながら、魔力暴走が起こらないように、制御する力を順調に身につけているのだ。
「アルージュ様、こちらにいらしたのですね」
穏やかな声に振り返ると、ルシールの夫――隣国の王太子が護衛を連れて歩み寄ってきた。




