15 脱ブラックスイーツ店
「公爵領の菓子店は、なくなってしまったんですか?」
「現状ではそうなる」
「そんな……」
私は膝の上で両手をぎゅっと握りしめる。
(領内で唯一のスイーツ店が消えるなんて! これじゃあ、スイーツ難民が出てしまうじゃない!!)
公爵は麗しい顔を曇らせ、視線を落とす。
「しかし菓子は社交や祝い事に欠かせない。あの店が潰れれば雇用も失われ、領内の失職者も急激に増えるだろう。そのため新しい経営者を探しているが、まだ見つかっていない。アクトゥのせいで公爵領の甘味事業の印象が悪化していることに加えて、甘味は原材料のコストの高さから利益を出すのが困難なためだ」
「それなら、私がやります」
きっぱり告げると、公爵はほんの少しだけ目を見開き、珍しく言葉を詰まらせた。
「……本気か?」
「ええ」
近ごろ、貴族夫人や子供たちのお茶会に誘われることが増えていた。
私の甘味に興味を持ってもらえるのは嬉しいけれど、毎回手作りの菓子を作るのは限界がある。
「公爵領から甘味がなくなるなんて、そんなの認められません!」
調味料事業の資金もあるし。
(もうこうなったら、公爵領のスイーツ革命、私が起こすわ!!)
私は手始めに、アクトゥが残した例の菓子店へ向かった。
◇
公爵領にはすでに、美味しいスイーツを作るパティシエがいる。
詐欺オーナーのせいで店が潰れてしまって、理不尽に職を失うなんてもったいない。
彼らに新しいスイーツ店で働いてもらえたら心強い。
アクトゥの菓子店に着く。
扉には「閉店」の札が下がっていたが、鍵はかかっていなかった。
護衛が静かに扉を開け、店内に声をかける。
「お話があるのですが」
中で片付けをしていた従業員たちが、びくりと体を震わせ、顔を引きつらせた。
「お、お許しください……お金は、まだ……!」
借金の取り立てと勘違いされたのだろう。
私は侍女を伴って、一歩前に出た。
「私はアルージュ・ロブロフォンです。今日は、このお店で働いている皆さんにお話があって来ました」
「こ、公爵夫人……!?」
どよめく従業員の視線が、私の赤髪に釘付けになる。
「悪喰ですが、魔力を奪ったりはしません。そばにいても、身体に不調はないでしょう?」
でも、見渡した彼らは痩せ細り、手は赤く腫れて痛々しかった。
(従業員が過労で作るスイーツなんて、まるでブラック企業だわ)
私は胸の疼きをなだめるように、穏やかに続ける。
「公爵領には、とてもいい施療院があります。みなさんを招待したいのだけど」
まだ新卒くらいの若い女の子が、慌てて手を背中に隠した。
「へ、平気です! そんなお金があるなら、お母さんの治療費に……」
そして視線を逸らす。
助けてもらうなんて考えたこともない、働けるだけで幸せと刷り込まれた人の目だ。
どうやらアクトゥは、家族を思う人々の弱みに付け込み、酷い契約を結ばせていたらしい。
「施療院の費用は私が負担します。もしよければ、あなたのお母様もご一緒に」
「えっ? ど……どうして、そんな……」
「私はこれから、公爵領で新しい菓子店を開く予定です。身体が良くなったら、ぜひ従業員にとして契約してくれませんか?」
それから丁寧に事情を説明する。
雇用契約をするかは自らの意思で選べ、私が施療院を紹介した義理だけで結ぶ必要もない。
彼らは信じられないような顔をしていたが、最後には涙ぐみながら、頭を下げてくれた。
(耐えることが、当たり前になりすぎていたのね)
――お姉ちゃんなんだから。
帰りの馬車に揺られながら、ふと前世のことを思い出す。
百点を取っても、劇で主役を演じても、お祝いのお菓子だって……
私に与えられたものは、妹が「欲しい」と言えば、いつも奪われた。
でも、もう我慢なんてしない。
「これからは思いっきり、エトと美味しいものを食べるわ!」
私の宣言に、向かいの侍女はびくっとしたけれど、すぐ笑顔を浮かべて頷いた。
「アルージュ様がご考案されるのですから、必ず素晴らしい菓子店になりますね!」
「ありがとう。そうするつもりよ」
(犠牲の上に作る甘さなんて、いらないわ)
◇
邸に戻ると、玄関のほうからエトワールの泣き声が聞こえてきた。
侍女が必死にあやしているようだけれど、まったく泣き止む気配がない。
「おかぁ、しゃまっ……!」
扉が開くなり、エトワールが足をもつれさせながら駆け寄ってくる。
その勢いのまま、私に飛びついた。
つぶらな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちて止まらない。
「エト……!」
胸の奥から愛しさがあふれるように、私はしっかりと抱きしめ返した。
こんなに泣くなんて、本当に珍しい。
エトワールに付き添っていた侍女も、ほっと胸をなで下ろしている。
「私がいない間に、何かあったの?」
「それが……エトワール様はお昼寝から目を覚ますと、奥様をずっと呼んで探されていました」
エトワールは私のドレスの裾をぎゅっと握りしめる。
「おっきい、いぬしゃんが……ガオーって。おかぁしゃま、ぱくって……」
どうやら、私が犬に食べられる夢を見たらしい。
その小さな身体から、ふわりと魔力が揺らめいた。
私はエトワールの背を優しく撫でながら、悪喰の力をほんの少しだけ解放し、あふれた魔力を吸い取る。
悪喰の力は、奪うだけのものじゃない。
するとエトワールの身体から虹色の光が現れ、胸元に精緻な魔法陣が広がった。
初めて召喚を目の当たりにした侍女が、息をのむ。
「こ、これは……!?」
輝く魔法陣は弾けるように消えた。
そこから出現したものを、エトワールは小さな両手で握りしめている。




