11 公爵邸での暮らし
公爵は持参したボトルを料理長に手渡し、「このトンカツソースも再現しておけ」と告げ、すたすたと去っていった。
厨房に来たのは、それが目的だったようだ。
(あの人、食いしん坊なのね)
意外な一面を知った気がする。
私はエトワールを呼んでもらい、出来立てのオムライスを食堂へ運んだ。
席についたエトワールは、目を輝かせて身を乗り出す。
「わあっ……おかぁしゃま、オムライスにハート、いっぱい!」
「ふふっ。じゃあもうひとつ、おまけよっ」
エトワールの無邪気なリクエストに応えて、ケチャップで飾りを描く。
そのとき、執事長が息を切らしながら駆け込んできた。
「奥様……! 積み荷の中の奇妙な机が、熱を発しております!」
執事長は真剣な顔で額の汗をハンカチでぬぐっている。
黒魔術の祭壇か何かと勘違いしているようだ。
「あら。移動中に、こたつのスイッチが入っちゃったのね」
「こたつ……とは?」
「テーブルの一種です。隣国の王太子妃もご愛用なんですよ」
冷え性のルシールのために、迎賓城滞在中にお揃いで作ってもらった特性こたつだ。
「し、しかし奥様。裏に奇妙な魔石が仕込まれております!」
「それは温魔石です。とても貴重なものだけど、旦那様が贈ってくれました」
「エト、こたちゅ、すき!」
エトワールがケチャップで赤く染まった唇で笑うと、執事長は固まっていた。
◇
数日が経ち、公爵邸での暮らしにもすっかり慣れてきた。
エトワールは相変わらずこたつがお気に入りで、そこで絵を描いたり、即興でお話を作って披露してくれる。
微笑ましいけど、あのぬくぬく仕様では、ちょっと運動不足になりそう。
ガラガラガラ……
外から荷車の音が響いてきた。
エトワールがぱたぱたと窓辺へ駆け寄る。
「おかぁしゃま、みて! あかぃトマト、いーっぱい!」
裏手に停まった荷車から、真っ赤に熟れたトマトが次々と運び込まれている。
料理人たちの希望で取り寄せたものだ。
「あれでね、ケチャップを作るのよ」
「……?」
「トマトを煮て、潰して、味をつけると、ケチャップになるの」
「トマト、へんしん? ……しゅごいまほう!」
エトワールは本気で感心したようだ。
調味料も少しずつ揃ってきて、公爵邸の食卓は日に日に豊かになっていく。
(でも……オムライスやトンカツも美味しいけれど、たまには甘いものも食べたいのよね)
この国にも甘味はあるけれど、コンビニで買うような手軽なものではない。
公爵領ですら、スイーツ店はたった一軒しかないらしい。
◇
翌朝。
寝台で一緒に眠っていたエトワールが、なにか両腕に抱えていた。
今回召喚したものは――
「おかぁしゃま、みてっ。トマトのあかちゃん、いっぱい!」
それは、赤い豆がぎっしり詰まった小袋だった。
「……これ、小豆!?」
思わず声が上ずる。
この世界では見たことがない食材だ。
「あずき……? しゅごいまほうで、ケチャップへんしん、ちないの?」
「これはね、違う変身をするの!」
(小豆があれば、あんこが作れるわ。ぜんざい、どら焼き、たい焼き……いいっ!!)
一袋分しかないけれど、増やすことができれば、無限あんこ計画も夢じゃない。
窓のカーテンを開けると、朝日が差し込んだ。
「エト、今日はお外で遊びましょう!」
「あいっ!」
朝食を済ませて、私とエトワールは作業服に着替え、庭の一角へ向かう。
「お、奥様っ。なぜ庭仕事などを……!」
慌てて駆け寄ってきた庭師に、私はにっこりと微笑んだ。
「ここは私用のスペースだと伺ったのだけれど、違ったかしら?」
「い、いえ! ですがそのような作業は我々が……!」
「ありがとう。でも、これは自分でやる方が楽しいの」
「こうちてね……つちのおふとん、かけるのっ!」
エトワールが小さな手で土をならしながら笑う。
私たちは一緒に、すべての豆を植え終えた。
「あずき、ぽこぽこ、おかおだしたら……エト、『こんにちは!』ってする!」
両手をぱっと広げて、植えた豆に挨拶するエトワール。
その姿があまりに愛らしくて、自然と頬がゆるんだ。
(これであんこができたら、和菓子スイーツも夢じゃない!)
でも……小豆って、いつになれば収穫できるんだろう。
一晩や二晩で収穫できるものじゃないけど、気持ちは早く食べたい。
そう思いながら向かったのは、邸の図書館だった。
まっすぐ魔術書のコーナーへ行く。
もし小豆を一気に育てられる方法があるなら、やっぱり魔術だろう。
私は分厚い本をテーブルに積み上げ、ページをめくっていく。
しばらくすると、文字がぼんやり見えてきた。
(……眠い)
最近は調味料の試作やエトワールの世話に夢中で、あまり休めていなかったかもしれない。
まぶたが重くなり、意識が遠のいていく。
「……ん?」
ここ、どこ。
なんで私、横になって……?




