No.27「硝子のオルゴール」
それはある日の昼下がり、穏やかな午後の東京の片隅で、少女は短い髪を風に靡かせながら、心地良さそうに鼻歌を歌い、独りで浜辺を歩いていた。
「うへへ、ジェードったら、ジェードったら!」
少女は周囲に人がいないことは既に確認済みであり、その顔を完全に緩め切ってしまう。その笑顔はただ嬉しそうにして、何よりも年相応に、あまりにも溶けそうに。そして昨夜の戦闘を思い出しながら、その横目で海を眺めつつ、前へ前へと歩みを進める。
それは昨晩というか、もはや都市の空が朝を迎え始めていた頃の話だ。
「ふぅ、ようやく終わったか、ありがとうなセイコ。」
「これくらい、大したことないわ。」
「ねぇ、怪我の方は大丈夫?」
「えぇ、そっちも特に問題ない。貴方たちは?」
「もちろん。」
「無論だ。」
「そう、相変わらずね。」
ジェード、テルル、セイコの三人はギャングとの戦闘の後始末を終えて、徐々に明るくなっていく空の下で一息ついていた。彼らにとって難所でもあった警察への対応は、大変素晴らしい技術をお持ちのセイコさんが担当することで、円滑に終えることができた。また病院送りになったギャングたちが一方的に発砲していた目撃証言と、マジシャン側に例の戦闘狂が参加していなかった事が功を奏して、異国人の三人組は比較的早く解放されるのだった。
「さて、俺は酔っ払い共を拾ってくるから、二人は宿に向かっていいぞ。」
「え、やったー!」
「お願いするわ。」
「───あ、そうそう、明日も飛行機の時間まではマックスたちと酒場巡りだが、テルルはどうする?」
「私は・・・少し、海の方を散策しようかな。」
「そうか、じゃあ───」
「ううん、私一人でいいよ。」
「・・・え。」
そこで少年は何言ってんだこいつ、という明らかに困惑した表情を浮かべたが、すぐに少女の思惑と真意を見抜いてポーカーフェイスを取り戻した。
「ちょっとだけ、休みたいというか、何というか。ふふ、うまく言えないけど。あと、少しだけ、確かめたくあるから。」
「・・・まぁ、同じ街にいる程度なら、今なら問題ないか。どうせこの国には何の痕跡もなさそうだしな。・・・じゃあ気を付けて行けよ。」
「うん、ありがとう。」
そして少年は酔っ払いどもを拾いに、少女はセイコとともにホテルに向かって歩き始めた。彼女らは明るくなりつつある都市の中をゆっくりと進みながらも、一仕事終えた後のように気を抜いて談笑しあう。しかしその実情は、少年の目を気にしなくなった少女による一方的な会話なのだが。
「ふふ、ねぇねぇセイコ、そういえばね、さっきね、ギャングたちを倒した時ね、ジェード、私のこと褒めてたんだよ!よくやった・・・って。ねぇねぇ!」
「えぇ、運転席で聞いてたわよ───」
「あのジェードが私のことをよくやったって、よくやったって。しかもジェード、私のこと見ながら嬉しそうに笑ってたんだよ!? ねぇ聞いてるセイコ!?」
「はいはい、聞いているわよ。」
「それでね、それでね───」
たった一度でも溢れ出たらもう、無邪気な少女の感情の爆発は止まらない。その幸福な想いを共有するように、その歓喜の瞬間を自慢するように、ただ永遠と声を高らかにして言葉を吐き出す。
「・・・はぁ。ほんと、貴女たちは。」
その姿をあの少年の前でも見せればいいのに、とセイコは心の中で呟くが、ただ嬉しそうに語り続ける少女の笑顔を前に、彼女がその本音を口に出すことはないのだった。
それから少女はホテルで十分に休息をとるも、その高まった気持ちが収まる様子はなく、彼女は独り海辺を散策するのだ。
「ふふ、うふふ。ジェードったら、あんな顔して、私のこと・・・ふふ。」
少女は無意識に笑顔をこぼし続ける。ただあの夜の言葉を胸に刻みながら、その時の少年の微笑みを思い出しながら。
(うん、前よりも離れているけど、気分は悪くない。こんな体の私だって、一歩ずつ成長してるんだ。)
それと同時に、少女は自身の浮かれ気分だけに流されず、本来の目的である魔法の成長具合とそれに伴う呪いの進退を確かめていた。それは本当に僅かな違いではあるが、彼女は昨夜の自分との変化を確かに実感し、それを肌で感じる。
「───それなら、髪も背も早く伸びてくれないかなー。」
故にその愚痴とも言えない些細な悩みをこぼすのも、年頃の少女としては当然の機能であり、仕方のないことでもあった。
「───ん?」
そしてテルルが気ままに歩き続けていると、ふとその足を止めて、静かに立ち止まった。なぜなら彼女はその場所に辿り着いたのだから。
それは砂浜の終わりの、さらに先にある、入り組んだ海岸の奥の崖であった。波打つ海と吹き付ける風によって浸食され、大きな壁のようにそびえ立つ岩の中に、その場所は存在していた。
「硝子の・・・オルゴール堂?」
その建物は、崖の中を彫り込むように、その中に埋もれるように、ただ静かに隠れるように明かりを灯していた。実際に表に見える部分は、正面のすりガラスの入り口のみ。そして扉の前にある古びた木の看板だけが、その店の存在を伝えている。それは常に好奇心旺盛な彼女の目から見ても、明らかに怪しく警戒せざる負えない店構え。
「失礼しまーす。」
しかし少女は静かに扉を開けて、その中に吸い込まれるように入っていた。それはまるで初めから決まっていたように。それはただ自然に、住み慣れた家に帰るように。
「うわぁ、なんて、綺麗。」
その店内は少女が想像していたよりも広々としており、また波音も聞こえないほどに静かで、全てが純白に包まれていた。見上げる天井も、見下ろす床も、壁も柱も、机も椅子も、全てが真っ白な大理石。その明るく眩い異質な空間は、どこか別の世界に迷い込んだよう。そこには何一つ余計な装飾などは存在せずに、ただ静寂の空間の中に、無彩色のテーブルが置かれ、その上にはガラスで作られたオルゴールが。
その恐ろしいほどに美しい景色の中で、少女は若干の緊張を感じながらも歩き始めた。その無垢な表情で、ただ物珍しそうに、テーブルの上に置かれた様々なオルゴールを眺めつつも、真っ白な世界にはコツコツとした少女の足音だけが響く。
「───っ。」
しかし、その瞬間、少女は目を見開いて歩みを止めた。それはたった一つのオルゴールを前にして。それは小さな硝子箱だった。その透明な檻の中に、複雑に繋がれた機械の部品が見える。それを少女は不思議そうに見つめた後、静かに手に取って、その箱を開いた。
「・・・」
そして少女の手の中で、静寂の空間に響くのは、その小さなオルゴールの奏でる旋律。それは決して派手な音でもなく、現代的で複雑なメロディーでもない単調なものだが、その静かな音色にはどこか惹かれるものがあった。その音はただ優しくて、美しく、ふと微笑んでしまうような、そんな───
「───え。」
その時、少女は静かに泣いていた。その瞳から小さな雫を、ただ当然のように涙を流していた。
「な、なんで!? これ、え!?」
少女は突然に溢れ出した涙を認識して困惑し、その場で立ち尽くして驚いた。このような感情の流れ方は、初めての経験だったから。
「如何でした?」
「───っ!」
そして、少女は手で涙を拭っていた時、突如として現れた人間の存在と声を前に、二度目の衝撃を受ける。
「あ、ごめんなさい、驚かせてしまって。私、当館の管理人をしております、雅屋と申します。」
それはとても透き通った声だった。少女の目の前に佇む女性は静かに微笑んで、その瞳の奥を真っ直ぐに覗くのだった。




