No.29「密林の夜雨」
そして東京を離れた国境なき奇術団、彼らは様々な国と地域でマジックショーを行いながら、現在は東南アジア諸国を放浪していた。しかし、やはりというか、それも全てが順調とはいかない。彼らの旅にトラブルは付き物であり、もはや愛されてすらいる。
それは治安が壊滅的に不安定なエリアに入った頃だった。五人の奇術師たちは船で移動すれば海賊に襲われ、新しい車を調達したら武装ゲリラに襲われ、野営地を探しているとスコールに見舞われ、その最後には雨宿りに訪れた森に迷い込んでいた。
それから真夜中を迎えて数時間、突発的な大雨に密林が潤う中、五人は雨風を凌げる岩の下で火を囲うのだった。
「ほら、しっかり見ててね!」
しかし、こんな厳しい状況下でも彼らは変わらない。その少女は手元から元気よくトランプを取り出し、それを見物する少年に見せつける。
「どれにする?」
「・・・じゃあ、これで。」
「はい、覚えておいてね。」
テルルは少年がカードを選んだのを確認すると、それを目視せずにトランプの束に混ぜながら、適当にシャッフルを始める。彼女自身、一切手元を見ずに、素早く正確に指先で操りながら、流れるような手捌きでカードを引き抜き、それらを上へ上へと。
「そして最後に〜。」
「・・・」
不敵に微笑む少女は空中にトランプを放り投げ、それを弧を描くように舞わせながら、最後には吸い込まれるように手元に戻して、少年の前に広げてみせる。
「はい、貴方が選んだのは、スペードのキングだね。どう? 上達したでしょ!?」
そこで一枚だけ表向きになるカード、それはジェードが選んだものだった。・・・だが、しかし。
「いや、違うが。」
「え?」
その結果を前に、少年は平然と嘘をつく。彼は怪訝な表情を一切変えずに、慌てふためく少女を揶揄う。そんな反応を見るのが悪趣味な少年の楽しみでもあるのだ。
「そ、そんな。だって、え? 嘘だよね?」
「あぁ、嘘だ。」
それでも少年はすぐに自白した。その少女の磨かれた技術と自信の揺らぎを小馬鹿にするように、ただ愉快そうに笑いながら。少女はその下衆な微笑みを視界に捉えると、その目を大きく見開いて、呆然と口を開けながら固まる。そして・・・
「・・・このっ、嘘つき!」
やはり少女は当然のように憤慨した。それは癇癪を起こした子どものように感情的に。
「何でっ、そんなしょうもない嘘を吐くの!? 私が間違えたかと本気で心配したじゃん!」
「ふっ、面白いからに決まってんだろ。マジシャンなら揺るがない自信を持て。あとポーカーフェイスはどうした?」
「今してますけど!?」
「ふっ、それは悪かったな。あ、確か昨日だっけか、お前が何事にも動じないお姉さんになるとか言ってたの。ふっ、あれは何だったんだよ。」
「っ、ジェード!」
「───あ、ちょっ!」
その瞬間、少女の拳は少年の腹に衝突する。その怒りの表面張力を見誤った彼の敗北だ。テルルの鉄槌に成敗された少年は悶絶してうずくまる。その哀れな姿を見下ろす少女は、それでも気が収まらずに声を荒げた。
「ほんとムカつくなー! 私もう寝るね!」
「ぐっ、ぇ。」
そして最後に少年の横腹に軽く蹴りを入れて。その相変わらずの様子をセイコとヒルデガルトは笑いながら眺めていた。
「ジェード、もう火消すわよ。」
「あ、あぁ、分かった。次の交代は?」
「私が行く!!!!」
「そうか。頼んだ。」
それから火を消して眠りにつく三人。しかしヒルデガルトは装備を整えて、雨の弱まり始めた密林の中を歩き出していた。
「・・・ふぅ。」
そこは野営地から少し離れた場所にある、密林の中でも比較的見晴らしの良い高台。マックスは周囲を警戒しながらも、独り静かにため息を吐く。彼は僅かな眠気を訓練された精神で抑え込みながら、深夜の見張りを遂行中だ。
「・・・ん?」
その時だった。彼の身に猛獣が迫っていたのは。その場所には段々と微かな物音が近付いてくる。マッカスは警戒心を引き上げながら、その怪しい方向を観察すると、暗い密林の中から現れたのは、眼帯をつけたピンク髪の戦闘狂、ヒルデガルトだった。
「よぉマックス、一緒にどうだ?」
彼女は悪魔のような笑みを浮かべながらも、その両手には酒瓶を握っている。
「・・・まったく、しょうがねぇな。」
マックスは一瞬だけ悩む素振りを演じたが、彼もまた歴戦の酒豪の大男。その本能的な欲求には抗えず、彼女の誘いに快く応じるのだった。
「ガハハハッ!!」
「ギャハハハ!!!!」
それから二人の奇術師は豪快に酒を呑み、盛大に顔を赤らめながら、昔話に花を咲かせて語らう。夜雨の止まない密林には高らかな笑い声が響いていた。
彼らの会話には何の品性も遠慮もない。いくらお互いに戦場上がりといえど、その性格も戦いに対する価値観も、何もかもが乖離している。しかし彼らは楽しそうに語らいながら、対等に酒を呑み合っている。その信頼関係は、あの少年と少女には及ばないかもしれないが、それでも彼らの縁は強く結びついており、それはお互いの背中を預けられる程だ。
その大人たちの交流はかなり長くて深いもので、それは彼らが国境なき奇術団に来る前、奇術師ですらなかった頃。お互いに軍人、傭兵時代であった時からの付き合いだ。
「───なぁ、この密林、あの時と似てねぇか?」
すっかり酔いが回ったマックスはどこか遠い目で密林を眺めながら、その想いを独り言のように呟いた。
「ん、そうかぁ。」
しかしヒルデガルトは自分の記憶にはないように話す。どちらかといえば、その男の感傷的な心情には、全く興味がなさそうな感じだ。
「何だ忘れちまったのか、あれが俺とお前の出会いだってのによ。」
「あー、そりゃ覚えてるぜ。こっちの目、くれてやったしな。」
その時、ヒルデガルトは普段よりも恐ろしい笑みを浮かべ、右目の黒い眼帯を指差した。マックスはその凶悪な表情を横目で見つめながら、少し黙り込んで俯いた後、一気に酒を呑み込んだ。
「・・・あぁ、あの時は、すまんかったな。」
「ははっ、何寝ぼけたこと言ってんだ。これがあるから今があるんだぜ。」
その女は安易な謝罪などは受け入れない。それが戦場に生きる者としての、彼女なりの在り方だ。
「はっ、そうだった。そうだった。お前はそういう女だったな。」
「ははっ、しっかし、あの戦いは本当に楽しかったなぁ。」
「・・・そうだな。」
ヒルデガルトは眼帯にそっと触れながら微笑み、その瞳を失った時の情景を、あの軍人たちとの鮮烈な戦いを、ただ懐かしそうに思い出す。その感傷にマックスも珍しく同調するように頷き、そして彼は無意識のうちに小さく笑うのだった。




